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1.5mmの虫をじっと観察する…紙オムツの要介護5の84歳直木賞作家が心震わせる「500円玉くらいの感動」の日々

プレジデントオンライン / 2024年9月4日 16時15分

■生きているうちは少しでも前に進む

私は、今年84歳です。要介護5の車椅子生活です。もう、明日死んでも変じゃない。しかしあるいは、これから4年か5年は生きるかもしれない。であれば、生きなきゃしょうがない。生まれるという現象には、「生まれたからには生き続けよ」という、無言のメッセージが含まれていると、私は解釈しています。

そして、生きるためには、何か手立てを講じて、自分のやり方で、生きる糧を得なきゃしょうがない。生きる糧がなければ干上がっちゃいますからね。まずは、糧を得るための仕事があって、私の場合、その仕事が今では生き甲斐にもなっているように感じます。

車椅子生活でも、私の場合は介護の人がつかなければ外出は不可能です。関節リウマチが悪化して、体の可動範囲はすごく狭い。ベッドから車椅子に移乗するのもひとりではできません。トイレに行くのも一苦労です。だから現在はオムツを使っています。

それでも、体調のいいときは一日3時間くらい、パソコンの前に座って、左手一本でキーボードをポチリポチリと押して、文章をひねり出しています。そんな私ですから、ここ数年は、体の負担を考えて、大きな連載は整理しました。現在抱える連載は月に1度、デイリースポーツでのギャンブルに関するコラムです。これは今年で16年目に入りました。楽しんでやっているのであと半年や、1年ぐらいはやれそうかな、と思っています。

あとは単発のエッセイなどを随時、書いています。また、X(フォロワー44万人以上)への投稿も毎日欠かしません。というのも、私の言葉で励まされている人が、少なからずいらっしゃるようなのです。そういう方々に、こんな自分でも役に立てているのかな、と思えるから続けています。

一昨年は絵本も含めて、3冊の本を出版しました。昨年は1冊を上梓することができました。ただ、絵本以外は、私自身の人生から導き出した、どちらかというと自己啓発のような分野の書籍です。こうしたもの以外に、実は書きたいと思っている長編小説の構想も2、3本あります。

作家としての人生を振り返ると、私はいろいろなものを書き飛ばしてきた人間です。原稿用紙で300〜400枚の作品を、3、4日で書いていた時期もありましたよ。でも、今は小説というものに、じっくり腰を据えて取り組んでみたいと思っています。まぁ、そうでなくてもこんな体なので、執筆のスピードはゆっくりなんですけどね(笑)。一日に1枚とか2枚とか、具合の良くない日は2、3行のこともあります。それでも、3分の2くらいまで書き進めた長編小説があります。担当の編集者は、気長に待っているから少しでも書き進めてください、と言ってくれています。

こうやって、生きている間は、1mmでも先へ進む。1行でも2行でもいい。少しずつでも進んでいくことが、私の心の糧になっているのです。

■要介護5の車椅子生活が開いた新しい世界

2017年に関節リウマチを発症しました。当時77歳。この年齢だから、そうした病気にかかるのも仕方ない、という思いもあり、生活態度を変えなかった。

けっこう飲み歩いたりもしていたんです。医者に処方された薬が効いていて、それに頼りきりになっていたというところもあったように思います。

19年の5月に、1週間の予定で、福島県の西会津にある温泉に出かけました。関節痛に効能があると言われる温泉です。関節痛を癒やすつもりで行ったのに、宿に到着したその日、入り口からホールに上がる10cmほどの段差に上がった途端、バランスを崩して後ろにひっくり返って転んでしまった。

当時は、用心のために、杖をついて生活していたのですが、それで体を支える隙もなかった。床はタイル張りです、頭を打ったら大変だと、とっさに頭部をかばうのだけで精一杯でした。このときに、床で腰を強打した。

その日はなんとか、痛みをこらえてお湯に浸かったのですが、2日、3日と時間が経過するごとに痛みが強まってきて、結局4日目の朝に宿から救急搬送されてしまった。診断は腰部の圧迫骨折でした。

ここから車椅子の生活です。その時点で要介護3となりました。

17年に関節リウマチになったときに、少しは生活を見直せばよかったのかもしれないけれど、19年に圧迫骨折をやらかすまで、今考えるとむちゃな2年間でした。その反省もあって、車椅子生活をすんなり受け入れることができました。その後は圧迫骨折が災いしたのか、関節リウマチが悪化して、要介護4になりました。さらに、今年の5月に要介護5の認定を受けました。

今の私がひとりでやれることは、歯磨きと食事、そしてパソコンとスマホの操作だけです。それ以外は妻やヘルパーさん、近くに住む次男夫婦の手を借りています。お風呂は週に2回、特別な浴槽を自宅に運び込む入浴サービスを使っています。

要介護5になってからは、ベッドで過ごす時間が増えました。

こちらがあまり動けないわけですから、何か条件が揃わないと世界は動かない。例えば来客があれば、自分の世界が揺れ動く。その揺れ動きを感じることが、意外に楽しみなんです。考えてみれば、こんな体になったことで、嫌な人間に会わなくても済みます。自分ひとりで、もうひとりの自分と対話をする。そうした時間の楽しみは、健全な体では思いもよらないことです。

