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球場のホームランテラスは「ズル」ではない…柵を手前に設置するだけでHRが量産される科学的理由

プレジデントオンライン / 2024年7月17日 9時15分

『行動経済学が勝敗を支配する 世界的アスリートも“つい”やってしまう不合理な選択』(日本実業出版社)より

プロ野球史に残る「月に向かって打て」という名言がある。東京大学大学院で行動経済学を研究する今泉拓氏は「最新の研究では、スイングの上達には、動作の指導よりも目標の設定が重要とされている。この名言は指導法として科学的に適っている」という――。

※本稿は、今泉拓『行動経済学が勝敗を支配する 世界的アスリートも“つい”やってしまう不合理な選択』(日本実業出版社)の一部を再編集したものです。

■ホームランを打てるようになるための科学的に正しい指導法

あなたは高校野球の指導者だとします。部員のホームラン数を増やしたいとき、効果的な指導法は(1)〜(3)のうちどれでしょうか?

(1)〜(3)のうち、(1)は適切な動作を直接指導するのではなく誘導する“スポーツ版ナッジ”を用いた練習法となっています。そして、(1)が一番効果的であることを示す研究も存在します。

本稿ではホームランを打つための練習を題材に、スポーツ版ナッジについて理解を深めていきましょう。

【POINT】
・環境の制約を利用するスポーツ版ナッジを用いることで、従来の練習法より効率的に上達できる可能性が知られている。
・ホームランを打つための練習では、柵という制約を活用することでホームランやフライ性の打球が増えることが示された。
・制約を用いる指導法は制約主導アプローチと呼ばれ、主にサッカーで話題である。この指導法は近年の価値観ともあうため、選手・指導者ともに求められる資質や練習法が変わってくる。

■プロ野球の名言「月に向かって打て」が的確だったワケ

ホームランを増やす“スポーツ版ナッジ”を理解しやすくするために、まずは「月に向かって打て」という名言を取り上げます。

この名言が生まれたのは、1968年のことでした。東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)の飯島滋弥打撃コーチが選手の大杉勝男に送った言葉です。

当時、大杉はプロ3年目。長距離砲として期待されていましたが、アッパースイング(ホームラン狙いの下から上に振るスイング)が原因で絶不調になってしまいました。自信なさげにバッターボックスに向かう大杉に、飯島コーチはアドバイスを送ろうとしました。

そのとき、中秋の名月がレフトスタンドの上、25度くらいの空に浮かんでいるのが見えました。ちなみにこの25度という角度は、セイバーメトリクスで知られる長打になりやすい打球の軌道、バレルにも近く、まさに最適な位置に月がありました。

そこで飯島コーチが送ったのが「月に向かって打て」というアドバイスです。

「月」と聞くと、遠くまで豪快なバッティングを要求しているように思われますが、実際は逆でした。アッパースイングをやめて、低い月に突き刺さるように鋭いスイングをしようと、理想の弾道を暗に示す金言だったのです。

■環境を操作して最適な動作を生みだす「スポーツ版ナッジ」

アドバイスを受けた大杉はアッパースイングが矯正されたのか、打撃能力を開眼させました。

結果、プロ19年で、通算486本塁打、セパ両リーグで1000安打と記憶にも記録にも残る選手になりました。

この「月に向かって打て」で注目すべき点は、飯島コーチが打撃動作を具体的に指導しているのではなく、理想の動作(アッパースイングの改善)を導くことを狙いとしている点です。

本稿では、環境を操作することで最適な動作を引き出すことを“スポーツ版ナッジ”と呼んでいます。飯島コーチは月をゴールにすることでスイングを改善しており、スポーツ版ナッジの一例といえます。

では、このようなスポーツ版ナッジによるアドバイスは、実技指導する従来の練習と比べて、どの程度効果的なのでしょうか。このエピソードと似ているような状況で研究をした、アリゾナ大学のグレイの研究(※1)を紹介します。

※1:Gray, R.(2018). Comparing cueing and constraints interventions for increasing launch angle in baseball batting. Sport, Exercise, and Performance Psychology, 7(3),318-332.

