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これ以上の後悔はしたくない…馴染みの居酒屋店主の訃報に錯乱した50代ライターが即行動に移したこと

プレジデントオンライン / 2024年7月9日 16時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AntonioGuillem

大切な人の訃報を受けても後悔なきようにするには、それまでにどんな関係を築いておくべきか。ライターの中川淳一郎さんは「年齢を重ねていくと、大切な人、お世話になった人の訃報に触れる機会が増えていく。『また会いたかった』と後悔しても遅い。直接会う機会を大事にしたうえで、自分なりに備えておくことが必要だ」という──。

■年齢を重ねるにつれて身近になっていく「死」

齢50を迎えるころになると、以前に比べて耳にする機会が増えることがある。訃報だ。それも、かつてとてもお世話になった人、仲良くしてもらった人といった、いわゆる「恩人」や「思い出深い先輩」の残念な知らせを受け取ることが多くなっていく。

考えてみれば、20代のころに知り合った当時50代の上司や、馴染みの店の大将あたりは、いまや70代後半以上になっている。訃報が増えるのも当たり前か。大切な人はいつまでも元気でいてほしいが、人は誰しも、いつか必ず死ぬ。この摂理は覆せない。個人的な感覚ではあるが、30代までは「死」が日常的な出来事ではなかった。だが、最近は悲しいことに「死」が日常になりつつある。

自分が年齢を重ねていくにつれて、これまで縁遠い事象だった「死」が身近になっていく――すなわち、お世話になった人、大好きだった人を見送る場面が増えていく、という現実。あなたはそれに耐えられるだろうか? 本稿では「死」といかに向き合い、どう対処すべきか。また、どんな心構えをしておくべきか、といった点について考えてみたい。

■突然の訃報は、想像以上に痛い

私の両親は、どちらも今年で79歳になる。厚労省が発表した「簡易生命表」(令和4年版)によれば、2022年における日本人の平均寿命は男性が81.05歳、女性が87.09歳だ。つまり、父はあと3年弱、母は8年ほどで平均寿命を迎えることになる。

数字にすると命のカウントダウンが始まったようで少し複雑な心境にもなるが、まぁ、両親の死については前々から覚悟をしているので、あまりビビってはいない。「いずれ、その日は来る。それまでに遺産関連のあれこれは、キチンと整理しておかなくてはいかんな」と考えている。ある程度、心の準備や覚悟をしておける「死」は、まだいい。問題なのは、普段「死」など想像したこともないような人物の、突然の訃報である。つい最近も遭遇したが、これは案外痛い。

■若いころから通い詰めた居酒屋の社長に気に入られる

私は25歳ごろから東京・渋谷の安い居酒屋に通い詰めてきた。山形弁で喋るこの店の社長には、本当に親切にしてもらった。通うようになって数年経ったころ、「おぉアンタ、ウチによく来てくれてるよな」と社長から声をかけられ、彼の席で一緒に飲んだ。

それ以来、17時に店にやってきて常連と飲むのがお約束だった社長は、私を見つけると「おーい、中ちゃん! こっち来いよ~!」と同じテーブルに誘ってくれるようになった。そして、18時30分を過ぎたあたりで「ほら、行くぞ」と気忙しく私を促し、タクシーに乗って社長の住まい近くにある店へ連れ出してくれるのだ。毎度ソバ屋で天ぷらを食べ、その後はカラオケスナックで歌い、さらに彼の家でまた、しこたま飲む……というのがお決まりの展開である。

居酒屋が立ち並ぶ路地
写真=iStock.com/BodyOfConflict
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/BodyOfConflict

そうして親睦を深めるうちに「中ちゃんよぉ~、オレは東京競馬場に貴賓席を持ってるんだよ」と告白され、「今度、友達も連れてきていいから一緒に競馬しないか?」と招待されるほどに。それからというもの、年に4回ほど東京競馬場に出かけて、貴賓室で社長と一緒にギャンブルをするのが恒例行事となった。

■社長の入院を知り、応援するためにしたこと

社長は79歳だった2019年まで非常に元気で、店に居合わせるとよくビールをおごってくれた。ときにはアナゴの天ぷらまで供してくれた。「社長、ありがとうございます!」と同行者とともに乾杯をするのが、私も楽しみだった。でも、2019年の秋以降、とんと顔を見なくなってしまったのだ。心配になって、同店の副社長(社長の妹でもある)に「社長、大丈夫ですか?」と尋ねたところ、脳梗塞で入院していると明かしてくれた。

私は2020年11月に東京を離れ、拠点を佐賀県唐津市に移したが、1カ月から2カ月に1回のペースで、ABEMA TVの報道番組に出演するため東京に出向いている。その折には毎回、社長の店へ行った。社長が店で元気に飲んでいるかを確認するためである。でも、いつも不在だった。心配する私を見て、そのたびに副社長は「店には出てこないけど、元気だよ」と言っていた。

少しでも応援できればと『週刊現代』で「私の思い出の店」といった趣旨のインタビューを受けた際には、3軒挙げたうちの1軒をこの店にして、「社長が元気に戻ってくるのを楽しみにしながら、東京に来るたび訪れている」とコメントした。程なくして、副社長から「社長に記事を見せたら喜んでいた」と報告を受けたとき、気持ちが少し届いたように感じて、嬉しかった。

