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NHK大河ドラマですべては描かれない…「皇后定子の亡霊」に悩まされ続けた藤原道長の8年間

プレジデントオンライン / 2024年7月28日 18時15分

2023年11月16日、「ディオール ホリデー ポップアップ」のプレビューを訪れた高畑充希さん(東京都港区のOMOTESANDO CROSSING PARK) - 写真=時事通信フォト

平安時代の最高権力者、藤原道長が恐れていたものとは何か。歴史評論家の香原斗志さんは「一条天皇の皇后、定子だろう。権力を掌握する上で最大の障壁だった彼女が亡くなった後も、彼女の亡霊に長い間苦しめられた」という――。

■「一帝二后」を強行した道長の狙い

NHK大河ドラマ「光る君へ」の第28回(7月21日放送)のタイトルは「一帝二后」だった。

一条天皇(塩野瑛久)の正妻は、ずっと定子(高畑充希)ひとりだけだった。道長の長兄である道隆(井浦新)が、3つある后の枠に空席がないにもかかわらず、皇后の別称であった「中宮」という地位をあらたに設け、長女の定子を押し込んでいた。

以来、道隆が死去しても、兄の伊周(三浦翔平)と弟の隆家(竜星涼)が不祥事を起こしたのを受け、ほかならぬ定子が出家しても、彼女は中宮のままだった。当時、出家をしてしまえば離縁したのと同様にみなされ、公卿たちが定子を見る目には厳しいものはあった。だが、それでも正妻。一条天皇は、そんな彼女を寵愛し続けた。

そこに道長は、まだ数え12歳の長女の彰子(見上愛)を入内させた。さらには陰陽師の安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)の勧めにしたがい、定子を皇后にし、彰子を中宮にした。すなわち、ひとりの天皇の下に正妻を2人置くという「一帝二后」を実現させてしまった。

道長の動機は、ドラマではあくまでも「国家安寧のため」で、私心はないとされている。だが、現実には、道長の権力を安定させるためだったと考えられる(もっとも、そのことが国家安寧にもつながるのだが)。

それはともかくとして、「一帝二后」の状態は長くは続かなかった。彰子が中宮になったのは長保2年(1000)2月25日だが、その年の12月16日、定子は亡くなってしまったからである。

■定子が亡くなった夜に道長が見た怨霊

ドラマでも描かれたが、定子は3人目の子を身ごもっていた。そして、第二皇女の媄子を出産したのち、後産が下りずに命を落とした。享年は数えで24歳という若さだった。

道長は定子の死に安堵したことだろう。すでに彼女は一条天皇の第一皇子である敦康親王を出産していた。このまま敦康親王が春宮(皇太子)になり、即位をすれば、伊周ら中関白家の面々が外戚として力をもちかねない。そうなれば、道長は立場を追われるかもしれない。

だからこそ、彰子を中宮にして一条天皇にプレッシャーをかけ、財力に頼って彰子のサロンを、一条が惹きつけられる魅力的な場として整えようとした。しかし、定子さえいなくなれば、敦康親王は存在しているものの、彰子が一条の皇子を出産する可能性も出てくるだろう。

【図表】藤原家家系図

ところが、道長はその後も定子に苦しめられることになった。まず、定子が亡くなった長保2年12月16日のこと。悲報を受けた一条天皇は、最高権力者である左大臣道長を内裏に呼んだが、そのとき道長は自邸で怨霊に襲われ、参内できる状況ではなかったというのである。

しばらくして参内した道長が語った内容が、ドラマでは渡辺大知が演じている藤原行成の日記『権記』に記されている。それによれば、女官の藤典侍がなにかを手にして道長に襲いかかってきたという。道長はそれを「怨霊」と認識。具体的には、最初に放った言葉から長兄の道隆の霊のようで、また、次兄の道兼の言葉のようでもあったという。

■実は病弱だった道長

これについて、山本淳子氏はこう書く。「定子は道長にとって、小癪にも天皇に愛され続け、后として復活までして彰子の前に立ちはだかる邪魔者だった。道長は露骨に定子をいじめた。その定子の崩御は、またしても彼に転がり込んできた稀有な〈幸ひ〉だった。しかしそれは、これまでの〈幸ひ〉と同様に、人の死という不幸であった。おそらく道長は疚(やま)しさから恐怖に怯え、女官・繁子(註・藤典侍のこと)に起こった何らかの異常事態を道隆らに結び付けて、霊による報復と確信したのである」(『道長物語』朝日選書)。

