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「蓮舫氏の大暴走」をなぜ誰も止められないのか…記者の謝罪に「終わらせません」発言が示す根深い問題

プレジデントオンライン / 2024年7月19日 17時15分

都知事選で街頭演説する蓮舫氏(写真=Noukei314/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

都知事選で落選した前参院議員の蓮舫氏のXでの投稿が物議を醸している。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「発端は、記者による蓮舫氏への批判的な内容の投稿だ。リベラル派とされる蓮舫氏が個人の『自由な言論』を縛るような投稿をした意味は重いのではないか」という――。

■「ザ蓮舫さん、という感じですね」

発端は、ひとつの投稿だった。

「政治記者、解説者」とプロフィール欄に記す今野忍氏が、蓮舫氏X(旧ツイッター)でのポスト(投稿)に対して、「ザ蓮舫さん、という感じですね」との書き出しで、次のように綴った。

ザ蓮舫さん、という感じですね。支持してもしなくても評論するのは自由でしょう、しかも共産べったりなんて事実じゃん。
確かに連合の組合組織率は下がっているけど、それは蓮舫さん支持しなかったかではないでしょう。自分を支持しない、批判したから衰退しているって、自分中心主義か本当に恐ろしい(※原文ママ)

「事実じゃん」としながらも「本当に恐ろしい」と結んでいるので、今野氏個人の感想以上でも以下でもない。彼は、「発言は個人の見解です」とプロフィール欄に記しており、今回のポストは人格を否定しているわけではなく、容姿を嘲笑しているわけでもない。

■記者の謝罪に対し、「終わらせません。」

労働組合の中央組織「連合」の芳野友子会長による都知事選の分析について、蓮舫氏がコメントし、それに対して今野氏が7月15日月曜日の午後8時18分にコメントした。それから22時間あまりが過ぎた16日火曜日の午後6時41分、今野氏が「お詫び」のポストを投稿している。

これまでの私の投稿に不適切な表現がありました。ご指摘を受け止めて猛省するとともに、関係する皆様に深くお詫び致します。

直後の同日午後7時42分、『女性自身』がオンライン上に「『極めて不適切な内容』朝日新聞 波紋呼ぶ記者のSNSでの“蓮舫批判”を謝罪…本人には厳重注意」とのタイトルで、この間の経緯をまとめた記事を配信した。

朝日新聞は公式には「謝罪」をしておらず、今野氏も、蓮舫氏に言及したXのポストを削除していない。具体的に、何を誰に対して謝っているのかも定かではないとはいえ、形の上では今野氏が謝罪している以上、これにて一件落着、となるかに見えた。

ところが、今野氏のポストから約4時間半後に、「終わらせません。」とポストしたのが蓮舫氏だったのである。

■今野記者は蓮舫氏に謝っているのか?

さらに蓮舫氏は、下記のように続ける。

弁護士と相談しているところです。

まず。
朝日新聞への抗議ならびに質問状を出したいと考えています。

弁護士と何を、どう相談したのだろうか。朝日新聞に何を抗議し、どんな質問状を出したいのだろうか。

もとより、今野氏はXのプロフィール欄には「朝日新聞」に所属しているとは書いていない。彼のXを見れば明らかとはいえ、あえて書いていないところが、「発言は個人の見解です。リツイートは必ずしも賛意を示すものではありません」というプロフィール欄と符合するのではないか。あからさまに朝日新聞記者と名乗るわけにはいかないし、そのつもりもない。そんな組織人としてギリギリの配慮を、蓮舫氏は、ないがしろにしたのではないか。

この点をおくとしても、今野氏は、蓮舫氏に対しては謝罪していない。「これまでの私の投稿に不適切な表現がありました」と書いているのみであり、どの投稿がそれに当たるのか、あるいは、誰が「関係する皆様」なのかも明記していない。

■本来なら「自由な言論」を守るはずが…

今野氏の態度への賛否は分かれよう。ただ、事実として今野氏が蓮舫氏に直接は謝っていない、それは確かなのである。

にもかかわらず、「終わらせません。」と書き、「私に言う前に何を言っておられるのでしょうか」と続け、今野氏が所属している(と見られる)朝日新聞への抗議・質問状を「まず」「出したい」と述べる。

その根拠は、どこにあるのだろうか。

このポストの根は深い。SNS、ひいては、インターネットにおける「言論の自由とは何か」を考えさせるからである。

蓮舫氏は、つい先日まで国会議員だったばかりか、立憲民主党の前身にあたる民進党という公党の代表を務めていた。しかも、リベラルを標榜している蓮舫氏は、本来なら自由な言論を守るべき立場のはずである。それなのに、発言者の所属先の特定を行い、さらには、謝罪が自分に向けられているかどうかの確認もせず、朝日新聞に「抗議ならびに質問状を出したい」と述べた。

