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「トップの話にろくに耳を傾けず派閥作りする不穏な動き」エアウィーヴ会長が社長や幹部に下した非情の決断

プレジデントオンライン / 2024年8月6日 8時15分

高岡 本州(たかおか・もとくに)エアウィーヴ代表取締役会長兼社長。 1960年愛知県生まれ。85年日本高圧電気入社。87年スタンフォード大学大学院経済システム工学科修士課程修了。日本高圧電気取締役を経て、2004年中部化学機械製作所(現エアウィーヴ)設立。 - 撮影=宇佐美雅浩

■地元のトヨタに憧れ海外進出を果たすが…

企業の修羅場は、経営者が代わったり、新規事業に乗り出したり、市場環境が激変するなど、事業の連続性が途切れたところで起きやすいものです。我々の場合は2014年から、1回目の米国市場進出を目指したときに、修羅場の火種が生まれました。

エアウィーヴは、私が伯父の経営していた釣り糸の押出成形機械の会社を引き受け、07年から寝具の製造販売を始めました。寝具業界にはゼロから参入したので、販路開拓には苦労しました。ただ、コツコツと努力を重ねて売り上げを伸ばしていきました。

11年に販促活動の成果が見えたところで10店舗から30店舗に、さらに12年には一気に100店舗へと拡大させて、国内事業の基盤を整えました。そこで「次は米国進出だ」となったわけです。

私は愛知県の出身で、名古屋の私立東海中学校・高等学校に通いました。土地柄から「親の会社はトヨタと関係がある」という同級生がたくさんいて、経済的にも恵まれた家庭の子が多かったように思います。そこでトヨタの歴史を調べ、豊田喜一郎さんが織機の会社を受け継いで自動車造りに舵を切り、クラウンを米国で走らせ散々な評価を受けるも、諦めず世界で認められるメーカーに育て上げていく立志伝を知ったのです。難しい市場への挑戦で、世界を喜ばせる。「自分もこんな経営者になりたい」と憧れを抱きました。

そんな若者だった私も、運よく自分で事業を興し、皆さんに知ってもらえる会社に育てることができました。そのまま国内でやっていれば、安定して事業を継続できたはずですが、私はチャレンジがしたかった。「国内でこれだけお客様に喜ばれる製品を作ったのだから、海外でも売れないはずがない。規模は違えど、トヨタのように世界に挑戦してこそ地域や国にも貢献できる可能性が広がるのだ」と思ったのです。

会社は事業の急拡大に合わせて採用を増やしていましたが、成長性に魅力を感じて当社に応募する人もいます。彼らの意欲や才能を生かし、企業としての勢いを維持するためにも、より高い目標を掲げ挑戦していく必要があると思いました。ベッド文化の本場で、3億人の多様な市場がある米国への進出にためらいはありませんでした。

しかし、結果としてこの挑戦はうまくいきませんでした。日本で製造したマットレスを現地でお客様にお届けする過程で破損して返品が相次ぐなど問題が重なり、16年には年間で20億円もの損失を出してしまったのです。

撤退を決め現地の店舗を閉鎖すれば、ひとまず出血は止まります。問題は私が海外に出ずっぱりだった3年の間に国内の売り上げがみるみる落ちて、事業基盤がすっかりダメになってしまっていたことでした。

海外進出にあたり、私は14年に社長を辞し会長職に退きました。日本では職位によって、仕事の範囲や社会的な扱いが異なります。私が海外事業に本腰を入れれば、国内事業が手薄になってしまいます。周囲からも「稼ぎ頭である国内市場をおろそかにしている」と見られかねない。そこで国内事業は新しい社長に任せ、私は米国でのビジネスに集中できる体制にしたのでした。

ただ、その任せ方が悪かったのかもしれません。会社全体がブームで得た知名度に胡坐(あぐら)をかいて、販売の地道な努力をしなくなっていたのです。米国から引き揚げてきて国内の店舗を訪れてみると、売れるはずの商品が効果的に展示されていません。店内にお客様がいるにもかかわらず、販売員は気付かずにお喋りに興じています。

なぜ販売の現場はこんな惨状になってしまったのか。原因を探っていくと、複雑な事情が絡んでいました。

一つは人心掌握上の問題です。私は国内をほぼ留守にして、国内事業の人事にも経営にもほとんど口を出さずにいました。すると私が何か言っても、ろくに耳を貸さない役員が現れたのです。一致団結して立て直さなければならないのに、派閥のようなものをつくろうとする動きもありました。

