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商品棚を1mずらしただけで常連が消えた…過疎で「廃業やむなし」の田舎商店を"東京のヨソ者"が復活させるまで

プレジデントオンライン / 2024年10月11日 9時15分

ショッピング大黒の店頭にはその日のお買い得品が並ぶ - 筆者撮影

人口約8500人の徳島県海陽町の個人商店「ショッピング大黒」が、「四国一ホットなスーパー」として県内外から客が訪れるほど人気だ。何がウケているのか。ライターの甲斐イアンさんが取材した――。

■オーガニック商品がずらりと並ぶ田舎の商店

徳島市内から車で約1時間40分ほどの場所に、四国のみならず全国から話題を集める「商店」がある。

サーフショップや民宿が並ぶ国道を外れて、町中の細い路地を進む。徳島県最南端の町、海陽町にある創業54年のローカルスーパー「ショッピング大黒」だ。

ショッピング大黒の周辺は古い街並みが広がっている
筆者撮影
ショッピング大黒の周辺は古い街並みが広がっている - 筆者撮影

店頭には「お買い得!」の文字とともに野菜や日用品が平積みにされ、店内には生鮮食品や調味料が隙間なく並ぶ。お惣菜は小分けにされて100円から売られていた。

のんびりとした、一見なんの変哲もない田舎町の商店だが、奥のスペースに目をやると少しその雰囲気が変わる。

棚には国内外から集められたオーガニックワインがずらり。なかには3万円を超えるボトルもある。その横には「淡路島おのころ雫塩(1kg3200円)」「キルギス産ホワイト・ロー・ハニー(250g1998円)」など自然食品が300種類以上。その区画だけ都内の高級スーパーのようだ。

オーガニックコーナーは専門店並みの品揃え
筆者撮影
オーガニックコーナーは専門店並みの品揃え - 筆者撮影

海陽町は人口約8500人、高齢化率は46%を超える典型的な過疎の町だ。

「こんな田舎町の商店で高級オーガニック食品?」と疑問が湧くが、これが売れているのだ。

店内を見渡すと、地域の高齢者はもちろん、金髪の青年や会社員風の男性、若い女性客がおしゃべりしながら買い物を楽しんでいる。商品だけでなく客層もバリエーションに富んでいた。

■廃業寸前の商店を立て直した1人の素人

「この塩は淡路島にいる僕の友人が、海水を薪と鉄釜で炊き上げて作っているんです。棚のワインは全部オーガニックワイン。世界で5人しか購入する権利がないボトルもありますよ」

一つひとつの商品を大事そうに手に取り説明してくれるのが、ショッピング大黒を経営する岩崎致弘(ちひろ)さん(46)だ。

岩崎さんが一つひとつこだわって集めた商品が並ぶ
筆者撮影
岩崎さんが一つひとつこだわって集めた商品が並ぶ - 筆者撮影
店内の雰囲気は普通の田舎町の商店
筆者撮影
店内の雰囲気は普通の田舎町の商店 - 筆者撮影

出身は神奈川県横浜市。東京で長年、メジャーアーティストが所属する音楽事務所の取締役を務め、2017年に海陽町に移住してきた。2020年に創業家の2代目から担い手不足に悩むこの商店を引き継ぐまでは小売店の経験はゼロだった。

しかし事業を継承してからわずか1年で売上は約20%アップし、事業の多角化にも成功。4年目には会社全体で黒字化を達成した。従業員数も6人からグループ全体で30人と5倍に増やし、「地域のインフラ」であるローカルスーパーを維持する仕組みづくりに成功している。独自の商品ラインナップと取り組みで「四国で一番ホットなスーパー」としてメディアの取材を受けることも多い。

