「謹慎処分になってよかった」甲子園常連・履正社の元監督が、部員を平手打ちして気づいた"スパルタ指導"の罪
プレジデントオンライン / 2024年8月13日 9時15分
■「何でどつかれるねん」が「どつかなあかん」へ
「どつかなあかん、厳しい練習をせなあかん、休みなんか与えとったらあかん」
当時の岡田監督の心理を、端的に表した言葉であろう。
だが、二十数年前、自身が高校生のときは真逆のことを思っていた。
「何でどつかれるねん、何でこんなに厳しい練習をせなあかんねん、たまには休みをくれや……!」
大阪市出身の岡田監督。小学生のときは野球をやっていたが、中学では野球部とバレーボール部をかけ持ちし、2年生に上がるときにはバレーボールのほうが面白くなり、野球部を退部。3年時にはキャプテン、エースアタッカーとして活躍した。
高校でもバレーボールを続けるつもりだったが、信頼を寄せていた中学の先生から、「高校でやるには身長が足りない。バレーはあきらめて、もう一度、野球をやったらどうだ?」と言われ、野球に戻ることを決めた。
ところが、大阪で「私学七強」(興国、明星、PL学園、浪商、北陽、近大付、大鉄)と呼ばれた学校は、どこもスポーツ推薦でなければ、満足に練習ができず、メンバーにも入れない状況だった。バレーボール部に所属していたため、野球の実績は何もなく、推薦がもらえるはずもない。たまたま、知り合いが東洋大姫路を紹介してくれることになり、一般入試で府外の強豪に入学することになった。
■毎日「もう辞める」と電話するほどつらい練習
当時の東洋大姫路は、梅谷馨監督の指導のもと、猛練習で鍛え上げた守備と走塁を中心にしたソツのない野球で甲子園常連校となっていた。1969年夏に初出場を遂げると、1972年から74年まで夏の兵庫大会を3連覇。1976年のセンバツでベスト4まで勝ち上がると、1977年、岡田監督が入学した年の夏に全国制覇を成し遂げた。
「強い学校とはわかっていたので、『甲子園に出られるかもしれない』ぐらいの気持ちで、入部しました。ただ、大阪から来たこともあって、練習の雰囲気などはまったく知らず……。最初は、『とんでもない学校に来たな』と思いました。もう、無茶苦茶なことがたくさんあって。入学してから、ほぼ毎日のように『もう辞めて帰るわ』って母親に電話していました」
■罵声や暴力に耐えた者だけがレギュラーになれる世界
当時の東洋大姫路は、県内でもトップクラスの厳しい練習で有名で、部員の半分以上が途中で辞めるような状況だった。指導者や先輩から罵声が飛ぶのも、叩かれるのも当たり前。それを耐えて、乗り越えたものが、レギュラーとして活躍できた。
東洋大姫路だけではないだろう。当時は似たようなことが、全国さまざまな学校で起こっていたと容易に想像できる。
「当時、高野連に報告される不祥事は年間で数件だったと思います。そもそも、報告が上がらない。親も選手もどこかで、“高校野球はそれが当たり前”という気持ちがあったんでしょう。それに、指導者の多くは教員であって、あのときの時代背景を考えると、『教員=大学を卒業した偉い人』という考えがあって、『先生がやっていることだから、正しいこと。偉い先生にうちの息子をお任せします』という風潮があったんじゃないですか。大学を出ている親が、今と比べれば少ない時代でしたからね」
「辞めたい、辞めたい」と日々思いながらも、「辞めます」と言い出す勇気もなく、2年生の新チームからはキャプテンを務め、3年春にはセンバツに出場することができた。練習量だけは、他校に負けない自信があった。
■開き直らないと生きていけない
高校3年間の指導を、「アメとムチではなく、ムチ100パーセント」と語る岡田監督。とてもわかりやすい表現だ。指導者から褒められた記憶がない。
あえて聞いてみるが……、この3年間で得たものとは何なのか。
「開き直ることの大事さですかね。怒鳴られて、どつかれてばかりいたんで、もうあるときに開き直ったんですよ。怒られへんようにやろう、どつかれへんようにプレーしようと思うこと自体が消極的で、そんな気持ちでやっていたら、ミスが出て当たり前。相手と戦わずに、ベンチと戦っている状態ですから。何をしても怒られるのなら、思い切ってプレーをしたほうがええやろうって」
3年生になってからは、一番打者を任されることが増えた。東洋大姫路の攻撃の掟は、「球数を投げさせて、ピッチャーを疲れさせる」。初球から打つことはご法度だった。
「1球でアウトになったら、どつかれていたんです。だから、1ストライク目は必ず見逃す。そこからの勝負でした。もう開き直るしかないですよ」
根性がなければ、生き抜けない世界だろう。
