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1日8万個の精密機械部品を検査…パートから起業した61歳社長が「当日朝のLINE」で休める会社にした深い理由

プレジデントオンライン / 2024年8月7日 8時16分

泰交精器社長の田中泰江さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

社長も社員もパートも、働くのは全員女性。福利厚生として会社でネイルサロンの施術を受けられ、仕事を休むときは社長にLINEで連絡すればOK――。精密加工部品の検査会社、「泰交精器」(長野県諏訪市)は、働きやすさにとことんこだわる会社だ。そこには、主婦、パート、闘病……さまざまな経験を経て起業した社長の田中泰江さん(61)の思いが込められている。ライターの山本奈朱香さんがリポートする――。 (後編/全2回)

■「小説を読むように」図面を見た

(前編から続く)

田中さんが起業したのは54歳のとき。それまでも長年「精密機械部品検査」の世界に関わってきたものの立場はパートで、まわりは女性ばかりだった。社長として仕事先に行くようになると、今度は逆に男性がほとんど。「女だから、こんなことはわからないでしょ」と言われたり、意地悪な質問をされたり。馬鹿にされていると感じることが多かった。仕事からの帰り道に、ぼろぼろと泣きながら車を運転したこともあった。

2016年4月、起業したばかりの頃の田中さん(左)。従業員とともに、地元の有名な祭り「御柱祭」で
2016年4月、起業したばかりの頃の田中さん(左)。従業員とともに、地元の有名な祭り「御柱祭」で(本人提供)

「それはもう悔しかった。なにがなんでも全部覚えようと思って、夜な夜な小説を読むように図面を見ました」

図面ファイルを作り、わからないことをしらみつぶしに学ぶうちに、図面を見ただけで製品がぱっと頭に浮かぶようになった。それだけではない。「どのピンセットをどう持てば製品を落とさずに検査できるか」まで考えられるようになった。

「やっているうちにだんだん『図面、おもしろいな』と感じて、楽しくてしかたがなくなったんです」

いまでは、取引先企業から意見を求められるまでになった。田中さんの次女で、泰交精器の専務でもある前田梨紗さん(37)は「私も取引先によく同行するのですが、社長は本当に信頼されているのがわかる。自分でその地位を築きあげてきたのはすごいな、と思います」。

■荷姿の美しさにもこだわり

会社を立ち上げたときには、検査するのにベストだと思う照明の配置や照度、配列などにこだわった。作業机は既製品には良いと思えるものが見つからず、大工さんに作ってもらった。パートで働いていたときに「こうしたらもっと仕事がしやすいのでは」と思っていたことばかりだ。

「荷姿」の美しさにも注意を向ける。製品の向きを揃え、ラベルの向きや長さにも気をつかう。「ぱっと開けた時に『きれいだね』と思ってもらえることを目指してきた。ガチャガチャしていると、どんなに綺麗な製品でも汚く見えるんですよ」

泰交精器社内の様子。机や椅子の高さ、照明の明るさや位置にもこだわった
撮影=プレジデントオンライン編集部
泰交精器社内の様子。机や椅子の高さ、照明の明るさや位置にもこだわった - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■当日の欠勤もLINEでOK「休みやすい会社に」

働き方にもこだわった。働いてくれる女性たちの中には子育て中の母親もいれば、独身の人もいる。いろいろな働き方ができるように、パートなら日に3時間以上働ければ始業時間は決めていない。急に出勤できなくなった場合は、当日でも田中さんにLINEで知らせればOK。「私も主婦なので、朝に電話をもらっても出られない。LINEなら後で見られるから」と理由はシンプルだ。

田中さんは「休みやすい会社にしたい」という。特に子育て中は、子どもの病気などで突然休まざるをえない時があることを実感しているからだ。誰が休んでも困らないよう、全員が同じ仕事をできるような環境を普段から整えている。

■福利厚生でネイルも

ユニークな福利厚生もある。月に3度、ネイリストが会社まで出張してくれるというものだ。施術代は個人で支払うものの、「気持ちが上がる」と好評だという。爪が硬いほうが作業がしやすいので田中さんがネイルを始めたところ、「いいな」と声があがり、それなら福利厚生にしようと思ったそうだ。

泰交精器で働く女性たちの手元には美しくネイルが施されている
撮影=プレジデントオンライン編集部
泰交精器で働く女性たちの手元には美しくネイルが施されている - 撮影=プレジデントオンライン編集部

時には会社を突然休みにして全員で出かけることも。この取材の前日も、蓼科までみんなでお昼を食べに行ってきたのだという。遠出している間も勤務時間としてカウントし、給料を払う。田中さんは「私の気分で連れていくので」と笑いつつ、理由を明かしてくれた。

「みんながミスなく仕事をしてくれて、いろいろなところから信頼を得てお仕事をいただいているので、感謝の気持ちです。それに、一緒にどこかに行ってリフレッシュしてくると、気持ちが違うじゃないですか」

そして、楽しそうにこう付け足す。「私は真面目な社長じゃないものですから。どうやってさぼるかを考えているんです」

■1日8万個を検査、創業以来クレームはゼロ

泰交精器は創業してからの5年間、一度もクレームを受けたことがない。ここにも、田中さんがパート時代から「ぼーっとして起きてしまうミス」を防ぐ方法を考え続けてきたことが生きている。

そのひとつが、トイレ休憩だ。休憩の時間が決まっているとその時間にトイレが混むし、そもそも人によって行きたいタイミングは異なる。トイレに行く時間は貴重なリフレッシュにもなるから、管理するようなことはしたくない。「好きなタイミングでお茶を飲んで、午前中に1〜2回はトイレに行ってね」と声をかけている。

