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「どうせ死ぬんだから」重度の糖尿病のため58歳で死を覚悟した医師の"最期に後悔しない生き方"

プレジデントオンライン / 2024年8月8日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Wavebreakmedia

後悔せずに、納得して最期を迎えるためには何をすればいいか。医師の和田秀樹さんは「いつ死ぬかわからないと思えば、生きているいまを楽しまないと損だ。貯金が思いの外たまっていたら、一度は運転したかったポルシェを買おうとか、元気なうちに夫婦で世界一周旅行に行けばいい。『どうせ死ぬんだから』と思えば、好きなことができる。逆に、死にたくないと思えば思うほど、人生の充実度、幸福度が下がってしまう」という――。

※本稿は、和田秀樹『どうせ死ぬんだから』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。

■ああ、もう死ぬのか…

あれは、2019年の正月のことです。のどが異常に乾いて10分おきに水を飲まないといられなくなり、夜中に何度もトイレに立つ日が続いて、ひと月で体重が5キロも減ってしまいました。

バイト先の病院の院長先生が心配して採血をしてくれたのですが、血糖値が660㎎/dlもありました。重症の糖尿病です。

私はたまにしか血液検査を受けないのですが、そんなに血糖値が高かったことはありません。体重も激減していることから、膵臓がんの可能性が高いと言われて、あれやこれや検査を受けることになりました。

もうインスリンの分泌がかなり低下して、糖尿病が悪化しているような膵臓がんなら、末期と言ってもいい……。「ああ、私はもう死ぬのか、これまでか」と思いました。

このとき、私はまだ58歳。以前から血圧が高いとか慢性の心不全になりかねないなどと言われていましたから、長生きはできないだろうなと多少は思っていましたが、それでもやっぱり自分にとって「死」は遠いものでした。

はっきりと自分の死を覚悟したのは、そのときが初めてです。

■どうせ死ぬんだから。好きなことをやり尽くそう

当時、「がん放置療法」で知られる近藤誠先生と本をつくるために何回か対談をしていたこともあり、がんが見つかっても、治療は受けないことに決めました。

手術や抗がん剤、化学療法を受けたりしたら、体力がひどく落ちて、やりたいことができなくなる。

その頃、抱えていた仕事もたくさんあったし、まだまだ書きたい本もありました。

膵臓がんといっても最初の1年くらいはそれほどの症状は出ないだろうから、とりあえず治療は何もしないで、好きな仕事を思いっきりしよう、金を借りるだけ借りてでも撮りたい映画を撮ろう、というふうに思ったわけです。

30代の頃から、人間はいずれ死ぬのだから生きているうちに楽しんでおかなきゃ損だとは思っていましたが、リアルに自分の死というものに直面して、残りの人生をどう生きようかと真剣に考えました。

そして、延命のためにがんと闘うのではなく、がんは放置して、残された時間を充実させようという選択をした。

「どうせ死ぬんだから、自分の好きなことをやり尽くそう」と開き直ることができたのです。

結果的に、いくつか受けた検査で、がんは見つかりませんでした。見つけられなかっただけなのかもしれませんが。

ただ、そのとき考えたことは、62歳のいまも私の人生観のなかに息づいています。

■今日という日の花を摘もう

その話を近藤先生にしたら、ヨーロッパの格言通りの考え方だとおっしゃいました。

古代ローマ時代から伝わる「メメント・モリ」は、死を意識しろという言葉だけれど、その対句として「カルペ・ディエム」というのがある。

それは「今日という日の花を摘め」という意味で、要するに「死は必ず来るから、それはしかたないものと覚悟して、いまという時を大切に、楽しく生きなさい」と言っているのだ、と。

コスモスの花を持つ人
写真=iStock.com/Natt Boonyatecha
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Natt Boonyatecha

まさに、私の思うところです。

どうせ死ぬんだから、と投げやりになるのではなく、人間の命には限りがあるのだから、自分の好きなように残りの人生を生きたい。死を見極めると、本当にやりたいことが明確に見えてきます。同時に、どうでもいいこともわかってくる。

