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泉房穂「政治家と仲良く寿司を食べている場合か」…日本のマスコミが「自民党にやさしい報道」を繰り返すワケ

プレジデントオンライン / 2024年7月12日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Mirko Kuzmanovic

日本のマスコミに欠けているのは何か。前明石市長の泉房穂さんは「自民党の裏金問題で大騒ぎしているようにみえるが、表面的な報道ばかりが目立つ。市民の実感、市民の怒りの強さをまったく認識できず、政治家のほうばかりを向いている証拠だ」という――。

※本稿は、泉房穂『さらば! 忖度社会 崖っぷちニッポン改造論』(宝島社)の一部を再編集したものです。

■昔の民放は政権批判ができていた

NHKと民放それぞれの特徴を踏まえたうえで考えてみると、NHKの体質には二つのポイントがあると感じています。

一つ目は、NHKは国民の受信料で成り立っているので、スポンサー企業などへの忖度を考える必要がないということ。もうひとつが、その受信料制度を決めているのは政府ですから、受信料を払ってくれる国民に対する使命に加えて、政府にも配慮せざるを得ないということ。

政権批判に及び腰というのは入社当時から感じていましたが、近年、政府への忖度がどんどんひどくなってきています。いまや、国民に尽くすという大義はどんどん弱まり、政府への忖度だけが強まっているように感じます。

一方の民放は、視聴率オンリーですから、今も昔も、見ているのはあくまでスポンサー企業の反応です。ですから、スポンサーさえOKであれば、ある程度のタブーも破ることができるし、政権批判もできました。

ところが、2012年に発足した第二次安倍晋三政権の時代から、政権によるマスコミ介入が露骨になっていきます。安倍首相(当時)がテレビ局や新聞社のトップを抑え、菅義偉官房長官(当時)がコメンテーターなどの有識者をしっかり抑え込み、官邸官僚が現場を締め上げる。

さらに、2015年から16年にかけて、高市早苗総務大臣(当時)が「(偏った番組を流すような放送局には)電波停止も辞さない」と放送法を盾に露骨なことを言い出して、マスコミの忖度が一気に進みました。

■「偏向報道は停波」でマスコミが萎縮

放送法第4条では、放送事業者は「政治的に公平であること」と定められていますが、この公平性については、一つの番組ではなく事業者の番組全体をみて判断する、というのが従来の政府の見解・解釈でした。

ところが、当時の高市大臣は、突如「一つの番組でも、極端な場合は政治的公平を確保しているとは認められない」と答弁して第4条の解釈を変更してきたのです。2023年に、総務省は「番組全体で判断する」と従来の解釈に戻した答弁をしていますが、政権の意向次第で公平性の解釈は変え得るとの印象を残しました。

■今のマスコミに「金権政治の膿を出そう」という志はない

私も、時々民放に呼ばれてスタジオで生出演したり、VTR出演したりしていますが、いまや民放もNHKに負けないくらい政権に忖度しているように感じます。かつては政権に対して物を申していたテレビ朝日やTBSまでもが同様です。

たとえば、今般の自民党派閥の裏金問題についてもマスコミは大騒ぎしていたけれど、報じ方があまりに表層的でした。政府が騒動の幕引きを図ろうとした政治倫理審査会(政倫審)なんて、やるだけ無駄で無意味、そもそも偽証罪に問われない以上、非公開を公開にしたところで真実なんて出てくるはずがないのですが、そうした本質が報じられることはほとんどありませんでした。

多くの大マスコミには、本気で市民の怒りに寄り添い、金権政治の膿を出そうというような志はなく、私みたいな人間は単にガス抜きとして使われているのかな、と感じることがしばしばあります。

テレビおよびビジネスマン
写真=iStock.com/bee32
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32

■「ぬるすぎる報道」が続くワケ

その後の、政治資金規正法の改正案も同様でした。結局、「議員本人の確認書作成を義務づける」と、口では“いわゆる連座制のようなもの”と言いながら、イギリスの公職選挙法などで定められた議員の責任が厳しく問われて失職する本当の連座制とは程遠い文言を付け加えただけでした。

