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「東大卒の天皇陛下」にこだわる必要があるのか…悠仁さまの「大学進学論争」に学習院OG抱く"強烈な違和感"

プレジデントオンライン / 2024年8月3日 8時15分

全国高校総合体育大会(高校総体)の自転車競技を観戦される秋篠宮ご夫妻=2024年7月26日、福岡県北九州市の北九州メディアドーム[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

■相次いで報じられる「東大推薦入学」に思うこと

秋篠宮家の悠仁さまが筑波大附属高3年となられ、大学の進学先に注目が集まっています。お母様の紀子さまが東大への推薦入試に熱心でらっしゃるとされ、さまざまな意見が国民の間から出ています。

ですが学習院出身の私は思います。東大推薦入学を狙うより、海外の名門大学を目指されたほうがよろしいのでは、と。

これは学習院で紀子さまの1年後輩、秋篠宮さまの2年後輩に当たり、『学習院女子と皇室』(新潮新書、2023)を書いた私から、僭越ながら紀子さまへのお手紙です。

■「国母」としての責任感

紀子さまは学習院が「お好き」~女子中・高等科に下賜された「御歌」

紀子さま、私は学習院女子中・高等科および大学と、あなた様の1年後輩におりました。学内では福祉活動に従事する厚生委員会に所属され、微笑みを絶やさず共同募金の呼びかけをされていたお姿を覚えています。

学習院大学で私は、法学部政治学科に進み、同じ学科の秋篠宮さま(当時は礼宮さま)の2年後輩であり、お二人が所属していらしたサークル「自然文化研究会」のご様子も垣間見ておりました。学習院生にとって皇族方は学内でよくお見かけする身近な存在で、当時は天皇陛下(当時は浩宮さま)のお姿もよく拝見しました。

「キャンパスの恋」を実らせて紀子さまは幸せな結婚をされ、眞子さま、佳子さまとお二人の内親王に恵まれたご一家のご様子は、報道を通じてお見かけするだけになりましたが、紀子さまはお幸せそうに見えました。

それが変わられてきたのは、悠仁さまがお生まれになってからでしょうか。未来の天皇をお育てになる「国母」としての責任感を持たれたのでしょう。大変な重責、プレッシャーであろうとご推察申し上げます。

■「学習院に進むべき」とは思わないけれど…

ただ私には、その重責がなぜ「東大」に結びつくのかがよく分からないのです。さまざまな国民の声を振り切って、推薦入学に邁進されているように見えますが、これは何のためなのでしょうか。

悠仁さまが過去の皇族方の慣例を破り、学習院に進学されなかったのは、それほどおかしなことではありません。戦前の学習院は宮内省の傘下にあり、皇族の進学が義務付けられていました。

学習院大学正門
学習院大学正門(写真=momoishi/CC-Zero/Wikimedia Commons)

ですが戦後は一般の私立学校となり、皇族に進学の義務はなくなりました。それでも皇族が学習院に進む慣習は残っていたわけですが、悠仁さまのこれまでの進路は、それを破った「英断」でもありました。

もしかしたら、秋篠宮さまのお決めになったことでしたでしょうか。私は紀子さまご自身が、今も学習院を「お好き」で、大切にしていらっしゃると信じています。学習院女子中・高等科の施設内で私は、紀子さまが下賜された和歌が掲示されているのを拝見しました。

一般の方が入れない場所ですので詳細は申し上げませんが、色紙に達筆な毛筆で書かれた、女性皇族らしい目線でお謡いになられた内容に感銘を受けました。

■学習院と雅子さまのご縁

そして学習院大学において、実は皇后の雅子さまも深いご縁があったことはご存じでしょうか。

1986~87年頃、私が在籍していた法学部の国際法の教授(故人)が、東大法学部在学中だった雅子さま(当時は小和田雅子さん)をお招きした学生向けの講演会があったのです。

