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このままだと2040年までに"介護崩壊"が起きる…介護を「だれもやりたがっていない仕事」にした決定的要因

プレジデントオンライン / 2024年7月29日 7時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/byryo

介護事業者の倒産が相次いでいる。東京商工リサーチの調査によると、2024年1月~4月の倒産件数は同期間の過去最多だったという。文筆家の御田寺圭さんは「日本はデフレ不況期という経済状況でのマンパワーの規模を基準にして、高齢者福祉の基本的な制度設計をしてしまった。それが今、成り立たなくなっているのだ」という――。

■1月~4月の介護事業者の倒産は過去最多を記録

凄まじい勢いで進行する少子化と高齢化のうねりのなか、昨今ますます加速するインフレと人手不足の影響で介護事業者の倒産が相次いでいる。東京商工リサーチの「2024年1-4月『老人福祉・介護事業』の倒産調査」によれば、2024年1月~4月における介護事業者の倒産は、同期間の過去最多を記録した。なんとか経営を続けているところでも離職者が増加しており、慢性的な採用難に苦しんでいる。

もっとも、これまでの時代ならかれらは「その施設」を辞めるだけで業界そのものを辞めることはなかった。しばらくすればまた別の施設に、同じ職種で入職するのである。

介護業界は、バブル崩壊後の不況によって就職難が続いた「就職氷河期」と呼ばれた厳しい雇用情勢でも求人倍率はいつだって高い水準のままだった。言い換えればこの業界はある種「デフレの申し子」だったのである。

しかしながらその反面、介護業界は介護報酬によって事業者(ひいてはその事業者で働く職員)の収入がほとんど決まってしまうため、インフレに弱いという性質があった。いまのように業界の外を見れば勢いよく賃金水準は上がっていたとしても、自分たちの業界は物価にあわせてダイナミックに給与を上げるといった経営判断が難しいのだ。サービスの質にかかわらず、事業者が受け取れる報酬があらかじめ決まっているので、創意工夫で生産性を高めるという余地が小さいから無理もないのだが。

■よりよい賃金の業界へ人が流れていく

「失われた30年」と呼ばれるデフレと人余りをともなう景気低迷の暴風をしのぐために、「とりあえず手に職をつけよう」と養成校に通って介護・福祉系の業界に入った人びとは少なくなかったのだが、かれらはいまインフレと人手不足の時代へと世の中の趨勢が転じ、次々に離職している。ただし今回は「その施設」を辞めて次のところに向かったわけではない。よりよい待遇や賃金を求めて「業界そのもの」から離れ、二度と戻るつもりはない。

加速する高齢化とインフレと人手不足によって、介護需要に対して人的リソースの供給がまったく追いつかない「介護崩壊」がいよいよ現実味を帯びはじめている。求人倍率は急激に上昇していて、たとえばヘルパーでは2022年度の求人倍率がすでに10を超えている(朝日新聞デジタル「求人倍率15倍、「介護崩壊」の懸念に現実味 ヘルパーの高年齢化も」2023年12月4日)。これは空前の売り手市場であると好意的に記述することもできるが、ここまで来ると「だれもやりたがっていない仕事だ」と記述するほうが適切だ。

■デフレ不況期のマンパワーを基準とした制度設計

不況期には介護職あるいは医療・リハビリ職が労働市場でダブついた人材の受け皿として一定の役割を果たしたことは事実だ。それ自体は功罪どちらの面もあっただろう。強烈な就職氷河期に、介護や福祉の仕事があったおかげで食いつなげたという人もいる。

「介護崩壊」が現実味を帯びてきてしまった最大の原因は結局のところ、デフレ不況期という特殊な経済状況だから吸収できたマンパワーの規模を基準にして(つまり今後もその人員がずっと維持されることを前提にして)日本社会の「高齢者福祉」の基本的な制度設計を組んでしまったことだ。

この楽観的すぎる制度設計は、突如としてやってきたインフレと人手不足によってみるみる崩壊して成り立たなくなってしまった。

起こったこと自体は「好況期には、人材はよりよい待遇をもとめて移動する」という経済学で説明される初歩的な現象でしかないのだが、どうやら「失われた30年」という年月は、そのようなごく当たり前の事実をすっかり忘れさせるには十分な長さを持っていたらしい。

■このまま行けば2040年までに「介護崩壊」が起きる

2040年ごろの要介護者のニーズを満たすためには、いまより60万人近い介護人材の増員が必要という推計がある(日本経済新聞「介護職員、40年度までに57万人の増員必要 厚労省推計」2024年7月12日)。あくまで推計とはいえ馬鹿げた数字としか言いようがない。なぜなら2040年ごろに世に「新卒」として送り出される18~22歳くらいのフレッシュな人材はそれこそ60万人前後になるからだ。ありえない仮定だが、かれら全員を介護職にしなければマンパワーを充足できないほどの深刻な状況がどうにかなるはずがない。

介護職員の高齢化はすでに深刻な水準で進んでおり、若い人材の採用が急務となっているが、これから「若い労働力」をあらゆる業界が奪い合う構図がますます激化する。少子化・高齢化が加速し、物価高と円安が加速していく流れのなかでは、就労先として介護業界はますますその訴求性を失っていく。かりに介護報酬をいくらか積み上げて、多少の賃金改善が政治的に達成できたとしても、やはりそれでは他業種との人材競争に負け、根本的な人的リソースの供給不足を改善することは不可能だろう。

