大切なのはメダルの数でも、選手の美談でもない…パリ五輪に染まった日本のマスコミに抱く"強烈な違和感"
プレジデントオンライン / 2024年8月7日 16時15分
■また「メダルの数」を数える日々が始まった
パリ五輪が開幕した。市の中心部を流れるセーヌ川とその周辺が会場となった開会式は、競技場外での挙行という夏季五輪では初の試みだった。斬新な仕掛けを施しつつ大会ごとにその派手さを際立たせながら、五輪はいまだに生きながらえている。そう印象づけられた。
マスメディアは、感情に訴えかけるナレーションを用いながら、その後も五輪を盛り上げる論調で記事や映像を乱発している。ことさら日本人アスリートのメダル有力候補を取り上げ、その個人的なヒストリーを感情移入しやすいように仕立て上げて、取得メダルを数えることに躍起している。自国開催だった前回大会と比べればその過熱ぶりは控えめながらも、演出が施された五輪特有の祝祭ムードはいつもと変わらず私たちの日常を席巻しつつある。
浮ついた五輪報道に触れれば、いやおうなく3年前の東京2020大会が思い出される。新型コロナウイルスの感染拡大によって緊急事態宣言が出されていたにもかかわらず強行開催したあの大会は、忌まわしい記憶で塗りつぶされている。
■パリ五輪に東京五輪の反省は生かされたのか
この「忌まわしい記憶」についてはすでに書いたのでここでは繰り返さない(「『東京五輪の失敗を繰り返してはいけない』2030年札幌五輪を阻止するために今やるべきこと」)。しかしながら、閉幕後しばらくして大会組織委員会が解散することから十分な検証ができない構造的な問題を思えば、当時の情況は記憶に留めておかねばならない。これを機にぜひ一読しておいてほしい。
華やかなりし建て付けの背後には、利権に基づく不正が渦巻いている。一掃された野宿者や、関連施設の建設に伴い立ち退きという憂き目に遭った居住者など、マイノリティを犠牲にして行われる現行の五輪は、やはり一刻も早くやめなければならない。
■「五輪選手の発信」に目を向けてみる
私は五輪の開催に反対の立場だが、かといって五輪を全く見ないわけではない。五輪反対論者の立場から、この度のパリ五輪をどのように観ればよいのかをずっと考え続けてきた。積極的に観戦すれば「スポーツウォッシング」に加担することになるし、かといって一切の情報を絶って観戦しないのは、五輪を批判するスポーツ研究者としてあるまじき行為である。つまり、五輪反対論者かつスポーツ研究者の私にとっては、「どのように観るか」が切実な課題だ。
また、遠く離れた異国の地での開催という問題も立ちはだかる。自国開催だった東京2020大会では、私たちが住むこの国を、この社会を健全に保つためにという切り口で発言できたが、パリ五輪ではそうはいかない。異国の地で行われる五輪に当事者ではない立場から物申すには、五輪そのものの構造的な欠陥をより本質的に批判する以外にない。社会に及ぼす悪影響を、直接的に害を被らない第三者の立場から冷静に語らねばなるまい。
そう考えて辿り着いたのが、「アスリート・アクティビズムに目を向けること」だった。
■EUROでムバッペが「選挙はサッカーの試合より大事」
パリ五輪が開幕する直前、サッカーの欧州選手権の初戦を翌日に控えた6月16日の会見で、フランス代表のキリアン・ムバッペ選手は「多様性と寛容、尊重こそがフランスの価値観。分断を生む極端な考えには反対だ」と発言した。
投票が近づいていたフランスの国民議会総選挙を念頭に、直前の世論調査でトップに立った右翼「国民連合(RN)」に対し、名指しを避けながらも反対する立場を明確にしたのである。RNが勝利することへの危機感から、総選挙は「試合よりも大切だ」と発言し、若者らに投票を呼びかけた。現役のトップアスリートが、自国の政治情況に対してリスクを恐れず自らの意見を忌憚なく表明したわけである。
「エムバペ選手『選挙は試合より大切」 フランス下院選で異例呼びかけ」 朝日新聞デジタル2024年6月17日
現役のトップアスリートが政治的な発言を行うことのリスクは大きい。SNSなどで誹謗中傷が浴びせられるし、所属チームとの契約に悪影響を及ぼしかねない。アスリート特有の健全なイメージが損なわれれば、スポンサーが離れることも予想される。にもかかわらずムバッペ選手が発言に踏み切ったのは、自分たちが住む社会や互いに営む生活が脅かされるという危機感があったからに違いない。