文学部でいらした紀子さまはご存じなかったかもしれませんが、教授が雅子さまのお父様で、外交官でいらした小和田恒氏と親しく、雅子さまをご幼少時から見てこられた、というご縁からでした。会場は国際関係の仕事を志す学生たちでいっぱいでした。

雅子さまは当時、外務省入省が決まったばかりでした。聞けば米国の著名なアイビーリーグの大学複数に合格され、その中からハーバード大を選び、国際経済学を学ばれ、卒論が優等賞を得るほど優秀な成績でご卒業。外交官を目指すために東大3年次に編入されました。この編入試験も相当な倍率だったと伺います。

そして外交官試験に合格。ちょうど男女雇用機会均等法が施行された時期でもあり、雅子さまは美人でバリバリのキャリアウーマン、外交官としての将来を語られるお姿には、眩しい位の存在感がありました。

私たち学生の拙い質問に分かり易く答えて下さり「本当に優秀な女性は違うなあ」と感じたことを覚えています。

オックスフォード大学ベリオール・カレッジ
オックスフォード大学ベリオール・カレッジ(写真=Peter Trimming/CC-BY-SA-2.0/Wikimedia Commons)

■彬子さまとオックスフォード大学「博士号」

そして三笠宮家の彬子さまは、学習院大学文学部在学中に交換留学でオックスフォード大学に留学され、大学卒業後に再度渡英、大英博物館における日本美術の研究のために5年間を費やし、博士号を取得されました。

その手記『赤と青のガウン』(PHP文庫)を拝読しますと、海外で日本のように護衛がつかない中、一人で生活を切り盛りし、少しずつ研究の道を切り拓かれていかれた様子がユーモア溢れる筆致で描かれ、読者をひきつけます。

ネット上で話題になったことによる復刊だそうですが、女性皇族による瑞々しい青春の記録は、多くの人々の共感を呼び、ベストセラーとなっているのはご存じのとおりです。

オックスフォードの卒業式にて
オックスフォードの卒業式にて(写真=Saji Kuichi/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)

彬子さまが留学記を書かれたのは、本書によれば寛仁親王のご指示だったそうです。

当初は修士を取るための2年間の留学予定が、指導教授の勧めにより博士号取得の5年間に延ばすにあたり、「長期間海外に出て公務をしない以上、それを支えてくださった国民の皆さまに対して、皇族としてきちんとその成果を報告する義務があると考えておられた」(本書から)ことでお許しを頂けたそうです。寛仁親王ご自身もオックスフォード大に留学され、その手記を出版されていた、というご縁もあったのでしょう。

結果として『赤と青のガウン』を通じ、国民は皇族を身近な存在に感じ、そのイメージを大きくアップされることになったのは間違いありません。

彬子さまは現在、大学で教鞭を取られながら公務に励まれており、ご留学の成果を存分に発揮されておられます。

■東大ではなく、海外の大学を検討されてはいかがか

つらつらと書いて参りましたが、申し上げたいのは、悠仁さまには東大ではなく、海外の大学を目指されるという選択肢もおありではないか、ということです。

雅子さまのキャリアと比較するのは酷かとは思います。ですが東大は、やはり明治時代の旧帝大時代までさかのぼれば、近代国家を創るための人材、官僚を中心に要請する大学だったルーツがあり、雅子さまは外交官試験を受けるために編入されました。

今は多岐にわたる学びが得られる名門大学ですが、果たして悠仁さまはそこで何を学び、そこで得た知識何に生かそうとされておられるのでしょうか。研究者との共著で書かれたという「トンボ論文」の今後は、東大でなければならない学びなのでしょうか。

「トンボ論文」は素晴らしい実績ですが、皇族でいらしたからこそ成しえた「特権」ではないでしょうか。一般人が立ち入れない赤坂御用地で、研究者を2人も従え、学術雑誌に掲載もされましたが、普通の高校生にはまず出せない実績でしょう。

