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こうして「百年の孤独」は誕生した…出版社に原稿を送る切手代さえ払えなかった作家(39)に妻がかけたひと言

プレジデントオンライン / 2024年7月25日 16時15分

『百年の孤独』で一躍、ラテンアメリカを代表する文豪になったガルシア=マルケス。 - Photo © LM.PALOMARES

作家、ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が話題だ。今年6月26日に新潮社から文庫版が発売されると、海外小説としては異例の26万部の大ヒットとなっている。世界的ベストセラーは、いかにして誕生したのか。『ガブリエル・ガルシア=マルケス ある人生』(岩波書店)より、一部を紹介する――。

※本稿は、ジェラルド・マーティン著『ガブリエル・ガルシア=マルケス ある人生』(木村榮一訳、岩波書店)の一部を再編集したものです。

■『百年の孤独』を執筆する際に必ず来ていた服

作者が執筆していた部屋は、後年多くの人たちが「メルキアデスの部屋」と呼びたがったのと裏腹に、魔術的な雰囲気をたたえていなかった。ガルシア=マルケス自身がそう名づけた「マフィアの洞窟」は、小さなバスルームと中庭に面したドアと窓のある縦8フィート、横10フィートの狭い部屋だった。

そこにはソファ、電気ストーブ、本棚がいくつか、ごく普通の非常に小さいテーブルがあり、その上にオリベッティのタイプライターが置いてあった。執筆するために労働者のブルーの作業服を着るようになり――いつしかそれがすっかり慣例となっていた(ネクタイをする時でさえ脱がなかった)。

彼はすでに仕事を夜型から朝型に変えていたが、これは革命的な決断だった。今は一日の仕事を終えたあと、広告代理店、あるいは映画スタジオのオフィスで執筆する代わりに、子供たちが学校から戻ってくるまでの午前中に働いていた。家族からいろいろうるさく言われて創作に支障をきたしたり、行動を妨げられることはせず、ガルシア=マルケスは仕事と自己訓練に対する取り組み全体を変えるかもしれない変化を強いていた。

■お金になるものはなんでも売った

それまで妻で母親で主婦だったメルセーデスは、今では受付、秘書、そしてビジネス・マネジャーの仕事をこなしていた。そのような状態がいつまでも続くことになると彼女はほとんど気づいていなかった。ただ、こうした変化から生まれた新作小説が、ただちにドラマティックな形で一家に恩恵をもたらすことになる。

メルセーデスは家族の生活を支えるために策を講じて戦っていた。1966年はじめには、それまでとっておいたお金が底をついた。夫である作家は、以前のようにデッド・ロックに乗り上げて動けなくなることもなく小説はどんどん膨れ上がり、それはその年の終わりまで続くものと思われた。

ガルシア=マルケスはついにタクバーヤにある中古車専門店へ白いオペルを持っていき、かなりの額のお金を手にして戻った。以後、夫妻の友人たちは一家の送り迎えをする羽目になった。

電話を手放そうとさえ考えた。節約のためであったが、それだけでなく電話をして友人たちと際限なく話す、彼にはいちばんの気晴らしを控えようとしたのだ。車を売って手に入れたお金が尽きると、メルセーデスはテレビ、冷蔵庫、ラジオ、宝飾品といった家にあるものを手当たり次第に質に入れはじめた。

■原稿を送るお金すらない

8月はじめ、先の手紙を書いた2週間後に、ガルシア=マルケスはメルセーデスと一緒にできあがった原稿をブエノスアイレスへ送るために郵便局へ行った。2人は大災害の生存者のようだった。

小包にはタイプライターで清書した490枚の草稿が入っていた。窓口係が「82ペソです」と言った。メルセーデスが財布の中を探っている様子を、ガルシア=マルケスはじっと見つめていた。2人は50ペソしか持っておらず、原稿は半分ほどしか送ることができなかった。

ガルシア=マルケスは送料が50ペソぎりぎりになるまで、カウンターの向こうにいる窓口係にベーコンをスライスするように原稿を一枚一枚はずしてもらった。

2人は家に取って返すと、電気ストーブ、ヘアドライヤー、それにミキサーを質に入れ、郵便局に戻って残りの原稿を送った。郵便局を出たところで、メルセーデスは足を止めて夫のほうに向き直った。

「ねえ、ガボ〔編注 ガルシア=マルケスの愛称〕、これであとはあの小説がダメ出しされるのを待つだけね」

『百年の孤独』は1967年5月30日に刊行された。本は352ページで、価格は650ペソ(約2ドル)だった。当初はふつうの作品と同じように3000部刷る予定だった。ラテンアメリカ諸国の基準からすれば多いほうだが、アルゼンチンでは標準だった。

コロンビアの作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』(文庫版)を手にする書店員=2024年6月26日、東京・紀伊國屋書店本店
写真=EPA/時事通信フォト
コロンビアの作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』(文庫版)を手にする書店員=2024年6月26日、東京・紀伊國屋書店本店 - 写真=EPA/時事通信フォト

■論争を呼んだカバーのデザイン

しかし、フエンテス、バルガス=リョサとコルタサルが絶賛していたうえに〔いずれもラテンアメリカ文学の重鎮〕、ポルーア〔担当編集者〕もこの作品は売れると直感したので、出版社は賭けてみることにした。そこで発行部数を5000部に変更したが、書店の要望に応えて、印刷にとりかかる2週間前に8000部まで増やした。出版社はうまくいけば半年で売り切れると踏んでいた。