■3パターンの練習方法で長打力を鍛える実験

グレイは、フライを打つのが苦手な野球経験者を30名集めました。この30名を3つのグループに分け、それぞれ別の練習をさせて、上達の仕方がどのように異なるかを比較しました。

練習期間は6週間で、毎週60球を打ち返すという練習でした。

1つ目のグループは、柵を越えるように打つよう指示されました。制約(スポーツ版ナッジ)を用いたのです。最初、柵はホームベースから45m離れた箇所に設置してあります。打球が柵を越えたら、柵を遠くに移動します。柵を越えなかったら、柵を近くに移動します。これを繰り返して、遠くの柵を越えるように打つ練習をします。

2つ目のグループは、ホームランを打つための現象を説明されました。バットとボールが何度で衝突するように打つというように、どのような物理現象をすればホームランになるかの説明を聞いてから、練習に臨みました。

3つ目のグループは、ホームランを打つための体の動きを指導されました。腕はこう動かす、足はこう動かすといったように実技指導がなされました。

2つ目の現象を説明するグループと、3つ目の行為を指導するグループは、従来の練習方法に近いように思えます。スポーツ版ナッジと、これらの従来的な練習方法のどちらが効果的かを比較した実験となっていました。

■柵の位置を調整したグループは以前より打てるようになった

6週間の練習の結果、柵越えを指示したグループ(スポーツ版ナッジ)では、従来の練習方法のグループ(現象を説明、行為を指導)に比べて、ホームランの数や外野フライの割合が高まることが示されました。

この結果は、柵を越えるというゴールを設定することで、現象や行為を説明しなくてもホームランを打つスイングが上達する可能性を示しています。直接指導するのではなく、環境(柵の場所=スタジアムの形状)に制約を設けることで、理想の動作を導くという、まさにスポーツ版ナッジが活かされた結果となっています。

どうして、従来の方法に比べてスポーツ版ナッジに効果があるのでしょうか。グレイは、運動の協調性が効率よく学習されるためだと考察しています。たとえば、従来の指導では腕の動きと足の動きを別々に学ぶ必要があるのに対して、制約を用いたやり方では動作全体を学べるので、効率的な上達につながるという可能性が考えられます。

【図表2】グレイの研究
『行動経済学が勝敗を支配する 世界的アスリートも“つい”やってしまう不合理な選択』(日本実業出版社)より

■はやりのホームランテラスは科学的にも効果がある

グレイの研究では、柵越えを意識するとホームランが上達することが示されました。これは、月に向かって打ったことで大打者になった大杉勝男と似たものを感じます。

近年はホームランを増やすためにホームランテラスを取り入れるチームが増えていますが、ホームランテラスは単に外野を小さくしてホームランを増やすだけでなく、テラスという環境制約を作ることでホームランを増やす可能性も秘めています。

グレイの研究を参考にするならば、ホームランテラスでホームランが増えた場合は、テラスを少しずつ遠ざけていくと、自軍だけホームランが増えるかもしれません。もちろん、プロ野球の競技規則に反さない前提ですが、アフォーダンスを用いることで、チームの特長を活かしたり、チームの作戦を円滑に進行させたりするようなスタジアムを作ることができるともいえます。

■持ち手が2つある練習用バットが流行した理由

グレイは他の研究(※2)でも、野球動作における制約の重要性を示しています。この研究では、後ろ腕と脇腹でボールを挟みながらスイングするといったトレーニングをすると、逆方向への打撃(右打者ならライト側、左打者ならレフト側に打つこと)が上達することが判明しました。

※2:Gray, R.(2020). Comparing the constraints led approach, differential learning and prescriptive instruction for training opposite-field hitting in baseball. Psychology of Sport and Exercise, 51, 101797.

このグレイの研究を代表として、野球界では“制約”を用いた練習のブームとなっているようにも感じます。

著名な野球ジムであるドライブラインでは、constraint(制約)を用いた練習ドリルをホームページに掲載しています。

実際、メジャーにおける最先端の科学的トレーニングを紹介する書籍『The MVP Machinev(邦訳:アメリカン・ベースボール革命)』では、制約やアフォーダンスを意識していると思われる練習が多く登場します。

野球の上達のためのグッズにも、アフォーダンスや制約が隠されています。たとえば、グリップが2つあるバット「シークエンスバット」が2022年に流行しました。これは2つのグリップを正しく動かすことで、適切な手首の動きを誘導するための野球道具になります。

このように、新しい練習方法や練習道具の背景には、制約やアフォーダンスという概念が隠れています。近年はSNSの発展により、練習法や道具について、溢れるほどの情報が手に入るようになりました。