果たしてお一人の力でどこまで貢献されたのか。おそらく推薦入試で面接があるならば、担当教授はどこまでがご本人の貢献によるものなのか、すぐに見抜いてしまうでしょう。

■皇族の「特権」と見られても仕方がない

そもそも入試は試験であれ推薦であれ、個人の力で挑むものです。近年は裕福な家庭の子女ほど教育にお金をかけ、推薦入試でも家族ぐるみでスポーツや音楽など課外活動の実績作りに励む、という家庭も多くみられます。

いっぽう金銭的に余裕がない家庭の子女は不利という状況も生まれてしまいます。

こうした生徒たちは国公立大を目指すのが一般的です。私は、貧しい母子家庭で苦学して東大に入学し、奨学金を得てアルバイトで生活費を稼いで卒業、今は社会人として成功している卒業生を知っています。

できればそうした志願者、そして普通の家庭からも来る志願者たちの入学機会を「特権」を使うことで奪わないでいただきたい、と失礼ながら考えてしまいます。入試には定員があり、1人が入れば誰かが落ちてしまうからです。

■静かな環境で学ぶことの重要性

そして海外の大学です。雅子さまはハーバード大ご卒業、彬子さまはオックスフォード大博士です。

最近では進学校から海外の大学に進学する生徒たちも増えつつあります。『赤と青のガウン』によれば、彬子さまは英国では、日本のように常に誰かが傍にいる、という生活ではなく、基本的に研究、自炊や旅行の手配など全てお一人でされておられました。女王殿下と将来の天皇である親王殿下は違うかもしれませんが、海外では国際性を身に付けるとともに一人で物事を行う自立心が養われるように思います。そうした環境にこそ、悠仁さまは置かれるべきではないのでしょうか。

おりしも天皇・皇后両陛下が英国をご訪問されたばかりです。もし英国の名門大に進まれたら「ウィンザー城構内に生息するトンボ研究」といった、日本の皇族の悠仁さまにしかできそうにない研究も、実現するかもしれません。米国ならば「ホワイトハウス敷地内に生息するトンボ研究」でしょうか。彬子さまのように、英語で、独力で論文を書かれるのならば、真に立派な成果となるでしょう。

二重橋
写真=iStock.com/tapanuth
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/tapanuth

■悠仁さまのお気持ちを、どうか大切にしてほしい

そして、もしかしたら海外の大学の方が「入り易い」という側面があるかもしれません。「海外の大学入試の方が、学力そのものより個人の成果を見てくれる。“未来の天皇”である悠仁さまならば、どこでも入れるのでは」(米アイビーリーグ大学の卒業生)といった見方もあります。私が客員研究員として在籍していた米コロンビア大学には「世界各国の王族や有力者、政治家の子女が在籍している」という未確認の噂がたくさんありました。ですから、この卒業生の言うことも一理あるのかもしれません。

上記のことから、悠仁さまに海外の大学に進むという選択肢はあるような気がするのです。

来年ご入学にはもう準備が間に合わないかもしれません。ですが再来年に挑戦することでもよいのではないでしょうか。できればその場合、寛仁親王が彬子さまに仰ったように「それを支えてくださった国民の皆さまに対して、皇族としてきちんとその成果を報告する義務がある」と思います。

何も無理をして東大にこだわる必要はありません。視野を広くお持ちになり、悠仁さまが何をされたいのか、その成果を国民にどう報告し、還元されるかをお考えになって頂くのが「国母」のお役目と私は考えています。

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藤澤 志穂子(ふじさわ・しほこ)
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。元全国紙経済記者。早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻中退。米コロンビア大学大学院客員研究員、放送大学非常勤講師(メディア論)、秋田テレビ(フジテレビ系)コメンテーターなどを歴任。著書に『出世と肩書』(新潮新書)『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』(世界文化社) がある。

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(昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員 藤澤 志穂子)

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