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「日々の仕事を真面目にこなす官僚」の屍が積み上がっていく…"財務省の権力"衰退後に跋扈する官僚の正体

プレジデントオンライン / 2024年8月2日 9時15分

財務省(2022年10月20日) - 写真提供=© Stanislav Kogiku/SOPA Images via ZUMA Press Wire/共同通信イメージズ

財務省の力が落ちたと言われるのは本当なのか。元労働省キャリア官僚で神戸学院大学教授の中野雅至さんは「財務省はかつてのような力を失いつつある。首相・官邸に権力が集中するようになったのが背景の一つだ。今や『官邸官僚』が力を持つようになっている」という――。

※本稿は、中野雅至『没落官僚 国家公務員志願者がゼロになる日』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

■財務省の力は落ちたのか

霞が関ではしばしば栄枯盛衰が語られる。それだけ権力とは変動が激しいことを反映しているのか、それとも、日々の仕事に虚しさを感じる役人が多いのか、あるいは、権力好きが多いからこそ、栄枯盛衰を語りたくなるのか……。

それでは改めて、権力とは何か?

マスコミで脚光を浴びる政治家を思い浮かべた皆さんも少なくないと思われるが、霞が関では、どこの役所に力があるのかという話もよく聞かれる。ただ、役所という組織を論じる場合のヴァリエーションはそれほど多くはない。決まって聞かれるのは「財務省の力は落ちたかどうか」だ。

明治時代以来、どれだけ時間が経っても、霞が関の省庁間の力学はそう大きく変動していないからだ。戦前は、巨大な内務省(旧自治省、警察庁、旧建設省、旧厚生省、旧労働省を合わせた官庁)が存在し、大蔵省(現在の財務省)と権力の双璧を形成していたが、戦後はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって内務省が解体され、予算・税・民間金融というカネの流れを支配している旧大蔵省=財務省が圧倒的優位に立ったこともあり、どこの役所が優位かを語る意味などそれほどなかった。

■「日本のカネをすべて握っている」役所

ただ、1990年代の行財政改革以降、そんな状況が一変した。財務省を凌ぐ役所が現れたからと言えばそうとも言えるが、そもそも役所の力学自体を論じる意味が薄れたということもある。

なぜ、霞が関の権力力学は、それほど激しく変化したのだろうか?

財務省の力の源泉については拙著(2012)も含めて数々の書籍や論評があるが、ごく簡単にまとめれば、次のようになるだろう。

日本のカネをすべて握っていること。民間金融機関に関しては金融庁に業務が移管されたものの、予算、税、国際金融というお金の流れは財務省が掌握している。

予算を握られているため、他省庁は財務省に頭が上がらない。それは検察や警察という超権力機関も同じだ。財務省絡みの事件が起きる度に、手が出せないんじゃないかという噂がまことしやかに流れるのは、他省庁の予算に大きな影響を与えているからだ。それを反映しているのか、並びや均衡を重視する霞が関にあって、財務省だけは一段格上の扱いになっており、各省事務次官に対応するのは財務省事務次官ではなく主計局長である。

■政財官に情報網を張り巡らす財務省

予算と主計局の存在ばかりが目立つが、税を握っていることも財務省を支える大きな権限である。これも嘘か実(まこと)か、財務省に逆らう政治家には国税が税務調査に入ってネチネチ締め上げるといった都市伝説がまことしやかに囁かれるからだ。真偽はさておくとして、噂が立つだけでも、財務省にとっては大きな力の源泉になるだろう。いや、噂だからこそ、財務省が得体の知れない存在に見えると言うべきか。

政財官やマスコミを問わず、重要な情報はすべて財務省に集まると言われるほど、情報収集能力に優れていることも力の源泉だ。「これは先生だけにお教えする極秘の機密情報です」と耳元で囁くや否や、政治家はあっという間に財務省に籠絡(ろうらく)される。いや、そんなにすごくないだろうという意見がある一方で、集まってくる情報を一枚のペーパーに簡潔にまとめあげ、的確に耳打ちして政治家をたらし込む力については誰も異論を差し挟まないだろう。

