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小学校に「蒸留所」ができた…「1年で完成する日本酒」の酒蔵が、「1年で完成しないウイスキー」を作り始めた理由

プレジデントオンライン / 2024年8月17日 9時15分

体育館のステージに設置された世界初の国産鋳造製蒸留器「ZEMON II」 - 写真提供=舩坂酒造店

岐阜県高山市で200年続く老舗酒造店が、16年前に廃校となった小学校の体育館にウイスキー蒸留所を作った。日本酒をつくる酒蔵が、なぜ経験のないウイスキー造りをはじめたのか。中小企業診断士の伊藤伸幸さんが、舩坂酒造店の有巣弘城社長に取材した――。

■ウイスキー蒸留所に生まれ変わった小学校

岐阜県高山市の高根地区と呼ばれる山間の過疎地に、16年前に廃校になった小学校の校舎がある。この場所はいま、ウイスキーの蒸留所に生まれ変わっている。

かつての体育館に蒸留設備がある。真新しい2基のポットスチル(蒸留器)が、ステージに構えている姿はまさに圧巻だ。

この蒸留所を立ち上げたのは、江戸末期から200年以上続く酒蔵である舩坂酒造店の社長・有巣弘城氏(40歳)。ここには、高山発のウイスキーを世界中に届けたいと願っている彼の夢が詰まっている。

有巣氏の実家は曽祖父母の代から高山で食堂を営んでいたが、経営を引き継いだ祖父が事業を拡大し、結婚式場や旅館業を営む企業グループに成長させた。有巣氏は唯一の男の孫だったこともあり、祖父から特に可愛がられ「お前も将来は必ず社長になれ!」と言われて育った。そのため子供ながらも、いつかは自分も社長になるのだろうと考えていた。

高校時代まで高山で過ごした有巣氏は、いつかは地元に帰ってくることを意識しながらも東京の大学に進学し、そのまま都内のコンサルティング会社に就職した。入社してからは企業再生や事業承継の案件に取り組むようになった。慣れてくると仕事がだんだん面白くなり、やりがいもあったので充実した日々を過ごしていた。

■祖父の頼みを断れず…

そんな有巣氏にいきなり転機が訪れる。実家のアリスグループが、経営不振に陥っていた舩坂酒造店を事業承継することになり、再建を手伝ってほしいと祖父から依頼があった。ちょうど仕事が軌道に乗ってきた頃だったので、正直まだ高山には帰りたくはなかった。しかし、断ることもできず、2010年に急遽高山に戻ることになった。

舩坂酒造店 代表取締役社長の有巣弘城氏。
写真提供=舩坂酒造店
舩坂酒造店 代表取締役社長の有巣弘城氏 - 写真提供=舩坂酒造店

最初はあまり気乗りしていなかった。それでもせっかく縁があって入社したのだからと、気持ちを新たにして祖父と一緒に仕事に取り組むようになった。しかし、すぐには結果が出ず会社は赤字続きの厳しい状況が続いていた。

■「負け組だと思われている」友人の一言に悔し涙

舩坂酒造店に入社して1年くらい経った2011年、全てを捨てて逃げ出したいと思ったことがあった。

「元同期の結婚式に呼ばれて東京に行ったんです。披露宴で二人の海外旅行の写真が紹介されてとても楽しそうでした。その一方で自分はというと、とにかく毎日仕事が忙しくて彼女を作る時間もありませんでした。本当にうらやましかったですね」

夜には結婚式の2次会があったが、有巣氏は仕事の都合でどうしてもその日のうちに高山に帰らなければならなかった。周囲に自分は参加できないことを伝えると、仲の良かった友達数名が、新幹線に乗るまでの2時間ほど付き合ってくれた。昼間から開いていたダーツバーで仕事や給料の話などをして盛り上がった。