だから、時間を無駄にすることもないのです。

■日本人は死ぬことを恐れすぎ

コロナが流行したときに痛感したことなのですが、日本人は人の死をひどく恐れている。「そもそも、人間は死ぬものなんだ」という当然のことが忘れられている気がしました。

テレビメディアが毎日のようにコロナは怖い、恐ろしいと煽り立てたせいもありますが、コロナを必要以上に怖がって、死なないで済むならと、行きたいところへも行かず、レストランで好きなものを食べたり会いたい人と会って話をしたりという基本的人権を放棄した人が大量に現れた。

データを見れば、日本のコロナによる致死率は約0.2%です。死亡者の総数は、6万1281人(2020年1月以降〜2023年1月12日現在、厚生労働省が集計したデータより)で、その80%以上が70代からです。

もっと詳しく言えば、コロナで亡くなった人の多くは高齢者のなかでもとくに弱い高齢者、つまり免疫力がかなり落ちた基礎疾患のある90歳以上や要介護5の人が多く、元気な人や若い人たちはほとんど亡くなっていないわけです。

コロナに限らず、どんな病気であっても、高齢者のほうが重症化するリスクや死ぬリスクが高いのはしかたのないことです。

たとえば毎年、インフルエンザとその関連死で1万人ぐらい亡くなっていますし、風邪をこじらせて亡くなる人も2万人ぐらいいます。風呂場で亡くなる人も年間1万9000人いるわけです。

しかし、それらのほとんどが高齢者です。つまり年を取るというのは、死ぬ確率が高くなるということなのです。

■今日生きていることがすごくラッキー

私は、高齢者専門の精神科医として、20代後半から多くの高齢者と接してきました。診察した患者さんは6000人以上、介護の場や講演会など病院以外も含めると、診てきた数は1万人を超えるでしょう。

最初は浴風会病院という高齢者専門の総合病院に勤めていました。

300床ほどの病院で、毎年、およそ200人が亡くなっていく。在院者の平均年齢が85歳ぐらいですから、風邪をこじらせて肺炎になるとか、食事中に誤嚥を起こすとか、ちょっとした病気でも亡くなる人がいっぱいいるわけです。

その経験が、「人間はしょせん死ぬものなんだ」という人生観を私に与えてくれました。

いま日本では、90歳以上の人が260万人、寝たきりの要介護5の人が約59万人います。表現は悪いけれど、ちょっと背中を押しただけで亡くなる可能性のある人が、結構な数でいるわけです。

病院のベッド
写真=iStock.com/LightFieldStudios
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/LightFieldStudios

260万人の90歳以上の人が、元気に生活をしていたら急に死ぬことはありませんが、ちょっと重い風邪をひいたら死ぬ可能性がある。

59万人の寝たきりの人も、褥瘡(じょくそう)(体重で圧迫されている場所の血流が悪くなり、皮膚がただれたり傷ついたりする状態)などができない限りは命に別状はないけれど、もしできて感染症にかかったり、誤嚥性の肺炎を引き起こしたりしたら、そのまま亡くなっても不思議ではありません。

長年、高齢者専門医として多くの高齢者に接してきた私にしてみると、90歳以上の方や寝たきりの方が、今日生きていることはすごくラッキーなことなんだと、感じざるをえません。

いま元気で意識もクリアだから、すぐ死ぬというイメージはわかないかもしれないけれど、風邪であっても死ぬ可能性はかなり高いのです。

■死ぬときに本当に後悔しない生き方

私の場合、膵臓がんかもしれないと言われたときに、そこで一回、自分の死を覚悟したから、その後、コロナが流行りだしたときも動じることはありませんでした。

「どうせ死ぬんだから、ジタバタしてもしょうがない。いつまで生きられるのかわからないのだから、旅行するのを控えたり外食するのを我慢したりするのはやめよう」と決めて、思った通りに行動しました。

たとえば80歳の人が、コロナが怖いからと行きたい旅行にも行かないで、そのまま亡くなることもありえるでしょう。それで、死ぬときに本当に後悔しないのだろうかと思います。

