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「大の字で浮いて待つ」は元海上保安官でも1分もたないほど危険…水難救助のプロ推奨「イカ泳ぎ」をご存じか【2024夏のイチオシ】

プレジデントオンライン / 2024年8月10日 8時15分

日本水難救済会理事長で、元第三管区海上保安本部長の遠山純司さん(撮影=プレジデントオンライン編集部)

2022年~23年にプレジデントオンラインで配信した人気記事から、この夏に読み直したい「2024夏のイチオシ」をお届けします――。(初公開日:2023年9月8日)
海や川で流されてしまった時にはどうしたらいいのか。小学校などでは「大の字背浮き」の姿勢で救助を待つよう教えられることが多いが、日本水難救済会では、背浮きは難しく、特に海では危険だとして「イカ泳ぎ」を推薦している――。

■「背浮きはムリ」の動画が一気に拡散

日本水難救済会の公式X(旧Twitter)の投稿が大きな話題を呼んでいる。海や川などで万が一流されたときには、浮いた状態で救助を待つのが基本とされているが、多くの小学校で教えられている「大の字背浮き」では1分も浮いていられない――。そのことを、同会の常務理事で、元海上保安学校長の江口圭三さんが自ら実証実験した動画つきで伝えるものだった。

2023年8月7日に投稿されるとまたたく間に拡散され、同月末までに閲覧数1145万回、「いいね」2.5万件を記録。同会の公式Xは、海での事故・救助事例の発信を目的に2022年2月に開設されたばかりだ。理事長の遠山純司さんは「こんなにバズるとは思いもしなかった」と驚きを隠せない様子だった。

「大の字背浮きは、口と鼻を上に向けて手足を広げ背中で浮くものです。私は海難事故に携わって40年になりますが、この業界では以前から『大の字背浮きは無理だよね』という声が上がっていました。疑問を持ちながらも周知の工夫をしてこなかったことへの反省もあり、海をよく知るわれわれが適切な浮き方を広めなければとの思いで投稿しました」

日本水難救済会は、海で遭難した人を助けるボランティア救助員の支援団体だ。メンバーには海上保安庁の出身者も多く、遠山さんと江口さんも元海上保安官。いわば海のプロであり、どんな行動が事故につながるかは骨身に染みて知っている。そうした立場から、今回の投稿の背景には使命感に似た思いもあったという。 

■波がかかって呼吸が続かない

6月中旬、まずは大の字背浮きのリスクを検証しようと、日本ライフセービング協会と合同で、横浜海上防災基地内にある波の出るプールで実証実験を実施。元海上保安官やライフセーバーなど、泳ぎの達者なメンバー4人が大の字背浮きに挑戦した。

その結果、全員が1分も浮いていられなかった。原因は「呼吸」。大の字背浮きは確かに浮力を保つことはできたものの、顔に波がかかってしまい、全員がすぐに呼吸できなくなってしまったのだ。

「水面から顔の2%が出ていれば呼吸できるという話も聞きますが、実際には2%では無理です。常に顔に波がかかる状態なので呼吸もできず、鼻から水が入る可能性も高い。そうなればパニックに陥る恐れも大きくなります」(遠山さん)

■海保の元水泳教官も「浮いていられない」

しかし、この結果はあくまで実験環境下で出たものだ。海ではプールより体が浮きやすいうえ、波も人工的に起こしたものとは異なるかもしれない。そう考えた遠山さんたちは、次に海での実証実験を行ったが、結果は同じだった。このとき海に入ったのが江口さんで、Xの動画もその際に撮影したものだ。

「背浮き」「イカ泳ぎ」動画にも登場した、日本水難救済会常務理事の江口圭三さん。現在59歳で、昨年まで海上保安学校長。長く海上保安大学校の水泳担当教官も務めた 撮影=プレジデントオンライン編集部
「背浮き」「イカ泳ぎ」動画にも登場した、日本水難救済会常務理事の江口圭三さん。現在59歳で、昨年まで海上保安学校長。長く海上保安大学校の水泳担当教官も務めた 撮影=プレジデントオンライン編集部

「その日の海は静かで、波の高さは5cm程度でした。それでも顔に海水がかかってしまい、1分も姿勢を保てませんでした。やはり大の字背浮きで救助を待つのは危険だと実感しました」(江口さん)