「私」よりも「私たち」の利益を重んじたムバッペ選手の勇気ある発言に、あらためて目を開かされた。社会的発言を厭わない彼のようなアスリートに、私は市民的成熟をみる。彼の言動からは、華やかなりし非日常空間を醸し出すスポーツも社会と地続きにあるという、至極当然の事実にあらためて気づかされる。
■金メダルを川に投げ捨てたモハメド・アリ
ムバッペ選手が実践した「アスリート・アクティビズム」は、過去の五輪に目を移せば枚挙にいとまがない。
言うまでもなくその嚆矢(こうし)はモハメド・アリである。1960年のローマ五輪で金メダルを獲得し、その後地元に帰って訪れたレストランで黒人だという理由で入店を拒否された。五輪で活躍したところで人種差別はなくならない。そう悟った氏が、取得した金メダルをオハイオ川に投げ捨てた逸話はあまりに有名だ。のちにベトナム戦争への従軍を拒否するなど、アリは選手生活を通じて臆することなく社会に向けてメッセージを投げかけ続けた。
近代五輪の歴史において最も有名な政治行為だとされているのは、1968年メキシコ五輪の男子200m競争で行われた「ブラックパワー・サリュート」である。優勝したトミー・スミスと3位のジョン・カーロスは脱いだシューズを手に持ち、黒いソックスを履いて表彰台に上がった。国歌斉唱の際には目線を下げて頭を垂れ、黒いグローブをはめた拳を高々と突き上げ、黒人差別が横行する現状に異を唱えたのだ。
スミスはのちに「私たちは黒人であり、黒人であることに誇りを持っている。アメリカ黒人は(将来)私たちが今夜したことが何だったのかを理解することになるでしょう」と語っている。
「五輪の表彰台でこぶしを突き上げた黒人金メダリスト 半世紀を経て、BLMを語る」 朝日新聞GLOBE + 2020年8月14日公開
■東京五輪の「アスリート・アクティビズム」
東京2020大会でも「アスリート・アクティビズム」は行われた。
イギリス代表の女子サッカー選手が試合前に「膝つき行為」を行い、日本代表をはじめとする対戦相手もまたそれに追随した。黒人に対する暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴える、国際的な積極行動主義にもとづく運動である「ブラック・ライヴズ・マター」である。
ちなみに、抗議の意味を込めて膝をつくという行為を最初に行ったのは、米プロフットボールリーグ(NFL)のコリン・キャパニックである。警察官による黒人への残虐行為に抗議する意思を示すため、2016年シーズンの試合前の国歌斉唱時にキャパニックは片膝をついて起立を拒んだ。「黒人や有色人種を抑圧するような国の国旗に敬意は払えないので起立はしない」と。
以降、膝をつくという行為は人種差別への抗議を示すアクションとなり、それをイギリス代表の女子サッカー選手をはじめとする選手たちが受け継いだわけである。
「なでしこジャパン、片膝つき人種差別に抗議。Black Lives Matterに連帯するアスリートたち【東京五輪】」 HUFFPOST 2021年7月25日
アメリカ女子砲丸投げのルーベーン・ソーンダーズは、表彰台に立った際に両腕を頭の上で交差させた。黒人で性的少数者でもあるソーンダーズは、「Xポーズ」と呼ばれるこのジェスチャーで「抑圧されたすべての人が出会う交差地点」を示したと語っている。
表彰台での抗議を禁じた国際オリンピック委員会(IOC)の規則に抵触するにもかかわらず行ったのだから、よほど切実な思いがあったに違いない。
「【東京五輪】表彰台で初のデモ行動 砲丸投げ米女子選手が腕を交差」BBC NEWS JAPAN 2021年8月2日
競技成績を残すことと並行して、自らが及ぼしうる社会的な影響力を自覚した上でのこうした行動は、目を凝らせばたちまち見えてくる。進退をかけた彼、彼女たちのメッセージを、私たちは勝敗をめぐる言説をかき分けながら真摯に受け止めなければならない。
■スポーツ界から追放されてでも伝えたかったこと
先に述べたメキシコ五輪での「ブラックパワー・サリュート」には、また別のストーリーがある。
