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だから能登半島地震から半年がたっても死者数が増える…多くの人が知らない避難所を出た被災者を襲う悲劇

プレジデントオンライン / 2024年7月11日 10時15分

地震で倒壊したまま残る石川県輪島市のビル=2024年6月30日午後 - 写真=共同通信社

地震や津波による直接的な被害からは免れたものの、その後の過酷な避難生活などで亡くなる「災害関連死」。今年1月に発生した能登半島地震では、70名が認定されている。こうした被害は、なぜなくならないのか。「災害関連死を考える会」を立ち上げた在間文康弁護士に、『最期の声 ドキュメント災害関連死』を書いたノンフィクションライターの山川徹さんが聞いた――。

■能登半島地震において「災害関連死」で亡くなった人の特徴

――能登の災害関連死にはどんな特徴があるのでしょうか。

能登半島地震では、6月までに70人が石川県の各市町村による審査会で災害関連死に認定されました。これまで認定された事例を見ていくと、避難所で命を落とされた方が多い印象を受けます。

たとえば、珠洲市では、70代の女性は震災時に転倒して足を痛めて歩行困難になり、活動量が低下した結果、急性肺血栓症で死亡しています。また80代の女性が避難所でコロナウイルスに感染して持病が悪化し、敗血症で亡くなっています。

輪島市の避難所でもインフルエンザに感染した70代の男性が死亡しています。ビニールハウスに避難した80代女性が、用を足すために足を運んだ近くの畑で転倒し、自力で動けないまま低体温症で亡くなるというケースもあったそうです。

報告を見ていくと、高齢者が非常に多いのが分かります。それだけ高齢化が進んだ地域が被災したということでしょう。避難生活で十分な治療が受けられずに既往症や持病が悪化して死因につながるケースが多いのも、高齢化の影響と言えます。

当然の話ですが、高齢者や持病を持つ人は災害の影響をより強く受けます。避難生活が長期化すればするほど、疲労やストレスが心身に蓄積し、死亡のリスクが高くなる。

では、どのような支援が行われていれば、災害関連死を防げたのか。私は適切な支援によって、災害関連死は限りなくゼロに近くできると考えています。しかし非常に残念なことですが、能登半島地震でも、過去の災害と同様に、災害関連死を防ぐことができなかった。

次の災害に備えるためにも、これから災害関連死を防げなかった原因を検証して行く必要があります。

■「避難所→仮設住宅」で終わりではない

――能登半島地震から半年が過ぎても、災害関連死が発生する恐れはあるのですか?

避難所を出て仮設住宅に入居したら、もう安心だと考える人も多いかと思います。しかし被災した人にとって、仮設住宅に入居したからといって避難生活が終わったわけではありません。

仮設住宅に暮らせる期間は、原則2年間です。その間に、仮設住宅を出たあとにどこに暮らすのか。家を建て直して元の町に暮らすのか。災害公営住宅に転居するのか。あるいは親族の元に身を寄せるのか。そのための費用はどうするのか……。被災した人それぞれが、その期間に生活再建に向けて考え、動かなければなりません。

とくに能登半島地震の場合は、いまだに町が復旧する見通しが立っていません。先が見えない不安や焦りのなか、仮設住宅という仮住まいで暮らすのは、心身ともに大変な負担がかかります。

割れたコンクリート
写真=iStock.com/SteveCollender
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SteveCollender

私は2012年から岩手県陸前高田市のいわて三陸ひまわり基金法律事務所の所長として、3.11で被災した方々を法の面からサポートしてきました。私がはじめて災害関連死の申請をお手伝いしたケースが、まさに避難所から仮設住宅へと生活環境が変わるストレスと疲労で命を落とされた方のご遺族でした。

■震災がなければ、いまも元気だったはず

亡くなったのは62歳の男性で、震災前まで漁業を営んでいました。仮設住宅に入居できたのは、震災から5カ月ほど経った夏でした。

長期化した避難所生活が終わり、やっと一息つけると安堵したのもつかの間。食欲がなくなり、みるみる痩せていきました。私も元気な頃と、仮設住宅に入居後の写真を見せてもらったのですが、まるで別人でした。

プライバシーがない避難所から仮設住宅に移り、張り詰めていた緊張感が緩んで、蓄積された疲労とストレスが一気に噴出したのでしょう。肺炎を患って、入退院を繰り返し、2011年12月に息を引き取りました。

この件は、当初、災害関連死に認められませんでした。入院して治療を受け、退院した。その時点で、災害の影響を脱したと判断されたようでした。

ただし奥さんは行政の判断にどうしても納得できなかった。それはそうです。健康だった旦那さんが震災をきっかけに体調を崩し、亡くなるまでを間近に見ていたわけですから。震災がなければ、いまも元気だったはずなのに……。

ご遺族はそんな思いから災害関連死の申請に踏み切ります。それなのに、なぜか、夫の死は災害と無関係とされてしまった。

奥さんから相談を受けた私は、病院から医療記録などを取り寄せて、改めて申請してみました。すると、行政の判断が覆り、今度は災害関連死と認められました。

■震災発生後6年たってから認定されたケース

ご遺族は家族を亡くした心理的な負担のなか、亡くなるまでの事実関係を整理して、災害と死の因果関係を証明する申請書を作成しなければなりません。それがいかに大変な作業か実感しました。

同時に、仮設住宅に入居したからといって、災害の影響がなくなるわけではないという事実に気づかされた体験でもありました。

何よりも被災した人は、避難所や仮設住宅での暮らしが長期化するほど、不安と絶望感にさいなまれます。その意味でも、いまだに瓦礫や倒壊家屋が片付いていない珠洲市や輪島市では、早く復旧の道筋を示すことが重要になると思います。