オフィスの窓際で話し合う二人のビジネスマン
写真=iStock.com/Robert Daly
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Robert Daly

政財官にさまざまな情報網を張り巡らし、政治や行政の基本的インフラとして機能していることも大きい。そこには頼れるシンクタンクの機能も付加されている。財務省に何かを頼めば、何らかの答えが返ってくるため、政治家は何か問題が起きる度についつい依存したくなってしまう。

■財務省主導システムは「都合の悪いもの」ではなかった

その一方で、財務省主導システムはどこの役所にもそれほど都合の悪いものではなかった。財務省が威張り散らして君臨するとはいっても、他省庁を支配するような強固なものではないからだ。

自民党一党優位体制の下では、政権与党の力は大きく、財務省も一官庁にすぎない。そのため、どこの役所も族議員と言われる応援団のような議員を使って、財務省に揺さぶりをかけることができる。予算は前年踏襲主義なので、大きく削減されることがない。土下座してまで予算を認めてもらうというものでもない。他省庁にとって、財務省は使いやすい武器でもある。例えば、政治家や業界から補助金を増やせと圧力をかけられたとしても、「財務省が拒否しています」を言い訳にできる。

基本的にはみんなが利益を得るからこそ、財務省優位の各省割拠システムは維持されてきたのだ。だが、バブル経済崩壊後、これが大きく変化した。一言で言えば、財務省はかつてのような力を失いつつあるということだ。

なぜ、財務省システムは崩壊したのか? その一方で、財務省に代わる役所は出現しているのだろうか。

■役所ごとの利権が消滅しつつある

それを論じるに当たっては、政治や行政改革で大きな地殻変動があったことを、まず取り上げる必要がある。端的に言えば、ごく一部を除き、各省の力学を論じる必要性が非常に薄れたということである。

天下り斡旋の禁止、規制緩和、外郭団体の改革などで、役所毎の利権が消滅しつつあるのが最大の理由だ。2023年は久々に天下りが大きな話題となった。国土交通省の旧運輸省系官僚の天下りが世間を騒がせた。ただ、あの種の役所絡みの利権が残っているのは珍しく、どこの役所でも組織ぐるみの利権は姿を消しつつある。そのため、組織をあげて利権を守るために政治家や政権与党や官邸を支えるといったことは、もはや起こりにくい状況になっている。

個々の官僚にしても事情は同じだ。組織のために働いたとしても、何か見返りがあるわけでもない。首尾良く官邸に入り込んだとしても、天下り先もなければ、出世を見込めるわけでもなければ、わざわざ出身省庁に忠誠を尽くす必要などないだろう。

屋外の階段を上るビジネスマンの足元
写真=iStock.com/hxyume
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/hxyume

■首相・官邸に権力が集中するようになった

二つ目は、政治主導システムで官邸が大きな力を持つようになったことだ。小選挙区制度と政治主導システムの導入によって、官僚だけでなく、かつては総理や大臣でさえ一目置いた族議員も姿を消した。小選挙区制度では党首が誰かによって選挙結果はオセロのように入れ変わるし、公認するかどうかは党首と蜜月関係にある幹事長の意向次第。いくら実力者の族議員といえども、党首である首相には逆らえない。選挙結果や派閥に依存するとはいえ、自民党総裁でもある首相・官邸に権力が集中するようになった。

この二つの大きな地殻変動の結果、霞が関の権力構造にどういう変化が生じたか?

