教師の性犯罪裁判で傍聴できず「はて?」…横浜市教育委員会の組織的な隠蔽を暴いた女性記者たちの執念と連携
プレジデントオンライン / 2024年7月17日 9時15分
■横浜地裁では教師の性犯罪事件の裁判がなぜか満席だった
横浜市教育委員会による「傍聴ブロック」問題をご存知だろうか。
5月21日、横浜市教育委員会は2019年度から今年4月にかけて横浜地裁で公判があった教員によるわいせつ事件で、多数の職員を動員して法廷の傍聴席に行かせ、一般の人が傍聴できないようにしていたと会見で発表した。
しかし、この会見に踏み切ったきっかけには、メディアの取材があった。
筆者がこの一件を知ったのは、東京新聞・森田真奈子記者の記事から。
「なぜか満席の横浜地裁…記者は1人の傍聴者の後を追い、確信した 横浜市教委の『傍聴ブロック』発覚の経緯」(東京新聞TOKYO WEB、5月22日)
4月下旬、横浜地裁では、被告人の名前も事件も公表していない、有名人の事件でもない公判に行列ができ、満席で傍聴できない事態となっていた。
しかも、傍聴人に話を聞こうとすると、ぶっきらぼうで強い拒絶の反応ばかり。違和感を抱いた森田記者は、組織ぐるみの「傍聴ブロック」ではないかと疑い、傍聴人の一人の後を追いかけたところ、横浜市南部学校教育事務所が入居するビルに入って行った。そこで市職員の出張記録や具体的な指示が分かる文書の開示請求をしたという。
記者の違和感から取材が始まって、公務員の動員・傍聴ブロックという不適切行為が明らかになったというのは、まるでドラマのようではないか。そこで詳細を伺うべく森田記者に取材を依頼したところ、さらに意外な事実が判明した。
■神奈川県の担当記者たちは「おかしいよね」と確認しあった
「これは私個人が突き止めたわけではなく、他社との協力・連帯があったというか。むしろ私より先に地道に取材されていた共同通信の女性記者がいて、異様な行列を見ながら『おかしいよね』とお互いの違和感を確認し合ったんです」(森田記者)
なんと複数社の女性記者の違和感「はて?」が真相究明につながったのだった。女性たちの共闘・連帯と言うと、くしくも大評判の朝ドラ「虎に翼」の世界のようでもある。
そこでこの問題を突き止めた立役者の2人、共同通信社横浜支局記者(現・東京エンタメ取材チーム・文化部)の團奏帆さん、東京新聞横浜支局記者の森田真奈子さんに集まっていただき、ふたりが感じた記者としての嗅覚、「はて?」の正体や、記者同士の連帯についてお聞きした。
■東京新聞の森田記者は傍聴に並ぶ人たちに違和感を抱いた
裁判所内の異様な行列に遭遇した團さん、森田さんは、実は横浜地裁の記者クラブで机が隣同士という顔見知り。しかし、「傍聴ブロック」の問題に行きついたのは、別々のアプローチからだった。
「裁判の開廷10分前ぐらいに到着したら行列ができていて『有名事件でもないはずなのにどうしたんだろう』と疑問に思い、出てきた傍聴人の3人ぐらいに声をかけてみました。通常、興味があって傍聴に来ている人なら、積極的に話してくれる方が多いのに、取材を嫌がっている感じで……。それに、スーツ姿の人が多く、私服姿の傍聴マニアという感じでもない。同じ事件の次の公判では30分ぐらい前に法廷に向かったら、すでに行列ができていて驚きました。最初は問題が起きた学校のPTAの方かとも思いましたが、ちょっと雰囲気が違うなという違和感がありました」(森田さん)
通常は県警など裁判以外も広範囲の取材対象を追いかけている森田さんは、2回の公判により、記者としての経験に基づく「直感」で、傍聴に来ていた人を尾行した。
■共同通信が教育委員会に質問状を送ると、先手を打って会見が
一方、共同通信の横浜支局記者として司法取材を担当する團さんは、これまで匿名で審議される事件の公判で気になるものがあると、傍聴して内容を確認してきたと言う。
「傍聴を重ね、3つの事件で傍聴席の満員を確認。いずれも教員による児童・生徒への性犯罪事件だったことから、組織的な動員や、横浜市教育委員会の関与を疑うに至りました。そこから、事件の内容を含めてデスクに相談し、支局内で情報共有し、次の公判期日にのぞみました。市教育委員会側に事実を問うためには、取材を尽くす必要があると考えました」(團さん)
横浜市教育委員会が会見を行ったのは、共同通信がこうして傍聴人の尾行などの取材を進めて送った質問状がきっかけだった。17日にその回答を受け取った共同通信が、原稿を出すべく準備していた21日昼前、市教委から同日午後に会見すると告げられたという。
