男湯、女湯を"身体"で区別する「日本ルール」は合理的…トランス選手の「女子大会出場」が拒否された理由
プレジデントオンライン / 2024年7月10日 9時15分
■スポーツ仲裁裁判所が「トランス選手の訴え」を棄却
男性から女性へ性別を変えたスポーツ選手は、どの「カテゴリー」で出場すべきなのか。
6月12日、スポーツ仲裁裁判所(Court of Arbitration for Sport、CAS)は、競泳で男性から女性へ性別変更したリア・トーマス選手(米国)による訴えを棄却した。トーマス選手が求めていたのは、世界水泳連盟による、トランスジェンダーの選手を女子のカテゴリーから実質的に締め出す指針の撤回だった。
世界水連は、2022年の夏、男性として思春期を経験した選手が女子部門に出場することを禁止し、2023年10月にベルリンで開いたW杯ではトランスジェンダー選手の出場を想定した「オープンカテゴリー」を新設している。出生時と、その後に自認する性別が異なった場合に、どう対処すれば良いのか。
夏のパリ五輪を控え、世界中で議論が続いている。
■「トランス女性」の女子競技への出場はアンフェア
世界水連が「オープンカテゴリー」を設けた背景には、トーマス選手の活躍がある。2022年3月、トーマス選手は、NCAA(National College Athletic Association、全米大学体育協会)の大会で、トランスジェンダーとして初めて優勝したからである。男の体を持っている選手が女の枠組みで競争すると、水泳というスポーツの平等を損ねるのか。あるいは逆に、男の枠組みに入れてしまうと、トランスジェンダーへの差別なのか。苦心の末に生み出したのが「オープンカテゴリー」だった。
トランスジェンダーについて論じた本を見てみよう。性社会・文化史研究者の三橋順子氏は、著書『これからの時代を生き抜くためのジェンダー&セクシュアリティ論入門』(辰巳出版)のなかで、「Trans-womanの人が競技スポーツで、男性としてではなく、女性として出場することについてどう思いますか?」との質問に対して、「女子競技における公平性の担保は重要と考えます」とし、各競技団体のルールに従うことが参加の条件であると答えている。
その上で、「筋肉量は女性ホルモンの継続投与で低下しても、男性ホルモンの環境下で形成された体格・骨格は、女性に比べて優位性が残ります。私はそれを経験的に知っているので、Trans-womanの女子競技への出場はやはりアンフェアだと思います」(同書、220ページ)と述べている。
■世界水連は「新たなカテゴリー」を設立したが…
ここでTrans-womanと書かれているなかに、先に触れた米国のリア・トーマス選手が含まれる。「アンフェア」だからこそ、新たにカテゴリーを作る。それが世界水連の選択であり、2023年8月のロイター通信の取材に対し、W杯開催国ドイツの水泳連盟のカイ・モルゲンロート副会長は、「水泳選手が分け隔てなく競技に出られるイベントを開催できることを誇りに思う」と語っている。
高井ゆと里、周司あきら、両氏による共著『トランスジェンダーQ&A 素朴な疑問が浮かんだら』(青弓社)では、次のように答えられている。
こうした本や記事を読むと、世界水連の判断は、きわめて正しいようにも見える。それぞれのスポーツの特性や経緯に応じて、競技団体として判断して、ルールを作った。それでいいのではないか。トーマス選手をはじめとして、トランスジェンダーの選手たちは「オープンカテゴリー」で出場すれば良いのではないか。そう考える人がいるだろう。
しかし、実際には、昨年10月のベルリンW杯水泳では、誰ひとりとして「オープンカテゴリー」にエントリーしなかったのである。なぜなのか。ここに、この問題の難しさがある。
![2022年3月19日、米ジョージア州アトランタにて、全米大学体育協会選手権・500ヤード自由形で初優勝を飾ったトランスジェンダーのリア・トーマス選手](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/6/1200wm/img_3655c2e8318c48f7565b10d560db268a608360.jpg)
■なぜ誰も「オープンカテゴリー」を選ばないのか
トランスジェンダーの人たちを、ひとくくりにはできないし、一般論で、あたりさわりのない内容を並べても意味がない。少なくとも水泳のトップアスリートのなかに、2023年10月時点では、新しい「オープンカテゴリー」を望んだ選手は、ひとりもいなかったのである。男性、もしくは、女性としての出場を望んだのである。
そうした人たちにとって、わざわざトランスジェンダーに特化した(に近い)枠を作るのは、差別を助長するとすら映るかもしれない。「オープンカテゴリー」という性自認をしていれば話は別だけれども、おそらくそうした人たちは、きわめて少ない。生まれた時とは異なる性別だと自分をとらえている人のほうが多いからである。
今まで排除されてきた人に居場所を作る。いかにも清く、正しく、美しい。だからこそ、あえて「オープンカテゴリー」を選ぶ選手がいなかったのではないか。座席がないから席を作ってほしい、と求めたわけではなく、今の範囲のなかに入れてもらいたい。そう希望していたからではないか。