指導者や選手が、トレーニングの背景にある制約やアフォーダンスに目を向けることで、適切な情報の取捨選択につながるといえるでしょう。

■サッカー界で普及するエコロジカル・アプローチ

ここまで野球の話をしてきましたが、制約を用いた練習は、特にサッカーの分野で研究され実践に移されています。

アフォーダンスを活用することで、複雑な運動連鎖や即興的なコンビネーションといった、具体的に指示しづらい行為を効率的に習得することを期待されています。

実際に、イングランドのサッカー協会は2017年から練習のガイドラインにアフォーダンス関連の記述を追加し、国家単位で競技力を向上させようと画策しています。いまやサッカーを上達するためには、行動経済学や認知科学の知識も必要になる時代になりました。

制約を用いた練習は、制約主導アプローチ(CLA:Constraints Led Approach)と呼ばれます。制約主導アプローチを中心メソッドにした、“エコロジカル・アプローチ”や、制約を用いることで選手に戦術を効率的に学ばせる“戦術的ピリオダイゼーション”は、サッカーの練習理論としてヨーロッパを中心に急速に広まっています。

■試合前練習を見るときには隠れた制約に注目

このエコロジカル・アプローチや戦術的ピリオダイゼーションでは、本稿で紹介した野球のホームランの練習法のように、選手が自然に技術を引き出すための理論やテクニックが用いられています。

制約はどのように分類されているのか、具体的に制約をどう現場に落とし込めばいいのか。ここでは具体的な練習理論には立ち入りませんが、気になる方は、ぜひエコロジカル・アプローチや戦術的ピリオダイゼーションを扱った本を書店などで手に取ってみてください。

近年は野球をはじめとして、様々なスポーツで制約・アフォーダンスのブームが来ていると聞きます。サッカーの最先端理論に触れることで、他のスポーツにも参考になる点がたくさんあると思われます。

これからの指導者は、自身の指導にどのような制約が隠れていて、それがどういう動作や意思決定を導いているのか、理解することが求められるといえるでしょう。また、スポーツファンのなかには、試合前の練習を見るのが好きな方もいます。練習を見る際は、その練習に隠された制約に注目してみるとおもしろいでしょう。

■「正解を示す」から「ヒントを与える」へ変わる指導者の役割

制約を用いた方法は、練習だけでなく指導者の役割も変えていくと予想されます。今までは直接お手本を示すのがコーチの仕事でした。一方、制約を用いる練習においては、選手が理想の動きをみつけるのを手伝うのがコーチの役割となります。

今泉拓『行動経済学が勝敗を支配する 世界的アスリートも“つい”やってしまう不合理な選択』(日本実業出版社)
今泉拓『行動経済学が勝敗を支配する 世界的アスリートも“つい”やってしまう不合理な選択』(日本実業出版社)

それに合わせて選手に求められる姿勢も変わるでしょう。今まではコーチから教わった動きを再現することが求められましたが、制約を用いた練習では自分で正解をみつけていく必要があります。何度もトライアルアンドエラーを繰り返す積極性や正解がみつからなくてもめげない粘り強さが重要になるでしょう。

この指導者と選手の関係性の変化は、一般社会でみられる変化にも類似しています。現代の先生や上司は、生徒や部下に対して逐一指導するよりは、モチベーターとしての役割が求められる傾向にあります。スポーツの指導者も例外でなく、上から正解を指導するよりは、選手に寄り添うことが大切になってきています。

選手に直接介入するのではなく、選手が自身のペースで技能を習得するのを待つという点で、アフォーダンスは新しい指導方針としても注目を浴びていくことが予想されます。スポーツは社会的な行為なので、社会的な価値観の移り変わりが反映されますし、変化に敏感であることも成功するための秘訣といえるでしょう。

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今泉 拓(いまいずみ・たく)
東京大学大学院学際情報学府博士課程所属
1995年生まれ。東京大学理科2類に入学、教養学部に進学しコンピュータサイエンスを専攻。大学3年生時からデータスタジアム株式会社で野球データの分析を開始。以降、株式会社ネクストベースにて野球データの分析を担当するなど6年間データ分析に従事。東京大学大学院学際情報学府では認知科学・行動経済学を専攻。東京スポーツ・レクリエーション専門学校非常勤講師(スポーツ分析)。

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(東京大学大学院学際情報学府博士課程所属 今泉 拓)

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