当時民進党の代表だった蓮舫氏の厳しい追及を疑似体験できる「VR蓮舫」(2017年、民進党提供)
写真=時事通信フォト
当時民進党の代表だった蓮舫氏の厳しい追及を疑似体験できる「VR蓮舫」(2017年、民進党提供) - 写真=時事通信フォト

■自民党の政治家が同じ投稿をしたらどうだったか

法政大学法学部教授の河野有理氏や、ジャーナリストの石戸諭氏が指摘するように、もし、与党系の政治家が、蓮舫氏と同じ内容をポストしたら、どうだろうか。蓮舫氏や朝日新聞は、言論弾圧だとして非難するのではないか。ジャーナリストの佐々木俊尚氏も、7月17日に放送されたラジオ番組(ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」)のなかで、ダブルスタンダードになる可能性を指摘している。

与党であれ野党であれ、賛辞であれ批判であれ、公人たる政治家への発言は、できる限り尊重されねばならない。自由主義(リベラリズム)と民主主義を掲げる国=日本においては、なおさらである。対象が誰であれ、権利を著しく侵害しない限りにおいて、どんな言葉も遮られてはならない。それこそが、日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」で「都民の声を聞く」と評価された蓮舫氏がとるべき態度ではないのか。

ただし、こうした経緯をもって、蓮舫氏や「リベラル」を叩くことに終始してはならない。今回の事案は、「インターネット以後の組織と個人」という、より広いテーマを突きつけているからである。

■個人の投稿が「組織全体」にまで波及している

哲学者の東浩紀氏は、昨今の大学教員によるXなどでの過激と思われる物言いについて、次のように分析している。

・社会的に評判が落ちても学内の評価に関係しない
・同僚や論壇編集者とのあいだでエコーチェンバーが起きている
・学内でもそこそこ偉い立場にあることが多く、下の世代は異議を唱えにくい
といった要因が複合した結果、自意識の肥大が止められなくなっているのだと思います。

この文章を書いている私自身、東氏が指摘する「社会的な評判」が落ちているのかもしれない。今野氏のポストをめぐる騒動に照らせば、より重要なのは所属する組織との関係である。今野氏は、勤務先の朝日新聞に(まで)、元国会議員から「抗議ならびに質問状を出したい」と言われている。ひとりのポストが、組織全体にまで波及しているのであり、私自身に照らすと勤務している神戸学院大学に対して、たとえばこの文章をきっかけに、抗議や質問状が、元国会議員から来るかもしれないのである。

神戸学院大学には、私よりも遥かに有名な方がたくさんおられる。政治資金問題で著名な上脇博之氏や、元キャリア官僚の中野雅至氏は、さかんにメディアで発信しているが、その発言は、どれほど大学側の意向に沿っているのだろうか。

■個人の発信と「レピュテーションリスク」

もちろん、大学側と同じ見解だけを披瀝(ひれき)しなければならない、わけではない。だからといって、穏当な、いかにもワイドショーのコメンテーターらしいコメント(だけ)を並べねばならない、わけでもない。実際、上脇氏も中野氏も、ともに独自の研究と見方に裏打ちされた発信をしているからこそ、メディアからの依頼が引きも切らない。

教員のメディア露出が推奨されている私立大学もあると側聞する。どこまで効果があるかわからないものの、どんな内容であれ、目立てば良い、と考える大学経営層がいるのかもしれない。

他方で、レピュテーションリスクを避けたい、との思いは、朝日新聞にも大学にも共通する。炎上しないのは当然として、可能な限り穏便な形で目立ちたい。そう考える経営層は多い。私自身、今とは別の私立大学に勤めていた頃に、取材に広報担当者が立ち会っていた。天皇や皇族をめぐるインタビューを受けたため、不穏当な中身を口走らないかを大学上層部が恐れていた、と後年になって耳にした。

■蓮舫氏によるポストの「重さ」

しかし、SNSというツール、というよりも、すでにインターネットが出てきた時点で、組織、個人の自由な言論をコントロールするのは、不可能だったのではないか。

スマートフォンの操作
写真=iStock.com/Urupong
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Urupong

だからこそ、蓮舫氏のポストの意味は、重いのである。

「リベラル」とは何だったのか、を考えさせるだけではなく、ネット上での発言は、どうあるべきかを突きつけているからである。もし、発信の内容によって個人を縛るのであれば、組織は常にすべてを監視せねばならないばかりか、明確な基準を設けなければならない。反対に、個人に自由な物言いを許すなら、組織はレピュテーションリスクを覚悟しなければならない。

前者は、今回のように言論弾圧の誹(そし)りを免れないし、後者は、炎上の危険と背中合わせである。どちらを選ぶにしても、もはや個人の発信がマスに広がりうる時代が到来して久しい以上、安易な逃げ場はどこにもない。みんながそう腹を括るほかない。

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。

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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)

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