こうして本当の被害は隠された…原爆投下後「人体への危険性は無視できる」としたアメリカ海軍の極秘文書
プレジデントオンライン / 2024年8月7日 8時15分
※本稿は、山我浩『原爆裁判 アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子』(毎日ワンズ)の一部を再編集したものです。
■原爆投下直前、核兵器開発に成功した米国で作られた報告書
戦時中の1945年6月11日、シカゴ大学に設けられた、「マンハッタン計画」に勝力した7人の科学者による委員会は、原子エネルギー、特に原子爆弾の社会的、政治的影響を検討して、大統領に宛てて報告書を提出した。「政治的・社会的問題に関する委員会報告」をタイトルとするこの報告書は、委員長ジェームス・フランクの名をとって、「フランク・レポー卜」と呼ばれている。
報告書は5つの節からなり、初めに、マンハッタン計画に参加した科学者という特殊な立場から、発言するのは自分たちの義務と考え、「残りの人類はまだ気づいていない深刻な危機を知った自分たち7人が、ここでの提案をなすことが、他の人々への自らの責任である」と記した上で、科学的知見に基づいて、戦後に訪れるであろう世界の予測を行なっている。
そこでは、基礎的科学知識が共有され、またウランも独占はできないため、どんなに機密性を保持したとしてもアメリカの優位が「数年以上我々を守り続けることができると望むのは馬鹿げたことである」として、核兵器のアメリカによる独占状態も長くは続かないだろうと予測した。
■「もし日本に原爆を使ったら、他国からの信頼を失う」と警告
さらに、核兵器にはそれに応じて防ぐ有効な手段を提供できないという致命的な弱点がある。結局、核戦争の禁止協定のような、国家間の国際的合意を行なうことによってしか、戦後の核開発競争と核戦争の危機を防止できないと断じた。
報告書は、この国際的合意の締結のために、「核兵器を日本に向けて初めて使用する手段と方法が、大きな、おそらくは運命的な重要性を帯びる」とした。そして、日本に対する予告なしの原爆使用は、他国からの信頼を失い、国際的な核兵器管理の合意形成を困難にするであろうと警告。
日本に対して、無人地域のデモンストレーション実験を行なうこと、もしくは爆弾を使用する前に早急に核兵器の国際的な管理体制を作り上げるよう、訴えた。
「フランク・レポート」は、「マンハッタン計画」に従事したシカゴ大学の科学者グループから生まれた。原子炉建設など、計画初期には重要な役割を果たしていたが、ドイツが原爆を保有していないことが明らかになる1945年春頃から、グループの科学者の間から、日本への原爆使用への懸念が示されるようになった。
■科学者たちによる原爆使用への懸念は無視された
メンバーはフランクの他、ドナルド・ヒューズ、J・ニクソン、ユージン・ラビノウィッチ、レオ・シラード、J.C・スターンズ、それにグレン・シーボーグである。このうち委員長のフランクは1925年のノーベル物理学賞を、グレン・シーボーグは1951年のノーベル化学賞を、それぞれ受賞している。
「フランク・レポート」は、1945年6月11日、大統領に提出された。
紆余曲折ののち、彼らの提案は拒絶された。
のちにオッペンハイマーは「フランク・レポート」に対して、
「あの当時、反戦派と抗戦派に分断されていた日本政府が、フランクらが主張するように高高度で爆発させ、爆竹程度の被害しか与えないようなやり方で降伏したかどうか自問してみれば、答えは誰でも自分と同じようなものになるだろう。分からないのか」
と語ったが、本当に彼はそう信じていたのだろうか。
■「原爆使用はホロコースト」と指摘したインドのパール判事
終戦後、第二次世界大戦における戦争犯罪を裁くニュルンベルク裁判(ドイツ)と極東国際軍事裁判(日本)が開かれた。極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)で連合国は、ニュルンベルク裁判との統一性を求めた。
インド代表のラダ・ビノード・パール判事は不同意判決書(日本の無罪を主張)の中で、アメリカが日本に原爆を投下したことの犯罪性を不問に付した東京裁判の判決に対して、痛烈な批判を投げかけた。
パール判事は、日本軍による残虐な行為の事例は、「ヨーロッパ枢軸の重大な戦争犯罪人の裁判において、証拠によって立証されたと判決されたところのそれ(ホロコースト)とはまったく異なった立脚点に立っている」と指摘した。
これは、戦争犯罪人がそれぞれの指令を下したとニュルンベルク裁判で認定されたナチス・ドイツの事例との重要な違いを示すものである。その上で判事は、「(アメリカの)原爆使用を決定した政策こそが、ホロコーストに唯一比例する行為である」と論じ、原爆投下こそが無差別的破壊として、ナチスによるホロコーストに比べられる唯一のものである、としたのである。同じ趣旨の弁論は他の弁護士も行なっている。
■パール判事は戦後もアメリカの原爆投下を激しく非難
またパール判事は、1952年(昭和27年)11月に広島を訪れ、講演を行なった。彼は、「世界に告ぐ」と語りかけ、「広島、長崎に原爆が投下されたとき、どのような言い訳がされたか、何のために原爆が投じられなければならなかったか」と強い調子で訴えた。
