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痴漢は文化であり娯楽の対象だった…犯罪として取り締まるきっかけとなった男2人による強姦事件

プレジデントオンライン / 2024年8月3日 8時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tsuji

電車内での痴漢の扱いはどう変化してきたか。日本女子大学教授の田中大介さんは「電車が開通した明治時代から、車内での性暴力は少なくなかった。都市部のサラリーマンや労働者が急増し、混雑率が頂点に達した1960年代以降も、犯罪としての取締りが徹底されず、男性誌でも痴漢モノの小説などが娯楽として掲載され、痴漢は女性が『自衛』によって回避すべきものとして語られた」という――。

※本稿は、田中大介『電車で怒られた!「社会の縮図」としての鉄道マナー史』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

■1990年代まで「痴漢に遭うのは女にスキがあるせい」とされた

1990年代になると、痴漢に対する認識・状況が変化しはじめる。たとえば、同時期に「痴漢は犯罪です」というポスターが掲示されるようになった。あまりにもあたりまえのことのようだが、それまでの痴漢に関する言説の状況を考えれば画期的なものであった。

たとえば上野千鶴子は「長い間、痴漢は遭ってあたりまえ、遭うのは女にスキがあるせい、と思われてきました。ですが1990年代に、東京都の地下鉄で『痴漢は犯罪です』というポスターをみたときの感激を、わたしは忘れません」(『女の子はどう生きるか』岩波ジュニア新書、2021)と述懐している。これ以前のマナーポスターでは「痴漢に注意」といういいかたが定番であったが、それは被害者に向けて「自衛」を求めるものだったといえるだろう。それに対して「痴漢は犯罪」は、男性に多い加害者に向けた「戒め」となっており、メッセージの宛先が大きく反転している。

■痴漢行為を注意された男性二人による強姦事件が契機に

痴漢が「犯罪」として広く認識されるようになったきっかけには、1980年代末に発生した、痴漢行為を注意された男性二人による強姦事件がある。この事件を契機として「性暴力を許さない女の会」が発足し、アンケート調査「痴漢のいない電車に乗りたい!」(1995年)が報告書としてまとめられた。

「地下鉄御堂筋事件について」(性暴力を許さない女の会)

調査報告は、各種メディアで取り上げられ、大きな反響をよぶ。警察も痴漢取締り活動を活発化させ、1996年2月に被害者対策要綱が制定されることによって、性犯罪事件対策が大きく進んでいった。鉄道警察隊には痴漢被害相談所がおかれ、痴漢防止活動を紹介する記事も多数掲載されるようになる。1999年の女性誌『オリーブ』の「気になるグッドマナーvs.バッドマナーあなたはどっち?」で、圧倒的1位は「満員電車の中の痴漢」であった。マナーレベルで語られているため移行期といえるが、大きな問題として共有されはじめていたことがわかる。こうして、「2000年代に入ると、それまで恒例行事のようであった男性誌の痴漢に関する記事が激減する」(牧野2019)ようになった。

もうひとつのきっかけは、女性の社会進出にともなう通勤電車における女性乗客の増加である。1980年代の専業主婦世帯と共働き世帯の割合は「2:1」であった。しかし、1990年代になると、「1:1」となり、2019年に「1:2」に逆転している。それにともない、2000年代以降、大都市部の定期券利用の男性乗車人員が減少する一方で、女性乗車人員は増加し続けた。その結果、定期券利用者の男女割合は、半々に近くなっている(「第12回大都市交通センサス調査〈調査結果の詳細分析〉平成30年3月国土交通省」)。

■痴漢行為を楽しむ男性から「自衛」を求められていた女性たち

このように、1980年代以前の痴漢は、男性にとっては「文化」や「娯楽」とされることがあり、女性は「自衛」という個別的対応が求められた。しかし、1990年代後半以降、痴漢は「犯罪」として広く認識され、取締りも活発化した。鉄道治安が改善されるなかで、法律的規範から慣習的規範へ秩序維持の比重が移った。しかし、痴漢という「逸脱行為」に対する認識・対応に関しては、そうした流れとは逆に、慣習的規範から法律的規範のレベルに引き上げられたといえるだろう。

満員電車
写真=iStock.com/TAGSTOCK1
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/TAGSTOCK1

さらに2000年代以降、『それでもボクはやってない』という痴漢冤罪をテーマにした映画が話題になっている。そのため、痴漢の被害のみならず、痴漢の冤罪も電車のなかのリスクとして認識されるようになっている。それにともない、電車において「男性と女性」のあいだのコミュニケーションで気を付けなければならないことが増え、警戒レベルが上がっていった。

電車内での化粧問題の浮上と沈静化もこうした流れなのかで理解することができるだろう。むしろ、消臭剤や制汗剤のCMでみられるように、男性のほうが体臭に関して女性に気をつかうべきとされる場面もみられるようになっている。女性の社会進出とジェンダー秩序の再編のなかで、男性中心の20世紀的「サラリーマン文化」の象徴であった通勤電車のありかたもまた、大きく変化していったのである。

【図表1】電車内で痴漢にあった人の性別・性自認
出典=東京都「令和5年度 痴漢被害実態把握調査報告書」 2023年8月実施のWEBアンケート調査。回答者は一都三県在住の16~69歳、回答数は被害者調査が約2000件、第三者は約1000件

■2009年、埼京線から設置され始めた防犯カメラの抑止効果

2000年代以降、テロ・性暴力対策のために電車への導入が大きく進んだのは防犯カメラだろう。1990年代から新宿駅などの構内では防犯カメラの設置がはじまっている。ただし、新幹線・特急電車の車両に設置があったものの、通勤電車で初めて防犯カメラが設置されたのは2009年12月のJR埼京線であるとされる。埼京線は痴漢が多いことで有名でもあった。

