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「上司に媚びを売るのは嫌だった」手術執刀のチャンスを得るために研修医が実行した"おべっか以外の戦略"

プレジデントオンライン / 2024年8月15日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Gumpanat

上司から仕事のチャンスをもらうためにはどうすればいいのか。外科医で作家の中山祐次郎さんは「研修医時代、手術で執刀する機会を得るために、どうやったら上司が『中山にやらせてみるか』と思うかを想像して戦略を練った。上司に媚を売っておもねるやり方は嫌いだったので、違う方法を選んだ」という――。

※本稿は、中山祐次郎『医者の父が息子に綴る 人生の扉をひらく鍵』(あさま社)の一部を再編集したものです。

■手術が上手くなるためには、手術をするしかない

今回は、僕がどんな風にして手術の腕を磨いていったかという話をしてみたい。この話は、君がなにも外科医にならなくても役に立つと思う。「戦略」をどう練り、どうステップアップしたかという実話だからだ。

僕は鹿児島大学医学部を卒業し、その春から東京で研修医として働き始めた。最初の1カ月は食道外科という、厳しい外科の中でもっとも忙しいと言われる科で働いた。たぶん、人生で一番しんどい1カ月だった。いつか小説に書いて仕返ししてやろう、なんてことを思う暇もなかったのだ。

こうして僕の医者人生は始まった。厳しい指導ではあったがなんとか外科医としてトップランナーの一人になることができた。

そもそも僕は手先がすごく器用というわけではなかった。クラスで半分よりは上だけど、トップ五人には入らないかな、というくらい。

だけど、「決められた時間内に折り紙を十個折る」みたいなことはとても上手だと思う。

手術が上手くなるためには、手術をするしかない。

でも、手術ができない人には危なくて手術なんかさせられない。

この冗談みたいな無限ループからなんとかして一度飛び出さないと、手術をやらせてもらえるようにはならない。このことに気づいたのは、外科医になってからだった。

だから、どうやったら手術が上手になるのかを自分の頭で考えた。そして、手術が上手な外科医に聞いて回った。その結果、わかったことが三つあった。

■「目より手が先に肥えることはない」

まず、たくさん手術を見ること。「目より手が先に肥えることはない」という言葉を聞いた。だからとにかく空いた時間を見つけては手術室に行き、ずっと手術を見た。

かなり集中して見ていたもんだから、15度に設定された涼しい手術室で立って見学しているだけなのに汗だくになったものだ。

同世代で僕より手術を見た人間はいないと思う、それくらい手術を見ていた。見ることで、非言語的な知識が身についた。

たとえば、看護師さんにものをもらう時に言う用語やタイミング、上司のくせや機嫌の上下、手術室全体の雰囲気、など。上司からも「よくわからんがいつも手術を見学している見上げたやつ」という好評価が得られたのはたまたまだったけど。

そして、たくさん勉強すること。人体の構造というのは思ったより複雑で、暗記しなければならない血管や神経がたくさんあった。

■丸2年、左手でお箸を持ってごはんを食べた

あらゆる技術にはコツがあり、上に引っ張るより手前に引っ張ったほうが速く進む、なんて知識も覚える必要があった。僕は手術の教科書を繰り返し読み、手術中に外科医に質問をし、手術が終わったらまた質問をしてノートにまとめた。タカハシ先生の縫い方はこう、オオハシ先生はこう、と外科医によってやり方が違うのだ。まるで受験勉強のようだ、と思った。

さらに、手先が器用になること。手先の器用さは、人によって違う。小さい頃からとても器用な人がいる一方で、どう考えても外科医をやらないほうがいい著しく不器用な人がいる。最初に言ったように僕は中の上くらいだったから、とにかく練習をした。

でも、学生と違って仕事をしているから、時間は限られている。

そこで、僕は休みの日にも家で練習をし、出かけていても電車の中で練習をした。

「糸結び」という、一人前の外科医なら誰でも高速かつ確実に糸を3〜4回結ぶ技術だ。

これならそれほど怪しくはない。

さらに、左手でお箸を持ってご飯を食べることにした。食事の時間がトレーニングになり、時短効果も高い。おまけに最初は全然上手に食べられず、ストレスで食事量が減ってダイエットにもなった。

丸2年やってなんでも食べられるようになり、自分へのご褒美に鰻丼を食べて終わりにした(たぶん、鰻丼が一番難しい)。「左手お箸トレーニング」は僕が出した手術の教科書にも練習方法として載せた。

