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わが子の「国語の点数が低い」原因はこれしかない…「読書好きな子」なのに国語が苦手になる意外な理由

プレジデントオンライン / 2024年8月1日 8時15分

「多読」では国語の成績は上がらない(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/takasuu

子どもの国語力を伸ばすにはどうすればいいのか。横浜国語研究所代表取締役の福嶋隆史さんの書籍『塾へ行かなくても得点力がぐ~んと上がる!ふくしま式で身につく!国語読解力』(大和書房)より、国語力を伸ばす秘訣をお届けする――。

■読書は好きなのに国語の成績が上がらない

「うちの子、国語の成績がなかなか上がらないんです。読書は好きなほうなんですが」

これは、私の塾に入門してくる小学生のお母さんの言葉です。

半数以上の方が、このように話します。

皆さんが強調するのは、「読書は好きなほうなんですが」の部分です。

読書をしているんだから、国語力が自然に身についてもおかしくないはずなのに。

そんな思いが感じられます。

しかし、まずここに一つ目の勘違いがあります。

いわゆる読書というのは、「多読」のことです。一ページごと、一段落ごとに立ち止まって詳しく検討するような「精読」とは異なる、量を優先した読み方です。

■「多読」では国語の成績は上がらない

一方、国語のテストで求められるのは、「精読力」です。

どんなに多読を繰り返しても、意図的な精読の練習を積まない限り、そう簡単に成績は上がりません。

しかも、小学生の読書と言えば大半が物語文です。

精読力を磨く際にまず読むべきは、論理的な筋道が明快に示されている「説明的文章」であり、それがあえて隠されている「文学的文章」ではありません。

どんなに物語文を多読しても、国語の成績には直結しないのです。

■国語はセンスの科目ではない

「うちの子は、日記や作文を書くのは意外に好きなんです。でも、どうにもセンスがなくて……」

これまた、お母さん方の言葉です。ここにも大きな勘違いがあります。

国語は、センスの科目ではありません。

指をクロスさせて否定を伝えるビジネスウーマン
写真=iStock.com/takasuu
国語はセンスの科目ではない(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/takasuu

国語は、論理の科目です。

もちろん、センス(持って生まれた感性あるいは才能)というものの存在を、私は否定しません。そういったものから目を背け、「どんな子にも絶対に無限の可能性がある!」などと言い放つつもりはありません。

しかし、「国語はセンスだ」と思い込むあまり、国語力を伸ばす余地がまだまだあるにもかかわらず、早々とあきらめてしまっている人がたくさんいるのも事実です。

■「国語の勉強法は読書しかない」は誤解

そもそも、言葉というものは後天的に身につけるものです。

生まれながらに言葉を操作する技術を身につけている子なんて、どこにもいません。

国語力を高めるために「今」から手を打つということは、決して無駄なことではなく、むしろ実行する価値のあることなのです。

先ほど、「読書をすれば国語力は上がる」という誤解について書きましたが、「読書」については、次のような誤解もよく見聞きします。

「結局のところ国語の勉強法は読書しかない。それ以外に勉強法なんて存在しない」

読書万能主義とでも言いましょうか。

こういう考えを信じている限り、国語力は永遠に伸びないでしょう。

■国語の公式をマスターしよう

算数の勉強法と言えば、公式を覚え、それを活用する練習を積むことです。

同様に、国語の勉強法も、公式を覚え、それを活用する練習を積むことです。

いわば“国語の公式”をマスターすることこそが、国語の勉強法なのです。

数式と方程式で満たされた黒板
写真=iStock.com/nicolas_
国語の公式をマスターしよう(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/nicolas_

“国語の公式”だなんて、大げさな表現だと思うかもしれません。そんなもの、あるはずがない――そう思うのも、無理はありません。何しろ、それを明快に教えてくれた人、あるいは本は、これまで皆無に近かったはずですから。

しかし、この本を最後までお読みになったとき、その思いはきっとくつがえされていることでしょう。

国語の公式。それは、言いかえれば「言語技術」です。

そう、国語科とは、技術を学ぶ科目なのです。

子どもの国語力を伸ばしたいのなら、まず何よりも、この点を意識する必要があります。

では、その技術とはいかなるものなのか? それを、次にご説明します。

■「国語力」は存在しない

「国語力とは何か」という問いに対し、あなたならどう答えますか?

