インド洋には「行ってはいけない島」がある…"北センチネル族"がよそ者を強く拒絶するようになった悲しい歴史
プレジデントオンライン / 2024年8月10日 10時15分
※本稿は、マキシム・サムソン著『世界は「見えない境界線」でできている』(かんき出版)の一部を再編集したものです。
■“非接触”を維持している先住民グループ
――ジョン・アレン・チャウ(宣教師)
グローバル化した社会において、地球にはもはや未踏破の場所は残っていないと思うかもしれない。だが実際は、“非接触”を維持している先住民グループが少なくとも100は存在すると考えられている。
現代世界との交流を望んでいない人々や、その必要性を感じない人々と、調和――あるいは少なくとも共存――していくにはどうしたらいいのだろうか。そもそも、私たちは彼らとの交流に取り組むべきなのだろうか。
■インド洋のベンガル湾にある「北センチネル島」
北センチネル島は、公式にはインド洋のベンガル湾にあるアンダマン・ニコバル諸島の一部だが、文明の年代がまったく異なるグループを隔てる境界線を引くという難問に関するきわめて興味深い一例になっている。
行政レベルで見ると、近代国民国家の国境内にあるにもかかわらず、北センチネル島はインド政府やその他の外部関係者の干渉から保護されており、島民ではない人間が、この島の5キロメートル以内に立ち入ることを禁止されている。
島民が、現代社会のほかのどの人間とも言語を共有しておらず、本格的な接触を求めていないことを踏まえると、彼らがこの法的措置に気づいていないか、無関心であると考えるのが妥当だろう。そこには、世界とのかかわり方がまったく異なる者同士のあいだに境界線を引くことの皮肉が表れている。
といっても、そういった境界が取るに足りないものであるというわけではない。ジョン・アレン・チャウというキリスト教の宣教師が、2018年11月に苦難の末に知ったように、厳重に守られているこの境界は間違いなく双方に認識されているのである。
■高齢の夫婦と4人の子供を誘拐した事件
26歳のチャウは、多くの人々にとって世界の相互接続性の象徴である米国の出身だった。彼は、北センチネル島と“残りの世界”を隔てる見えない境界線をまたいだ最初の人間ではなく、そのために命を落とした最初の人間でもなかった。
それでもチャウを特異な存在にしたのは、自分の意志で境界線を越え、世界中の無数の人々にとってきわめて重要なもの――彼の信仰――を反対側にもたらそうとしたことだった。
チャウに先立って北センチネル島に到着した人々は、だいたいは偶然であるか――1867年のニネヴェ号、1977年のルスリー号、1981年のプリムローズ号といった大型船はみな岩礁に座礁したものだ――人間の差異の“証拠(エビデンス)”を無理に手に入れようとする有害な目的のどちらかだった。
後者の例としては、英国の海軍将校モーリス・ヴィダル・ポートマンらが1880年にこの島に渡り、高齢の夫婦と4人の子供を誘拐した事件が挙げられる。
この遠征は人類学的な調査が目的だったようだ。ポートマンらは誘拐した島民を50キロほど離れたアンダマン・ニコバル諸島の首都ポート・ブレアに連れて行ったが、免疫のない大人はすぐに病気にかかって死亡した。
■よそ者が強く拒絶されるようになった
ポートマンらは、誘拐した子供たちを贈り物とともに急いで島に返した。しかし、子供たちが島に病気をもたらし、ほかの島民が犠牲になった可能性は十分に考えられる。
それ以来、よそ者が強く拒絶されるようになったのは驚くに当たらない。その他の偶然の遭遇としては、近くの流刑地から逃亡した囚人とふたりの漁師が、それぞれ1896年と2006年に、殺害されたか、殺害を強く疑われている事件がある。
接触を持った人や生還した人の話を通して、外部の世界は北センチネル島の島民(センチネル族)に関する情報を集めた。
たとえば、農業の代わりに狩猟採集を行っているという話から、“石器時代”の人間のような生活だと言われることがあったが、実際はそうではなく、難破船の金属から矢をつくるなど、近代的な素材を生産的に再利用しているらしい。
