「不良品をここで食い止める」乳がんステージ4を克服したパート職員が54歳で「検査会社」を起業するまで
プレジデントオンライン / 2024年8月7日 8時15分
■精密機械部品の検査は“天職”
久しぶりに身につけようとネックレスを手にしたら、チェーンが絡まっていた。絡まりをほどこうとしてもうまくいかず、出かける時間が迫ってきてイライラ……。こんな経験をしたことがある人は多いのではないだろうか。田中さんは小学生の頃、この絡まりをほどくのが得意で、困っている人がいないかと近所をまわって歩いていたそうだ。
「とにかくピンセットが大好き。ピンセットを使って絡まりを崩していくこととか、編み物や刺繍などの細かいこともとにかく好きでした」
高校を卒業すると、セイコーエプソンの子会社に就職した。セイコーエプソンの本社は諏訪市にあり、市内には関連会社が多い。田中さんは「家から近い」という理由で就職したが、それが「精密機械部品」との運命の出会いになった。
腕時計の細い針などの部品を一つずつ、ピンセットを使いながら顕微鏡で検査するのが楽しくて、社内で開かれた技能検定では、顕微鏡とピンセットの2部門で優勝した。
「検査って不思議なものなんです。一度判断がつかなくなって迷い始めると、1時間でも2時間でも延々と悩んでしまう。でも私は、ぱっと見た瞬間に良い悪いの判断ができる。製品をジャッジするのが得意で、『あ、精密が天職なんだな』と思いました」
■「失明する」と言われて退職
しかし、入社して1年後に交通事故に遭う。事故の記憶はあまりないが、後ろから追突されてフロントガラスが割れたようだ。病院では「左目が失明する」と言われた。
もう、精密の仕事はできない……。会社を辞め、自宅で療養することにした。当時交際中だった今の夫に「こんなんだったら生きている意味がない」と悲しみや憤りをぶつけたこともあったという。
しかし、諦めずに治療を続けるうちに視力が回復。結婚し出産した後、自宅でできる内職を始めた。最初に取り組んだのは目に負担がかからず、幼かった子どもに危険がないようにと、大きめの部品を組み立てる仕事。しばらくすると、的確で丁寧な仕事ぶりが社長の目に止まり、パートとして会社に入ることになった。その頃には左目もすっかり良くなっていた。
■よみがえった「精密」への思い
そこでも組み立てが中心だったが、あるとき検査の仕事に携わると、「精密」への熱い思いがよみがえってきた。
「私たちの先にユーザーさんがいるわけですよね。そこに『キズがあるものを渡すものか』という気持ちがあるんですよ。私がここで食い止める、って。検査を任された以上はここで全てを食い止めて、ここから先には不良品を出さないという気持ちがずっとありました」
それでも、人間は必ずミスをする。ずっと座って作業をしていると眠くなったり、ぼーっとしたりして、不良品を見逃してしまう。ミス自体は起きえることだが、田中さんは不良品を出すことがどうしても許せなかったという。
■謝罪訪問を「目の肥やし」に
ミスをどのようにして食い止めればいいのか、常に考えながら仕事をした。そして、クレームがあれば、自分に責任がないものであっても、田中さんが謝りに行くことにした。
いろいろな企業に行くと、自然と様々な情報が目に入ってくる。どのような手袋を使っていて、どんな配列で作業をしているのか――。
いまのようにインターネットで簡単に情報を集められる時代ではないから、良さそうな手袋を見かけたら、あちこち電話して「こういう手袋ない?」と聞いてまわった。手に入れたら試して、滑りにくさや薄さなどを確かめた。
さらに、謝罪をしながらも「この仕事がちゃんとできあがれば、さらに仕事をいただけるはず」と考えていたという。パートの立場ではあったが、経営視点でクレーム対応を捉えていたのだ。
「そのときは、いつか起業しようなんて思っていなかった。でも、たぶん、そうやって他の会社の様子を観察しながら、なんとなく自分の目の肥やしにしてきたんですよね」
■「女性が働きやすい場所をつくりたい」
精密部品の検査会社では、女性が多く働いている。いつしか田中さんは「どうしたら肩が凝らず、効率よく、楽しく女性たちが働けるか」に関心を持つようになった。手袋や配列など、他の企業を見て良さそうだと思ったことも取り入れたかった。社長に提言して受け入れられたことはあったものの、いつからか「自分の会社だったら、もっと自分の思うようにできるのでは」という気持ちが芽生えた。
子育てを通して気づいたことも多かった。田中さんは3人の子どもたちに「やりたいと思ったことは、なんでもやってみたらいい」と伝えてきた。でも、子どもたちが進学や留学、就職などで地元を離れたりすると、駅で大泣きするほど寂しい思いをした。そして、「子どもはいつか絶対に親から離れる」ということを痛感した。
期間限定だからこそ、子どもの近くにいたいという親としての気持ちと、しっかり収入を得たいという思いを両立できれば――。「女性が働きやすい場所をつくりたい」との願いが強くなっていった。
■がん闘病中も仕事へ
さらに、48歳のときの健康診断で乳がんが見つかったことも人生を見つめ直す機会になった。がんが見つかったのは横隔膜の近く。気づきにくい場所だったため、「見つかったのは奇跡に近い」と言われた。ただ、ステージ4まで進行しており、強めの抗がん剤治療をすることになった。
触っただけで髪がばさりと抜けて、寝たきりになった時期もある。「精密どころか、何をする気もおきなかった」。
それでも、少し体力が回復すると帽子をかぶってパート先に顔を出した。次女で、現在泰交精器の専務を務める前田梨紗さん(37)は「具合が悪いときはぐったりしていたけど、少し良くなれば普通に会社に行く。全然弱音を吐かず、前向きに生きていましたね」と振り返る。
苦しい時期を支えてくれたのは子どもたちだった。長女はちょうど大学の医学部に在学中で、医学的な観点でアドバイスをくれた。前田さんは常に近くにいて、少し元気になると「ウィッグ見にいく? 帽子、新しくしてみる?」と聞いてくれた。長男は口数は多くないものの、食事を取っているかなど気にかけてくれた。「ひとりでは闘えないけど、私のバックには子どもたちがいてくれると思うとちょっと強くなれました」(田中さん)
元気になるにつれ、「拾った命だから、人のために」が口癖になっていった。
■起業のタイミング「全部揃った」
起業のタイミングは突然やってきた。パートで勤めていた会社を出たい気持ちが高まっていたところに、場所を貸してくれるという人が現れた。現在取引先になっている会社から、精密加工部品の検査を担ってくれる会社を探している、という話も聞いた。義理の息子である前田さんの夫も起業を考えており、一緒に場所を借りたら家賃を抑えられることも背中を押した。
「全部揃ったんですよ。これってもしかして『やってみろ』っていうことかな? じゃあ、始めようって」
54歳で起業。「女性が働きやすい会社」を目指した奮闘が始まった。
後編に続く
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ライター
京都生まれ。小学生の3年間をペルーで過ごす。大学院修了後に半年間バックパッカーで海外をめぐった後、2006年に朝日新聞社入社。青森総局、東京社会部、文化くらし報道部などを経て2023年に退社。関わった書籍は『「小さないのち」を守る』『Dear Girls』『平成家族』『調理科学でもっとおいしく定番料理』(いずれも朝日新聞出版)。ヨガインストラクターとしても活動。
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(ライター 山本 奈朱香)
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