「勝利に対する執着心や執念、あとは気合いと根性、それは間違いなく養われました。あえて挙げれば、昔の指導法の良いところなのかなと思います」
■履正社を甲子園常連校に育て上げた
卒業後に進んだ日本体育大は、180度違うスタイルだった。全体練習が短く、自主練習が長い。サボろうと思えば、いくらでも手を抜ける環境にあった。
「高校時代は、自主練習なんてものはほぼなくて、指導者から言われたことを必死にやっているだけ。だから、大学に入って、最初のうちは自主練習の仕方がわからなくて、先輩たちの姿を見ながら、自分なりに学んでいきました」
自分自身の長所や短所を理解しておかなければ、自主練習の質を高めることはできない。「試合に出るために今必要なことは何か?」「ライバルに勝つには、今どんな練習をすべきか?」。指導者からの完全トップダウンの高校時代には、こうした思考を持つことすらなかった。
大学卒業後は、社会人野球の強豪・鷺宮製作所で1年間プレーしたのち、1985年から大阪市立(現・大阪府立)桜宮高の体育教師・野球部コーチとして2年間勤務。1987年から縁あって、履正社の監督に就くことになった。
最初の部員は20名ちょっと。1回戦を勝つのがやっとのレベルだったが、「甲子園に行くぞ!」と目標を高く掲げ、厳しい練習を課した。その後、野球部が学校の強化クラブに指定されたこともあり、能力の高い部員が徐々に増え、甲子園を狙えるところまで力を付けていった。
初出場は1997年夏。5回戦以降、大阪産業大付(3対2)、汎愛(2対0)、大阪桐蔭(2対1)、関大一(2対1)と、すべてロースコアの接戦をモノにして、大阪大会を勝ち抜いた。当時は、恩師・梅谷監督の影響を受け、守備と走塁を徹底して磨くスタイルで、甲子園でも得意のロースコアに持ち込むも、専大北上に1対2で惜敗した。
■「気付けば高校時代のイヤな指導を肯定していた」
その後の夏の大阪大会では、1998年は3回戦で桜塚に3対4、1999年は5回戦で大阪産業大付に5対6、2000年は決勝まで勝ち進むもPL学園に2対4で敗れた。
勝つのも接戦であれば、負けるのも接戦。「あと一歩」だからこそ、練習に熱が入った。ふがいないプレーがあれば、怒声が飛ぶ。厳しく、きつく指導することが、チームの強化につながると信じていた。だが、前述した通り、行きすぎた指導が明るみに出て、謹慎処分を受けることになった。
グラウンドを離れ、冷静になって考えたときに、思ったことがあった。
「イヤだと思っていた教えなのに、指導者になった今、同じことをやっている」
立場が変われば、人が変わる……とは、よく言ったもので、「監督」という肩書きが付いたとき、その引き出しにあった指導法は、東洋大姫路で受けた教えだった。強くなるには、猛練習が必要。妥協を許さず、できるまでやらせる。ときには“痛み”をもって、根性を植え付けることも必要。
「気付いたら、高校時代に受けたことを肯定するようになっていたんです」
深い一言だった。
■自分を変えた「監督と親」の二者面談
謹慎処分は、2001年の8月から年明けまでの6カ月。高野連からは、「岡田先生、次はあかんで」と警告を受けていた。次にまた同じことをすれば、もうグラウンドに戻ることはできない。それは、自分自身でも十分に理解していた。
今までの指導を変えなければいけない。では、どうすればいいか――。
「選手とも親とも、積極的に会話をして、コミュニケーションを増やす。それしか考えつきませんでした。投書をした保護者が誰なのか未だにわかっていませんが、おそらくは、試合に使ってもらえないことで、何かしらの不満があったのだと思います。たとえばですけど、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんが見に来た練習試合で、我が子が起用されないとなったときに、『うちのはまだ力不足やな』と思う人もいれば、『何で? うちの子はやればできるのに、監督は何を考えているんや!』と思う人もいるわけです。どう思われるかはそれぞれの考えがあって当然なので、大事なのは、こちらがちゃんと説明をすること。『お子さんは今こんな練習を頑張っていて、こういう状況なんですよ』と伝えることができれば、親からそんなに大きな不満は出てこない。そんなことを考えるようになりました」
履正社は大阪の強豪にしては珍しく、寮を持っていない。練習が終われば、自宅に帰り、夕飯を食べる。そのときに、親であれば、「今日の練習どうやった?」と聞きたくなるものだろう。元気のない姿を見れば、「どうした?」と気になるもの。監督から、「息子さんは頑張っていますよ」という言葉が少しでもあれば、心配な気持ちがありながらも、信頼して任せることができるはずだ。