鰻丼
写真=iStock.com/flyingv43
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/flyingv43

■媚を売って上司に気に入られるのは嫌だった

この三つだけでは、もちろん手術ができるようにはならない。あとは、上司が「中山にやらせてみるか」と思わなければならない。

誤解のないように言っておくが、手術は主治医の責任のもと、安全にやれると判断した場合にのみ若手に執刀させ、主治医は指導をしてその結果の全責任を負う。

僕を含む若手は、どうしても執刀したい。しかし手術の数には限りがある。

僕は、どうやったら上司が「中山にやらせてみるか」と思うだろうか、と想像した。これが戦略を練るということだ。

まず、上司に気に入られる必要がある。簡単ではないが、仲が良くなるのが理想だ。

おべっかを使い、上司に媚びを売っておもねる方法はある。だが、僕はそのやり方が嫌いで、どうしてもやることができない。

でも、物怖じせず上司にどんどん質問したり話しかけたりする度胸はあった。

これだ。僕は上司にガンガン質問をし、飲み会では積極的に話しかけ、「なんで外科医になったんですか」から「奥さんはどんな人なんですか」までなんでも尋ねた。

自然と僕は上司の外科医たちと仲が良くなった(中には、中山は生意気だと嫌う人ももちろんいた。当時の外科医の中には、とにかく従順さを重視する人が少なくなかった)。

それだけで手術を執刀させてもらえるわけではない。加えて、熱意を見せることだと僕は考えた。

上司が、「中山はこれだけ頑張っている、やらせないわけにはいかない」と思わざるを得ないような熱意だ。

■朝一番に来て雑用をし、夜は最後まで残って後輩を指導

その熱意を示すにはどうすればいいだろうか。単純なことだ。

僕は朝一番に来て誰よりも雑用をし、夜は一番最後まで残って後輩の指導をした。そして日中の空いた時間には必ず自分の業務と直接は関係ない手術を見学した。さらに、手術ではない仕事、学会発表や論文作成といった仕事も全力でやった。

その頃、僕はそういう仕事を人の3倍やろうと思っていたし、実際に3倍くらいやっていたと思う。

そのためには夜遅くまで病院のデスクでパソコンに向かったし、休日も遊びに行かずひとり病院にいたのだが。

かくして、僕は歴代の若手外科医で初めて、腹腔鏡の大きな手術を執刀させてもらった(もちろん、上司の指導のもとで、だ)。

中山祐次郎『医者の父が息子に綴る 人生の扉をひらく鍵』(あさま社)
中山祐次郎『医者の父が息子に綴る 人生の扉をひらく鍵』(あさま社)

一学年上の先輩がそれを聞きつけて、

「えっ、中山が執刀したの! なんでだよ!」

と医局で大声で叫んだほどだ。僕は、当然だ、とは思わなかったけど、自分の立てた戦略が合っていたし、戦略に沿った努力も十分な量だったと思った。

どんな仕事にも、こういう「超えなければならない壁」はあると思う。

壁を乗り越え、扉を開く鍵は、一人ひとりで違う形をしている。自分に合った鍵を手に入れるために、自分の頭で「自分に適した」戦略を考える。戦略が立ったらあとはがむしゃらに努力をする。これは、どんな仕事にも共通することだ。

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中山 祐次郎(なかやま・ゆうじろう)
外科医・作家
1980年神奈川県生まれ。鹿児島大学医学部医学科卒業後、がん・感染症センター都立駒込病院外科初期・後期研修を修了、同院大腸外科医師として勤務。福島県高野病院院長、福島県の総合南東北病院外科医長を経て、神奈川県茅ヶ崎市の湘南東部総合病院外科に勤務。2023年、福島県立医科大学で医学博士。2021年、京都大学大学院医学研究科で公衆衛生学修士。小説『泣くな研修医』(幻冬舎)はシリーズ57万部を超えるベストセラーに。著書に『医者の本音』(SBクリエイティブ)、『俺たちは神じゃない 麻布中央病院外科』(新潮文庫)、『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと』(幻冬舎)、『医者の父が息子に綴る 人生の扉をひらく鍵』(あさま社)など。手術教科書『ラパS』『ダヴィンチ導入完全マニュアル』(共にメジカルビュー社)、若手医師向け教科書や看護学生向け教科書『ズボラな学生の看護実習本 ずぼかん』(照林社)など。二児の父。

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(外科医・作家 中山 祐次郎)

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