官邸と距離の近い者が力を持つようになった。財務省や経済産業省(経産省)、外務省といった有力官庁は首相秘書官を出すなど、従来から官邸との距離が近かったが、その性格は大きく変化している。かつて各省は官邸の動向を探るために首相秘書官を出していると言われたが、今現在は、首相や官邸の意向を素早く捉えて忖度することに必死だ。立場が完全に逆転したのである。その結果、もともと官邸との距離が近かった役所だけでなく、個人的に関係を築いてきた者が大きな権限を握るように変化しつつある。

■「官邸官僚」の誕生

もう一つは、役所の序列を論じる意味が薄れたことだ。1990年代までは財務省主導システムで、時折、新技術や産業の出現というフロンティアで急速に力を持つようになった役所などが勃興することがあった。例えば、筆者が所属していた旧労働省は「三流官庁」と揶揄されたものだが、労働者派遣事業が現れ出した頃、半ば冗談ながら「労働省にも影響を及ぼすことができる産業や利権が出現した」と語っている人がいた。旧郵政省も有力な官庁ではなかったが、テレビ局への許認可と政治力のある特定郵便局を抱えていることで大きな力をもった。組織としての利権が官僚個々人に幅広く均等に配分されなくなった結果、もはや、組織を論じる意味が薄れた。

それでは、官邸主導システムに支配された霞が関の力学をどう読み解けばいいのか?

基準が官邸への距離感であることは同じだが、官僚個々人の力量と政策分野が格段に重要度を増しているというのが結論になる。

「官邸官僚」という言葉がすべてを象徴している。もはや出身省庁での出世や事務次官への忠誠など何の役にも立たない。自分を犠牲にして職場に尽くして出世したとしても、官邸から下りてくる仕事をやらされているだけ。そういう状況を脱するだけでなく、一省庁にとどまらない活躍をするためには、官邸の覚えめでたき官僚となることが重要だ。

■権力と栄達を求める官僚にとっては最高の時代

ブラック霞が関で疲れ果てている官僚や、平凡な日常生活と些細な出世を願う官僚はいざ知らず、権力と栄達を求める官僚にとって、今ほど良い時代はないとも言える。官邸に絡んだ大きな仕事ができるだけでなく、何かと役所に難癖をつけてくる族議員から文句をつけられるどころか、官邸の意向だと命令することさえできる。

中野雅至『没落官僚 国家公務員志願者がゼロになる日』(中公新書ラクレ)
中野雅至『没落官僚 国家公務員志願者がゼロになる日』(中公新書ラクレ)

その意味では、やる気のある官僚は日々、仕事をこなしながらも、虎視眈々と、有力政治家と近付きになれる機会をうかがったり、内閣府や内閣官房など官邸に近付ける場所への出向を狙ったりしている。その一方で、受験秀才で真面目が取り柄の官僚(正確に言えば、日々の仕事を真面目にこなそうとする普通の官僚)の屍(しかばね)が積み上がっていくということになる。

もう一つは、これまでのような役所の利権ではなく、政策分野の重要性に応じて、各省が置かれる立場が大きく変化しているということだ。それは新しく創設された役所や大臣の数から推測できるし、官房副長官や首相秘書官などの官邸直結の主要ポストに就いている政治家の格などからも推測できる。

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中野 雅至(なかの・まさし)
神戸学院大学現代社会学部 教授
1964年奈良県大和郡山市生まれ。同志社大学文学部英文科卒業、The School of Public Polich, The University of Michigan 修了(公共政策修士)、新潟大学大学院現代社会文化研究科(博士後期課程)修了。経済学博士。大和郡山市役所勤務ののち、旧労働省入省(国家公務員I種試験行政職)。厚生省生活衛生局指導課課長補佐(法令担当)、新潟県総合政策部情報政策課長、厚生省大臣官房国際課課長補佐(ILO条約担当)を経て、2004年公募により兵庫県立大学大学院応用情報科学研究科助教授、その後教授。14年より現職。07年官房長官主催の「官民人材交流センターの制度設計に関する懇談会」委員、08年からは国家公務員制度改革推進本部顧問会議ワーキンググループ委員を務める。『天下りの研究』『公務員バッシングの研究』『没落するキャリア官僚』といった研究書から、『1勝100敗! あるキャリア官僚の転職記』『政治主導はなぜ失敗するのか?』『財務省支配の裏側』など一般向けの本も多数執筆。

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(神戸学院大学現代社会学部 教授 中野 雅至)

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