現場に復帰後、しばらくしてから始めたのが、二者面談だった。「監督と選手」だけでなく、「監督と親」の面談を設け、現状とこれからについて、しっかりと話し合うようになった。
■保護者は「わが子が放っておかれること」に不安を覚える
「最初は、三者面談を考えていたんですけど、当時の保護者会長から『子どもがいないほうが、監督とじっくり話ができる』という要望があって、二者面談にしました。ぼくからしたら、時間が倍かかることになるんですけど、自分が変わらなければいけないのはわかっていましたので」
それまで、選手と面談をすることはあっても、保護者と1対1で話す機会はほとんどなかった。保護者会長との相談の末、1、2年生とは全員面談をして、保護者については2年生の親を対象とすることになった(冬に実施)。この二者面談は、履正社を辞めるときまで続いた。
「保護者と話すようになってわかったことは、自分の子どものダメなところを言われても、悪い気にはならないんですよね。『監督はウチの子をちゃんと見てくれている。あかんところをわかってくれている』と。親にとっての不満は、我が子のことを放ったらかしにされて、見てもらえていないことです」
■謹慎で気付いたコミュニケーションの重要性
履正社の後半には、すべてのクラブ活動の統括責任者を任される立場になった。保護者からクレームが入れば、校長のところに話がいく前に、責任者である岡田監督が話を聞きに行く。剣道部の保護者からは、こんな話を聞いたという。
「剣道では指導者が1対1で稽古をつける練習があるようで、『別の子は5分間指導をしてもらったのに、うちの子は1分で終わっていた』という相談がありました。『いやいや、お父さん、教える内容によって、指導の時間は変わってきますよ。ぼくが見ている野球でも……』と話をさせてもらいましたが、結局、『うちの子は見てもらえていない』というのが親にとっては一番不満が溜まることがよくわかりました」
だからこそ、積極的にコミュニケーションを取り、対話をして、現状の様子を伝える。謹慎処分を受ける前は、グラウンドで選手たちを鍛え上げることを第一に考えていたが、それだけでは監督としての指導が足りないことに気付かされた。
さらに、積極的に保護者の力を借りるようにもなった。自宅からの通いだからこそ、親と子の関わりが多い。そこをプラスに考えた。
「親御さんに参加意識を持ってもらおうと思いました。子どもの体を作るには、家庭での食事が一番重要で、我が子の体が大きくなっていけば、お母さんも嬉しいものですよね。お茶当番とかは必要ないので、『お子さんをしっかり見てください。食事のことはお願いします!』という話を、保護者会でもするようになりました。自分の子どものことなので、それはもう一生懸命に愛情を注いでくれます」
管理栄養士による栄養講習会を開き、筋肉量を増やすにはどんな食事が必要かなど、基礎知識を学べる場を設けた。さらに、栄養調査にも力を入れ、個人個人の食事内容を分析して、必要な栄養素などがわかるようにした。
■謹慎になって良かった
――もし、不祥事が明るみに出なければ、岡田監督の指導法は変わらなかったですか?
「たぶん変わっていないですね。謹慎処分を受けたからこそ、今までの自分を変えようと思ったのは事実です。だから、あとになってから言えることですけど、『謹慎になって良かったな』と思います。ただ、そのあと、2012年に桜宮高校のバスケットボール部で起きた体罰が大きな社会ニュースになりましたよね。遅かれ、早かれ、そのときには今のままの指導ではいけないと、さすがに気付いたと思います」
トップダウンのスパルタ式指導を変えることへの葛藤はなかったのだろうか。
「勇気は要りました。でも、次にどついたら、監督として終わりですから。できない環境に置かれたからこそ、変わることができたのだと思います」
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スポーツライター
1977年生まれ、横浜市港南区出身。港南台高(現・横浜栄高)-成蹊大。スポーツライターの事務所を経て、2003年に独立。『野球太郎』『中学野球太郎』『ベースボール神奈川』などで執筆。主な著書に『高校野球激戦区 神奈川から頂点狙う監督たち』などがある。仙台育英・須江航監督の『仙台育英 日本一からの招待 幸福度の高いチームづくり』では構成を担当した。21年に『育成年代に関わるすべての人へ ~中学野球の未来を創造するオンラインサロン~』を開設。
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(スポーツライター 大利 実)
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