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「広島に放射線は存在せず放射能もすぐ減った」原爆投下を批判されたオッペンハイマーの信じられない論説

プレジデントオンライン / 2024年8月6日 7時15分

広島に投下された原爆のキノコ雲。下に見えるのは広島市街。エノラ・ゲイ乗員のジョージ・R・キャロン軍曹撮影。(写真=アメリカ合衆国連邦政府/PD US Army/Wikimedia Commons)

原子爆弾が広島、長崎に投下されてから79年。アメリカ映画『オッペンハイマー』がアカデミー賞を受賞するなど、米国内の原爆に対する意識も変わりつつあると言われる。作家の山我浩さんは「しかし、この間、アメリカはその責任を負おうとせず、戦争犯罪である原爆投下の実態を覆い隠してきた」という――。

※本稿は、山我浩『原爆裁判 アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子』(毎日ワンズ)の一部を再編集したものです。

■8月6日の原爆投下後、広島の惨状をラジオが世界に伝える

1945年8月15日、日本は無条件降伏を受け入れ、太平洋戦争、第二次世界大戦は終わった。

長崎への原子爆弾投下後も、アメリカは第三の原爆を落とす準備に入ろうとしていたが、日本の降伏により、投下はされなかった(もはや一発も残っていなかったとの説もある)。広島への原爆投下後、日本は短波放送で広島の惨状を世界に伝えた。

「原爆が投下されたとき、小学生は校庭で朝の体操の最中だった。アメリカ軍は冷酷にも最悪の時刻に攻撃したのだ。人々はやけどで皮膚がただれ、苦しみにもがいている」
「原爆はいまや世界の批判の的となっている。それは“人類への呪い”だ。罪のない市民の大虐殺の様子は言い表すこともできない」
「この死の兵器を使い続ければ、すべての人類と文明は破滅するだろう……」

そこには、アメリカが国際法に違反する非人道的な兵器を使用したことに徹底抗議し、世界の人々に訴えようとの意図が込められていた。

■中国は「原爆で平和を勝ちとることはできない」とアメリカを非難

このラジオ放送を情報源に、世界の報道機関は広島への原爆投下を一斉に報じた。8月25日、アメリカのニューヨーク・タイムズは、こう報道した。

「ラジオ東京は伝える。ヒロシマは死者の行列であふれ、生き残った人々も死を待つばかりである。原爆の放射能で、3万人が死亡。放射線によるやけどでいまも死者が増え続けている。放射能は無数の犠牲者を生み、救援にかけつけた人までもが様々な病気に苦しめられている。ヒロシマは死の町と化した」

この記事がきっかけとなって、世界中の新聞社が原爆投下に批判の目を向け始めた。イギリスのデイリー・エクスプレスは、「ヒロシマでは原爆が落ちた30日後にも人が死んでいる。それは『原爆の疫病』としか表現できない」と論じ、中国の解放日報(共産党機関紙)は、「原爆で平和を勝ちとることはできない」とアメリカを非難した。

日本のラジオ放送とそれに呼応した新聞報道がアメリカの残虐行為の実態を白日の下にさらしたのだ。

■アメリカ国内でも非人道的だと指摘され、陸軍は反論

さらにワシントン・ポストには、コロンビア大学の遺伝学者ハロルド・ジェイコブソンの、次のような主張が載せられた。

「広島に投下された原子爆弾の被害の程度を確かめようとする日本人の試みは、自殺行為である。その結果、血液中の赤血球が破壊され、酸素を取り込むことができなくなり、白血病の患者と同じように死亡することになる。また、原爆の放射線は約70年間消えないという実験結果もあり、もしそうだとしたら被爆地は、月と同じような荒廃した地域となる。さらに、降り注ぐ雨はこの致死量の放射線を拾い上げ、川や海に運び、その川や海に棲む動物たちは死んでしまう」

原爆の残留放射線が与える深刻な影響についてのジェイコブソンの指摘は、アメリカ社会を震撼させるものだった。だが、アメリカ陸軍が打った手は素早かった。

翌日のニューヨーク・タイムズに、「陸軍はジェイコブソン博士の説を否定」との見出しで、オッペンハイマー博士の長い論説を掲載させたのである。

原子爆弾を完成させたオッペンハイマー博士、1946年
原子爆弾を完成させたオッペンハイマー博士、1946年[写真=米国エネルギー省/Ed Westcott (U.S. Government photographer)/PD-USGov-DOE/Wikimedia Commons]