3年の間に、社内には創業期を知らない社員も増えました。自分たちの商品は売れるのが当たり前と勘違いして、売るために何をしなければいけないかを身をもって知る社員が少数派になっていたのです。

■会社を発展させるより父が大切にしたこと

エアウィーヴにはマットレス一つとっても約10万円から100万円まで幅広いラインアップがありますが、販売員が丁寧に説明しなければお客様には機能の違いが伝わりません。機能と価格にご納得いただけるからこそ高価格な商品でも買っていただけます。また、寝具は商品をお届けした後には他商品と比較する機会がない。店舗での商品説明は、商品を選んでいただく最初で最後のチャンスなのです。

ところがこの頃、店舗にいる社員はアパレル業界からの転職者が多数を占めていました。衣料品の販売には、機能を説明して売るという手順が少なく、お客様の好みや感覚、値ごろ感が重視されます。本来なら転職者には、入社後に当社の店舗販売における要点を伝える必要があったのですが、教育が徹底されていませんでした。派遣やアルバイトの比率も増えていましたが、彼らは商品について勉強し、接客技術を磨く必要性を理解していませんでした。創業期を知らない社員やスタッフが増えた一方で、お客様に選んでいただくために試行錯誤をしてきたことが共有されなかった結果、お店が荒れ放題になっていたのです。

このままでは会社が潰れてしまうかもしれない。私は父がことあるごとに言っていた言葉を思い出しました。

「会社は絶対に潰したらいけない。会社が潰れたら一家は離散して、取引先にも従業員にも迷惑がかかるんだ」

高岡家は祖父の時代に電気機器の会社を創業したものの、その後事業に失敗しています。会社を再興した父は相当に苦労して事業を立て直し、私たちを不自由なく育ててくれたのです。父の助言は受け継がれ、私自身も会社を発展させるよりも、潰してはいけないという思いが強かった。

相当な危機感と覚悟をもって、改革に着手しました。安定した環境に胡坐をかいた幹部を交代させ、社長にも辞めてもらい、私が会長兼社長として現場に復帰しました。

社長就任後に着手したのは店舗改革。経営を立て直そうにも、お客様の情報が入らないことには手の打ちようがありません。新しく任命した幹部を10人ほど引き連れ、毎週のように現場を回りました。展示や陳列を見直し、売り場のスタッフには商品説明をさせて、営業の大切さを説いて回ったのです。

販売現場を訪問する高岡氏。創業期を知らないスタッフが増えた現場の立て直しは急務だった。
提供=エアウィーヴ
販売現場を訪問する高岡氏。創業期を知らないスタッフが増えた現場の立て直しは急務だった。 - 提供=エアウィーヴ

続いて、工場の改革にも着手しました。非効率がまかり通っていましたので、作業工程を一から見直し、問題点を洗い出していきました。

実は、現在の主力製品である「3分割マットレス」のアイデアのヒントは、この視察の従業員の声から得ました。エアウィーヴは連続して機械から出てくるものを規定の大きさに切断して作るのですが、従業員から「大きく重いので取り扱いが大変です」という声を聞いたのです。それなら小さく切断すればいいのではと試してみたところ、作業工程が効率化しただけでなく、輸送時の破損が防げたり、硬さの異なる3つのブロックの配置を変えることで最適な寝心地にカスタマイズできる新たな商品が生まれました。

営業現場の立て直しと新製品の開発で業績は回復、ギリギリのところで危機を脱することができました。現在では、パリ2024オリンピック・パラリンピックへの協賛を皮切りに、再び海外市場に挑戦しています。難しい市場への非連続な挑戦があるからこそ、世界を喜ばせる新製品が生まれる。若き日に憧れたトヨタの経営者の哲学を、私も日々実感しています。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年8月2日号)の一部を再編集したものです。

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高岡 本州(たかおか・もとくに)
エアウィーヴ会長兼社長
東海高校、名古屋大学工学部卒業。慶應義塾大学大学院、スタンフォード大学大学院修士。日本高圧電気社長(現任)を経て、2004年からエアウィーヴ社長。

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(エアウィーヴ会長兼社長 高岡 本州 構成=渡辺一朗)

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