なぜ地元出身者でもない岩崎さんが、畑違いの業界に挑戦し、田舎町の個人商店を繁盛店に立て直すことができたのか。

■「ベンツから軽トラ」に乗り換え海陽町へ

ショッピング大黒は、1970年創業の地元に根差した家族経営の商店だった。2020年に創業50年を迎え、還暦を過ぎた2代目の大黒彪央さんは心臓に持病を抱えていることもあり、経営を誰かに譲りたいと考えていた。しかし後継者がおらず、人口減少で徐々に客入りも減っていたことから、廃業も検討していたところだった。

そんな時に出会ったのが、東京から移住してきて3年目の岩崎さんだった。

岩崎さんは、デビュー前から十数年にわたり歌手MISIAのマネージメント業に携わり、所属事務所の役員も務めるなど、音楽業界の第一線で活躍する業界人だった。だが、2011年の東日本大震災と原発事故をきっかけに「これは大きく生き方を考え直す必要がある」と強く感じ、東京での羽振りの良かった暮らしから一転、元々興味のあった自然に根ざした暮らしにシフトすることを決めた。

音楽業界で働いていた頃を振り返る岩崎さん
筆者撮影
音楽業界で働いていた頃を振り返る岩崎さん - 筆者撮影

愛車のベンツを売り払い、それまでの仕事を手放し終えた2016年に淡路島に移住し、2017年1月からは妻とキャンピングカーで旅する暮らしを始めた。海陽町にたどり着いたのは2017年6月のこと。その豊かな自然や山奥の暮らしに強烈に惹かれ、すぐに移住・定住を決断した。

徳島に移住してからはほとんど山にこもって畑仕事や家作りに熱中した。まさに、ベンツから軽トラに乗り換える生活を選んだのだ。

移住から2年後の2019年、畑で育てた無農薬野菜を使った惣菜と自然食品の店を持ちたいと考えていた岩崎さんと、誰かにスーパーを継いでほしいという大黒さんが、地域行事をきっかけに偶然出会い、岩崎さんは二つ返事でショッピング大黒を事業承継することにした。

■「地域インフラとしての商店」がやりがい

「ショッピング大黒は、店頭販売だけでなく、学校給食や地域の飲食店にも食材を卸しています。もともと食を通じて世の中をよくしたいという思いがあったので、そこに大きなやりがいを感じたんです」

商店を継承した理由を語りながら、岩崎さんは日焼けした顔でニコッと笑った。その笑顔は、“元業界人”というより、“農家のおっちゃん”のようだ。

しかし事業承継を決めた時点で、岩崎さんは魚が捌けるわけでも、仕入れができるわけでもなかった。さぞ大変な修行期間があったのかと思い聞くと、「いや、ずっと雑談してました(笑)」という。

「事業承継が決まったのが2019年の9月かな。それから毎日、大黒さんから電話が来るんですよ。しかも1日に2時間くらい。年明けまで続きました。私も社長もお互いのことをほとんど知らなかったから、まずは生い立ちとか自分たちのことを話して、あとは昔の町の様子とか、店舗を持つ前は移動販売をやっていたとか、店や町の歴史をたくさん聞かせてもらいました」

岩崎さんが店を引き継いだ後も、1年間は大黒さんの家族が社員として働いてくれることになっていた。岩崎さんが実際に現場に立つようになったのは、リニューアルオープン直前の2020年2月。それからは毎日、スーパーに通った。

■「家が一軒建つほど」の借金を背負いながらもスタート

岩崎さんが受け継ぐ前のショッピング大黒は、大黒さんが肉場に立ち、母親が魚を捌いていた。大黒さんがスーパーを譲ると聞き、大黒さんの妻は「え、聞いてへん」と最初は驚いたというが、時には寝泊まりしながら懸命に仕事を覚えようとする岩崎さんを、率先してサポートした。