基本的に防犯カメラは、映像の「記録」による逸脱行動の「抑止」、およびその後の捜査の「証拠」として用いられることが期待されている。実際、防犯カメラ設置以降、痴漢などの性暴力は減少したという。ただし、その後、防犯カメラが設置されていないところ、死角になりそうなところを探して行為におよぶものが現れ、ふたたび微増しているという報道もある。

■防犯カメラは「痴漢は見つかるからしない」ことを期待する

1990年代の「痴漢は犯罪です」は、法律的規範(およびその根底にある道徳的規範)を強調することによって、性暴力を抑止しようとした。つまり「性暴力は悪い(し、懲罰がある)から、すべきでない」という説得による抑止だろう。しかし、防犯カメラは、露見し、逮捕される可能性の高さを示すことによって性暴力を抑止している。

新型車両2020系の防犯カメラ
写真=時事通信フォト
東急田園都市線の新型車両2020系の車内防犯カメラ=横浜市緑区、2017年11月30日 - 写真=時事通信フォト

つまり、防犯カメラ自体が、痴漢などの性暴力を「道徳的」に抑止しているわけではない。むしろ防犯カメラによる抑止は、「性暴力は悪いから、しない」という部分を省略しつつ、「性暴力は露見するから、しない」ことを期待している。その意味で、これも環境管理型の秩序維持に近い。ただし、こうした環境管理もまた、広い意味での規範意識に支えられている。

■女性専用車両は「立場の弱い女性を守る」という規範意識

たとえば、防犯カメラの導入は、テロ・性暴力などの犯罪対策ということを理由にして進んだ。導入にあたっては「プライバシーの侵害」という批判も根強く、「設置コストの高さ」などの困難も指摘されてきた。しかし、そのあいだも防犯カメラは増加し続け、2023年には「義務化」されている。したがって、そのような批判や困難があっても「犯罪対策のためには、防犯カメラを設置すべき」という規範を前提にして設置を判断しているといえるだろう。

同様のことは、1990年代後半に進んだ女性専用車両の復活にもいうことができる。女性専用車両の再導入は、「立場が弱く、被害の多い女性は守られるべき」という規範意識がある程度共有されていないと難しい。女性専用車両は戦前から存在しており、戦後、混雑率が悪化するなかで廃止されていた。それが復活した背景には、既述の1990年代における痴漢の社会問題化がある。女性専用車両は、乗客たちが加害者を取り締るような「積極的関与」よりも、被害を受けやすい女性を空間的に分離する「消極的回避」を志向している。

【図表2】痴漢撲滅に向けて効果がありそうだと思う取り組み
複数回答、全体。東京都「令和5年度 痴漢被害実態把握調査報告書」より編集部作成

■痴漢被害は少ないが、男性専用車両も作るべきなのか?

ただし、痴漢冤罪を避けるためには男性専用車両も必要であるという新聞投書も2000年代から存在している。また、乗車できる車両が減るため男性に不公平ではないか、弱いのは女性だけではなく男性にもいる、そもそも男性差別ではないかといった意見もある。実際に「男性専用車両」が2022年から2023年にかけて都電荒川線で数回、有志らの自費で実施されている。しかし、鉄道事業者が男性専用車両を導入する気配はないし、定着した女性専用車両に大きな変化があるようには、いまのところみえない。

田中大介『電車で怒られた!「社会の縮図」としての鉄道マナー史』(光文社新書)
田中大介『電車で怒られた!「社会の縮図」としての鉄道マナー史』(光文社新書)

女性専用車両もまた、性暴力の被害者が女性に偏っている以上、「不利な立場にある女性はとくに守られるべき」という規範意識にもとづいた配慮、こういってよければ「アファーマティブアクション」や「ポジティブアクション」とよばれる方策に支えられている。ただし、女性専用車両が他の先進国でそれほど定着していないことを考えれば、女性を隔離して守るべきであるとするこの配慮は、独特の規範意識に支えられているといえる。

たとえば、イスラム教圏などでは宗教的な戒律上の理由により男女別車両が導入されているところもある。もちろん、日本社会において痴漢が問題化している以上、日本の女性専用車両はプラクティカルな対応として支持するべきだ。ただし、公共空間におけるこうした配慮は、女性を「守る」バリアにもなるが、「遠ざける」ハードルにもなるかもしれない。

【図表3】痴漢被害にあったときその車両にいた理由
女性専用車両では被害が少ない。出典=東京都「令和5年度 痴漢被害実態把握調査報告書」

■日本の「穏やかな電車」には目に見えない規範の網の目がある

このように、性犯罪・性暴力に対する認識・対応が慣習的規範から法律的規範のレベルに引き上げられるにともない、鉄道空間の環境管理化が進んでいったことがわかる。こうした変化に対して、監視社会化・管理社会化、あるいは規範の期待水準の上昇によって息苦しい雰囲気になった(「コンプラ化」)という批判があるかもしれない。しかし、被害をうけやすい女性にとって安全な空間が確保しやすくなっている以上、現状の段階では否定されるべきではないだろう。

また、日本社会における「穏やかな電車」が、そうした目に見えない「規範の網の目」が縦横にはりめぐらされることで維持されてきたと考えるなら、こうした変化(性別分離を空間化・可視化すること)もその延長線上にある。

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田中 大介(たなか・だいすけ)
社会学者
1978年生まれ。日本女子大学人間社会学部教授。慶應義塾大学文学部卒業、筑波大学大学院人文社会学科研究科修了。現代都市のインフラ(公共交通、消費空間、情報環境など)について社会学的に研究している。共編著に『ネットワークシティ』(北樹出版)、『ガールズ・アーバン・スタディーズ』(法律文化社)などがある。

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(社会学者 田中 大介)

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