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「蓮舫叩き」に沸く大量のアンチにウンザリする…都知事選後も続く「立憲共産党バッシング」に覚えた妙な既視感

プレジデントオンライン / 2024年7月18日 16時15分

蓮舫氏のXのアカウントのキャプチャー画面

都知事選で蓮舫氏が敗れたことで、「立憲共産党」批判が再び巻き起こっている。ジャーナリストの尾中香尚里さんは「野党第1党として蓮舫氏を候補者に立てた以上、敗戦の全責任は立憲民主党にある。共産党や連合のせいにしていては、野党第1党の求心力はまた失われてしまう」という――。

■蓮舫3位で「立憲惨敗」をあおる人たちが大量に現れた

東京都知事選(7日投開票)で小池百合子知事が3選を果たす一方、立憲民主党の参院議員だった蓮舫氏が3位に沈み、立憲の選挙戦略に対して批判の嵐が吹き荒れている。

筆者はこの流れにはすごく既視感がある。3年前、2021年秋の衆院選だ。公示前議席を割り込んだ立憲に、外野が「惨敗」ムードをあおり、敗因として「共産党との『共闘』が悪い」「批判ばかりの姿勢が悪い」と、たいした検証もないまま延々騒ぎ続けたあの現象が、都知事選で再現されているのだ。ここ半年ほどの立憲上昇ムードで見えにくくなっていたこれらの声が、都知事選で一気に発散された。

つくづくばかばかしい。立憲はこうした外野の声にまともに耳を傾けすぎて、22年の参院選で本当に惨敗してしまった愚を繰り返さないよう注意すべきだ。

都知事選の敗因は「決定的な準備不足」に尽きる。立憲民主党単独の問題ではない。いわゆる民主党勢力がこの四半世紀、都知事選を「投げてきた」ツケが回ってきたということだ。

ただ、蓮舫氏がそれを覚悟で、リスクを取って出馬したことは、筆者は高く評価している。これでやっと、野党第1党が「都知事選を主体的に戦う」スタートラインに立ったと思うからだ。

■25年にわたって都知事選から逃げ続けてきた

やや古い話にお付き合いいただきたい。

民主党がかつての新進党勢力の大半を迎え入れ野党第1党になったのは1998年。翌99年の都知事選に、副代表の鳩山邦夫氏が、同党を離党して出馬した。邦夫氏は無所属になったものの、民主党には選挙対策本部が設置され、羽田孜幹事長が本部長を務めた。党を挙げての選挙だった。邦夫氏はこの選挙で石原慎太郎氏に、ダブルスコアの差で敗れ初当選を許した。

その後の民主党は、お世辞にもまともに都知事選を戦ってきたとは言えなかった。知名度はあるが、端から見たら「良い戦いになる」ことすら想定しにくい候補を後方から支援するだけで、自らは選挙戦の矢面に立たない。敗戦の責任もうやむやだ。そんな選挙が21世紀に入ってから、四半世紀近く続いてきた。

■「25年前のツケ」が今になって回ってきた

確かに都知事選は難しい。有権者の数がべらぼうに多く、無党派層の比率も高い。鳩山氏が敗北した一つ前の1995年の都知事選では、完全無党派の放送作家、青島幸男氏が、街頭での選挙運動を一切行わなかったにもかかわらず、与野党相乗りで出馬した元官房副長官の石原信雄氏に圧勝し、既存の政党に衝撃を与えた(まだ民主党は存在していなかったが)。

国政選挙での政権交代に傾注していた民主党が、難しい都知事選にリソースを割かなかったのは無理もない面はあった。だが、この時期に民主党が、それなりの組織を持ち都内の有権者に根を張っていた自民党や公明党に対峙できる地方組織や議員を育てる準備を十分に行わなかった、つまり「地力」をつけなかったことが、都知事選を「旧民主党勢力がまともに戦えない選挙」にしてしまった遠因だと考える。

筆者の言う「決定的な準備不足」とは、こうした歴史的経緯全体のことだ。その上で、改めて今回の都知事選を振り返りたい。

■後手を踏んだ候補者擁立

今回も立憲は、党として主体的に都知事選に前向きに対応していたとは言えなかった。擁立作業を市民連合に任せ、気づいたら5月下旬。都知事選告示まで1カ月を切っていた。そんな中、今回の都知事選で2位につけた石丸伸二・前広島県安芸高田市長が、先に出馬を表明した。

突然登場したように言われがちな石丸氏だが、市長時代の動画を通じて、若い世代にはすでにかなりの有名人だった。石丸氏とその周辺は、おそらくかなり早い段階から、都知事選転出を意識してイメージ戦略を行っていたのだろう(それが良いかどうかは別として)。