そうしてたくさんの会話と準備期間を経て、大黒さんとの出会いから約7カ月後の2020年3月にショッピング大黒はリニューアルオープンした。

事業承継初年度は、仕入れ用の冷蔵機能付きトラックや室外機など機材の買い替えや補充にお金が必要で、最終的に「地方で家が一軒建つくらいの金額」の融資を受けた。

「1年目から多額の借金を背負っちゃって、ちょっと大丈夫かなと思うこともありました。でもやっぱりワクワクの方が大きかったですね」

■商品棚を1メートルずらしただけで常連客が消えた

決して順風満帆とは言えないリニューアルオープンの矢先、岩崎さんはすぐに「ヨソ者」の洗礼を受けることになる。

厨房と売り場は隣同士
筆者撮影
厨房と売り場は隣同士 - 筆者撮影

リニューアルオープンしてすぐに、岩崎さんは大黒さんからあることを聞かされた。

「前はよく来てくれていた常連さんの姿が、さっぱり見えないんだ」

聞くと、その数は「10人どころの話じゃない」という。

どうして買い物に来てくれないんだろう。岩崎さんは当時、誰が常連客かそうでないかの区別もつかなかったが、常連客の名前と住所を聞き、直接行って理由を聞いてみることにした。すると返ってきたのは次のようなものだった。

「いつも置いてあるところに商品がなかった」
「刺身の厚さが変わった」
「いつもと違う商品がたくさん置いてある。もう私らが行く店じゃなくなった」

もともとあった商品はひとつも減らしていない。棚の位置をずらしてもせいぜい1メートルくらいだった。「結局、知らん奴がやってるからってことで、不安だったんでしょうね」と岩崎さんは振り返る。

■常連客の自宅を一軒一軒訪ね歩いた

「落ち込んだこともいっぱいありましたよ。でもそこで止まっていても状況は変わらないから、まずはやれることをやろうって思ったんです」

海陽町は海、山、川がそろった自然豊かなまち
筆者撮影
海陽町は海、山、川がそろった自然豊かなまち - 筆者撮影

岩崎さんは前向きだった。営業の隙間時間を使って、常連さんの家を一軒一軒訪ね歩き、挨拶をして、他愛のない話をして、また来てくださいねと声をかけ続けた。棚の配置や新しく並んだ商品の説明をすることもあった。

「田舎町では近所の人が急に訪ねてくることはよくあること。僕が行っても特に驚かれることはなかったですね。たいした話をしたわけじゃないんだけど、でもきっと、そういうのが大切なんですよね」

■コロナ禍で広がったデマ

お宅訪問の甲斐あって、徐々に常連客は買い物に来てくれるようになった。しかしほっとしたのも束の間、すぐにコロナ禍が始まった。

高齢者が大半を占める田舎町では、新型ウイルスの蔓延は地域の死活問題だった。町がピリピリした空気に包まれるなか、「東京から来た人」というイメージが先行していた岩崎さんの周りでは、「コロナに罹っている」「町外から人を呼んでいる」と事実とは異なる噂が付いて回った。

噂の影響で客足は遠のき、事業承継前は1日400組ほどだったお客さんは200組台に激減。売上は半減した。

■「絶対捨てられる」チラシに施した工夫

地域とのコミュニケーションの大切さを感じた岩崎さんは、さらにもう一つ新しい試みに挑戦する。前社長の頃から週に1回、新聞折込をしていた店舗チラシのリニューアルだ。

「スーパーのチラシなんて絶対捨てられる。だったら絶対読んでもらえるものを作ろう」

今週のおすすめ商品に加えて、一押しのオーガニック食品の説明、社長のコラム、移住者インタビュー、その他、様々な地域情報を盛り込み、およそスーパーのチラシとは思えない情報量と熱量を込めていった。

例えば、2020年10月27日のチラシのテーマは「エロい話」。社長コラムには「エロい目で見てみる」のタイトルで、次のようなことが書かれている。

ショッピング大黒の折込チラシ
筆者撮影
ショッピング大黒の折込チラシ - 筆者撮影

「いま世界中で『エロ』が注目されています。(中略)この『エロ』とは地球環境にやさしいエコロジーの“エコ”と、健康で人と地球が共栄共存できる持続可能なライフスタイル“ロハス”のことで、『エコとロハス』で『エロ』です。(中略)僕たちもエロ~い目で、暮らしや世の中を見てみると未来へのヒントがたくさんありそうです」

