なぜ「がんは幸せな病気」と言われるのか…末期がんの森永卓郎さんが「そのとおり」と実感するワケ
プレジデントオンライン / 2024年7月17日 8時15分
※本稿は、森永卓郎『がん闘病日記』(三五館シンシャ)の一部を再編集したものです。
■川勝平太知事の職業差別発言に思ったこと
静岡県の川勝平太知事(当時)が2024年4月1日、県庁職員への訓示のなかで次のように述べた。
「県庁というのは、別の言葉でいうと、シンクタンクです。毎日毎日野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいは物を作ったりとかということと違って、基本的に、皆さま方は頭脳、知性の高い方たちです」
この発言に対して、「職業差別だ」「職業に貴賎はない」といった世間からの非難が殺到し、川勝知事は発言を撤回するとともに、辞意表明を余儀なくされた。
たしかに世間の反応は当然のことなのだが、私の受け止めは違っていた。
「この人は農業をやったことがないんだな」
私はそう思ったのだ。実際にやっていれば、農業がいかに知的な仕事かということが自ずとわかるはずだからだ。
■コロナ禍で取り組んだ「一人社会実験」
新型コロナウイルス感染が広がった2020年、厳しい行動制限のなかで、私も多くの仕事がキャンセルになったり、リモートワークに変わった。
そのため自由になる時間が大幅に増えた。一方、それまで毎週のように通っていた群馬県昭和村の体験農業も感染予防のために参加できなくなった。
新型コロナがいつ落ち着くのか見通しがつかない。そこで私は「一人社会実験」に取り組むことにした。
それは、どれくらいの面積の畑をやれば、家族が食べられるだけの野菜を自給できるのかということだ。
■野菜の種類は20種類を超えた
何冊も本を読んだのだが、どこにもその答えは書いていなかった。
妻が家のすぐ近くの農家に頼み込んで、とりあえず1アール(100平米)の耕作放棄地を借りてきてくれた。それを鍬一本で耕して、土を作ることから私の一人農業が始まった。
トマト、ミニトマト、ナス、シシトウ、ピーマン、キュウリ、レタス、キャベツ、ネギ、タマネギ、ジャガイモ、サツマイモ、オオバ、スナップエンドウ、トウモロコシなど、植え付けた野菜の種類はどんどん増えていき、20種類を超えた。
そして、調子に乗った私は、スイカやイチゴ、そしてメロンにまで作物を広げていった。
■1アールもあれば、家族が食べる分は十分自給できる
人間は欲深いもので、2年目からは面積を倍増して2アールの畑をやることになった。そして、3年間の経験でわかったことは、1アールもあれば、家族が食べる分は十分自給ができるということだ。それと同時に痛感したのは農業がいかに難しいかということだった。
大自然が相手だから、絶対に思うようにはならない。雨が襲い、風が襲い、病気が襲ってくる。虫や鳥や動物も襲ってくる。それらと闘うために、柔軟に作戦を変更し、作物を守っていく。
■カラスとの知恵くらべが続いている
スイカの栽培を始めた初年度、収穫直前のスイカが軒並みカラスにやられた。カラスはスイカが熟れる時期を正確に判断して、収穫直前にクチバシで突いて、食べてしまったのだ。
私は、カラス対策として、スイカひとつずつにU字型の園芸支柱をクロス掛けにして、そこに網を張り、クリップで止めた。それ以降、被害は止まったのだが、翌年、またカラスにやられた。網の下から頭部を突っ込んできて、なかに入られてしまったのだ。
それ以降、どんどん進化するカラスとの知恵くらべが続いている。
そうしたさまざまな努力を重ねても、私の技術力不足もあって、予定どおり収穫に結びつけることができる確率は5割程度でしかない。
■「ブルシット・ジョブ」より農業のほうが知的で人間的
しかしだからこそ、無事収穫に至ったときの喜びは何にも代えがたいほど大きいのだ。
じつは、私がいま耕作している畑は全体では1ヘクタールくらいあって、その一部を7~8人のメンバーで分担している。大部分が定年後のサラリーマンだ。
彼らに「なぜ農業をしているの」と聞くと、帰ってくる答えは「だって楽しいじゃないか」という。
いま大都市で広がっている仕事は、コンピュータの指令の下、マニュアルどおりに働く「ブルシット・ジョブ」だ。それらの仕事と農業のどちらがより知的で、どちらがより人間的かは、議論の余地がないのではないか。
農業には厳しい結果責任がともなう。いくら頑張っても自然に翻弄されてしまう。しかし、その自然と付き合う手段は、すべて自分で選択できる。
どのように土を作るか、なんのタネや苗を植えるか、支柱をどう立てるか、芽掻(めか)きをどうするのか、追肥(ついひ)をどうするのか、虫や動物対策をどうするかなど、自ら考え、実行することは無数にある。
つまり、農業こそ、「自由と自己責任」の仕事といえるのだ。
■農業はコミュニティの場
そして、農業は、コミュニティの場でもある。
2023年11月にがんの宣告を受けたあと、度重なる検査や体調不良の結果、私はまったく畑に出られなくなってしまった。
雑草が生い茂り、地主の農家に顔向けができないと心配していたのだが、畑仲間が草を刈り、耕運機をかけてくれた。
そして、2024年の早春、私が農作業に出られない状態が続くなか、仲間が畑に畝(うね)を立て、冬越しの栽培が必要なスナップエンドウの苗を植えてくれた。
さらにゴールデンウィークのころには、トマトやキュウリ、スイカなどの苗も植えてくれたのだ。
■スーパーマーケットで買うミニトマトとは異次元の甘みとうま味
私は千葉県印西(いんざい)市のハルディンという会社から、野菜の苗を送ってもらっている。
私はビニールハウスを持っていないので、どんなに頑張っても、プロの苗農家にはかなわない。ハルディンの苗はとてつもなく優秀で、ミニトマトのシュガープラム、ミラクルリッチという品種は、スーパーマーケットで買うミニトマトとは異次元の甘みとうま味を持っている。
