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「たった一人の演説」が25億円相当の寄付金を集めた…米国のエリートたちが「ユダヤ人女性」に心を奪われた理由

プレジデントオンライン / 2024年7月8日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/coldsnowstorm

70年近く対立が続くイスラエルとパレスチナ。国を持たなかったユダヤ人は、どうやってイスラエル建国のための資金を集めたのか。ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエールの著書『おおエルサレム! アラブ・イスラエル紛争の源流(上)』(村松剛訳、KADOKAWA)より、一部を紹介する――。

■米国ユダヤ人財界の“支援疲れ”

テル・アヴィヴではユダヤ人機関の指導者たちが、同じ金銭上の憂鬱(ゆううつ)を味わっていた。一月のある夜、彼らは財政主任エリエゼル・カプランの報告をきくために呼び集められた。カプランは資金を集めに合衆国に行き、旅行から殆ど手ぶらでもどって来たのである。

アメリカのユダヤ人集団は長いあいだシオニスム運動の、財政上の主要な支柱だった。しかしパレスチナの同胞からの絶えることのない呼びかけに、いまは疲れはじめていた。現実を直視した方がいい、とカプランは進言した。これから来る苦難の何箇月かのあいだ、合衆国からもらえる金額は五百万ドル(※)以上を期待してはならない。

※編集部註:1947年当時のレートは1ドル50円の軍用交換相場

この数字は会議の席を、短剣の一撃のように打った。全員の視線が、報告を見るからに苛立(いらだ)たしげにきいていた蓬髪(ほうはつ)の小男に注がれた。ダヴィド・ベン・グリオン。彼はいまいわれたことがらのもつ深刻さを、ほかのだれよりもよく測定できる立場にいた。プラハで彼の使者エフド・アヴリエルが買付けた小銃と機関銃とは、パレスチナ・アラブ人の攻撃を防ぎ止め得るであろう。

■手を挙げた女性がハンド・バッグ一つで渡米

だが介入を予想されるアラブ諸国正規軍の戦車、大砲、航空機にたいして、そんなもので何ができよう。ベン・グリオンはこのような脅威に抗し得る一軍をつくりあげる計画を、すでに抱いていた。しかしこれを実行に移すには、カプランの予想する金額の最小限で五、六倍を必要とするのである。彼は宣言した。

――カプランと私自身とで即刻アメリカに行かねばならない。アメリカ人に、状況の深刻さを納得させるのだ。

かつてデンヴァーの街頭でシオニスムのために募金していた女が、このとき口をはさんだ。

――あなたがここでなさっていることは、私にはできません。(とゴルダ・メイアーはいった)でも私たちに必要なお金を集めるために合衆国に行くことなら、私にも代理がつとめられます。

ベン・グリオンの顔が、紫色になった。彼はことばの腰を折られることを好まない。問題は生死にかかわる、と彼はこたえた。カプランといっしょに出かけねばならないのは、彼である。

同僚の支持を獲たゴルダ・メイアーは、投票にかけることを提案した。二日後、手軽な春のドレスを着ただけでハンド・バッグのほか何の荷物ももたないゴルダ・メイアーが、ニューヨークに着いた。寒い夜だった。出発があまりにも慌しかったので、着がえをとりにエルサレムまで行く時間が、彼女にはなかったのである。

■多くは、家具職人の娘の理念に無関心だった

ニューヨークに数千万ドルを手にいれるために来たというのに、彼女の札入れには十ドル紙幣が一枚はいっているだけだった。驚いた税関吏が彼女に、これっぽっちの金でどうやって合衆国で暮してゆくつもりかときくと、彼女はあっさりとこたえた。

――ここに家族がいます。

翌々日、シカゴのグランド・ホテルの演壇に立って、ゴルダ・メイアーは興奮にふるえながらその「家族」の選良たちと向かい合った。彼女のまえに集まっていたのは、アメリカのユダヤ人社会の大資本家の大部分である。

ユダヤ人連合評議会の指導者たちである彼らは、ヨオロッパとアメリカとのユダヤ人貧民にたいする財政的社会的援助計画を検討するために、四十八の州から出て来たのだった。この集まりは彼女には、ねがってもない機会だった。