「エロい話」の横には「天ぷら各種入荷!」「空き物件を有効活用しませんか!」といった文字が並ぶ。内容の雑多さ故か、ついつい隅まで読んでしまうワクワク感がある。

自ら原稿を書き、見よう見まねでデザインし、スーパーの事務室にある印刷機を回して毎週チラシを作った。作業は徹夜になることもあった。

すると見た目のインパクトや内容の面白さが受けて、次第にチラシを心待ちにする人が増えていった。町を歩いていると「毎回楽しみにしてるよ」と声をかけられることも珍しくなくなった。「息子が帰ってきた時に見せるんだ」と嬉しそうに話してくれる人もいた。

店舗での接客やお宅訪問、そしてチラシの効果もあり、段々と岩崎さん自身や新生ショッピング大黒のことを理解してくれる人も増えた。コロナに関わる噂についても「私らが噂は事実じゃないって言っとくけんね」と言ってくれる人も現れた。

「最初はいろいろあったけど、結局、助けてくれたのも地域の人たちでした」

常連客もまたよく買いに来てくれるようになり、来客数は多い時で1日500組まで回復した。

■「特異な商品ラインナップ」と「食のイベント」で話題を総なめ

客足は戻ったが、さらに大きな課題が立ちはだかっていた。町の人口減少である。一般的にスーパーマーケットの来客数はエリアの人口に比例する。実際にショッピング大黒では、町の人口減少に伴って20年間で来客数とともに売り上げは半減していた。今後も人口は減り続けることは確実で、2040年までにさらに半分になるとの予想もある。

ショッピング大黒があるのは海陽町の中でも、もっとも南にある宍喰地区だ。徳島県には電車がない。唯一ディーゼルエンジンの単線列車が走るが、宍喰地区には1時間に1本も来ない。県南地域には高速道路もない。大黒さんからは「エリア外から人を呼ぶのは難しい」と言われていた。

しかし、岩崎さんは「熱量があれば、場所は関係なくお客さんは来る」と信じ、次なる策を練る。

まずは、もともと準備していたオーガニック食材のラインナップをより一層強化。さらに食にまつわるさまざまなイベントを開催していった。

友人のソムリエやシェフを招いた一泊二日の「オーガニック料理とワインの会」には、北は青森から南は熊本まで多い時には全国から60人を超える人が参加した。「餅つき大会」など店の駐車場で行える小規模なイベントもいくつも開催した。

また、徳島市内で毎月開かれる大規模マルシェにも定期的に出店。岩崎さんが育てた無農薬野菜や妻が作った米粉マフィンなどを販売し、地域外での認知を高めていった。

結果、地元の新聞やテレビ局から多くの取材が来るようになった。徳島新聞は県内普及率が50%を超える。テレビも民放が県内に一局しかなく、ローカルメディアの影響力は大きい。取材が取材を呼び、有名雑誌や全国放送の番組から依頼が来ることも度々あった。

専門店並みの商品ラインナップも話題となり、県外を含めエリア外からショッピング大黒を目的地にしてやってくる人が増えていった。

■「音楽を聴かない人はいるけど、ご飯を食べない人はいない」

岩崎さんがオーガニック商品に力を入れるのは、決して話題作りのためだけではない。その背景には、青年時代から抱き続けたある想いがあるという。

「ボブ・マーリーやジョン・レノン、忌野清志郎に憧れて『音楽で世の中を変えたい』と思い音楽業界に入りました。音楽を通じて出会ったさまざまな人たちとの交流の中で、世の中を変える方法は音楽以外にもたくさんあると感じて、日本の伝統文化や食の業界でのマネージメントも始めたんです」

転機となったのは、岩崎さんが30歳になった頃。岩崎さんと同じく音楽にどっぷりと浸かる生活だった仲間が、どんどん農業にのめり込んでいく様をみて、「食の裾野の広さ」を感じた。