ちなみに江口さんは、海上保安大学校で水泳担当訓練教官として長く指導に携わり、海上保安学校長も務めた人物。同校では毎年6〜7月は、午後の授業はほとんどが水泳訓練で、学生たちは1日におよそ10kmもの距離を泳ぐ。

そんな江口さんでもできなかった大の字背浮き。子どもにとってはなおさら難しいだろう。ライフセービング協会の調べによれば、小学生のおよそ70%は、浮き具がなければ静かなプールでも大の字背浮きができないという。

■お勧めは「イカ泳ぎ」

では、適切な浮き方とはどんなものなのだろうか。遠山さんは「自分に合う泳法で浮くことが大事なのであって、大の字背浮きがいけないわけではない」と前置きしたうえで、昔から救助を待つ間の浮き方として知られてきた「エレメンタリー・バックストローク」を挙げた。

「私たちとしてはこちらを広めたいと考えました。しかし、この名前では覚えにくくて広まらないのではと思い、私たちのほうで勝手に『イカ泳ぎ』と名付けたんです。『形からいえばタコ泳ぎだろう』『いやクラゲなんじゃないか』といった意見も出ましたが、最終的にはイカで全員一致しました」

そして江口さんが「イカ泳ぎ」を実践する動画をXに投稿したところ、これも注目を集め、閲覧数は780万回以上にも上った。

イカ泳ぎの最大のメリットは、頭と顔がしっかり海面の上に出ること。こちらも海での実証実験は江口さんが行い、「顔に波がかからず呼吸ができ、Gパン、ポロシャツ姿でもあまり体力を使わずに長い時間浮いていられた」と実感を語ってくれた。さらに、ただ浮くだけでなくゆっくり進み続けられるため、救助を待ちながら陸に上がれる場所やつかまる場所をめざすこともできる。

日本水難救済会が作成した「イカ泳ぎ」の解説
日本水難救済会が作成した「イカ泳ぎ」の解説

■気持ちを落ち着け「救助を待つ」

海に落ちたり流されたりしたときの対処法には、4つの手順があるという。第一に気持ちを落ち着けること。第二にイカ泳ぎで「救助を待つ」こと。第三に浮力のあるものを確保すること。最善策はライフジャケットを着ておくことだ。ペットボトルは浮力が不十分であり、クーラーボックスは保持する腕力が続かず、いずれも波のある海で長時間つかまっているには限界がある。

第四は、誰かに知らせること。これには、声を出す、片手を上げて振る、ライフジャケットに付いている笛を吹く、防水パックに入れた携帯を持っていれば通報するなどの手段が考えられる。通報先は海での事故なら118番(海上保安庁緊急通報)、川なら119番だが、どちらにかけても迅速に連携がとられ、救助隊が駆けつける仕組みになっている。その後は、できる限り体力を消耗させずに救助を待つことが大切だ。

「助けを求める際、大の字背浮きの状態で大声を出すと水を飲み込んでしまったり、肺の空気が出て沈んでしまったりする恐れがあります。助けを求めることができないのは致命的なことです。その点、イカ泳ぎは声も出せますし、浮いたままで片手を上げることもできる。片手を振るのは、ライフセーバーに救助を求める際の世界共通の合図です」(江口さん)

■8割の事故は海水浴場の外で起きる

もちろんイカ泳ぎも万能ではなく、これさえできれば必ず助かるというものではない。最も重要なのは正しい知識と事前の備えだ。悪天候のときは海に近づかない、遊泳禁止区域や監視員のいない場所では泳がない、泳ぐ際はライフジャケットを着用する、できれば携帯を防水袋に入れて持っておく――。遠山さんは「知識も備えもなしに海に入れば最悪の事態を招きかねない」と訴える。

「昨年、溺水者が出た海の事故のうち、約8割は海水浴場以外で起きています。その場の思いつきで海に入るのは絶対にやめてほしい。いちばんの事故対策は、そもそも浮いて救助を待つ事態に陥らないようにすることなんです」

こうした心構えは川や湖でも同じだ。これからの季節はキャンプやバーベキューなどで水辺に出かける人も多いだろうが、「その場の思いつきで水に入らない」は海と同じく鉄則として覚えておきたい。

