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人類が大好きだった「血みどろの拷問」は、なぜ19世紀に消失したのか…刑罰が「身体」から「精神」に変わった理由

プレジデントオンライン / 2024年7月17日 9時15分

※画像はイメージです - 画像=iStock.com/Hein Nouwens

18世紀半ばまでヨーロッパの各地で行われていた拷問は、19世紀にはほとんど見られなくなった。いったいなにがあったのか。『人類を変えた7つの発明史 火からAIまで技術革新と歩んだホモ・サピエンスの20万年』(KADOKAWA)より一部を紹介する――。(第2回)

■日常茶飯事だった残虐な刑罰

ヨーロッパの歴史における大きな謎の1つは、身体刑の消滅です。

前近代の世界では、ヨーロッパにかぎらず世界のどこでも残虐な刑罰が当たり前に存在しました。罪人の手足の骨を鉄棒で叩いて粉砕し、ぐにゃぐにゃになった腕で体を車輪に括り付けて、腹を引き裂いて内臓を露出させ、ゆっくりと時間をかけて殺害する。

あるいは、手首や足首を縛った縄を、数頭のウマで別々の方向に引っ張って八つ裂きにする――。そんなB級ホラー映画も裸足で逃げ出すような血みどろの拷問と身体刑が執行されていたのです。日本の歴史を振り返れば「石抱」や「鋸挽き」が有名でしょう。

ヨーロッパでは18世紀半ばまで、こうした身体刑が日常茶飯事でした。退屈しのぎに集まった野次馬たちは、囚人の悲鳴やうめき声に喜び、死刑執行人の一挙手一投足に歓声を上げ、囚人が苦しみの末にこと切れると拍手喝采しました。

■罰は“社会からの隔離”へと変わった

ところが、こうした身体刑はわずか半世紀ほどで姿を消します。

フランスでは早くも1791年に、公衆の面前で謝罪する「加辱刑」が廃止され、短期間の復活を経て1830年には完全になくなりました。他の欧米諸国も同様で、遅くとも19世紀の半ばまでには、このような身体刑は行われなくなりました。刑罰の対象は「身体」ではなく「精神」となり、刑務所に収監して一般社会から隔離するという方向に切り替わったのです。

1975年にフランスの哲学者ミシェル・フーコーが著した『監獄の誕生』は、この謎に挑む書籍です。

当時のフランスの人文学者たちの間では難解で読みにくい文体が好まれていたようで、この本も決して明快とは言えない文章で書かれています。が、どうにか私なりに解釈して要約すると、身体刑が消失した理由は権力者たちの支配の方法がより巧みになったからだ、とフーコーは言いたいようです。被支配者側に「支配されている」と感じさせないままに支配する、そんな賢い方法を世の権力者たちが身に着けた結果、身体刑は消えていった――。

(この解釈が正しいとして)フーコーの見方も、一面の真実を捉えているのでしょう。

■人権意識を生んだのは「小説」だった?

一方、フーコーよりも19歳ほど年下のアメリカの歴史学者リン・ハントは、別の見解を示しています。

『監獄の誕生』から32年後の2007年に彼女が著した『人権を創造する』によれば、18世紀半ばに起きた「書簡体小説」のブームと、その後の読書習慣、とくに小説を読む習慣の普及が、人々の共感能力を伸ばして「人権」の意識を根付かせた、結果として残虐な身体刑は廃止されるようになった、というのです。

書簡体小説とは手紙の形式で書かれた小説で、18世紀のヨーロッパで大流行しました。そのブームの先駆けとなったのが、1740年に出版されたサミュエル・リチャードソンの『パミラ、あるいは淑徳の報い』です。

主人公のパミラは、ある屋敷で働く貧しい召使いです。彼女が両親に宛てた手紙を通じて物語は進みます。彼女は屋敷の若主人B氏から情欲を向けられ、繰り返し誘惑されます。

しかし彼女は、けなげにも貞操を守り続け、その美徳に心打たれたB氏からやがて正式に結婚を申し込まれます。そして屋敷の女主人となり、上流階級の仲間入りを果たす――という、現代の私たちから見ればややできすぎのメロドラマです。

■ヨーロッパを小説が席捲した

ところが18世紀の読者には、この小説は衝撃をもって迎えられました。

出版から約2カ月後の1741年1月には早くも重刷がかかり、3月に第3刷が、5月に第4刷、9月に第5刷が発売されました。瞬く間に多言語に翻訳され、1744年にはフランス語版がローマ・カトリックの禁書目録に載るまでになりました。

膨大な数の批評、パロディ、海賊版が執筆され、今で言う「パミラグッズ」のようなものが制作・販売されました。ある村では、第2巻でB氏とパミラがついに結婚するという噂を聞いて、村人たちが教会の鐘を鳴らして祝ったという逸話まで残っています。

