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「洗面器で大量の即席メンを食べた」「自分の局部を撮影」…欲求に歯止めがきかない老父に50代娘が感謝したワケ

プレジデントオンライン / 2024年7月13日 10時16分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MohamedFadly

現在、50代半ばの娘はこの10数年間、両親の介護に追われてきた。「色ボケ」化した父親、持病のうつや腰痛が悪化した母親。そのケアに奮闘した娘自身もがんに3度罹患するなど平穏な時間は訪れなかった。1000万円あった両親の貯金は完全に枯渇し、借金や娘夫婦が持ち出しをして生活を維持した。「どう考えてもここから自分たちの老後資金を貯められそうにないので、老後破綻を覚悟している」という娘の心境とは――。(後編/全2回)

■怒涛の介護生活

突然、両親2人の介護が始まった。

78歳の父親は右膝の手術後、全身麻酔から覚めた瞬間からせん妄が激しく、精神錯乱状態が続いた。入院中の父親の看病をしていた68歳の母親は、いなり寿司を喉につまらせ、窒息。一時は心肺停止し、ダメージが残った。

入院希望者多数という理由で病院から追い出されるように両親を自宅にひきとった娘の下島麻鈴さん(仮名・当時46歳)さん。まず父親を精神科に連れて行き、それと並行して地域包括センターに連絡をすると、地域包括センターの職員が来てくれた。ケアマネジャーが決まり、介護認定を受ける方向で動き始める。

「膝のリハビリが不十分な状態で退院したため、入浴のときは困りました。慌てて楽天でお風呂用の椅子や浴槽に入れる台、バスボードなどを買った記憶があります。介護保険で購入すれば1割負担だったのですが、当時はそれを待てない状況でした」

精神科を受診した結果、父親はアルツハイマー型認知症と診断。要介護1と認定され、訪問介護、デイサービス、デイケア、ショートステイ、訪問歯科の利用を開始。その他にも、障害者支援制度を使い、ヘルパーさんが散歩、カフェ、ドライブに連れて行ってくれる外出援助の利用も始めた。

父親は、明らかに今までと違っていた。

・常にソワソワと落ち着かない様子で家の中を歩き回り、タンスを開けたり物を引っ張り出したりしていた

・膝のリハビリが十分ではないにもかかわらず、夜中に一人でコンビニへ行っておやつを買い、食べてはゴミを庭に埋めて“証拠隠滅”を計っていた

・近所の庭に勝手に入ってトマトを食べていた

・とにかく落ち着かないらしく「どこかへ連れて行ってほしい」と言われ昼夜問わずドライブに行かされた

・食欲が止まらなくなり、勝手に米を炊いて食べたり、大量の砂糖をカップに入れて水で溶かして飲んだり、洗面器で袋入りラーメンを大量に作って食べたり、非常食にストックしてあった缶詰を全て食べ尽くしてしまうなどした

一方、母親は、一命はとりとめたものの、もともとあったうつ状態が悪化し、持病の腰痛や窒息時の転倒で身体状況が低下。家事をすることが難しくなる。要支援2と認定され、訪問介護やデイサービス、訪問看護、訪問者リハビリ、訪問歯科、訪問医療マッサージなどの利用をスタートした。

「私は実家から歩いて1〜2分のところに住んでいましたが、親子関係が良くなかったため、介護が始まるまでは用があるときしか会っていませんでした。私にとっての母の介護が始まったきっかけは窒息・転倒ですが、その前のことはわかりません。父がサポートしていたから、母の生活能力の低下が目立たなかっただけだったのかもしれません」

■色ボケ親父

認知症を発症した父親は、80歳を目前にして性的欲求が強く現れていた。

「もともとの父は女性好きで恋愛体質だなと思っていました。常に恋をしていたいタイプ。性欲も強いほうだと思います。『若く見られるか』が服や髪色を決める基準でした。普段は見せないようにしていた欲望が、認知症で隠せなくなったように思います」

診断後1年目は、アダルトDVDや雑誌のグラビアページをデジカメで撮り、何度も再生したり、外出時にミニスカートの女性を撮ったり、デイサービスでは大きくなった自分の局部をトイレで撮ったり、雑誌のアンケートはがきに放送禁止用語を書いて送ったりしていた。

大きなレンズのデジタルカメラ
写真=iStock.com/Oleh Stefaniak
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Oleh Stefaniak

店や施設の備品、商品を持ち帰ることもあり、食欲も増していたことから、あらゆる欲求の制御ができなくなっていたようだ。

そして2014年12月。80歳になった父親に口腔がんが見つかり、翌年から放射線と抗がん剤治療を始めることに。

下島さんは「膝の手術をしたときのようにまた麻酔から覚めたらおかしくなるんじゃないか?」と心配していると、今度の主治医は、「麻酔のやり方に配慮します」と言ってくれた。