かといって、先に参照したように、「Trans-womanの女子競技への出場はやはりアンフェア」との疑念が残る以上、この夏のパリ五輪に向けて、リア・トーマス選手が「女性」として挑戦できるかといえば、支持する人は多くないと見られる。女性の体で生まれ、その後も女性として育ってきた人たちにとっては、不平等だととらえられるからである。
■トランスジェンダーをめぐる言論の不自由さ
日本でもトランスジェンダーをめぐる言論は増えているが、その多くは自由度が欠けているように思える。昨年末に、KADOKAWAが翻訳出版を決めていた本を、急遽、中止した経緯は、記憶に新しい。その後、4月に産経新聞出版から『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』として出版されたが、賛否が分かれている。
また、シスジェンダー女性(女性として生まれ、女性を生きる女性)がTrans-womanに対して違和感を示すと、TERF(Trans-Exclusionary Radical Feminist)、つまり、トランスを排除するラジカルフェミニストと呼ばれる場面が散見される。これまでも、そして今もなお、トランスジェンダーに対する差別や排除が苛烈だからこそ、仮に行き過ぎと思われたとしても主張しなければならない、という理路なのかもしれない。
背景には、Trans-womanが女性用のトイレや更衣室に「侵入」してくるのではないか、との恐怖を煽(あお)る風潮がある。日本でも「LGBT理解増進法」の成立によって、そうした「侵入」を防げないのではないか、といった言葉がネット上で飛び交っている。
■英国では「ジェンダー・ニュートラル」見直しへ
たしかに同法の提出者だった自由民主党の新藤義孝氏は、「法は理念法であり、権利や義務を生み出すものではない」と強調しているものの、不安を覚える人がいても無理はない。
実際、英国では、2010年ごろからトイレの男女共用化(ジェンダー・ニュートラル・トイレ)が進んだものの、2024年5月6日、ケミ・バデノック女性・平等担当相が、新たな法案を発表している。在英ジャーナリストの小林恭子氏によれば、それは、今後、イングランドで新規のレストランなどを新規に建築する際は、男女別のトイレ設置を義務化するものだという。
ジェンダー・ニュートラルなトイレ施設は「男女両方にとってプライバシーと尊厳を否定する」ものであり、その「拡大を終わらせる」と同相は説明したと、小林氏は説明している。このように、「先進国」とされる英国では、軌道修正の動きが出ている。
問題は、トランスジェンダー全体をまとめて議論しようとする(乱暴な)姿勢ではないか。日本は、ジェンダー平等、とりわけ、トランスジェンダーへの対応が遅れている、とされてきたものの、むしろ日本の行政機関がルールに基づき粛々と対応してきたことは評価されるべきではないか。
![男性用と女性用に区切られて設置されたトイレの入り口](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/1/1200wm/img_b1120017a0f9e4af135a426d43212b39591711.jpg)
■「プライバシーと尊厳」を守るために
たとえば、2023年11月、三重県桑名市の温泉施設で女湯に侵入したとして男が逮捕された事件があげられよう。東海テレビの報道によれば、男は「心は女なのに、なぜ入ったらいけないのか全く理解できない」と話したという。だが、従業員は、公衆浴場の男女の区別について、「身体的特徴で判断するものとする」との厚生労働省による2023年6月の通知をもとに、警察に通報している。
このように、日本では公衆浴場から、厚生労働省や警察といった行政機関にいたるまで、はっきりとした規則によって淡々と事態に対処している。本音(心)がどうあれ、建前(ルール)がある以上、後者で対応する。トランスジェンダーへの対応が求められるとはいえ、英国のように軌道修正が必要なほどには踏み込まない。「性の多様性を守るべき」という気運を醸成しつつ、現実に即した対応をしてきたと言えよう。
日本はラディカルにならなかったからこそ、英国の担当相の表現を借りれば、「男女両方にとってプライバシーと尊厳を否定」せずにいられるのではないか。
今回取り上げたスポーツについて、トランスジェンダー全体に広げるのではなく、あくまでもその世界に限った話として、その世界で理解され、広く共有される規則によって決められなければならない。
キレイごとの一般論ではなく、あくまでも個別具体的な場面に応じて考えていく。そこから自由な議論が始まるのではないか。
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神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)
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