講演では、「いったいあの場合、アメリカには原子爆弾を投ずべき何の理由があっただろうか。日本はすでに降伏する用意ができていた。投下したアメリカから真実味のある心からの懺悔の言葉を未だに聞いたことがない」、連合国は「幾千人かの白人の軍隊を犠牲にしないため、を言い分にしているようだが、その代償として、罪のない老人や子供や女性を、あるいは一般の平均的生活を営む市民を幾万人、幾十万人殺してもいいというのだろうか」、「我々はこうした手合いと、再び人道や平和について語り合いたくはない」と極めて厳しく、アメリカの原爆投下を糾弾した。
しかし、ナチス・ドイツのホロコーストは極めて深刻かつ重大な犯罪であると断罪されたが、原子爆弾についてアメリカによる戦争犯罪であるという主張は、ついに認められなかった。
日本はアメリカに敗れた。だがそれは日本軍がアメリカ軍に敗れたということで、日本人がアメリカ人に敗れたということではない。敗れた国の民間人が蹂躙(じゅうりん)された記憶を、私たちは忘れてはならない。
■アメリカ海軍は原爆投下からわずか4カ月で「問題なし」
「ATOMIC BOMBS,HIROSHIMA AND NAGASAKI ARTICLE1 MEDICAL EFFECTS」(「原爆・広島と長崎・論説1・医学的影響」)という極秘文書がある。
原爆投下直後から被爆地を調査したアメリカ海軍が投下からわずか4カ月後の12月にまとめたもので、79ページのボリュームがある。
冒頭に「米国および日本による調査に基づき、残留放射線について十分に検討した。そして、爆発の後に残る人体への危険性は無視できる程度であると結論づけた」と記されている。
危険性は無視できる範囲……この表現自体に、またしても驚かされる。一方報告書には、米軍が現地を中心に広範囲にわたって残留放射線を測定したとされており、長崎から約80キロ離れた熊本でも、日本人研究者によって残留放射線が確認されているとある。明らかに矛盾した内容である。
■オッペンハイマー「広島、長崎への投下は人体に影響しない」
この報告書が伝えようとしている最重要事項は、原爆投下による残留放射線の危険は少ない、とする主張である。そしてその根拠とされるのは原爆爆発時に発せられる初期放射線は地上に達することがないので、残留放射線は発生しないという説明である。
これはオッペンハイマーの見解によるものだ。「日本の原爆投下では、地面を放射線汚染から防ぎ、化学戦のような状況を引き起こさないように、そして、大きな爆発による以外の恐怖を招かないように、爆発高度を計算して設定した。原爆は地上600メートルという高い地点で爆発したため、放射性物質は成層圏まで到達し、地上に落ちてくるのは極めて少量になる。そのため、広島、長崎では人体に影響を与える残留放射線は発生しない」というのだ。
もしこの説明が正しかったとしたら、もし報告書が文字通り現実を表していたとしたら、投下後の一切の残留放射線は存在しなかったことになる。原爆症などに苦しむ人々もいなかったことになる。
少なくとも現在、まったく説得力を持たないと見えるこの説明が確たる根拠となって定着させられ、日本の科学者たちが広範に調査して収集した客観的な結果に示された事実、現実を、無いものとして事実上葬り去ったのである(原爆投下後に都築(つづき)正男東大教授が現地で収集した放射能データをGHQは没収、都築を東大から追放)。
■1955年に被爆者が訴えを起こし、三淵嘉子が裁判を担当
戦後、米国による核の独占的支配は間もなく終わりを告げる。ソ連が、アメリカの後を追って核開発を推し進め、1949年核実験に成功して第二の核保有大国となる。ソ連は1950年代には水爆実験をも成功させる。
そのソ連も、捏造したともいえる核の虚構の教科書を疑おうとしなかった。アメリカの都合で固められた理にかなわない説明を、そのまま受け入れている。もっともロシア(ソ連)にとっては、データが改竄(かいざん)されるなど日常茶飯事だから、アメリカが放射線量を低く見積もっていようがかまわない、ということのようだ。
1945年8月、戦いに敗れた日本はアメリカ軍に占領された。占領軍は日本人が原爆投下に疑問を抱かぬよう努めた。メディアもプレス・コードという報道管制に縛られ、沈黙を守った。トルーマンと米軍が犯した非人道的行為は闇に葬られた、かに見えた。
ところが、日本が独立を回復した翌年、1955年、広島、長崎の五人の被爆者が国を相手取って訴訟を起こす。NHKドラマ「虎に翼」の主人公のモデルとなった三淵嘉子が裁判官として担当した「原爆裁判」である。
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作家
東京都生まれ。1969年明治大学文学部卒業後、出版社山手書房入社。編集長として『自分の会社を持ちなさい』(竹村健一著)、『リーダーシップの本質』(堀紘一著)、『殿と重役』(ジョージ・フィールズ著)などのベストセラーを手掛けた。現在は独立し、幅広いジャンルで執筆活動を続けている。著書に『安藤百福物語』(毎日ワンズ)など。
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(作家 山我 浩)
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