そこで、共同通信では、急ぎの独自ダネとして会見直前にスクープを出した。一方、東京新聞は会見後、森田さんの情報開示請求を武器に先述の記事を出すに至る。
「性犯罪公判、多数の職員動員 第三者傍聴防ぐ目的、横浜市教委」(共同通信、5月21日)
■地道に市職員の出張記録を開示請求した東京新聞の森田記者
「團さんはじめ、共同通信は異様な行列の現場取材を多く重ねていたからこそ、動員が行われていると、より確信を持って、市教委に直接質問する取材を早い段階でできたのだと感じました。その取材過程に改めて敬意を表したいです。私の場合は、現場取材が2度だけだったため、それだけでは市教委にあてる根拠としては厳しいという感覚があり、開示請求で根拠を集めるという発想になりました。市職員の出張記録を出してもらい、たくさん出張があれば、後から事実を追究できるという狙いからです」(森田さん)
森田さんは、この事件の公判があった3日間を指定し、「横浜地裁に行った出張記録」と限定して開示請求をかけた。当初は資料の量も少なく、開示まで時間はかからないだろうと踏んでいたと言う。しかし、通常は2週間以内に開示・非開示の通知が来るところ、5月15日に「延長」の連絡があったのだ。
「会見でも動員が2019年5月から始まり、4件の裁判のうち11回の公判で職員に傍聴を呼び掛けたとか、23年度以降延べ371人の職員が駆り出されたと説明していましたから、資料自体は特定されているはずなんですね。延長の理由は『期限内の決定が困難』ということでした」(森田さん)
■自治体や公務員についての開示請求は待たされることが多い
実際、ライターである筆者もこれまで東京都をはじめ、地方自治体や国などに開示請求をしたことが何度かあるが、欲しい情報は「非開示」となり、なかなか開示されない上に、「延長」が多く、内容によっては半年~1年くらい待たされるケースまである。
結果、第一報のスクープの軍配は地道に傍聴を重ねた共同通信に上がったかたちだが、團さんはこう振り返る。
「教育委員会が発表したのは、直接的には共同通信が質問状を投げたことがきっかけでしたが、東京新聞など複数社がこの件を問題だと思って取材していることを教育委員会側が把握したのが、発表すべき事案という認識につながったのだと思います。それに、われわれ、ふたりだけではなく、特に5月21日の記者会見では、参加した全社がかなり厳しい質問を投げかけ、会見は2時間半にも及びました」(團さん)
■もともと「教員の性暴力事件」に問題意識があったから気づいた
マイノリティの人権問題などを自身のテーマとし、幅広いフィールドで取材する森田さんと、司法担当記者として「性犯罪事件、特に子どもが被害に遭ったような事件はしっかりと取材すべきテーマ」と考える團さん。また、記者の人数が少なく、チームを組むというよりは個人プレーが基本という東京新聞と、情報共有して複数人で取材を進めた共同通信。
2人の持ち寄る情報やアプローチの仕方は異なるが、いずれも取材のきっかけは、かつて横浜支局にいた記者からの「教員の性暴力事件の公判が行われているらしい」という情報提供であり、それぞれに抱いてきた問題意識だった。
今回は同じ事件に対して共闘・連帯の形になったが、「本来は独自スクープを求められることも多いのでは?」と聞くと、ふたりは言う。
「確かにライバルではありますが、取材現場では孤独な状態になることも多く、仲間と一緒に取材することは物理的にほとんどない。そんな環境で、自分が持っている違和感とか、取材しなければいけないという問題意識に、自信がなくなることもあるんです。今回、森田さんと同じ問題を追いかけていたことは励みになりましたし、間違えていないよねと思えて、なんとなく隣を歩いている感覚を持つことができました」(團さん)
■独自スクープを狙うのだけが報道取材ではない
「私も初めて法廷前で團さんと一緒になった後、『これが本当に教育委員会による動員だとしたら、ひどすぎる』という会話をしたんですね。東京新聞は人数的にもチームで取材するのが難しいので、1人で進める中、今回のように團さんや他社の記者と雑談を通して問題意識を共有できたのはとても心強かったです。特に、裁判所から出て行く市教委職員を尾行した際に、共同通信の記者を見かけたときは『一緒にこの問題を追っている』という連帯感を勝手ながら感じ、『何とかこの問題を明らかにしなければ!』という強いモチベーションになりました」(森田さん)