とはいえ、集中して作業を続けていると、つい立ち上がるタイミングを逃してしまうこともある。だから田中さんは一緒のスペースで作業しながら周囲の様子に気を配り、長時間座り続けている人がいれば「ねえ、あの製品取りに行ってくれない?」と声をかけることもあるそうだ。

検査する部品の数は、1日に約8万個。たとえば、その中の1個でも不良品を見逃せば8万個すべてを検査し直す必要がある。その費用は見逃した側が負担することになり、さらなるミスを繰り返さないために普段以上の集中力が求められる。だからこそ、集中力が途切れないよう、リフレッシュできる時間を積極的に作る――。長年の経験を積んだからこそ気づいた極意だ。そのようにして信頼を得てきた結果、さまざまな精密機械の検査を請け負うようになり、中でも世界中の自動車に搭載される安全装置のセンサーの多くを同社が検査するまでになった。

6人でスタートした会社は現在パートを含めて14人、年商は3倍以上に増えた。

■「何十回でも何百回でも質問して」

子どもの頃からピンセットが大好きで「精密が天職」という田中さんは、検査時の判断力がずば抜けている。でも、この力を他の人に伝えるのは難しい。そこで田中さんは社員やパートに「何十回でも、何百回でも、とにかく質問して」と伝えている。

「最初は本当に、どこまでがOKでどこからがNGなのかがわからないものなんです。一度判断に迷い始めると、1時間でも悩みながらその部品ばかり見てしまいます。でも、質問してくれたら、たった1秒で済むんです。そして、何回も聞くうちに判断力がつく。『念のため、今日もう一度聞いてみよう』というのを繰り返すうちに、自分のものになるんです」

専務の前田さんも「誰かが社長に『これってNGでしょうか?』と聞くと、ほかの人も『私にも見せて』と集まってきてみんなで見るんです。そうやって、判断に迷いやすい事例を共有するから、みんなの“目”が同じレベルになっていくのだと思います」 

田中さんの娘で泰交精器専務の前田梨紗さん(左)と社長の田中さん(右)
撮影=プレジデントオンライン編集部
田中さんの娘で泰交精器専務の前田梨紗さん(左)と社長の田中さん(右) - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■弱みを見せあえる会社に

検査は集中力が必要な仕事なので、みんなの体調にも気を配る。さらに、田中さん自身が気持ちや体調面で不安があるときは早めに「今日はもうダメだ」と伝えてしまうという。

「弱みを見せあえるのが良いような気がして、それをやってきました」

家族のことで悩みがあるとき、風邪で体調がすぐれないとき、睡眠不足、生理前のイライラや生理中の不調、更年期……。日によって仕事の調子がいい時と悪い時があるのは当たり前。調子が悪いときに無理をして頑張るのは、本人のためにも会社のためにもならないからだ。

とはいえ、プライベートなことを勤務先では話したくない人がいるのも事実。「話したくない人にプレッシャーを与えるようなことはしたくない」と、バランスに悩みつつ「向こうから発信してくれたときには、なるべく応えたい」と考えているそうだ。

■名字ではなく名前で呼び合う

泰交精器では社員もパートも、名字ではなく名前で呼び合い、タイムカードにも女性たちの名前が並ぶ。女性は結婚すると名字を変える人が多く、子どもが生まれると『○○ちゃんのお母さん』と呼ばれることが増える。田中さんは「でも、ちゃんと名前があるんですよ。社内だけは、生まれたときにもらった名前で呼ぼうと思って。親近感もありますしね」と話す。

20代から50代の人たちが中心だが、70代や80代の女性もいる。彼女たちにお願いしているのは、伝票の整理や商品の整頓などの軽作業だ。

「軽作業をしてもらっているけれど、仲間意識が出てきて『これは不良じゃない?』と見つけてくれることもある。今朝は、ある方が『私はここに骨を埋めるつもりだから』と言ってくださって、すごく嬉しかった。ありがたいですね」

田中さんには、歳を重ねた女性たちにとっての「きょういく(今日、行くところ)」と「きょうよう(今日、用事がある)」の場を作りたい、との思いがある。さらに、幼い子どものいる女性たちが働いている間、子どもたちが学校から会社に寄って帰れるようにできればとも考えている。仕事を終えた70代や80代の女性たちと、学校帰りの子どもたちがなんとなく一緒にいられる空間があれば双方にとってプラスなのでは、と思うからだ。泰交精器だけの力では難しいため、行政とも相談しながら道を探っているところだ。

■新しい発展を加えてほしい

田中さんは近い将来、次女で専務の前田さんに事業を継承するつもりだ。

前田さんは何度も「本音は?」と聞かれて考えた末、「継ごう」という気持ちが固まってきたという。「子ども2人を育てながら母と働くうちに『女性が働きやすい環境を作りたい』という気持ちが芽生えてきました。いま、張り付いていろいろと学んでいます」

田中さんは楽しそうに話す。「私がやっていることをすべて継承して、そこに新しい発展を加えていってもらえたらな、と思っています」

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山本 奈朱香(やまもと・なすか)
ライター
京都生まれ。小学生の3年間をペルーで過ごす。大学院修了後に半年間バックパッカーで海外をめぐった後、2006年に朝日新聞社入社。青森総局、東京社会部、文化くらし報道部などを経て2023年に退社。関わった書籍は『「小さないのち」を守る』『Dear Girls』『平成家族』『調理科学でもっとおいしく定番料理』(いずれも朝日新聞出版)。ヨガインストラクターとしても活動。

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(ライター 山本 奈朱香)

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