ウクライナの指物師の娘にとっては、これはおそろしい試煉(しれん)である。彼女は一九三八年いらい合衆国にもどっていなかったし、過去のいくどかの旅行のときには話相手は情熱的なシオニストで、しかも彼女と同じように社会主義者である人びとにかぎられていた。いま彼女が向かいあっているのは、アメリカ・ユダヤ人の輿論の広汎(こうはん)なひろがりの代表者たちである。多くは彼女の代表している理念に無関心であり、敵意をさえもっていた。

■飾り気のない彼女は「聖書の女たちのようだ」

ニューヨークの彼女の友人たちは、この対面を断念することをすすめた。評議会はシオニスム的傾向をもってはいないのだ、と彼らはいった。会員たちはアメリカでの仕事に、つまり病院、シナゴーグ、文化センターの建設のための資金の要求に、すでにうんざりさせられている。会員たちはカプランが経験したように、国外からの懇請には疲れていたのである。

ゴルダ・メイアーは、譲らなかった。会議の発言者の予定表はまえもって決定されていたのだが、彼女はユナイテッド・ジュウイッシュ・アッピールの総裁ヘンリイ・モンターに電話をかけ、シカゴに行くことをしらせた。

――彼女は聖書の女たちのようだ。

このおよそ飾り気のない、峻厳(しゅんげん)な表情の婦人が名を呼ばれて席を立ったとき、いあわせた会員のひとりが呟(つぶや)いた。草稿なしに、エルサレムからの使者は語りはじめた。

――私が合衆国にまいりましたのは、ただ単に七十万のユダヤ人が地球上から一掃されるのをふせぐという、それだけの目的のためではないのです。私を、信じて下さい。

最近の何年間かにユダヤの民は、六百万の同胞を失いました。七十万のユダヤ人が危地に立っていることを私たちの立場から、世界のユダヤ人に想起させようというのは、厚かましいことかも知れません。それが問題ではないのです。

■「ユダヤの民というものはなく、ユダヤ国民はなく…」

――ですがもしも、この七十万のユダヤ人が生きのびることができれば、世界のユダヤ人も彼らとともに生きのび、人びとの自由は未来にわたって保障されるでしょう。けれどもしも七十万が生き残り得なかったら、今後いく世紀にもわたってユダヤの民というものはなく、ユダヤ国民はなく、私たちのすべての希望が根絶されるだろうことは、殆ど疑いをいれません。

数箇月のうちに、と彼女は聴衆に向かっていった。

「ユダヤ人国家がパレスチナに存在することになるでしょう。その誕生のために、私たちは戦います。これは当然のことです。そのために、私たちは血をもって支払うでしょう。これは当りまえのことです。私たちのうちの最良の人びとが、死んでゆくでしょう。それは確実です。でもそれと同じように確実なのは、侵略者の数がどれほど夥しくあろうと、私たちの闘志は挫(くじ)けはしない、ということです」

それでもこれらの侵略者たちは、大砲と機甲部隊とを伴ってくるであろうと、彼女は警告した。それらの武器にたいしては「おそかれ早かれ、私たちの勇気は何の意味ももたなくなるでしょう。なぜなら、私たちは生き残ってはいないはずですから」

彼女は来て彼女は語り、アメリカのユダヤ人たちに侵略者の大砲に対抗するのに必要と思われる重火器を買うための、二千五百万から三千万ドルの援助を訴えた。

エルサレムにて、イスラエルの検問所でヨルダン川西岸から入っていくる誰かを待っている母子
写真=iStock.com/vichinterlang
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/vichinterlang

■「失敗だったのか」と彼女が思った瞬間…

「同胞のみなさん」と彼女は最後にいった。「私たちは先のみじかい現在を生きているのです。このお金が即刻必要だと私が申し上げるその即刻は、来月のことではありません。二箇月以内に、ということでもない。それは、まさにいまなのです……」

――私たちの戦いをつづけるか否かを決定するのは、みなさまではありません。私たちは、戦います。パレスチナのユダヤ人集団が、エルサレムの大グラン・ググラン法官のまえに白旗を掲げることは、決してないでしょう……けれどみなさまは一つのことを、決定することができます。――勝利がわれわれのものか、それとも大法官のものとなるかを。

疲れ切って、ゴルダ・メイアーは椅子に坐りこんだ。沈黙が、聴衆の席を支配している。失敗だったのかと、一瞬彼女は思った。ところが次の瞬間に全聴衆が、男も女も起立し、万雷の拍手が爆発した。拍手が終り切らないうちに演壇には一群の代表たちが駆けよって来て、提供する金額をいいたてた。