肝心の企業や団体からの献金の禁止などに関しては何も手つかずの、見事にしょぼい改正案でしたが、マスコミは、公明党からも厳しく突き上げられて岸田首相がようやく動いた、というような筋書きで報じるだけです。

目線が決定的に市民のほうを向いていないのですから、市民の実感、市民の怒りの強さをまったく認識できず、ぬるすぎる報道になっている。そのことを象徴的に示していたのが、埼玉県議会で可決成立しかけていた児童の「虐待禁止条例」の改正案に対する大手マスコミの報道だったといえるでしょう。

■ヤバい条例なのに「成立しそう」としか報じない

2023年10月、埼玉県議会で審議された虐待禁止条例の改正案、別名「子どもの留守番禁止条例」に世論が沸騰しました。この改正案は、子どもだけで公園で遊ばせたり留守番させたりすることを「子どもを放置する虐待行為」とみなすトンデモ法案でした。

小学3年生以下は放置禁止、小学4〜6年生までの保護者は努力義務だという。定員オーバーで学童保育に入れない子どももいるのに、放課後に子どもだけで過ごさせることを虐待行為とみなすのは、保護者に仕事をするなというのに等しい。しかも、保護者不在の子どもがいることに気づいた市民は通報せよ、という。まさに監視社会です。

こんなロクでもない条例であるにもかかわらず、大手マスコミは揃いも揃って「委員会で自民党公明党の賛成により可決、本会議でも成立の見通し」と報じました。

たしかに、10月4日に自民党が条例の改正案を提出し、2日後の6日には県議会の福祉保健医療委員会でわずか2時間ほど意見を交わしたのちに自公の賛成多数であっさりと可決していました。それを受けて、大手マスコミは成立が既定路線だと思い込み、「問題のある法改正ではあるが、本会議にて成立の見通し」としか報じなかった。

■怒りを力に変えれば状況は変えられる

でも私は、その報道を見て、諦めるのはまだ早いと直感しました。そこで、「こんなロクでもない条例を通したらあかん。諦めるな、まだ変えられる。埼玉県知事に意見を届けるんや」とSNSでメッセージを発信しまくりました。

私には、絶対にひっくり返せるという確信があった。こんな理不尽な条例はおかしいだろうと思うのが、世の中の子育て層の普通の感覚だからです。育児中の親たちは、こんな理不尽な条例が成立すると知って激怒していた。

「うちには小学校2年生の子どもがいるんだけど、私も働いてるし、放課後とか付き添えるわけないんだけど。そしたら通報されるわけ?」という声が山ほどある。その激怒を力に変えればいいだけです。私は、条例案をひっくり返すには二つのポイントがあるとSNSで呼びかけました。

つまり、与党の自公が埼玉県議会で過半数を取ってはいますが、自民党単独では3分の2に達してはいません。もしも大野元裕県知事が、「この改正案はちょっとおかしいのではないか。再検討してみては?」と再議をかけた場合、それでも改正案を通そうと思ったら議会の3分の2の賛成が必要になる。これが一つ目のポイントです。

そして二つ目のポイントは、公明党が自民党に賛同せずに棄権すること。そうすれば3分の2を超えないので、改正案は止めることが可能になる。私はSNSでこれらのことをすべて書きました。「知事が“再議”と言いさえすれば、そして公明党が“もうちょっと考えたい”と言いさえすれば止められるんや。諦めるのはまだ早い」と世論に呼びかけた。

■「ひどいですね」というコメントでは何も変わらない

すると私のメッセージはまたたく間に拡散されました。具体的に止める方法さえ見つかれば、こんなとんでもない法案、子育て世代を中心とした市民たちが動くに決まっています。そして実際に世論が沸騰した。

子育て中の保護者たちが冗談じゃないと立ち上がり、6日の夕方からオンライン署名を呼びかけたところ、あっという間に数万人の署名が集まりました。県知事の元にも1000件を超える反対意見が寄せられたそうです。この民意を議会も県も無視するわけにはいきません。わずか4日後の10月10日、自民党県議団は改正案を取り下げることを発表しました。1、2日で空気を変えることができる。これが市民の力です。