■訃報を聞き、錯乱状態に陥る

社長が脳梗塞を発症したと聞いてから5年ほど経過した、今年6月のこと。同店に予約の電話を入れた際、応対してくれた従業員に「社長はお元気ですか?」と聞いてみた。

「亡くなりました」

とうとうこの日が来てしまった。私はひどく錯乱し、同店へよく一緒に行っていた人に泣きながら電話をした。そうでもしないと、ショックに耐えられそうもなかった。

この動揺については、正直自分でも驚いた。「もうあの山形弁を聞けないのか……」「もう競馬場の貴賓室で『馬券、当たらねぇな』と笑い合いながらビールが飲めないのか……」「もう社長の馴染みの店に連れ回してもらえないのか……」。さまざまな思いが去来して、涙が止まらなかった。

2013年11月24日の東京競馬場のレース
写真=iStock.com/winhorse
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/winhorse

そして痛感したのは「死は思いのほか身近にあり、それは唐突にやってくる。こうした事態は、いま自分がよい関係を築いている人、全員に起こり得る」ということだ。人の命なんてものは、がんや脳梗塞のような病気だけでなく、事故、天災、自殺などで簡単に失われてしまう。事件に巻き込まれて亡くなったり、国によっては戦争で命を落としたりする可能性もある。

■「大切な人」の名前をリストアップ

「大切な人の死」という出来事は、自分の想像以上に日常的なもの。そう強く認識したことで、私は「かけがえのない、大切な人」の名前をリストアップすることにした。可能なかぎり、彼らが亡くなる前に会っておこう。できれば、後悔は最小限に留めたい……と、自分なりに予防線を張ったのだ。常識で考えれば、70代後半以降の人が近い将来、亡くなる可能性は高いわけだが、もはや年齢なんて関係ない。自分より若い30代も含めて書き出していった。

「縁起が悪い」と思うかもしれない。しかし、こちらが「まぁ、また会えるだろう」なんて悠長に構えていたら、次に会うのは葬儀の日、棺桶のなかで眠る姿……なんてこともあり得る。だからこそ年齢に関係なく、このようなリストは作っておいたほうがいい。とりわけ高齢の友人・知人・恩人については優先順位を上げて、リストの上段に名前を書いておくべきだろう。

くだんの居酒屋社長は、もう84歳だった。亡くなっても仕方がない年齢ではあるが、せめて見舞いには行っておきたかったな、とも思う。とはいえ、妹さんからは「コロナで面会不可なのよ。モノの差し入れ程度しかできないの」と言われていた。私が社長について話した『週刊現代』を差し入れてもらえたのが、せめてもの救いである。

■お世話になった人には積極的に会いに行こう、と考えるように

会社員時代の上司たちは、彼らが60歳や65歳で会社を離れる折の送別パーティーで会ったのが最後、というケースが多い。彼らもいまや70代中盤から後半。フェイスブックを更新している人であればなんとなく近況もわかるが、そうではない人はまったくわからない。「○○さんが亡くなったぞ」と急に聞かされて、葬儀で最後の対面を果たす、ということも何度か経験した。いずれも「もう一度、酒を酌み交わしたかったな」という気持ちを抱いた。

こうした経験をする頻度は、今後ますます高まっていくのだろう。人は必ず死ぬ。死んだら会えない。当然のことながら、実感を伴った形で理解していなかったし、直視もしてこなかった。その反省を踏まえて、今後は相手の都合さえつけば、折を見て積極的に会いに行こうと考えるようになった。そのほうが、訃報に触れてもショックは若干やわらぐだろうし、後悔も少ないのではなかろうか。

乾杯する手元
写真=iStock.com/liebre
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/liebre

■会える機会を大切に。「行けたら行く」は不遜

訃報にかぎった話ではない。人間はいつ健康を損なうかわからないのだ。友人や知人から、ある日突然「人工透析を開始しました」や「すい臓がんのステージIVであることが明らかになりました」なんて報告を受けることも十分あり得る。かろうじて会うことはできるかもしれないが、もう一緒に飲んで、騒いで過ごすことはできない……そんな状況になってから後悔しても遅いのだ。

もしあなたが飲みや遊びに誘われたとき、「行けたら行くね~」といった適当な約束の仕方をしているのであれば、それはやめたほうがいい。何気ない誘いに見えるかもしれないが、それが最後の機会になる可能性もあるからだ。最後とは言わないまでも、今後、あと何回会えるかわからない。だとすれば「行けたら行く」なんて返し方は不遜である。

亡くなってしまったら、いくら望んでも、もう交流することはできない。その現実を改めて認識するべきだ。「とてもお世話になった人だから、これからお礼を返していきたい」「かつて迷惑をかけてしまったが、きちんと謝罪もできていない」といった相手であれば、なおさら直接会う機会を大切にしなければならない。

これが、愛すべき社長の訃報から学んだことである。

【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」

・年齢を重ねるにつれて、大切な人の突然の訃報に触れる機会が増えていく。その際、思いのほかショック受けることがあるので、心構えをしておくことが必要だ。

・人は必ず死ぬ。死んだら、もう二度と会うことはできない。だからこそ、直接会う機会を大切にしなければならない。

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中川 淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
ライター
1973年東京都生まれ。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライターや『TVブロス』編集者などを経て、2006年よりさまざまなネットニュース媒体で編集業務に従事。並行してPRプランナーとしても活躍。2020年8月31日に「セミリタイア」を宣言し、ネットニュース編集およびPRプランニングの第一線から退く。以来、著述を中心にマイペースで活動中。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットは基本、クソメディア』『電通と博報堂は何をしているのか』『恥ずかしい人たち』など多数。

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(ライター 中川 淳一郎)

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