作文力・読解力・表現力・コミュニケーション力? いずれも、答えになりません。

では、「話す力・聞く力・書く力・読む力」はどうでしょう。

これらは学習指導要領における国語科の分類です。しかし、これとて定義にはなり得ません。

そもそも「力」とは、「なんらかの技術を使いこなすための能力」のことです。技術そのものの姿がぼやけている限り、それは、実体を持たないあいまいな“代名詞”にすぎません。話す力って、具体的に「何をどうする能力」なのでしょうか? 聞く力は? 書く力は? 読む力は?

どれも、具体的な技術の「形」が、ぼんやりしています。「野球力」「バスケットボール力」などという言葉が奇妙であるのと同様、「書く力」「読む力」などという言葉もまた、奇妙なのです。

「野球力」「バスケットボール力」の正体は、投力、打力、走力、跳躍力など、個々の運動技能です。

同様に、「国語力」もまた単なる“代名詞”です。それは「運動力」のようなものであり、実体を持ちません。つまり、「国語力」なるものは存在しないのです。

■「受信」「発信」が国語力の正体

「国語力」を伸ばしたいのなら、その“本体”である「個々の技能」を伸ばす以外に手はありません。

では、「国語力」における「技能」の正体とは、何なのでしょうか。

「国語力がある」とは、どんな状態を言うのでしょうか。

相手の言葉を、整理して「受信」することができる。

自分の言葉を、整理して「発信」することができる。

それが、「国語力がある」という状態です。

「受信できる」イコール「聞く力・読む力がある」ということです。「発信できる」イコール「話す力・書く力がある」ということです。

■「論理的思考」実は単純明快

大切なのは、「整理して」の部分です。

国語力が低いと、相手の言葉も自分の言葉も、整理することができません。そうなると言葉は混乱する一方となり、すべてが難しく見えてきます。整理が必要です。

「理」は「筋道」を意味します。筋道を整えること。それが「整理」です。

そして、「論理」もまた同様の意味を持ちます。

論理的思考とは、筋道を整えていくことです。

論理的思考とは、混乱したことを整理し、難しいことを単純にしていく作業です。

多くの方は、「論理的思考」という言葉を聞くと「難しそう」というイメージを抱くようですが、実は全く逆。

論理的思考の方法を学べば学ぶほど、ものごとは単純明快になっていきます。

そして、その論理的思考の方法それ自体も、実は単純明快な構造をしています。

■「関係」を見つけ出し整理すること

論理的思考とは筋道を整えることである、と書きました。

では、「筋道」とは何でしょうか。

それは、「関係」のことです。

「みかん・バナナ・ぶどう」と「果物」の間には、「同等関係」があります。

福嶋隆史『塾へ行かなくても得点力がぐ~んと上がる!ふくしま式で身につく!国語読解力』(大和書房)
福嶋隆史『塾へ行かなくても得点力がぐ~んと上がる!ふくしま式で身につく!国語読解力』(大和書房)

「白」と「黒」の間には、「対比関係」があります。

しかし「宿題を忘れた」と「叱られた」の間には、「因果関係」があります。

このような「関係」こそが、個々バラバラなものごとを一本の筋道にしてくれます。

すなわち、「論理的思考」とは、「一見バラバラに思える言葉や考えの間に関係を見つけ出し、それを整理すること」であり、「論理的思考力」とは、そのための技術を使いこなすための能力、ということになるわけです。

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福嶋 隆史(ふくしま・たかし)
ふくしま国語塾主宰、横浜国語研究所代表取締役
1972年、横浜市生まれ。早稲田大学第二文学部を経て創価大学通信教育部(教育学部)卒業。公立小学校教師を経て、2006年「ふくしま国語塾」を創設(JR東戸塚駅・徒歩2分)。「ふくしま式」問題集シリーズ(大和出版)など著書多数。

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(ふくしま国語塾主宰、横浜国語研究所代表取締役 福嶋 隆史)

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