『パミラ』の成功を受けて、ヨーロッパでは小説の刊行数が激増しました。

イギリスでは18世紀の最初の10年間に比べて、1760年代には6倍に増加。1770年代には毎年約30点、1780年代には毎年約40点、1790年代には毎年約70点の新作小説が世に出ました。フランスでは1701年にはわずか8点だった小説が、1750年には52点、1789年には112点が出版されました。

リチャードソンが1747年から刊行を開始した『クラリッサ』は、再びベストセラーになりました。また、ジャン=ジャック・ルソーも『ジュリ または新エロイーズ』という書簡体小説を1761年に出版しており、こちらも一世を風靡しました。

■“主人公のなりきり体験”が持つ力

人権意識が生じるには、共感能力が欠かせません。他人――とくに自分とは違う社会階層に属していたり、奴隷だったりする人間――にも、自分と同じような思考・感情があり、痛みを感じるのだという理解が不可欠です。

また、他人に人権を認めるためには「道徳上の自律性」が前提になると、ハントは指摘しています。他の人間も自分と同様に、善悪の区別を自らの頭で考えることができるという前提です。この前提がなければ、奴隷は言葉で言い聞かせても理解できないから鞭で打って分からせるしかないんだ――という発想から抜け出せません。

小説には、こうした共感能力や前提を読者に植え付ける力があるというのです。

もちろんハントも、共感能力が18世紀に「発明」されたとは主張していません。それがヒトの生得的な感情だと認めています。また、物語芸術は人類の歴史と同じくらい古いことも認めています。古代ギリシャの演劇は今でも残っています。

しかし、神話の語り聞かせや舞台芸術が、登場人物を第三者的な立場から観察するような客観的な物語体験をもたらすのに対して、小説における物語体験はより主観的です。

読者は物語の主人公になりきって物語を楽しむことができる――この点で、小説は他の物語芸術と異なります。ハントの言葉を借りれば、小説は「読者に登場人物との心理的同一化をうながす」のです。

本を読む人
写真=iStock.com/patpitchaya
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/patpitchaya

■文明化された都市でも拷問はあった

進化心理学者スティーブン・ピンカーは『暴力の人類史』の中で、ハントのこの仮説を詳しく検討しています。

人権意識が芽生えた原因には、たとえば「文明化のプロセス」が考えられるでしょう。文明が発展して人々の交流が増すほど、他人をおもんぱかる必要性も高まり、やがてそれが人権の誕生に繫がったという考え方です。

ところが、これは時期が合いません。ヨーロッパ諸国の多くでは、自白を引き出すための合法的な拷問が13世紀頃に導入ないしは再導入されました。この時代は中世盛期にあたり、人々の移動や商業が盛んになった時代です。

1425~1428年のフィレンツェでは、有罪判定のうちの21%が拷問による自白に基づいていました。野蛮な拷問は、文明が発展しつつある時期に導入され、高い文明レベルを誇る都市でも実行されていたのです。

また、経済的な豊かさが他人への寛容さを生み、人権意識を芽生えさせたという考え方もできそうです。

ところが、こちらも時期が合いません。『パミラ』の出版された1740年は産業革命の前夜であり、経済的な豊かさはそれ以前の時代と大差ありませんでした。

Rootport『人類を変えた7つの発明史 火からAIまで技術革新と歩んだホモ・サピエンスの20万年』(KADOKAWA)
Rootport『人類を変えた7つの発明史 火からAIまで技術革新と歩んだホモ・サピエンスの20万年』(KADOKAWA)

先進国で工業化により1人あたりの所得が本格的に伸び始めるのは19世紀後半からです。残酷なほどの経済格差が解消されて、現在のように一般大衆が余暇を充分に楽しめるほど豊かになるのは、第二次世界大戦が終わる20世紀半ばを待たなければなりません。

一方、ハントの仮説は、時期の一致という点に強みがあります。先述の小説の出版点数はもちろん、識字率もこの時期に上昇しているのです。

こうしたデータがよく残っているのはイギリスで、18世紀半ばには男性の識字率が50%を超え、女性でも25%を超えました。おそらく、他のヨーロッパ諸国も似たような水準だったでしょう。18世紀後半から現代に至るまで、識字率は一貫して上昇し続けました。

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Rootport(ルートポート)
作家・漫画原作者
1985年、東京都生まれ。ブログ「デマこい!」を運営。2023年、商業作品としては世界初の全編AI作画の漫画『サイバーパンク桃太郎』(新潮社)を出版。これにより、TIME誌「世界で最も影響力のある100人 AI業界編」に選出される。他の著書に『会計が動かす世界の歴史』(KADOKAWA)、『女騎士、経理になる。』(幻冬舎コミックス)、『ドランク・インベーダー』(講談社)など。

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(作家・漫画原作者 Rootport)

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