銀メダルに輝いたオーストラリア代表のピーター・ノーマンは、白人でありながらもトミーとジョンに賛同し、ふたりがつけていた「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(Olympic Project for Human Rights)」のバッジを胸につけて表彰台に上がった。
大会後、この行為に批判が殺到し、アメリカスポーツ界から事実上の追放を余儀なくされたスミス、カーロスと同じくノーマンもまた不遇の時を過ごした。1972年ミュンヘン五輪では、予選会で3位の成績を残したにもかかわらず代表に選出されなかった。晩年は鬱に苦しみ、2006年にこの世を去った。葬儀にはスミスとカーロスが列席し、棺を担いだ。
ノーマンが亡くなる前年の2005年、スミスとカーロスの母校であるサンノゼ州立大学は彼らの抗議行動を賞賛し、表彰式での様子を再現した銅像を建立した。だが、ノーマンが立っていたはずの2位のスペースにノーマンの銅像はない。「自分が立ったのと同じ場所に、皆も立ってほしい」。そうノーマンが願ったからである。
■「社会に対する自分の考え」を発信してほしい
私は、このノーマンの願いを受け止める。勇気を持って声を上げた人に寄り添い、本人と社会にそれを伝えるために声を上げたい。五輪そのものにNOを突きつけ、「アスリート・アクティビズム」に着目してパリ五輪を見届けようとする私の心の奥底には、このノーマンの遺志が確かに存在している。
とくに日本人トップアスリートからのメッセージを、私は期待している。なにも人種差別への抗議や政治的な発言といった大きなイシューでなくてもかまわない。スポーツの枠内にとどまらず社会で起きていることに関心を向け、それに対する自らの考えを示すだけでいい。子供たちに夢を与えられると思っているならば、その子供たちが伸び伸びと健やかに育つ社会を築くためにはどうすればいいのかをぜひとも口にしてほしい。
■「子供たちに夢を」は何も言っていないのと同じ
たとえば、日本では子供の9人にひとりが相対的貧困であることをどう思うのか。あるいは自治体によっては量も質も低下する学校給食についてどう感じるのか。スポーツハラスメントに苦しむ子供を減らすにはどうすればよいのかなど、「夢を与える」というなんら具体性に欠けるメッセージではなく現実を踏まえたメッセージを発信してほしい。そして、メディアはこうした発言を積極的に取り上げていただきたい。
アスリートがその競技だけに打ち込むのは美談でもなんでもない。アスリートは夢の国の住人などではなく、社会で生きるひとりの人間だ。だからこそ果たすべき責務がある。
ひとりの人間として、自ら依って立つ社会を健全化するためにその影響力をすべからく行使できる人が、これからのアスリートのあるべき姿だ。こうしたアクティビズムに一歩を踏み出すアスリートが日本に増えれば、スポーツの社会的価値は確実に書き換えられるだろう。
この度のパリ五輪は、アスリートたちの卓越したパフォーマンスを楽しむとともに、いやそれ以上に「アスリート・アクティビズム」に目を向ける。
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神戸親和大教授
1975年、大阪府生まれ。専門はスポーツ教育学、身体論。元ラグビー日本代表。現在は、京都新聞、みんなのミシマガジンにてコラムを連載し、WOWOWで欧州6カ国対抗(シックス・ネーションズ)の解説者を務める。著書・監修に『合気道とラグビーを貫くもの』(朝日新書)、『ぼくらの身体修行論』(朝日文庫)、『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『たのしいうんどう』(朝日新聞出版)、『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)がある。
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(神戸親和大教授 平尾 剛)
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