■たった一回の演説で「5000万円分の支援金」

会議がおわるまでに百万ドル以上の金額が集められ、しかもそれらは即刻現金化できるものだった。シオニスム基金の蒐集(しゅうしゅう)の歴史に、前例のないことである。代表たちは取引銀行に電話をかけ、自分の属する集団からのちに集められると判断される金額を、自分名義で借金したいと申込んだ。

この奇蹟(きせき)的てきな午後がおわるころ、ゴルダ・メイアーはベン・グリオンに電報を打ち、二十五の「ステファン」を集められることはたしかである、と伝えた(※)

勝利のすばらしさに目をみはったアメリカ・シオニストの指導者たちは、彼女にアメリカ全土を駆けまわるよう懇願した。メイアーはローズヴェルトの元財務長官ヘンリイ・モーゲンソオと一団の財界人につきそわれ、都市から都市へと巡礼の旅に出た。悲痛な演説を彼女はくりかえし、いたるところでシカゴの場合と同じ熱狂を湧き立たせた。

彼女の行くところ、すべてのユダヤ人集団が、同じ気前のよさで呼びかけに応じたのである。毎晩テル・アヴィヴには電報で、その日に集められた「ステファン」の総額が通知された。同時に多くの通報が、ほかの宛名に向かって発せられる。

トーラーが並ぶ本棚
写真=iStock.com/OLEKSANDR KORZH
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/OLEKSANDR KORZH

■「寒さにこごえる兵士」を訴えて7500万円

プラハのエフド・アヴリエル、アンヴェールのクシエル・フェーデルマン、そのほかユダヤ軍隊の装備購入の責務を負っているすべての人びとにたいしてである。彼らにとって、これほど励ましとなるしらせはなかった。それらは銀行に金を振込んだという通知で、彼らに新しい取引の締結を可能にするものだった。

この異例の旅行を通じて、ゴルダ・メイアーがただ一度だけ諦あきらめかけた瞬間があった。フロリダ州のパーム・ビーチでのことである。演壇のまえに集まったのは典雅な同胞であり、宝石であり毛皮である。宴会場の張り出し窓のガラスの向こうには、海が月光を浮かべて輝いている。

それを見ているうちに彼女の思いは突然、ユデアの丘の凍(い)てつく夜を、いまも震えてすごしているであろうハガナの兵士たちの上に走った。彼女の両の眼から、涙が溢(あふ)れた。「でもここにいる人たちは、パレスチナの戦いと死とについての話は聴きたくないのだわ」と思ったのである。

彼女はまちがっていた。メイアーのことばに感動したパーム・ビーチの典雅な参会者たちは、宴席のおわるまでに、ハガナの兵士全員に外套(がいとう)を買ってほしいといって、百五十万ドルを提供した。

■25億円を手にし、彼女はユダヤ建国の礎となった

ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエール『おおエルサレム! アラブ・イスラエル紛争の源流(上)』(村松剛訳、KADOKAWA)
ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエール『おおエルサレム! アラブ・イスラエル紛争の源流(上)』(村松剛訳、KADOKAWA)

十ドル札一枚をもってアメリカに渡ったゴルダ・メイアーは、五千万ドルを手に帰途につくことになる。この金額は、エリエゼル・カプランが獲得を望んだものの十倍であり、ベン・グリオンが目標とした額の二倍に達する。それは中東最大の石油生産国であるサウディ・アラビアが、一九四七年に計上した全収益を凌駕(りょうが)していた。

彼女のかわりに渡米することを望んだ小男は、ロッドの空港に彼女を迎えに出た。彼女がもたらした成功のみごとさを、そのシオニスムにとっての重大性を、彼ほどよく知っていた人物はいなかったのである。

――いつの日か歴史が書かれるとき、(とベン・グリオンは重々しくいった)史家はいうであろう。ユダヤ人国家の誕生を可能にしたのは、ひとりのユダヤの女であったと。

※原註=アメリカのシオニスムの指導者ステファン・ワイズが多額の基金を集めたことから、その名は百万ドルの同義語となっていたのである。

(ジャーナリスト ラリー・コリンズ、ジャーナリスト ドミニク・ラピエール)

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