帰る時間になって有巣氏が自分の分を払おうとした。すると友達の一人が「払わなくていい」と言った。

「お前は給料安いんだから払わなくていいよ。だからもう帰れよ」

「そのときは本当にその一言がショックでした。今から考えればそれほど気にすることでもない気がしますが、当時の自分はそれくらい余裕がなかったんですね。俺は元同期にこんなことを言われるのか。こいつらは俺のことをきっと負け組と思っているんだと考えてしまったのです」

酒で酔っぱらっていたせいもあって、腹が立ったり情けなかったりで、何とも言えない気持ちになった。自分は1年間こんなに頑張ったのに、実は負け組だったのだと思い知らされたように感じてしまい、悔しくて、帰りの新幹線の中でずっと涙が止まらなかった。

夜の街中を走り抜ける新幹線
写真=iStock.com/JianGang Wang
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/JianGang Wang

■書店で見つけた稲森和夫氏の本

名古屋駅から高山行きの特急に乗り換えるため、1時間くらいの待ち時間があった。このままどこかに行ってしまおうかと考えたが、そうすることもできず、いつものように近くのJR名古屋高島屋にある書店に立ち寄ってみた。

なんとなく本を眺めていたら、1冊の本が有巣氏の目に留まる。稲盛和夫氏の『生き方』だった。稲盛氏の本はそれまで一度も読んだことはなかったが、気が付いたらその本を購入し、喫茶店で読み始めていた。

「さまざまな判断を積み重ねた結果がいまの人生、今日という一日を一生懸命に過ごす――。読み始めると、今の自分が恥ずかしくなるような言葉がいくつも目に飛び込んできました。自然に本に引き込まれてしまったのです。そこからは、もう夢中になって読んでいましたね」

どうやって電車に乗ったかも覚えていない。電車に乗ってからもずっと読み続けていた。電車の中で2時間半、ずっと本を読みながら泣いていたのだ。高山に着いた頃には全部読み終えて、有巣氏はなんだかスッキリしていた。

「何か吹っ切れたんですね。自分が悩んでいたことがとても小さなことに思えてきて、やっぱりもう一度頑張ろうと思えるようになったのです。このときが人生で一番落ち込んだときでした」

■事業再生に向けた再チャレンジ

高山に戻った有巣氏は、舩坂酒造店の再建に向けて再び取り組み始めた。2011年当時は現在のフラッグシップ商品である「大吟醸 四ツ星」を発売して間もない頃だった。

一般的に日本酒は2000円を境に低価格帯と高価格帯の商品に分類されることが多い。それまでの同社は2000円未満の低価格帯商品しかなく、薄利多売の事業構造となっていた。その状況から脱却するために高級ブランド品を育てたいとの想いから、有巣氏が発売した商品だった。

最高峰の酒米として名高い兵庫県産山田錦を使用し、手間と時間をかけてじっくり醸造している。価格は5000円に設定した。

「酒造りの責任者である杜氏には、とにかくコストは気にせずに自分が考える本当にいい酒を造ってくれと頼みました。だから原料は最高級のものにこだわって造り上げています。商品には絶対の自信があったので必ず売れると思っていました」

フラッグシップ商品として人気の高い「大吟醸 四ツ星」
写真提供=舩坂酒造店
フラッグシップ商品として人気の高い「大吟醸 四ツ星」 - 写真提供=舩坂酒造店

しかし、当時は発売してまだ日が浅く、知名度もなかった。タンク1本を仕込んでも、その年に売れたのは半分以下ほどだったという。

「こんなに良いものができたのになぜ売れないのか」と毎日悩んだ。それまで日本酒の経験がない全くの素人だったので、どうやって売ったらよいかわからなかった。元同期の結婚式の一件以降は、もう一度地道に販促活動を続けてみようと有巣氏は考えるようになる。

■「飲んでもらえばお酒の良さに気づいてもらえる」

どんなに商品が良くても、ただ置いておけば勝手に売れるものではないことはなんとなく理解はしていた。だったら、実際に飲んでもらえれば四ツ星の素晴らしさをわかってもらえるのではないか――。