コロナにかからなくても、高齢者が外出もしないで家に閉じこもり、だれとも会話せず、不安を煽るようなテレビ番組ばかり見ていたら、筋肉も脳もあっという間に衰えてしまいます。

若いうちなら回復も見込めますが、高齢者の場合、引きこもり生活が長引くと、足腰や認知機能にダメージを与えて、結果的に「フレイル」と呼ばれる心身の虚弱状態を招きます。

フレイル状態になると、身体的・精神的な活力が低下し、病気にかかりやすく、ストレス状況に弱くなるとされています。

車椅子に座る老人男性
写真=iStock.com/koumaru
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/koumaru

感染が落ち着いたからといって、どうぞ、旅行や外食を楽しんでくださいと言われても、それがすぐにできるほど簡単に回復できる状態ではないのです。

■3年近くも自粛生活を強いられて、要介護状態に陥った高齢者

実際に、高齢者が3年近くも自粛生活をしていたために、足腰がめっきり弱って歩けなくなったり、転倒して骨折し、入院生活を余儀なくされたりするような事例は数えきれません。

私は、このコロナ自粛をきっかけに、200万人ほど要介護者が増えることになるだろうと推測しています。

高齢者や基礎疾患のある弱者を守るためという理由を掲げて、「コロナ死者を一人も出してはならない」というような無理筋の政策を推し進めた結果が、これです。

若い世代からは、「高齢者を守るために、大したリスクもない私たちが我慢しなければいけないのか」という不満の声も上がり、「高齢者は社会のお荷物」というような風潮が助長されました。

自粛などしたくない高齢者も外では肩身が狭くて、家に引きこもらざるをえなかった。

そして3年近くも自粛生活を強いられて、要介護状態に陥っていくのですから、高齢者こそがコロナ政策の被害者と言えます。

私は、高齢者が元気に生き生きと残りの人生を楽しむためのヒントになればと思って、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)や『80歳の壁』(幻冬舎新書)など高齢者に向けた一連の本を出してきました。

それらが多くの読者に受け入れられているのは、多少早く死んでもいいから好きに生きたいと望む人々の鬱憤が溜まっていたという要因もあるように思えてなりません。

■死にたくないと思うほど「人生の幸福度」は下がる

残念ながら、人間は必ず死ぬものなのです。死なない人はいません。

死ぬ確率は100%。それは、ありとあらゆる科学的真実以上に真実です。

人間なんていつ死ぬかわかりません。わからないのだけれど、年を取れば取るほど、死ぬ確率は高くなる。

だから、ある年齢になったら自分の死を覚悟せざるをえないと思います。確かに死を身近に感じるのは辛いことなのかもしれませんが、もう覚悟を決めなきゃしょうがない。

いつ死ぬかわからないと思えば、生きているいまを楽しまないと損だと思うのは私だけではないでしょう。

和田秀樹『どうせ死ぬんだから』(SBクリエイティブ)
和田秀樹『どうせ死ぬんだから』(SBクリエイティブ)

たとえば今日、「うまいものを食いに行こう」と誘われたときに、今日そこに行かないと一生その食事に出合えないかもしれない、だから行かなくてはと思う。

もし老後もケチケチ節約していて貯金が思いの外たまっていたら、一度は運転したかったポルシェを買おうとか、元気なうちに夫婦で世界一周旅行に行こうとか思うでしょう。

「どうせ死ぬんだから」と思えば、好きなことができるものです。さらに「もう死んでもいいや」って思うことができれば、人間かなり思い切ったことができます。

逆に、死にたくないと思えば思うほど、人生の充実度、幸福度が下がってしまうものです。

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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
1960年、大阪市生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。ルネクリニック東京院院長、一橋大学経済学部・東京医科歯科大学非常勤講師。2022年3月発売の『80歳の壁』が2022年トーハン・日販年間総合ベストセラー1位に。メルマガ 和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」

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(精神科医 和田 秀樹)

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