■オッペンハイマー「ヒロシマの地面に放射線は存在しない」

「ヒロシマの地面に、はっきり認められるほどの放射線は存在せず、わずかに存在していた放射能もごく短時間に減衰したと信じるべき確かな理由がある」

その後ジェイコブソンは、数時間にわたり自宅でFBIと陸軍情報部隊の尋問を受けた。そして政府の秘密保持規則に違反するスパイ活動法により訴追すると脅され、発言を撤回した。

しかしジェイコブソンの主張を否定するオッペンハイマーの見解は、「マンハッタン計画」に関わった科学者に失望を与えた。「マンハッタン計画」で放射線外科医を務めたロバート・ストーンは、日本へ原爆調査に赴く社会科学者のフリーデルに手紙を送った。

■「マンハッタン計画」の放射線外科医が書いた正直な気持ち

「あなたを含め、このマンハッタン計画に関わってきた多くの人々は複雑な気持ちを抱えながら仕事をしてきました。私たちは原子爆弾と原子力の利用が手の届くところに来たこと、そしてもし我々がそれをやらなければ、我々自身の存在が危うくなることにも気づいていました。しかし原爆を使用することは、その破壊力が人の想像力を超えてはるかに甚大であることから、すでに日本人がそうしたように、我々に対する強い非難につながるだろうと感じています。

ひとつ疑問に思うのは、原爆爆発の危険が過ぎ去ったのちも放射線の危険が残るということを、(事前に)警告したのでしょうか? 日本人に対して警告が与えられたのかどうかを突きとめてくれ、と私は頼みたいのです」

原爆投下直後の広島市
原爆投下直後の広島市(写真=アメリカ合衆国海軍//W.wolny/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

■「放射線がないとするオッペンハイマーの言葉は信じられない」

「例えば赤十字のスイス人のスタッフが原爆投下の数時間後に広島に入ったとしたら、そしてまったく何の警告も受けておらず、何も感じないまま放射線の影響で死んだとしたら、我々は不必要に人の命を奪ったことに対して、罪の意識を持つことになるでしょう。個人的に私は、人を殺す方法に、ほかよりもましだとかひどいというものがあるとは思いません。日本人を放射線のある地域に行かせることの方が、炎で焼かせたり、地雷を仕掛けるよりも非人道的だとは思いません。

ただ、この点をあなたに尋ねるよう頼まれたのです。答えを見つけるべく誠実に努力してください。

新聞でオッペンハイマーの言葉の引用を、そして放射線の危険がまったくないという印象を与える記事を読んだときは、自分の目が信じられませんでした」

■原爆計画の総責任者と外科医による「疑惑の通話記録」

8月25日、「マンハッタン計画」の総責任者であったグローブス陸軍少将は、オークリッジ病院の外科医チャールズ・リー陸軍少佐に電話をかけ相談している。その通話記録が残っている。

グローブス「報道はこうだ。『ウランの核分裂により生じた放射線は、次々と人命を奪い、広島の復興作業者にも多様な障害をもたらしている』」
リー「多分こんな話がいいでしょう。放射能なら被害はすぐには出ない。じわじわ出るんです。被爆者はただやけどしただけですよ。やけどもすぐには気づきません。じわじわ出るんです。少し赤くなって、数日したら水ぶくれが出て、皮膚が崩れたりしますね」
グローブス「次はまたやっかいな話だ。『数日後に不思議な症状で死んだ被害者は、米国の大規模核実験の犠牲者と死因が同じだろう』とラジオ東京が報じた。事実ならとんでもない話となる」
リー「お偉方のどなたかに否定声明を出させたらいかがですか?」
グローブス少将(左)とオッペンハイマー博士、1942年
グローブス少将(左)とオッペンハイマー博士、1942年(写真=アメリカ合衆国エネルギー省/PD-USGov-DOE/Wikimedia Commons)

■わざと「放射線の危険を知らなかった」という記録を残したか

グローブスは、この通話記録を「あえて残した」のだと歴史学者のジャネット・ブロディ教授は指摘している。教授は長い間、核兵器の放射線をめぐる組織と個人の関わりを、機密文書や関係者の取材メモなど膨大な記録からたどり、追跡、研究し、真相を求めてきた。通話記録を残すことで、原爆投下を指揮したグローブスは、原爆の放射線に関する知識を持ち合わせていなかったという事実を明らかにできる。その証拠をでっち上げようとした思惑が見えるというのである。

グローブスが放射線の知識を持ち合わせながら原爆投下を指揮したことが明らかになれば、投下によって戦争を終結させたという彼の高い評価は一変してしまう。国際法に違反する非人道兵器を使用したという非難に変わりかねないのである。