「足の皮膚を移植するため、形成外科医も執刀したのですが、父はその医師に向かって、『先生は失敗しないんですよね?』とドクターXみたいなことを言って笑わせていたと看護師さんから聞きました。父は見た目を“若作り”するだけではなく、トレンドワードをメモして“ネタ帳”を作り、若い看護師さんとおしゃべりするのが好きな人でした」

認知症発症から2年ほど経っていたこの頃、父親の認知機能が少し改善されてきた。

「もしかすると膝の手術のときの麻酔と、その時飲んでいた薬が合わさって悪さをしたのかもしれません。薬の影響が薄れて普通に戻ってきたのかも……などと素人ながら思っています」

■再婚と母娘問題

下島さんは2014年に48歳で再婚。両親の介護が始まったときに、交際相手に「一緒に住んで助けてほしい」と言って同棲したことがきっかけとなった。

2人の介護をしていると時間がなく、パートにも出られない。当時の下島さんは、朝6時に起床し、夫の弁当を作り、両親を起こしてバイタルチェックし、朝食を食べさせ、母親がヘルパーさんに入浴させてもらっている間に買い物に行き、昼食の準備をして昼食兼おやつタイムと洗濯。両親が昼寝している間に夕食の準備。夕食を摂らせ、夕食の後片付けをしていると夫が帰宅。バイタルチェックをして両親を21頃就寝させる……という生活をしていた。

この他にも、服薬や点眼、トイレ介助、歯磨き介助、片付けや翌日の準備などもあり、就寝後も数回のトイレ介助を経て、翌朝また6時に起きていた。

「介護生活が長くなると、失禁したら下着やシーツを取り替える、シャワー浴をさせる、通院が増える、食事を柔らかくして刻むなど、いろんな作業が積み重なり、負担が大きくなります。そうすると、『どうして私がここまでしなきゃいけないの? 母親らしいことをしてもらえなかったのに』という思いが湧き上がって来るようになりました」

下島さんには、どうしても忘れられないエピソードがあった。

中学の体育の授業でバスケットをしていた時、同級生と衝突して転倒するという事故が起きた。幸い下島さんは軽傷だったが、相手は足を骨折してしまった。

帰宅後、下島さんは母親に事情を話し、「一緒に謝りに行ってほしい」と頼む。すると母親は、「なんで私がそんなことしないといけないの?」とすごい剣幕で怒られたのだ。

「確かにスポーツ中の事故で、どちらが悪いというわけではありません。でもその時に、『この人は普通じゃないんだ』と感じたことを覚えています。親なら常識的に、一緒に謝りに行くべきだったと思うんです。ピントがズレてる母にはそれができませんでした」

下島さんは自分のお小遣いでアイスクリームを買い、一人で謝りに行った。

「この事が決定的になり、母との距離が広がった気がします。不衛生や肥満にならないような生活、挨拶や人との接し方など、ある程度の年齢になるまで子どもを躾けるのが親の仕事だと思うんです。それがないと『変な子』という目で見られることになります。よく、成人後のことは自己責任と言われますが、私は違うと思うんです。沼地に家を建てても良い家にはなりません。カビが生えたり傾いたり、少しの揺れでも倒壊するんです。少なくとも人生の基礎となる小学生までの親子関係は一生を左右すると思います」

両親を介護するようになった下島さんは、医療や介護関係者に頭を下げることが多くなった。

「家事は母なりに頑張っていたと思います。手が回らない時は父がご飯の支度をすることもありました。父は短気ですが、その点はマメな人でした。でも母は母なりに頑張っていたと頭では分かっていても、ふと中学のときのことを思い出し『この人は私のために謝ってくれなかったのに』と思ってしまうのです」

初めは夫に愚痴るだけだったが、次第に下島さんは、疲れているときや余裕がないとき、激怒して親たちを叱りつけるようになっていく。

そんなとき夫は、「認知症の人に言っても仕方ないんだから。俺が全部聞くから」となだめてくれた。

■3度のがん

これまで下島さんは、3度がんになっている。

1度目は11年前。1回目の結婚が破綻した翌年、37歳のときに直腸がんが見つかった。

直腸がんの3Dイメージ
写真=iStock.com/libre de droit
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/libre de droit