また、小型で細いカヌーのような舟もつくっており、パント舟(訳注:両端が方形の浅い平底の小舟)の要領で長い竿を使ってこの舟を漕ぎ、槍やナイフ、弓矢を運んでいる。衣服は、腰ベルトか紐、ネックレス、ヘッドバンドくらいだ。差し掛け小屋、生はちみつ、野生の果物、漁網、木製のバケツが、インド国立人類学研究所のトリロクナス・パンディットによって確認されている。
■長く友好関係を築いてきた研究者
パンディットは、25年間近く、たいていは遠距離で島民とかかわりながら、誰よりもこの隠遁的なコミュニティと友好関係を築いてきた。
彼と研究仲間は、弓矢の攻撃や卑猥なジェスチャーなど、敵意で迎えられることもあったが(最初の訪問時に同行した警察官の何人かが、現在ポート・ブレアの博物館に展示されているセンチネル族のさまざまな品物を押収したことが原因だったのかもしれない)、穏やかな遭遇もあった。
なかでも、1991年に数人の島民が訪問者の小型ボートに平和的に近づいたことは注目に値する。
パンディットはまた、長年にわたって、自分が持っていった贈り物に対する島民のさまざまな反応を書き留めた。島では手に入らないココナッツはもちろん、金属製の深鍋やフライパンは特に歓迎された。一方、1974年の訪問で彼が持って行ったブタと人形は、ただちに槍で突かれて砂に埋められた。このとき同行した『ナショナル ジオグラフィック』のドキュメンタリー映画の監督は、腿に弓矢の攻撃を受けている。
■日常的な問題に関することはほとんど何もわかっていない
北センチネル島に関する私たちのこういった知識はごく限られたもので、それ以外はもっぱら推測に基づいている。
遠くから撮った写真と、人類学者が推定した島の調達可能な食料から、どうやら人口は15人から500人の範囲で、下限に近いそうだ。世帯構造、男女関係、力関係といった日常的な問題に関することはほとんど何もわかっていない。
興味深いもう1つの謎は、人間がこの島に渡った時期だ。しばしば推測されているように、島民は5万5000年以上前から孤立した生活を送っていたのだろうか。それとももっと時代の下った、海水位が低かった頃に陸ランド・ブリッジ橋を通って島に渡ったのだろうか。
衛星画像を見ると、この島が森に覆われており、砂浜とその外側のサンゴ礁に囲まれ、南東端に小島があるのがわかる。しかし、それ以上のことはほとんどわからない。
(逆にセンチネル族の側から見て、訪問者の慣習がいかに謎めいているかを想像してほしい。たとえば、1981年にプリムローズ号の乗組員を救出する際に使用されたヘリコプターの仕組みを理解するのはとても無理だろう)
■どんなに善意ある接触でも島民の迷惑になるだけ
それに、今後すぐに何か新しい発見が得られるとも思えない。パンディットは成功したが、2004年のインド洋大津波の直後、島民の安否確認のために島へ向かった遠征隊が体験したように、現代世界との接触は島民の敵意を呼び起こした(訳注:2004年のスマトラ島沖地震とその後の津波で、北センチネルは大きな被害を受けたと見られる。安否確認のために島に接近したヘリコプターに、島民は弓矢で攻撃をしかけてきた)。
この島の住民がたくましく、よそ者の助けを必要としていないのは明らかだった。事実、2005年以降のアンダマン・ニコバル諸島政府の無干渉政策に後押しされて、このコミュニティが数千年間孤立状態で存続したことと、インフルエンザなど私たちにはありふれた病気が深刻な被害を与えることを考えれば、どんなに善意ある接触であっても島民の迷惑になるだけだ、というのが現在の多数意見になっている。
これまで世界の多くの原注民が入植者に土地を追われ、外界との接触によってアルコール中毒や糖尿病に苦しめられてきた。それを考えると、この(不)活動が最も賢明な方針であるのかもしれない。
■侵入者が酒やタバコや病気を残していくことも少なくない
なおアンダマン諸島では、過去2世紀にわたる部外者との継続的な接触によって原住民の人口が著しく減少している。これはいまなお大きな問題として残っている。
たとえば、ツーリズムは現代の娯楽として深く根づいているが、強い懸念を寄せられることがあり、なかでも当該地域のほかの場所で行われている“ヒューマン・サファリ”は近年激しい議論を巻き起こした。