話は前後するが、第28回「一帝二后」では、道長が倒れて一時は危篤になる場面も描かれた。「光る君へ」のなかでは、これまで道長は健康な青年として描かれてきたが、史実の道長は生涯にわたって何度も倒れており、かなり病弱だった。

実際、一帝二后が実現しておよそ2カ月を経た4月23日にも発病。続いて5月19日には、次兄の道兼の怨霊が道長に憑き、25日なると、今度は長兄の道隆の霊が乗り移ったという。後者については、行成の『権記』によれば、「伊周をもとの官職、官位に戻せば、道長の病も癒える」と、道隆が道長をとおして訴えたという。

まだ定子への「いじめ」を続行している最中にも、道長はそれに対する疚しさ、うしろめたさを感じ、体調を崩したり、定子の親である兄の怨霊が乗り移ったような言葉を発したりしたのかもしれない。

■公家の間に広がる定子への同情

定子の死に衝撃を受けたのは、道長だけではなかった。定子の生前、公卿たちの多くは最高権力者たる道長に同調して定子を邪険にあつかった。それだけに、負い目を感じて、定子への同情を口にするようになったのである。

定子がみずから出家したのだから仕方ないのだが、その結果、宮廷では一条天皇と事実上離縁しているものとみなされ、生前の定子を周囲は尼扱いした。その急先鋒が天皇の秘書官長である蔵人頭だった藤原行成だった。

道長が一帝二后を実現した際、ドラマでも描かれたように一条天皇を説得したのが行成で、その理屈は以下のものだった。后には皇室の神事を行う任務があるが、出家して仏道に帰依している定子は、神事に携わることができない。だから別に后が必要だ――。要は、定子をもっとも尼扱いしたのが行成だった。

一条天皇像(部分)
一条天皇像(部分)(写真=天皇一二四代 別冊太陽 平凡社/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

ところが、定子が亡くなったその日、彼の日記『権記』には「長徳二年、事有りて出家、其の後還俗」と書かれている。しかし、彼女が正式に還俗したという記録はない。おそらく行成も、定子を尼扱いした疚しさから、還俗していたことにしたのだろう。

■一条天皇の寵愛は定子の妹に

こうした空気は宮廷全体のものになった。たとえば、翌長保3年(1001)10月23日、内裏で庚申待(庚申の日に神仏を祀って徹夜する行事)が行われ、管弦が奏されたことに対して、皇后定子は国母なのに、その喪が明ける前にもう音曲とはなにごとか、という声が上がったという。これも行成が『権記』に記している。

このように定子は、亡くなって1年近く経って、生前よりも強い影響力を放つようになった。道長にとって定子の死は、客観的には、長期的な政権構想のなかで〈幸い〉であったに違いないが、短期的には悩ましく、その存在は脅威を増した面もあったのである。

また、一条天皇は、別の意味で定子に執着し続けた。定子の父である道隆の四女、すなわち定子の末妹の御匣殿(みくしげどの)を寵愛するようになったのだ。

御匣殿は定子から敦康親王の養育を託されてはいたが、入内していたわけでもない。しかし、とにかく一条天皇の寵愛は彼女に向かった。面影に定子を見たのかもしれない。そこで道長は、敦康親王を御匣殿から引き離し、彰子に育てさせることにした。

それでも一条の寵愛はやむことがなく、長保4年(1002)、御匣殿は懐妊した。むろん、道長は恐れをなしたことだろう。

■約8年間亡霊に苦しめられた

一方、第28回で定子が死んだ際も、道長への恨みを隠さなかった伊周は、今度こそ立場を挽回するチャンスと思ったことだろう。皇子の誕生を期待して、妹の御匣殿を自宅に迎え入れた。しかし、彼女は急に体調を崩し、数日寝込んでから息を引き取ってしまった。

結局、道長はこうして、寛弘5年(1008)9月11日に彰子が敦成親王を出産するまで、定子の亡霊に苦しめられたのである。

その前年には、道長は彰子の懐妊を願うべく、険しい山道を登って、山岳修験道の聖地である金峯山(奈良県吉野町)に詣でた。『大鏡』によれば、その道中で伊周が不穏なことを企てているという情報があり、かなり警戒を強めたという。伊周の執念も、定子の亡霊の一種だといえよう。

伊周の執念は、じつは、産まれてきた敦成親王にも向かおうとしていたようだ。敦成が生まれた翌寛弘6年(1009)、伊周の母方の関係者が、道長、彰子、敦成を呪詛しようとしたとして逮捕され、伊周も参内を禁じられた。定子の亡霊は、敦成親王が生まれてなお、健在だったといえようか。

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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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