当時販売員の仕事をしていた下島さんは、下血、腹痛、下痢に気付いていた。「下血、腹痛、下痢」でインターネット検索すると「大腸がん」と出てくる。怖くて仕方がない反面、「病院へ行くお金もないし、この年齢で自覚症状が出たら末期だよね。手遅れだと手術もできないはず」と自己判断し、数カ月放置した。

しかし日に日に身体がしんどくなり、立っているのもやっとな状態で、ついに受診する。

結果、緊急入院という最悪の事態となった。

身体のしんどさは、「下血と子宮内膜症による重症の貧血」だった。医師は、「男性なら立っていられない数値」と言い、「直腸がん」と診断。

その後、さまざまな検査を経て手術が決まったが、「リンパ節に転移している」「人工肛門になるかもしれない」と言われた時下島さんは、「あ、完全に終わった」と思った。

手術は、直腸とリンパ節13カ所、腸との癒着が酷かったため子宮全摘、片側の卵巣摘出となり、ステージ3a。人工肛門はまぬがれた。

「リンパ節は見える所は全部取り切れたこと、がんが腹膜まで飛び出してなかったこと。これが今も生きていられる理由だと思われます」

その後半年間、点滴での抗がん剤治療を受けた後、飲み薬に切り替え、合計3年間抗がん剤治療を受けた。抗がん剤治療の間、病院まで送迎してくれていたのは父親だった。

「吐き気が起こることを心配して、率先して車を出してくれたんです。検査の度に弱気になる私に父は、『大丈夫だ。なんとかなる。心配するな』と言葉をかけ続けてくれました。総額40万円近くする健康食品を買ってくれたり、入院中に見舞いに来て、『病院は夜が嫌だろ? 俺も精神科に入院してたとき静かで、いろいろ考えてしまうのが嫌だった。それが分かるから切ない』なんて言っていました。父なりに私に愛情を持っていてくれたと気づかされた時期でもありました」

2度目は15年後の2018年。52歳のときに乳がんが見つかる。

両親の介護のさなか、左乳房にチクチクという痛みがあり、乳腺外来を受診すると、乳がんと判明。全摘手術を受け、現在もホルモン剤を飲んでいるが、昨年5年目をクリアし、転移や再発の危険はないと言われている。

3度めは2022年。55歳のときに、今度は上行結腸がんが見つかる。

両親の介護が始まってから、37歳のときに受けた直腸がんの術後の検査になかなか行けず、間が空いてしまっていた。大腸カメラの検査は時間がかかるため、介護や育児のキーパーソンにはハードルが高いのだ。

ようやく検査を受けに行ったときには、その場で取れない大きさのポリープが見つかり、結局入院して内視鏡手術を受けることに。

「がんの告知は何度受けてもしんどいです。体質かなと思うので、初期のうちに見つけるしかないですね……」

ポリープはがん化していたが、取って終わりとなり、今後は2年毎に検査を受けることを勧められた。

■母親の死

2020年11月。もともと間質性肺炎という難病を患っていた76歳の母親は、風邪をこじらせて入院し、在宅で酸素吸入が必要になる。

在宅で酸素吸入をする生活は、空気清浄機をひと周り大きくしたサイズの「酸素濃縮器」を中心に営まれる。機械から出た長いチューブに連結した「カニューラ」という細い管を鼻に挿入して、酸素を取り入れるのだ。

チューブの長さは家の中で一番遠い場所の距離で決まる。下島さんの母親の場合は、ベッドから風呂場までの10mだった。10mの管を引き摺りながらトイレや洗面、入浴、時には家事をする。

外出する時は酸素ボンベを使い、母親の場合は2時間半で1本使う計算で、持ち歩くボンベの数を決めていた。

「ズルズルと何メートルもある管を引き摺って歩くのは大変だと思います。それでも普通は慣れればできることだと思いますが、母は2年を過ぎても、うまく管を捌いて歩けませんでした」

最も苦戦していたのは、着替えだった。

「繋がった管とカニューラを一旦外して襟首に通してから繋ぎ変えなきゃいけないんですが、外した管が服に絡まることがあるんです。それを解く作業は全然難しくないのですが、母は苦手で、半泣きになりながら管と格闘することがありました」

2023年12月。89歳の父親は、床に敷いてあった猫用のペットシーツに足を取られて尻もちをつき、圧迫骨折。ペットシーツは母親が尿失禁したため、応急処置で下島さんが敷いたものだった。

圧迫骨折は手術した次の日には歩いて帰れるようなものだったが、手術前日の夜、父親は誤嚥性肺炎になり、手術自体が中止。そのまま入院に。入院中、コロナや尿路感染症にかかり、リハビリが進まず、すっかり足が弱り、車椅子生活になってしまう。