北センチネル島から近い南アンダマン島と中アンダマン島のジャラワ族の被害は特に深刻だ。ジャラワ族は、足を骨折したコミュニティの若者が1990年代にインドの村の近代的な病院で治療を受けたあと、何世紀も続けてきた孤立の方針をわずかに緩めた。
それにつけこむように、旅行会社は現在、ジャラワ族の居住地域を車で通過するツアーの宣伝を行っている。それはまるで希少動物を探す旅のようであり、ジャラワ族の生存に欠かせない動物に害を与える可能性がある。
さらに、侵入者が地元の木材や野生動物の肉を盗んだり、酒やタバコや病気をあとに残していくことも少なくない。
■事実上の自治社会を構成するセンチネル族
この諸島の自然の美しさは巨大な観光産業に発展する可能性を秘めているが、サバイバル・インターナショナルのような人権機関は、一部の観光客が北センチネル島への接近を試み、観光客と島民双方に危険が生じるのではないかと妥当な懸念を抱いている。
センチネル族の写真を撮ったり、ビデオに撮影したりすることは禁固刑に値する犯罪であり、インドの治安部隊が島の周辺でパトロールを行っている。
しかし2018年になって、インド政府はこの地域の29の島の訪問要件を緩和した。これによって、センチネル族が搾取や望まない関与を受ける可能性が高まった。実際、このパトロールもチャウに突破されたことがあるのだから、同じことが繰り返される可能性は否定できない。
大きさはマンハッタンと同じくらいだが、開発という点で真逆にある北センチネル島は、境界の決定という点において、世界で最も興味深い場所の1つである。インド政府は島民の生存については一定の責任があるのを認めているが、この島が(とりわけ)アッサム州や西ベンガル州のような自治行政区画であるとはひと言も言っていない。
■現代の物の見方や構造を当てはめるのは無理がある
それに対して、センチネル族は自分たちをインドやほかの国の一部であるとは認めておらず、事実上の自治社会を構成している。このことはチャウの死後、インド政府も米国政府も――さらにチャウの家族も――センチネル族を告発しなかったのに、チャウの島への接近を助けた7人の漁師を、彼の命を危険にさらした罪で告発していることからもわかる。
また、漁師たちはセンチネル族がチャウの死体を埋めるのを見ていたのだから、死体の回収は可能と言えば可能だったのだが、島を事実上支配しているコミュニティへの敬意と、島民が免疫を持たない病気を蔓延させてしまうのを恐れて、断念せざるを得なかった。
それを考えると、この境界は島民を部外者や、その統治体制や法体制から守ったり、島独自の法体制を避けるように部外者に警告したりするだけのために存在しているわけではない。“現代世界”に生きる私たちが、社会や協調、交流という概念を理解する手段としても存在しているのだ。
両者の世界観やコミュニケーションのかたちがまったく違うことを考えれば、これは克服するのがきわめて難しい境界であると言える。現代の物の見方や構造を、同じ世界観を共有していない集団に当てはめるのは無理がある。
“北センチネル”や“センチネル族”という呼び名でさえ、彼らが自分たちのことをどう表現しているのかを知ることもできない私たちが勝手に使っているにすぎない。言語とは、世界中の境界を創造し、維持するうえで重要な要素である。
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イギリス信仰学校の入学方針、インドネシアの津波への対応、1933~34年のシカゴ万国博覧会など、さまざまなテーマの学術論文を発表。「宗教と信仰体系の地理学」(GORABS)研究グループの議長。近年、『ユダヤ教育ジャーナル』の副編集長に就任。
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(シカゴ・デポール大学地理学講師 マキシム・サムソン)
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