特に川は、場所によって突然流れが変わったり深くなったりするうえ、川底も滑りやすい。万が一水に落ちたり流されてしまったりしたら、足を下流に向けてイカ泳ぎで流される。その状態で流れがゆるい場所に着いたら、岸に上がるかイカ泳ぎで浮きながら救助を待ってほしいという。

■「イカ泳ぎ」を含めた「正しい浮き方」を教える

子どもの溺水事故では、足がつかない場所でパニックに陥り、何とか足をつこうとして沈んでしまうケースが少なくない。暴れたり声を出したりする間もなく溺れてしまい、親が気づくのが遅れる場合もある。

こうした悲劇を防ぐには、事前に上記の知識やイカ泳ぎを含む、正しい浮き方をしっかり教えておく必要がある。その際は言葉で伝えるだけでなく、プールで一緒に浮く練習をしてみるなど、擬似体験をさせておけるとより安心だ。

■「目が届く」ではなく「手が届く」

そして、海や川、湖では必ず子どもと一緒にいること。「岸辺から見守っていれば大丈夫だ」と思って子どもだけで水に入らせると、思わぬ事故が起きることもある。スマホに見入ってしまい、顔を上げたら子どもの姿がなかったという例も実際にある。

「いくら事前に教えておいても、お子さんが水に入るときは必ず親御さんも一緒に入ってほしいですね。もちろん2人ともライフジャケットを着て、海なら自分がお子さんより沖合側に、川なら下流側にいるようにしてください。そうすれば、いざというときに助けられる確率が高くなります」(遠山さん)

海や川では、親は子どもに「目が届く」ではなく「手が届く」ことが大事なのだ。子どもの水難事故だけでなく、親が子を助けようとライフジャケットなしで飛び込み、一緒に溺れてしまうという悲しい事故も後を絶たない。こうした状況に陥らないためにも、「一緒に入る」は徹底しておきたい。

■安全を確保して海に親しんで

とはいえ、本来、海水浴や水遊びは子どもたちにとって貴重な体験。遠山さんも江口さんも「子どもたちにはぜひ海に親しんでほしい」と口をそろえる。海や川は向き合い方を間違えれば危険だが、自然のすばらしさを大いに体感できる場所でもある。だからこそ、水の事故から身を守る最低限の術(水の護身術)を身につけてほしいのだと。

日本水難救済会では今後、学校教育の場で、イカ泳ぎをはじめとする安全確保方法の指導により力を入れていく予定だ。8月下旬には、同会のメンバーが全国の小学校で行っている「海の安全教室」に対し、事前の備えやイカ泳ぎの指導を取り入れてもらえるよう通達も出した。

「Xの投稿には多くの方から賛同のコメントをいただきました。これを機に、イカ泳ぎをはじめとする適切な安全確保方法の発信にさらに力を入れていきたいと思います。『バズってよかったね』で終わってはダメですから」(遠山さん)

海水浴や川遊びの季節が終わると、代わって増えるのがSUP(サップ:サーフボードのようなボードの上に立ち、パドルで水をかいて進む)や釣り人の水難事故だ。こちらも正しい知識を得て、事前の備えを十分にしたうえで楽しむようにしたい。

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遠山 純司(とおやま・あつし)
日本水難救済会理事長、元第3管区海上保安本部長
1985年海上保安大学校本科卒業、内閣情報調査室国際部内閣参事官、海上保安庁総務部教育訓練管理官、第10管区海上保安本部(鹿児島)本部長などを歴任。2020年4月から第3管区海上保安本部(横浜)本部長を務め、2022年6月から現職。日本大学危機管理学部非常勤講師、日本体育大学保険医療学部学事顧問も務める。

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江口 圭三(えぐち・けいぞう)
日本水難救済会常務理事、前海上保安学校校長
1986年海上保安大学校本科卒業、海上保安大学校訓練部教官(体育、水泳、水上安全法)、内閣官房副長官補室参事官補佐、海上保安庁総務部政務課海上保安機関支援業務調整官、海上保安庁総務部教育訓練管理官などを経て、2020年4月から海上保安学校長。2022年6月から現職。

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(日本水難救済会理事長、元第3管区海上保安本部長 遠山 純司、日本水難救済会常務理事、前海上保安学校校長 江口 圭三 文=辻村洋子)

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