車椅子に座る人
写真=iStock.com/baranozdemir
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/baranozdemir

要介護3の認定がおりたため、4月からはショートステイを利用しながら特養の入所を目指すことになった。

一方母親は、2024年5月のゴールデンウィーク後に体調が悪化。入院させたかったが病室の空きがなく、様子を見ることに。

当時、母親は動くと血中酸素濃度が下がり息苦しくなるのだが、この頃から水を飲む、食事を摂るという行動をするだけでも酸素濃度が下がり、なかなか戻らなくなる。

そして20日に緊急入院。翌日からモルヒネ投与が始まり、25日に亡くなった。79歳だった。

「葬儀の出棺のとき、寄せ書きを書いた布をかけて棺の封をしたのですが、そこに夫が『麻鈴のことは心配しないでください』と書いてくれました。困った時はいつも夫が助けてくれました。怒る私をなだめ、話を聞いてくれたり、介護に必要なものはお金をかけないよう自作してくれたり……。彼がいなければ介護を続けられませんでした。母を亡くしてから、今になって母なりに私を愛してくれていたんだと思えるようになってきました。唯一無二な存在だったことを今さらながら痛感しています。気づいたところでもう伝えることができず、母ロスから立ち直れそうにもありません……」

■介護後の娘の未来

両親の介護が始まった時、両親には約1000万円の貯金があった。しかし約12年経った今、貯金は0だ。

香典袋とろうそく
写真=iStock.com/Thomas Faull
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Thomas Faull

「介護に必要な物を買ったり、認知症になってから頻繁に外出したがるようになった父を連れての近距離、遠距離の旅行に行ったりしているうちに、使い果たしてしまいました。両親の年金、旦那の給料の範囲でのやり繰りができず、借金も増え、崖っぷちの自転車操業をしています」

まだ母親が存命な頃は、両親の年金と夫の給料を合わせて、収入はひと月約48万円。支出はひと月45〜46万円だった。

「余裕がない中、車2台分の車検や税金の支払い、親族の香典やお祝い金など、まとまったお金が用意できなかったことが借金苦に陥った要因です。どう考えてもここから自分たちの老後資金を貯められそうにないので、『老後破綻』を覚悟しています。全て私の経済観念の甘さが原因だと思います」

生命保険文化センター「2021(令和3)年度生命保険に関する全国実態調査(速報版)」によると、介護にかかるひと月の費用は、平均8万3000円という結果になっている。1年あたりだと99万6000円。下島さんの場合、12年なので1195万2000円だ。

ここには住宅を介護しやすくするリフォーム代や介護用ベッド代など、一時的にかかる費用は含まれていない。さらに、下島さんは両親2人の介護をするため、12年間働きに出ることはできなかった。こうしてみると、約1000万円あった貯金が0になっていても不思議ではない。むしろ、親の貯金では介護費用が賄いきれず、介護する子ども世代の持ち出しになることに問題があるように思う。

突然両親の介護が始まった下島さんだが、もしも備えられたなら、どんな備えをしていただろうか。

「可能であれば、親が元気なうちに要介護状態になった時のことや相続などについて話し合っておいたほうが良かったと思います。しかし、父が認知症になる前にそれができたかは微妙です。あとは、認知症になると生命保険に入れなくなるので、入院費や葬儀費用に不安がある方は、元気な内に保険を見直し、加入を検討したほうが良いと思います。今後、医療費の自己負担は上がっていくでしょうから……」

特養入所待ちの父親の前には、同様に入所待ちの人が60人以上もいる。特養の入所は緊急性も加味されるため、在宅酸素が必要な母親が存命な頃は、少し早まるのではないかと思われた。

「まだ入所までかかりそうなら、一旦在宅に戻り、デイサービスを利用しながら入所待ちをしようかと考えています。私の社会復帰や夫との旅行は、もう少し先になるかもしれません」

実は下島さんは介護福祉士の資格を持っているが、経験は半年ほどのみ。それでも父親の在宅介護が終わったら、両親を介護した経験と介護福祉士の資格を活かして社会復帰したいと思っているという。

「介護は苦しくてつらいことのほうが多かったですが、勉強になったこともたくさんありました。専門職の方々から受けたアドバイスを経験として活かしていければと思います。年齢的に何年続けられるかわかりませんが、利用者だけではなく家族の気持ちにも寄り添える介護士になれるよう頑張ってみたいです」

下島さんは、元気なうちに夫と京都へ旅行に行くのが夢だ。介護のキーパーソンであったとしても、2、3泊の国内旅行くらい些細な夢なら、時間的にも経済的にも、いつでも叶えられる社会であってほしいと思う。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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