加えて、森田さんは「独占スクープ」に過度にこだわる業界の空気には、疑問もあると言う。
「取材の最終段階で裏付けして記事化できるか、という部分は一番難しく、当然競争になると思います。『自分が先駆けて出す』という思いが記事化のハードルを乗り越える推進力になると思う一方、現場の取材過程では連携が必要な場面も多く、複数社が動くことで行政なども対応を変えることはやはりあると思います。今回も最終的にはお互いがライバルと思っていましたが、だからといって取材段階から情報を過度に隠し合う、ということも全くなかったです。緩やかに連帯しながら取材したことで市教委の発表につながった面があるなら、良い形で連携できたのでは」(森田さん)
■偶然かもしれないが女性記者たちが「虎に翼」のように連帯
團さんいわく、今回の事件を取材していたのは、くしくも森田さん含め、他社の記者も年代的に近い(30代くらいの)女性だったそうだ。
「こういう(性犯罪)事件に関心を持っている時点で女性記者が多くなるのか、偶然だったのかはわかりません。でも、何かしら見ている景色が近いのかなと勝手に考えました。法廷の前で偶然お会いしたのが森田さんだったから、『おかしいよね』と話しかけ、違和感を共有できたのだと思います」(團さん)
6月22日には森田さんによる東京新聞の次なるスクープが報じられた。
延長となっていた文書が開示されたことにより、強制わいせつの罪に問われた市立小の元校長の2月の初公判では、集合時刻が開廷の45分前、3月の第2回公判は50分前、4月の第3回公判ではさらに早め、1時間15分前を指定されていたことがわかったのだ。
これにより、5月の記者会見で市教委側は、開廷30~40分前の裁判所到着を求めたと説明していたが、それは誤りであり、他の傍聴者を排除しようと集合時刻を早めた可能性が明らかになった。加えて、動員されたのは3日間で延べ119人ということも判明している。
「『傍聴ブロック』集合時刻を早めてより確実に 横浜市教委の開示文書で判明 のべ119人が『人事案件』などで出張」(東京新聞TOKYO WEB、6月22日)
■「被害者のプライバシー保護のため」動員されたのか
ちなみに、この市職員の動員については、「被害者のため」(性被害の詳細な報告を興味本位で聞かれないため)という説明がなされているが、2人はこんな違和感を口にする。
「本当に被害者側のプライバシーの保護が目的だったのであれば、教員以外の性犯罪についても動員が検討されている可能性が高いと思うんですが、そういう検討はなされていませんでした。さらにその後の取材で、懲戒処分についてすでに公表されている事案では動員をかけていなかったことも明らかになっています。教育委員会側の説明には不十分なものがあると言わざるをえません」(團さん)
「教育委員会の職員の方々は、公務員として業務命令に従わざるを得ないのかもしれませんが、教育に携わる立場として動員はおかしいと誰か指摘できなかったのかなと疑問に思います。また、横浜市の教育委員会は、過去に原発事故で避難してきた小学生へのいじめが起きた時にも隠蔽するような対応をとったり、最近中学生がいじめで自殺してしまった事案でも市教委が学校の報告書から『いじめ』の文言を削除させたりしていました。不祥事が起きると保身や隠蔽をする文化が根強いのでは、という不信も感じてしまいます」(森田さん)
複数社の取材により、隠蔽の意図が明らかになってきた横浜市教育委員会の「傍聴ブロック」問題。その真相は引き続き究明される必要性を感じるが、その一方で、日頃「マスゴミ」などと世間から批判されることも多いメディアが同じ問題意識を持ち、連帯し、共闘する意義を示す、一縷(いちる)の希望が見えた一件でもあった。
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ライター
1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーライターに。ドラマコラム執筆や著名人インタビュー多数。エンタメ、医療、教育の取材も。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など
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(ライター 田幸 和歌子)
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