「音楽を聞かない人はいるけど、ご飯をまったく食べない人なんていない。じゃあ、その年齢も性別も国や言葉の違いも関係ない『食べること』の中に、世界を考えるきっかけがあったら、より多くの人に届くんじゃないかって思ったんです」

店に並ぶオーガニック製品は、東京時代の仲間や知人を頼って品数を増やしていったが、ただ珍しいものを集めただけではない。身体にはもちろん、環境や社会にとって“いいもの”について知り、選び、購入する体験をしてもらいたいと思った。

「世の中よくしようぜ、世界を平和にしようぜって直接声を上げても、誰も聞いてくれないと思うんですよ。だから社会問題に取り組んだり、環境や健康に配慮したりしている商品を僕は店に並べているんです。それが結果的にオーガニックだった。これは僕なりの平和活動なんです」

■お客に「興味の種」を蒔き続ける

店舗での取材中、岩崎さんが買い物客に話しかけている姿をたくさん見た。

「この味噌、おいしいでしょ。手作りで添加物ゼロだから身体にもすごくいいんだよ!」
「このイギリスビールは、1700年代に創業した当時と同じ井戸水を使ってるんですよ。出来上がったビールは今も馬車で配達してるんだって!」

無添加味噌は売れ筋商品のひとつ
筆者撮影
無添加味噌は売れ筋商品のひとつ - 筆者撮影

声掛けは、商品のポイントをわかりやすく伝える感じだ。ちょうど「ねぇねぇ聞いて、これってね」と誰かに教えたくなる内容が多い。

それに対しお客さんも「おすすめされて買ってみたら本当においしかったわ」「これリピートしてるの」と言葉を返していた。

「ほとんどのオーガニック商品は僕が生産地に実際に足を運んだり、仲間とのつながりでセレクトしたりしたものです。話そうと思えばいくらでも商品について話せますよ。全部をみんなに話す必要はないけど、“興味の種”を蒔き続けている感じかな」

「海洋プラスティック問題に挑む塩職人が作った天然塩」など、商品ができた背景にはすべてストーリーがある。チラシや店頭での声掛けを通じて、商品情報を伝えることには手を抜かなかった。

■「一緒に働きたい」という若者も現れた

店内で作るお惣菜には、棚に並んでいるのと同じ無添加調味料を使うことにした。食べて違いを実感する人も多く、オーガニックについて「よくわからない」と感じる人の入り口にもなっている。淡路島の天然塩を使った「うましお唐揚げ」は店一番のヒット商品だそうだ。

無添加調味料を使った自慢のお惣菜
筆者撮影
無添加調味料を使った自慢のお惣菜 - 筆者撮影

どんなに忙しくても岩崎さんは店頭でお客さんと話す時間を大切にしている。「知ってもらう」「実際に違いを感じてもらう」このサイクルを回すことで、徐々にオーガニック商品を手に取る客が増え始めた。

一方で、継業前から店に置いていた商品も引き続き置いている。「買い物は投票と一緒」と考える岩崎さんが重視したのが「選択肢があること」だからだ。

「何が良い、悪いではないんです。自分が何にお金を払っているのかをきちんと知って、自分で考えて選ぶことが大切なんだっていうことが伝わればいいなと思っています」

誰にとっても買い物しやすい店づくりを徹底した結果、購入商品の幅が広がったことで客単価が上がり、店の経営にもプラスに働いた。以前はほとんど来なかった若い買い物客が増え、時には東京からも多くの観光客が訪れるようになった。岩崎さんの熱意に触れ、「一緒に働きたい」と徳島市内から移住してきた20代のスタッフもいる。

■経営の多角化で、継承4年目に黒字化を達成

岩崎さんのアイデアはその後も止まることなく、「食べること」を軸とした事業は多岐にわたっている。ショッピング大黒を継承してから2年後の2022年3月には「もっと食を通じて人が交流する場を作りたい」と、地元の食材と自然食品を使ったレストランを開業。月に1回、子どもたちが無料で参加できる「自然派こども食堂」も開催して食育活動も行っている。