このまま立憲野党側が、出遅れた上に政治的にパンチの乏しい候補者しか擁立できなければ、選挙戦はメディアの手で「小池vs石丸」の構図にされる可能性が高かった。かつて「古い自民党」に対し「改革派」の立場で挑んだ小池氏が、今回は自民党の「ステルス支援」を受け「守旧派」に転じ、石丸氏が「改革派」を売って挑む。攻守ところが変わっただけの、この30年見飽きた「守旧派vs改革派」の戦いだ。

さらに、石丸氏の選挙を支えたのは、実は自民党関係者。選挙後には、石丸氏と日本維新の会の「共闘」が画策されていたことも明らかになった。

表紙が変わって目新しく見えるが、選挙の構図は結局「第1自民党vs第2自民党」の戦いに過ぎない。「改革派」を名乗る「第2自民党」が、既存の政治そのものに飽き足らない層の票をかっさらい、選択肢となるべき立憲野党系を沈ませる。2005年の郵政選挙を筆頭に、これまで何度も見てきた光景だ。

■蓮舫氏で「ギリギリ勝てるかどうか」レベル

こうした構図を打破しようと、立憲は結党以来「目指す社会像の選択肢を提示する」選挙を目指し、実際にかなり奏功してきた。だが、自らを取り巻く環境の変化を自覚せず、都知事選という目立つ選挙で従来のように漫然と対応をしている間に、それを大きく後退させる「古い選挙戦の構図」が作られかけた。都内の立憲支持層が小池・石丸両氏の草刈り場と化し、次期衆院選に悪影響を与える恐れさえあった。

蓮舫氏はリスクを取って、この構図に「割って入った」と言える。

都知事選で街頭演説をする蓮舫氏(バスタ新宿前にて)
都知事選で街頭演説をする蓮舫氏(バスタ新宿前にて)(写真=Noukei314/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

蓮舫氏が出馬を決めた理由の一つに、出馬表明前日の5月26日に行われた静岡県知事選で、立憲の推薦候補が与野党対決に勝利したことが挙げられている。しかし、だからといって「都知事選でも野党側が勝てる」という事前調査は皆無だったはずだ。

地力のない立憲野党にとって、第1党である立憲の上げ潮ムードと蓮舫氏の知名度の二つを合わせて、やっとぎりぎりで「勝ち筋」が見えただけのことであり、現実にはこの時点で、勝算は極めて乏しかった(もし「勝てる」と思っていた立憲関係者がいたとしたら、それは極めて甘い)。

それでも蓮舫氏はリスクを取った。この挑戦が立憲をぎりぎりで救った、と筆者は考える。

■「不戦敗」なら党として致命傷を負っていた

国政であれ地方選挙であれ、時の権力が示す方向性に対し「その道で良いのか」と選択肢を示すのが野党第1党の役割だ。地方の首長選でも可能な限り与党への相乗りを避け、対立候補という選択肢を示すべきだ。筆者は折に触れてそう繰り返してきた。

そんな筆者でさえ都知事選はさすがにハードルが高いと考えていたが、蓮舫氏の出馬によって、都知事選は鳩山氏以来ほぼ四半世紀ぶりに「国政の野党第1党が前に出て主体的に戦う」形の選挙が実現した(内実が伴っていたかどうかの議論は、ここでは置く)。

都庁
写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuppa_rock

蓮舫氏の街頭演説には連日党の有力議員が応援のマイクを握り、蓮舫氏のいない場所で幹部が辻立ちやビラまきをする姿もあった。東京以外の立憲の国会議員や地方議員も、大挙して蓮舫氏の応援に駆けつけた。

あのまま「小池vs石丸」があおられるなかで党が埋没し、事実上「不戦敗」のような選挙を戦っていたら、それは敗戦以上に党へのダメージになったかもしれない。都知事選を戦えなかった維新が今、党として大きなダメージを受けているように。蓮舫氏の「出馬そのもの」を筆者が高く評価する理由はここにある。

■石丸氏よりも小池氏の選挙を実践すべき

問題は党組織全体の「決定的な準備不足」のほうだ。とにかく数十年というレベルで、野党勢力は都知事選に出遅れている。この状況をこれ以上放置できない。立憲は東京に、もっと確固とした「地力」を築かなければいけない。