このまま現状の推移を見守るシナリオで行けば、「介護崩壊」は2040年までには確実に起こる。それは若者人口の絶対数が乏しい僻地から順番に発生していくことになる。では、もはや解決策はないのかというと、必ずしもそうではない。

食事の準備をする介護者
写真=iStock.com/byryo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/byryo

■徴兵制ならぬ「徴介制」がやってくる

つい先日のSNSでは、役所が社会福祉協議会と連携し、足腰が弱っている高齢者のゴミ出しを近隣の中学生に「ボランティア」として代行するよう要請する事業を行っている事例が紹介され、これが激しい批判を受けて炎上していた。「ただ働きさせるな」「実質的な強制労働だ」と非難の嵐であった(参考:J-CASTニュース「『中学生に働かせるな』ゴミ出しボランティアに異論 高齢者宅向けで募集、募集団体に意義を聞いた」2024年7月11日)。

しかしながらこれは単なる「自治体のやらかし」系の炎上案件ではない。本当にもはやこれしか解決の糸口が見いだせない地域はこれから世の中にどんどん出てくることになるからだ。……そう、解決策とはすなわち、徴兵制ならぬ「徴介制」である。

たとえば若年層に一定期間、斟酌すべき特段の事情がないかぎり、介護もしくはそれを補佐する地域活動への参画を「ボランティア」という名目で実質的に義務づけることができたとする。そうすれば、認知症高齢者1000万人に対して新卒の若者が60~70万人前後になる2040年代の絶望的な超高齢社会でも、介護・福祉リソースの決定的破綻を回避することは可能だ。

■「学校活動の一環にする」のは難しいことではない

いまはまだ、すでに業界内いる人材に対して介護業界から去ることをなんとか踏みとどまってもらえるよう、あの手この手を尽くして働きかけようとしている段階だ。だが、それでは根本的に解決不可能だと政府が悟れば、より強制力をともなう形で高齢者の「QOL(もっと大げさにいえば生存権)」を守るための施策を講じる可能性は十分にある。

名目上「ボランティア」であれば、経済生産性とか事業採算性といった観点を気にする必要はない。初期コストもきわめて低い。行政が社会福祉協議会と連携して地元の中学校や高校に働きかけ、学校活動の一環にしてしまえばよいだけだ。それ自体はそこまで難しい作業ではない。皆さんも中高生の時分に覚えがあるかもしれないが、地域のごみ捨てや河川の清掃などが「ボランティア」という建前で学校行事に組み込まれ、実質的に強制参加となっている学校などすでに世の中には数えきれないほど存在しているからだ。

学校の廊下を歩く生徒たち
写真=iStock.com/urbancow
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/urbancow

■なにかしら手を打たなければならないのが現実だ

「いやいや、さすがに『徴介制』なんて、いくら政府でもそこまで踏み込むことはありえないだろう」――という意見はあるかもしれないが、私は全然「ありえる」と考えている。というか「ありえる」かどうかをあげつらう以前の問題だ。財政的・人員的逼迫(ひっぱく)状況はますます深刻化し、一方で2040~2050年ごろには認知症高齢者がいよいよ1000万人に到達することが推測されている。ますます少なくなっていく人員でますます多くなっていくニーズをこれまで通りの水準で満たそうとすればするほど、そこで働く人の環境や処遇はさらに劣悪なものになっていく。なにかしら手を打たなければならないのだ。

提供できるサービスの水準を引き下げたり、あるいは大幅な利用者負担の増大を行う政治的決断がなされないまま現状維持を選択すれば、確実に崩壊は避けられない。政府が痛みをともなう決断による政治的リスクをおそれて問題を放置し、全国各地の努力でどうにか介護リソースを工面させようとすれば、望むと望まざるとにかかわらず直接・間接を問わずなんらかの強制力をともなう「動員」を導入せざるを得なくなる。

■死生観のアップデートも避けられない

若者が実質的に「動員」される未来を回避するには、国民的な死生観のアップデートも避けられない。すなわち、「見ず知らずの人にあれこれと身の回りの世話をされてでも、自分はそれでも生きていたいのか」という問いである。これは現状、世の中で提起することすらほとんど不可能な聖域化した問題だが、若者が酷使される未来が到来するなら、議論の俎上(そじょう)にだれかが載せなければならない。

今回の記事ではわかりやすさを重視するため私はあえて「徴介制」という明らかに反対の声が吹き荒れる直截的なネーミングを用いたが、実際には「徴介制」とか「介護徴用」といったあけすけな看板が掲げられることはないだろう。しかしながら、もっともらしい建前やお題目でうまく糊塗(こと)されつつ、しかしパフォーマティブにはまぎれもない徴介制に相当する新たな法案や制度が登場する可能性は十分すぎるほどにある。

私たちが直面している「介護崩壊」とは、それほど深刻な問題なのである。国民的議論にしなければならない。

明るい部屋に無人の車いす
写真=iStock.com/Athichai Chaweesook
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Athichai Chaweesook

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御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。

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(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)

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