国道沿いのレストラン「テイクサンド」
筆者撮影
国道沿いのレストラン「テイクサンド」 - 筆者撮影

さらに地元の高校の食堂運営を任されるなど、気がつけばさまざまな相談が仕事となって舞い込んでくる。今ではスーパーと合わせた事業全体で30人以上の従業員を抱え、主婦や若者の働き口にもなっている。

事業を多角化したことで利益率の向上にも成功した。レストランや学生食堂など他の事業と連携することで会社全体の仕入れ量を増やし、単価を下げて、仕入れコストを大きく削減。経営は大きく改善した。そして事業承継して4年目となる2023年、ショッピング大黒を運営する有限会社ショッピングの決算は初めて黒字となった。

「ほんと、大変でしたけどね」と、さほど大変じゃなさそうに岩崎さんは笑う。

「無駄を省いてコストを抑えて、利益率をいかに上げるかを大切にしています。売上向上は正直あまり狙っていないんです。住民が減り続ける町で数字を追い続けるのって苦しいし、そういうのは良くないなって」

■相談は「とりあえず岩崎さん」と言われるまでに

さらに食に関すること以外にも、岩崎さんのところにはさまざまな依頼が飛び込んでくる。移住や地域活性化の相談が来ることも日常茶飯事だという。

「なぜかわかんないんですけど、移住の相談が毎月、何件もあるんですよ。うち、スーパーなのに(笑)」

個人だけでなく、町や県など行政から地域事業の相談が来ることも多く、2022年には徳島県の総合計画審議会の委員にも就任した。

地域の人から役場の人まで「とりあえず岩崎さんのところへ行っておいて」と繋がりが繋がりを呼び、仕事のタネが自然と生まれるそうだ。これがローカルビジネスの良さだと岩崎さんは話す。

「田舎ってね、誰がどこで何をしてるか全部わかるくらい狭く濃密なんです。だから嘘もつけないし、隠しごともできない。それを窮屈に感じる人もいると思うけど、自分をごまかさないで商売をしていく必要があるので、すごく成長できるんです」

■「今だけ・金だけ・自分だけ」の商売はしない

会社の黒字化を達成したが、岩崎さんが立ち止まる気配はない。2024年度からは、ファーム事業部を開始。体験型の自社農園を立ち上げ、田植えや芋掘りなどの「体験の販売」を始めた。何度も通ってくれるお客さんを増やすことで、店だけではなく地域全体の持続可能性に貢献することが狙いだ。

誰かが泣いて成り立つ商売は絶対にしない。「『今だけ・金だけ・自分だけ』になったら、それは絶対に良い未来にはつながらないから」と岩崎さんは話す。

「ビジネスでもなんでも大切なのは、子どもたちに良い未来を残せるかどうか。生産者も消費者も、それをつなぐ人も地域もぜんぶハッピーになるように、美味しくて楽しいことをこの場所から精一杯やっていきたいんです」

世の中をよくしたい――。横浜の音楽少年だった頃から変わらぬ想いが今も根底にあるという。

取材後、ショッピング大黒の無添加食材を使った日替わり弁当を食べた。甘辛いソースがかかったカツはボリューム満点。ジューシーながらさっぱりとしていて、一口食べるごとに身体に元気がみなぎった。「食べることって楽しくて嬉しい」そんなことを思い出させてくれる味だった。

ショッピング大黒の日替わり弁当
筆者撮影
ショッピング大黒の日替わり弁当 - 筆者撮影

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甲斐 イアン(かい・いあん)
ライター
1989年千葉県生まれ。過疎地のPR・地域活性化に携わったのち、フリーライター・イラストレーターとして独立。徳島県在住。特技はバタフライ。

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(ライター 甲斐 イアン)

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