収穫の時期も長いので、夏以降、冬の入り口までは、毎朝、収穫が楽しみでならない。
2024年は、そのハルディンの苗を畑仲間たちで分かち合って育てていく予定だ。
ただ、私の体力が落ちてしまって2アールの畑を継続することは難しいので、半分の面積を仲間に託した。彼らは快く引き受けてくれた。
■「農業の軽視」がはびこっている
私は、いまはびこっている農業の軽視、あるいは無理解は、大部分の都市住民が農業をやったことがないからだと考えている。
最近は、品種改良が進んで、ベランダのプランターで育てられる背丈の低い野菜苗も販売されるようになった。
ハルディンからは「プランターで栽培できるサツマイモの苗」が登場した。
私は畑があるので、サツマイモをプランターで育てる必要はまったくないのだが、家の庭でやってみようと考えている。
多くの国民が自らの食料を生産するために重要な手段となると思うからだ。
「一億総農民化」は、生きがいの確保とともに、食糧安全保障にもつながる。
敵基地を攻撃するミサイルを買うより、ずっと効果的な政策ではないかと、私は考えている。
■がんは幸せな病気
「がんというのは幸せな病気だ」と和田秀樹さんも、小倉智昭さんも言う。
突然死することが少なく、人生の幕引きを整える時間を確保することができるからだという。そのとおりだ。
私自身も、がん宣告以来、猛スピードで生前整理を進めてきた。
預金や投資の整理もそうだし、妻が大部分の作業を担ったのだが、私の介護用ベッドを入れるため、わが家の1階の和室を埋めていた荷物を一掃した。
家中を占拠していた私の本も少しずつ整理を始めている。
■家族との関係が大きく変化
そして、一番大きかった変化は家族との関係だ。
長男の康平が「わが家はずっと母子家庭だった」と言うほど、私は仕事三昧で、家に帰らなかった。それが、がん闘病のなかで、いきなり家ですごす時間が増えた。
一番変化したのは妻との関係だ。
結婚して41年、妻とすごす時間というのはほとんどなかった。がんとの闘いが始まって以降の数カ月のあいだに妻とすごした時間は41年間の夫婦生活のなかですごした時間よりも長いかもしれない。
そのなかで、妻とは初めて新婚生活をすごしているような気分で、毎日がとても楽しい。この人と結婚できて、本当によかったと心から感じている。
一緒にすごす時間が増えるなかで気づいたことは、私と妻の性格が正反対といってもよいくらいに違うということだ。
まず食生活の嗜好が根本的に異なる。私は肉が大好きだが、妻は肉をほとんど食べない。病気のこともあるのかもしれないが、体感温度は私のほうが5℃ほど低い。だから、部屋の温度を妻の適温にすると、私は凍えてしまう。
メディアに出ることを極端に嫌う妻とメディアに出たがる私。ありとあらゆる生活スタイルが妻とは異なる。共通しているのは40年前の流行歌を懐かしがることくらいだ。
■妻の手伝いがなければ何一つできない
ただ、芸能人同士で結婚したカップルに聞くと、「1つの家に主役は2人要らない」のだという。だから、ライフスタイルが異なっているほうが案外うまくいくのかもしれない。
実際、ライフスタイルの違いを乗り越える知恵はずいぶん進んだ。
たとえば、夕食の際には小さなお鍋を2つ用意して、妻は野菜鍋、私はすき焼きを食べている。寝る部屋は、妻と私で完全に分けた。テレビも私が見るテレビをリビング用とは別に購入した。
そうした違いがあっても、妻は献身的に私を支え続けてくれている。何しろ、いまの私は要介護3の状態だ。
着替えをするのも長い時間をかければ可能だが、そんな時間はないのでほぼすべて妻が着替えさせてくれている。
どこに行くのも、妻の運転するクルマでの移動だ。朝起きてから寝るまで、妻の手伝いがなかったら、何一つできないのが現状だ。
■子どもは親の背中を見て育つ
そして、子どもたちとの関係も大きく変化した。東京の病院への入退院の際にクルマで送迎してくれたのは次男だったし、長男も次男も心配して、ちょくちょくわが家を訪ねてくるようになった。
そして、もっとも大きな変化は仕事だ。
康平は私の突然の病欠を穴埋めするためにテレビやラジオ、講演などを引き継いでくれた。そのときの活躍が評価されて、現状、メディアへの露出は、私よりも1ケタ多くなっている。私の経済関係の仕事はもう康平にまかせてよさそうだ。
IT技術者をしている次男は、私のオタク心を理解してくれている。だからB宝館は、次男にまかせれば、大丈夫だと考えている。すでに得意の技術を生かして、B宝館のホームページの大改革を進めており、2024年5月からは開館日の店頭にも立つ予定だ。
私は、子育てにはほとんど関与していないが、子育てはうまくいったと思っている。
もちろん妻の貢献は大きいのだが、もうひとつ、子どもは親の背中を見て育つものなのだ。
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経済アナリスト、獨協大学経済学部教授
1957年生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業。専門は労働経済学と計量経済学。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』『グリコのおもちゃ図鑑』『グローバル資本主義の終わりとガンディーの経済学』『なぜ日本経済は後手に回るのか』などがある。
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(経済アナリスト、獨協大学経済学部教授 森永 卓郎)
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