――今回の能登では、発災後間もない事例の認定が多いようです。

時間を経てから災害関連死が発生するリスクを考慮し、支援を続ける必要があります。 私がたずさわったなかでは、発災後6年後に災害関連死に認定された事例があります。

在間弁護士
本人提供
在間弁護士。東日本大震災直後、陸前高田にたった一人の弁護士として赴任し、何人もの被災者の人生と向き合ってきた。 - 本人提供

■「時間の経過がすべてを癒やす」とはならない

その女性は、3.11で被災した直後、避難所の運営などにも積極的にかかわっていました。被災者でありながら、高齢者や要配慮者のサポートを買って出て、周囲の人たちにも頼りにされていました。

夏に仮設住宅に入居した時期から「隣の家の音が気になる」「天井を人が歩いている気がする」「誰かが家に入ってきた」……と家族に訴えるようになりました。

家族が調べてみると仮設住宅に人が入った形跡はないし、隣の生活音もさほどではなかった。家族は女性が落ち着くなら、と玄関に人感センサーを設置したり、自治体の職員に相談して流失した自宅近くの仮設住宅に転居したりしました。精神科にも通院しましたが、良くなかったかと思うと、また症状があらわれる……その繰り返しでした。

その女性は、震災をきっかけに心の不調に悩まされて、6年後に復興公営住宅に転居後に自死してしまった。

――時間の経過とともに、災害の影響は薄れていくわけではないのですね。

時間が経過しても復興や復旧から取り残されている人は少なからず存在するということです。そうした視点を持ち、被災地の復興について考えなければなりません。

■時間で区切ることはできない

2004年の新潟中越地震では、災害関連死が否かを判断するために「長岡基準」と呼ばれる認定基準が用いられました。長岡基準の特徴は時間で区切ることです。

震災後1週間で亡くなった場合は〈震災関連死であると推定〉。1カ月の死が〈震災関連死である可能性が高い〉。6カ月以上が経過すると〈震災関連死でないと推定〉とある。

認定の審査は、通常、市町村ごとに行われるのですが、3.11の被災地で長岡基準を用いた自治体は、実態と大きくかけ離れた判断がなされて、問題になりました。

長岡基準に当てはめたら、避難所に入居してから痩せていった漁師の男性も、6年後に自死してしまった女性も災害関連死と認められない可能性がありました。

能登半島地震も、災害の影響の長期化が懸念されますから、時間で区切るような審査はしていないはずです。

■「炊き出し」や「義援金」では救えない命がある

――能登半島地震では、災害関連死の申請数が200人を越したと報じられました。

今後も申請数の増加に合わせて、災害関連死も増えていってしまうと考えられます。これから災害関連死を防ぐには、「物の支援」から「人へと支援」の転換を急がなければなりません。

発災直後は、一律に物資や食料を配給したり、医療支援を受けやすいよう、避難所を設置して、被災した人たちを集めた。しかし赤ちゃんや認知症を患った家族を持つ人は、ほかの避難者に迷惑になるのでは、と避難所に行きにくかった。

では、どうするのか。イタリアや台湾で導入したようなテント型の避難所の方が赤ちゃんや認知症の家族がいる被災者は過ごしやすいかもしれない。こうした個々のニーズに応える支援――とくに時間が経過してからは、人に対する支援へと転換する必要があります。

想像してみてください。仮に、平時で生活に困窮する人がいたとします。生活困窮者と一括りにしがちですが、そうした状況に陥った事情は人によって異なります。

コロナ禍や景気の悪化が原因で失業した。親の介護が理由で仕事を辞めざるをえなかった。疾患があり、働けない。何かの事情で借金を抱えてしまった。頼れる親族がいない……。

みんな抱える問題は個別で、かつ複合している場合もあります。抱える問題が異なれば、解決する方法も違います。

それは災害でも同じです。震災から時間が経過すると被災した人のリスクは多様化していきます。避難所のみで炊き出しを行って物資を配ったり、義援金を支給したりするような画一的な支援だけでは、根本的な解決につながらないケースが増えてきます。

料理の配膳イメージ
写真=iStock.com/ShotShare
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ShotShare

そこで有効なのが、被災した当事者ともに解決策を一緒に考える「災害ケースマネジメント」と呼ばれる取り組みです。

医師や弁護士、保健師、建築士などの専門家や行政の担当部署、NPOなどが連携し、被災者一人一人の悩みやニーズを個別に聞き取り、オーダーメイド型の適切な支援につなげて生活再建を後押しする取り組みです。

これこそが、人への支援といえるでしょう。物から人へ、と支援の発想を転換する。被災経験の少ない自治体も含め全国どこでも取り組めるようにすることが、これからの災害関連死を防ぐ第一歩になるはずです。

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在間 文康(ざいま・ふみやす)
弁護士
京都大学法学部・東大法科大学院卒。2009年、弁護士登録。12年、岩手県陸前高田市にいわて三陸ひまわり基金法律事務を開所。16年、陸前高田や奄美をはじめ全国各地の弁護士過疎地に支店を持つ弁護士法人空と海 そらうみ法律事務所を開設し、東京事務所に勤務。

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山川 徹(やまかわ・とおる)
ノンフィクションライター
1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『それでも彼女は生きていく 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(双葉社)などがある。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。Twitter:@toru52521

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(弁護士 在間 文康、ノンフィクションライター 山川 徹 インタビュー、構成=山川徹)

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