1週間後に1800部が売れ、事実上無名の作家のラテンアメリカ小説としては異例の業績を挙げ、ベストセラーリストの第3位に入った。2週めの終わりまでにブエノスアイレスだけでその数字が3倍となり、第1位に躍り出て、初版の8000部ではとうてい足りないことが判明した。

友人のビセンテ・ローホ〔スペイン出身でメキシコで活躍したアーティスト〕はあの小説の原稿を自分の友人たちのいるメキシコのエラ社に売らなかったコロンビア人〔ガルシア=マルケスのこと〕に対して腹を立てていた。そんなローホをなだめようと、彼はカバー・デザインを依頼した。

ローホはこの小説の混沌としたさまざまな要素と、大衆向けでもある雰囲気を伝えようと知恵を絞って懸命に制作した。

タイトルにあるSOLEDAD[訳註 孤独の意]の真ん中のEの文字を逆Eにしたことは、やがて文芸批評家たちからもっとも難解で秘教的な理論を引き出し、グアヤキル[エクアドル最大の都市]の書店主に抗議の手紙を書かせるに至る。手紙には、届いた本の表紙に誤植があり、お客様が当惑しないよう手書きで訂正しなければならなかったと綴られていた。

現在は数千ドルで取引されている初版のデザイン(左)。右は第二版以降のデザイン。SOLEDAD(=孤独)の真ん中のEの文字を左右反転している。
画像提供=新潮社
現在は数千ドルで取引されている初版のデザイン(左)。右は第二版以降のデザイン。SOLEDAD(=孤独)の真ん中のEの文字を左右反転している。 - 画像提供=新潮社

■無名作家から一夜にしてベストセラー作家に

結局ローホの表紙デザインを用いた版は100万部以上売れ、ラテンアメリカ文化の象徴となった。しかし、このデザインは印刷が間に合わなかったので、初版では使われていない。

初版の表紙はスダメリカーナ社のデザイナーであるイリス・パガーノが担当し、灰色の背景に青みがかったジャングルに浮かぶ青みがかったガレオン船が描かれ、船体の下にオレンジ色の花が三輪あしらわれている。

のちにコレクターたちが取引するために探しまわるのは、メキシコを代表する芸術家のひとりがデザインした、はるかに洗練された版ではなく、初版本のほうだった。6月、9月、12月にローホによる表紙デザインの第2、第3、第4版が立て続けに出て、発行部数は2万部に達したが、これはラテンアメリカの出版史上空前の現象だった。

ガルシア=マルケスはおそらく自分の名声がどこまで高まるのか知らなかっただろうが、その頃になるとなんとなく感じていたにちがいない。

彼とメルセーデスはメキシコ市に戻ると、いろいろな計画を立てて、本気で身辺整理をはじめた。二人はようやく手に入れた自由を満喫しようと考えていた。思いがけず有名人になり、経済的にも安定するはずなので、ガルシア=マルケスはメキシコを離れスペインへ移ることにした。彼は何かに急き立てられるような気持ちになっていた。

■ヨーロッパに移ったワケ

彼がヨーロッパへ逃れることにしたのは、日々大きくなるプレッシャーから自分を解放し、決めていたことに変更を加えて改めて考え直す機会がほしかったからだろう。ジャーナリストたちはありとあらゆること、とりわけ政治について彼に意見を求めてきた。しかし、彼がヨーロッパへ旅立ったのは、政治に一切かかわりたくなくて逃れたと考えるのは誤りだろう。

ジェラルド・マーティン『ガブリエル・ガルシア=マルケス ある人生』(木村榮一訳、岩波書店)
ジェラルド・マーティン『ガブリエル・ガルシア=マルケス ある人生』(木村榮一訳、岩波書店)

聡明な彼は、影響力を持つには売れる小説を書いて成功を収めるしかないことを十分心得ていた。したがって、次作を書くために――とりわけ長年温めて書き上げた『百年の孤独』のように、次の作品のための時間と自由を確保することが先ず必要だったのだ。

『百年の孤独』が刊行された時点で『族長の秋』は出版する準備がほぼできていたが、こちらはもう一度全面的に書き直す必要があると思った――それは大ベストセラーにするべく書き直すのではなく、正確に言うと前作とは違う小説を書くためだと語っている。

さらに彼は読者を戸惑わせるようなことを言っている。といのも、『百年の孤独』が大当たりをとったのは、部分的に「技巧的な仕掛け」(のちに彼は「トリック」と呼ぶようになる)を少しばかり施したからで、それをトレードマークとして使うこともできた。だが、いっそのこと次の段階に進んで似ても似つかない作品を書きたいと思っていた。

「ぼくは自分をパロディ化したくないんだ」。

© 2008 by Gerald Martin

This translation of GABRIEL GARCÍA MÁRQUEZ: A LIFE by Gerald Martin is published by Iwanami Shoten, Publishers by arrangement with Bloomsbury Publishing Plc. through Tuttle Tuttle-Mori Agency Inc., Tokyo.

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ジェラルド・マーティン(じぇらるど・まーてぃん)
文芸評論家
1944年生まれ。ピッツバーグ大学のアンドリュー・W・メロン現代言語名誉教授であり、ロンドン・メトロポリタン大学のカリブ海研究上級研究教授。イベロ―アメリカ文学国際学会会長も務める。著書に『迷宮を通り抜ける旅 20世紀のラテンアメリカのフィクション』(1989)、ミゲル・アンヘル・アストゥリアスの『トウモロコシの人間たち』(翻訳と校訂版、1994)などがある。

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(文芸評論家 ジェラルド・マーティン)

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