蓮舫氏が石丸氏を下回る3位に沈んだことについて、一部のメディアは蓮舫氏の「2位じゃだめなんですか」という過去の発言を使ってあげつらっている。建設的な敗因分析につながらず、ただ敗者をやゆするだけの言論は、恥ずべきことだと心から思う。

一方で「2位を取れなかった」ことは深刻に考える必要がある。現職への選択肢として「1対1」の構図を作れなかったことを意味するからだ。野党第1党が3位に沈むのは、明らかに大きな敗北だ。

だから立憲が、得票で蓮舫氏を上回った石丸氏の選挙戦に気を取られるのは理解する。政党どころか政治そのものにも関心を持てずにいる層に、既存の方法で支持を求めるのは無理だ。どんなツールを使ってどんな言葉を伝えるかを真剣に考えるのは、政党として当然だろう。蓮舫氏の選挙が「ひとり街宣」などのムーブメントを起こし、政治に積極的に向き合うことの少なかった若者や女性の心を揺らしたことも積極的にとらえ、党への理解を深めることに生かしてほしい。

そもそも、落選後に蓮舫氏が受けている多数の誹謗中傷に対し、党が反論したり蓮舫氏をケアする姿勢を見せないのはいただけない。蓮舫氏自身はもちろん、今後政治の世界を志す女性を萎縮させるような動きに対しては、明確にNOの意思表示をすべきだ。女性やミックスルーツを持つ人、また「頑張ったのに報われなかった人」が過剰に責め立てられる社会が、本当に党が「目指す社会像」なのかどうか、胸に手を当てて考えてほしい。

そして立憲がまず実践すべきは、むしろ勝った小池氏の選挙のほうではないか。基盤となる党の支部を活性化させ、地方議員を増やしていくなど、地上戦で張り合える「地力」をつける、という基本に立ち返るべきだ。東京が無党派層の多い地域なのは変えようがないが、それでも立憲が目指すべきは「無党派層に媚びて党の姿や立ち位置を変える」ことではなく「自らの立ち位置を訴えて無党派層を振り向かせ『党の支持層に変える』」ことであるはずだ。

「無党派層対策」という言葉に政党が過剰に振り回されるのは、そろそろ見直したほうがいい。

■主体的に戦って負けた選挙の責任は100%立憲にある

このように考えれば、立憲は今後のあらゆる選挙(都知事選に限らない)で、もっと「自らが主体性を持って選挙を戦う」ことを前面に出すべきだ。都知事選においては、長らく外部の組織に候補擁立や選挙運動を頼ってきたから、東京にいつまでも野党の地盤ができなかった。このやり方はそろそろ改める時が来ている。

蓮舫氏という「党の顔」が立候補したことで、立憲は今回の都知事選を、これまでになく「自分ごと」として戦う必要に迫られた。「立憲共産党」批判をしたい人には気の毒だが、選挙戦は端から見れば、共産色が相当に抑えられた「立憲の選挙」だった。逆に「味方」の陣営には、そのことを不満に思った人が少なからずいるのではないか。

だが、立憲が「野党の中核」として前面に立って自らの旗を掲げ、その旗に少しでも共鳴する組織や個人を、バラバラのままでも大きく包摂する形をつくるほうが、今は大切だと思う。

「立憲が主体的に選挙を戦う」ということは「敗戦の責任も他人任せにせず、自らがすべて負う」ということだ。立憲は間違っても、今回の敗戦を共産党だの市民連合だの、連合東京のせいにしてはいけない。

今回の都知事選を「自分ごと」として戦ったことで、立憲は敗戦の原因も今後の課題もすべて、自分たちがよく理解していると思う。すべての応援団が納得できる、党としてのきちんとした総括を、早期に出すべきだ。同時に、来年夏に迫った都議選と、さらに次の都知事選の準備に、すぐにかかってほしい。小池氏が任期4年を勤め上げる保障はどこにもないのだ。

■都知事選と衆院選は必ずしもリンクしない

最後に一つだけ付け加えておきたい。

都知事選の総括を過度に次期衆院選に当てはめて考えるのは危険だ。極端に大きな選挙区で無党派層の多い都知事選と、有権者の顔が見えるような地方の小選挙区では、戦い方が全く違う。「石丸現象」をあおるメディアに乗せられ、都知事選向けの選挙戦術をそのまま衆院選に当てはめようとすると、足元をすくわれて大きく転びかねない。落ち着いた対応を求めたい。

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尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト
福岡県生まれ。1988年に毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長などを経て、現在はフリーで活動している。著書に『安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ』(集英社新書)、『野党第1党 「保守2大政党」に抗した30年』(現代書館)。

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(ジャーナリスト 尾中 香尚里)

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