そう考えた有巣氏は、全国各地での試飲会を積極的に増やしていく。さらに、第三者による正式な評価を得るために、鑑評会などのコンテストにも精力的に出品していった。

「まずは実際に飲んでもらうことで、このお酒の良さを多くの人に知ってもらおうと考えました。本当に良いものができたので、飲んでさえもらえれば絶対に分かってもらえると信じていました」

こうした継続的な認知活動が功を奏し、2013年には岐阜県の新酒鑑評会で県知事賞(実質ナンバーワン)を受賞することになる。そこから四ツ星に対する評価は徐々に高まっていった。

次第に口コミとリピートが増えていき、百貨店からも取引の依頼が来るようになる。最初の年はタンク1本造ってもほとんど余っていたのが、翌年にはタンク1本では足りなくなってしまった。その後は販売数量の増加と共にタンクの本数も徐々に増えていった。

■ついに赤字を抜け出した

有巣氏はさらなる施策として海外展示会を通じた輸出の拡大や、しぼりたて生酒、日本酒ベースの和リキュール投入による商品ラインナップの強化を図った。

加えて「日本酒のテーマパーク」をコンセプトとして打ち出し、サービスの強化を実行した。いろんな銘柄を少しずつ楽しめる日本酒コインサーバーや酒蔵見学、日本酒と一緒に飛騨牛料理が楽しめるレストランを強化していったのだ。

その結果、インバウント需要の追い風もあり、入社時には1億円にも満たなかった売り上げが、2017年度の決算で5億円を超えるまでに成長した。有巣氏が入社してからの約7年間で、売り上げを6倍以上に伸ばしていた。

看板商品である「四ツ星」の販売量もさらに拡大し、現在ではタンク4本(当初の販売量の4倍)にまで拡大している。事業承継前からは信じられないような好業績となっていたのだ。

■コロナ禍に痛感した日本酒の弱点

順調に業績を伸ばしていたが、2020年2月から本格的に拡大した新型コロナが経営を直撃した。それまで右肩上がりであった売り上げは一気に減少し、2020年4月には、前年比で9割以上も減少した。当然店舗も休業を余儀なくされた。

コロナ禍で日本酒の出荷が一斉に止まり、大量の在庫を抱えることになった。

見出しに踊る「緊急事態」の文字
写真=iStock.com/Yusuke Ide
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yusuke Ide

本来、日本酒はアルコールの作用で腐敗しにくいため、未開封であれば長期保存は可能である。しかし、腐らないといっても実際には美味しく飲める期間にも限度がある。徐々に熟成が進み、味わいが変化するため、蔵元としてはなるべく早めに飲むことをおすすめしている。舩坂酒造店では、普通酒で約1年、吟醸系では約半年が目安となる。

有巣氏はしぼりたての新酒の美味しさを味わってほしいとの想いから、フレッシュな日本酒を提供することに取り組んでいた。造った酒をすぐに瓶詰めして冷蔵保管することで、熟成が進むことを極力抑えるようにしたのだ。

これにより、顧客は新鮮な美味しい酒を飲むことができ、会社としてもキャッシュが早く回るようになる。顧客と会社がWin-Winの関係になる理想的なビジネスだと考えていた。ところが、いったん出荷が止まると生鮮食品と一緒で、見る見るうちに鮮度は落ち、価値が下がっていく。

そのときに初めて在庫を持つことの恐ろしさを思い知らされたのだ。

■在庫を抱え続けるリスク

「当社は輸出にも力を入れていたので、そのときは海外に販売することでなんとか在庫を売りさばくことができました。しかし、時間が経過して価値が落ちてくると結局安売りしないと売れなくなってしまいます。フレッシュな日本酒は、市場環境によっては必ずしもキャッシュフローが良いわけではないことに改めて気付きました」

有巣氏は経営が厳しい中でも、なんとか踏ん張って従業員を1人も解雇することなく雇用を維持し続けていた。このため、GoToトラベルキャンペーンの効果が出始めた2020年の秋ごろからは、同社の売り上げも少しずつ回復し始めた。あきらめなければなんとかコロナの危機を乗り越えることができそうだという自信を感じ始めていた。