先日、部屋の隅に虫を見つけました。1.5mmくらいの小さな虫です。なんだろうと観察していると、ハエトリグモの子どもだとわかった。こいつはどうやって生きているのだろう。窓を開けたら飛び込んでくるもっと小さな虫を捕らえて餌にしているんだろうな。

それからはその餌となる虫を見つけようと躍起になっています。こういうときに世界が揺れ動く。果物にたかるショウジョウバエを見て、この家の中でも彼らの営みがある。そうした発見は、今の私が小さな世界にいるからこそ受け取れる感動です。500円玉くらいの感動だけど、私にとってはとても大切な感動です。

私は、過去に執着しないことにしています。人は何かに執着すると、あのときああすればよかったとか、こうするべきだったと、思い悩んでしまう。過去には当然、良いことも悪いこともあります。執着し、それを引きずると、足が重くなって前に進めない。ただ、執着を断ち切るのは非常に難題です。失敗にはどうしても執着しがちです。でも、そのすべてを受け入れることが重要なのだと思っています。

志茂田 景樹

私は、失敗が重なって車椅子生活になりましたが、今は受け入れています。失敗には学びがあります。失敗があったから今の自分があると受け入れる。

関節リウマチになったときに、それまでの人生を悔い改めて生活を改善していたら、今のような体になっていなかったのかもしれません。でも悔い改めて、過去の自分を否定してしまったらそれきりなんです。過去の自分を受け入れて、方針転換をすることはあるでしょう。でも過去を否定するような悔い改めは必要ありません。そして執着よりも、愛着を持つこと。私は今、前述したように少しずつ長編小説を描き進めています。まだまだ完成はしないけれど、もうすでに愛着が湧いています。過去に執着せずに、今に愛着を持つことも大切なのだと思います。

■死に神がやってきても小説の1~2行を書く

今仕事をしている人が65歳で定年したら、今の私の年齢までは19年ありますね。これだけあったら結構なことができます。そこで何を考えるか。過去に執着しないで、未来に向かって高齢になった自分の人生の設計を本気で考えてみたら、未経験の19年ですから、興味津々になれるんじゃないでしょうか。

今年の4月ごろ、要介護5に認定される少し前、私は老人ホームへ入ろうかなと考えていました。そのほうが私自身も安全安心な環境で、仕事ができるかなと。また、妻や次男夫婦への負担も、軽くしなければという思いも強くありました。だから、その2つの思いを実現するために、まず第1弾として、自宅から車で10分くらいのところにある介護付き有料老人ホームに、1週間の予定で体験入居をしたのです。

その3日目だったかな、たまたま3カ月に1度の定期検査がありまして、施設側が用意してくれたリフト付きの車で病院に行きました。検査を受けたところ、いろいろな数値が芳しくなくて、そこから16日間の入院となってしまった。

入院期間中は、検査検査の毎日で、体力も消耗したのでしょう。要介護5の認定を受けたのは体験入居の前ですが、退院後は老人ホームではなく、自宅に戻りました。不思議なもので、要介護4のころは、どこかに遠慮があったのです。妻や息子たちに対する遠慮ですね。でも、今は、私自身、少し意識が変わってきているようです。

この状況を受け入れて、やれることはすべてやってみようと思えるようになった。今では、要介護5で受けられるだけの介護サービスをフルに使って、自宅で生活しています。

朝の着替えや、ベッドから車椅子の移乗などは、毎日ヘルパーさんに手伝ってもらっています。看護師さんによる1週間に2度の訪問看護、月に2回の医師による訪問診療などなど、ケアマネジャーさんも親身になってケアプランを作ってくれました。今はほぼ私の理想通りの介護ネットワークができたと思っています。

そうした環境があるからこそ、作品を描き続けることができています。自分の時間があとどのくらい残っているのか、わかりません。明日かもしれないし、5、6年先かもしれない。それはそれでいいわけです。

志茂田 景樹

例えば死に神みたいな者がやってきて、明日でおまえの人生は終わりだよ、それが天の定めだよ、みたいなことを言っても、冗談だろうと受け流しながら、でもどこかで、そんなものかもしれないなと思うかもしれない。それでも、今やっている長編小説の1行でも2行でも書くでしょうね。そこまで継続してやってきたものなのだから、最期の一日であっても、継続するのが当然です。

完成には程遠くても、そこまでしっかりやってきたんだから、それでいいんだと、受け入れる。それが私の最期の納得じゃないでしょうか。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年8月16日号)の一部を再編集したものです。

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志茂田 景樹(しもだ・かげき)
作家、タレント
1940年生まれ。作家、タレント。中央大学法学部卒業後、さまざまな職を転々としながら作家を志す。80年、『黄色い牙』で第83回直木賞を受賞。2017年に関節リウマチを発症。現在は要介護5の認定を受け、車椅子生活を送っている。著書に、『死ぬのは明日でもいいでしょ。』(自由国民社)がある。

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(作家、タレント 志茂田 景樹 構成=末並俊司)

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