そうとられないためには、トリニティ実験では残留放射線の危険性について科学者からレクチャーを受けていながら実はそのことをよく分かっていないように見せた方がいい。「マンハッタン計画」の機密資料と通話記録を文字に起こしたメモのすべての保管責任者でもあったグローブスは、通話記録が残されることもよく知っていたのである。

ここから、グローブスの新たな闘いが始まる。

■トルーマン大統領は「最も恐るべき爆弾」を使ったことを正当化

明らかな戦争犯罪を、避け得ない正当行為と言いくるめるようなトルーマン米大統領の原爆投下時の声明等々を読むとき、私たちの多くは、意外というより「やっぱり」と受け止め、どこかアメリカ軍および指導者の言動にかすかな納得感を抱いたのではないだろうか。

彼は日記に、「我々は世界史上最も恐るべき爆弾を発見した。それは伝説的なノアの方舟の後、ユーフラテス文明の世に予言された火炎地獄(ソドムとゴモラ)なのかもしれない」(ロナルド・シェイファー著『アメリカの日本空襲にモラルはあったか』)と記したように、自らの罪深い行為を古代文明に例を採ってまで、正当化しようとした。

アメリカ第33代大統領ハリー・S・トルーマン(在任1945~53年)、1947年
アメリカ第33代大統領ハリー・S・トルーマン(在任1945~53年)、1947年(写真=米国国立公文書記録管理局/PD US not renewed/Wikimedia Commons)

有馬哲夫氏はその著『原爆・私たちは何も知らなかった』で、「戦争に勝つためなら、大量破壊兵器として使うので十分なのに、わざわざ大量殺戮兵器としての使い方を選んだ理由は、トルーマンとバーンズ国務長官が日本人に対して持っていた人種的偏見と、原爆で戦後の世界政治を牛耳ろうという野望以外に見当たりません」と述べている。

■米キリスト教会連盟の非難に「日本人はけだもの」と反論

原爆投下の最高責任者として、前任のルーズベルトから引き継がれた、アメリカ人犠牲最少化という大義名分があったとしても、史上最大の最悪兵器を使用してしまったという罪の意識には、とらわれていたに違いない。

1945年8月9日、米キリスト教会連盟は、「トルーマン大統領閣下、多くのキリスト教徒は日本の都市への原爆投下に深く心を痛めております。それは不必要な無差別破壊行為であるからです。これは人類の将来にとって極めて危険な前例であり、日本国民には新型爆弾に関する事実を確認し、降伏条件を受け入れるのに十分な機会と時間が与えられるべきです」と非難する抗議電報をトルーマンに打った。

8月9日付電報でトルーマンは、「けだものと接するときはそれをけだものとして扱わなければなりません」と返信したが、彼はそのとき、自身がけだものになっていたのかもしれない。

■トルーマンは妻への手紙で人種差別意識を露呈していた

世界支配への野望はともかく、トルーマンが強烈な印象を我々に与えるのは、やはりその人種差別的意識であろう。トルーマンは、ポツダムでイギリスのチャーチルと会談したときも、原爆投下後の国民に向けた声明でも、繰り返し、日本の真珠湾攻撃に言及している。

山我浩『原爆裁判 アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子』(毎日ワンズ)
山我浩『原爆裁判 アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子』(毎日ワンズ)

つまり彼は、何よりも真珠湾を攻撃した「輩」に懲罰を下したかったのである。真珠湾攻撃がトルーマンの復讐心を掻(か)き立てたのは、それが道徳的に許されないものだったとか、米艦隊が壊滅してしまったからというよりも、自分たちより劣っているはずの日本人がそれに成功したからである。

若い頃トルーマンは、のちに妻となる女性ベスに送った手紙にこんなことを書いている。

「おじのウィルは、神は白砂で白人を造り、泥で黒人を造り、残ったものを投げたら、それが黄色人種になったといいます。おじはジャップが嫌いです。私も嫌いです。多分、人種的偏見なんでしょう。でも、私は黒人はアフリカに、黄色人種はアジアに、白人はヨーロッパとアメリカに暮らすべきだという意見を強く持っています」

トルーマンのとんでもない人種偏見が、欧米人の闊歩してきた世界・歴史に少し見直しが必要だと教えてくれているような気がする。

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山我 浩(やまが・ひろし)
作家
東京都生まれ。1969年明治大学文学部卒業後、出版社山手書房入社。編集長として『自分の会社を持ちなさい』(竹村健一著)、『リーダーシップの本質』(堀紘一著)、『殿と重役』(ジョージ・フィールズ著)などのベストセラーを手掛けた。現在は独立し、幅広いジャンルで執筆活動を続けている。著書に『安藤百福物語』(毎日ワンズ)など。

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(作家 山我 浩)

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