「理不尽な条例ですが、成立やむなし」という論調で報じるだけだった大手マスコミは、やはり市民感覚からずれていると言わざるを得ません。ワイドショーで「ひどい条例ですね」などと言っているだけではどうしようもない。

具体的に止める方法があり、市民にはその力があるんだということをなぜ報じないのか。この一連のスピーディな動きによって県議会を変えたことは、市民にとっての成功体験になりましたし、私自身も大手マスコミの限界とSNSの力を改めて実感した一件となりました。

■「記者クラブ」と「政治部」は解体すべき

埼玉の一件は、マスコミよりも政治家のほうがよほど世論の風に敏感であるということを示したように思います。政治家は、世論の風向きが変わった瞬間に、「ヤバい! 子育て層を敵に回してしまう」と、一気に方向転換しました。そのあたりは、マスコミのほうが世論に疎かった。けしからんけれど、もう既定路線だから仕方ないね、というような論調に終始していました。

マスコミが市民目線を取り戻し、緊張感を持って権力の監視役としての役割を果たすためにも、記者クラブのような馴れ合い組織は廃止にしたらいいと思っています。記者クラブそのものが、まさに既得権益化している。特権的な集団に所属することで、おこぼれに預かって記事にするなど、民主主義の国のマスコミの姿ではないはずです。

その意味では、私は記者クラブおよび政治部廃止論者です。政治部なんて名ばかり、実態は「政局部」ではないでしょうか。誰と誰が飯を食ったとか、手打ちしたとか、どうやって金を集めているとか、追いかけているのは政局の話ばかり。

そんなことは政治でもなんでもありません。そのような報道姿勢を続けるならば、政局部と名前を改めたらいいのです。自民党の旧派閥の力関係、与野党の駆け引き、総理の椅子に近いのは誰だのと玄人っぽい話で騒いでいるだけで、その人がどのような政策を掲げているのか、まともに取材しようとはしないのですから。

■政治家と寿司を食べて取材した気になっている

記者たちには、政治家の誰と人脈があるとか、官僚とのパイプがあるとか、そういった関係性で社内での自分のポジションを誇示しているような印象しかありません。

それなのに、テレビ局や新聞社で一番でかい顔をしているのは政治部。自分たちが時の権力に一番近いところにいると思い込んで、社内を仕切っている。取材と言ったって、政治家と会って一緒に寿司など食べつつ得た情報を垂れ流すだけ。

黒い背景にサーモン寿司
写真=iStock.com/ASMR
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ASMR
泉房穂『さらば! 忖度社会 崖っぷちニッポン改造論』(宝島社)
泉房穂『さらば! 忖度社会 崖っぷちニッポン改造論』(宝島社)

自分たちが既得権益化しているという自覚なきまま、自分は偉いと錯覚しているのが政治部ではないでしょうか。かなり情けない状況です。こんな政治部、なくなったって市民は誰も困りません。

もちろん、政治家を取材する記者は必要ですが、その前提として、まずは市民の声をきちんと拾うべきです。その意味では、常に市民を取材している社会部記者たちが、現場で見聞きした市民の実態・実感を政治家にぶつけて、彼らの見解を引き出すのもいいと思います。政治家の周囲を四六時中ウロチョロして、一緒に寿司なんか食う必要はどこにもないでしょう。緊張感を持って、政治家と対峙してほしいと思います。

厳しいことを言いましたが、大手マスコミのみなさんには、記者クラブと政治部を解体するくらいの気概を持って、自らを既得権益化することなく、市民の生活に寄り添った報道をしてほしいと心から願っています。

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泉 房穂(いずみ・ふさほ)
前明石市長
1963年、兵庫県明石市生まれ。東京大学教育学部卒業。NHKディレクター、弁護士を経て、2003年に衆議院議員となり、犯罪被害者等基本法や高齢者虐待防止法などの立法化を担当。2011年に明石市長に就任。特に少子化対策に力を入れた街づくりを行う。2023年4月、任期満了に伴い退任。主な著書に『社会の変え方』(ライツ社)、『子どものまちのつくり方』(明石書店)ほか。

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(前明石市長 泉 房穂)

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