その一方で有巣氏は、アフターコロナに向けた取り組みを模索していた。

「コロナ禍は本当に大変でしたが、会社を必ず復活させるという想いを持って何とかやってきました。しかし、また次の大きな環境変化を想定した場合、やはりこのままではだめだと考えたのです。何か新しい種を見つけなければならないと四六時中考えていました」

模索を続ける中で、富山県の老舗酒蔵である若鶴酒造との連携に行き着いた。比較的アクセスしやすい北陸地区との間で、お互いの酒蔵見学を通じた観光コースを作ろうと考えたのだ。

2021年4月に同社を訪問した際に、ウイスキーを製造する関連会社の三郎丸蒸留所をたまたま見学した。何とかしなければいけないと考えていたときに、偶然ウイスキーに出合ったのだ。

■最初は気乗りしなかったが、工場見学で一転

「ウイスキーについては同じアルコール飲料ということもあって、以前にどういうビジネスなのかを少し調べたことがあります。そうしたら、造ったものは少なくとも3年以上は寝かせなければいけないということがわかりました。中には12年も寝かせるものもあって、これだけ長い期間キャッシュが入らないビジネスは我々のような弱小資本の企業では、絶対に手を出してはいけないなと。だから見学を勧められたときも、最初はあまり気乗りしていなかったのです」

しかし、蒸留所を見学したところ、一気にその魅力に引き込まれた。

初めて訪れた蒸留所は想像していたものとは全く違っていた。ウイスキーを製造している過程が日本酒にはないものばかりでとても新鮮だったのだ。初めて見る蒸留器に気持ちが高揚していた。

決め手になったのは、若鶴酒造の創業家である稲垣貴彦氏がウイスキーを再興させるきっかけとなったエピソードだった。稲垣氏の曾祖父はかつてウイスキー造りに取り組んでいたのだ。

「50年前にひいおじいさんが作ったウイスキー樽を、稲垣さんが偶然見つけて飲んだらしく、そのときに電撃が走るくらい感動したそうです。実は私も杜氏が出してくれた新酒を初めて飲んだときに、背中に電撃が走ったのです。まさにそれと同じですね。自分と同じ体験を稲垣さんがしていたことに、運命的なものを感じました。ウイスキーは何かを未来に繋ぐことができると確信したのです」

■日本酒と真逆…時間が経過するほど価値が出る

酒蔵の軒先に飾られている、杉玉(緑や茶色の大きな丸い玉)は、毎年11~12月に飾られ始め、その年の「新酒ができた」という案内になる。

この所以も日本酒が1年で飲み切る酒からきているのではないかと有巣氏は考えている。新酒ができると、新緑の杉玉に掛け変わって、それが熟して茶色くなって1年で熟成し、年が変わることでまた新しい杉玉に変わっていく。

舩坂酒造店の軒先に飾られた杉玉
筆者撮影
舩坂酒造店の軒先に飾られた杉玉 - 筆者撮影

一方でウイスキーは時間の経過がそのまま価値となる。蒸留が終わった直後のウイスキーは無色透明であり、アルコール度数も高い。この状態から原酒を樽に詰めて貯蔵することにより熟成が進んでいく。

時が経つにつれてアルコールに樽材の成分が溶け出すことで、ウイスキー独特の色合いや味わい、そして香りに変化していく。

有巣氏はウイスキーについて考えるうちに、日本酒と全く相反しながらもシナジーがあるビジネスであることが、かえってとても魅力的に思えるようになった。

「コロナの時期に自分は在庫を抱えてあれだけ苦しんだのに、ウイスキーは世の中にコロナが蔓延している間も価値が上がり続けていたのです。これってすごいと思いませんか。一時的にキャッシュが入ってこなくなりますが、その後何年か経てば何倍ものキャッシュが入ってくる可能性があるのです。だから、そこをきちんと管理できればビジネスとして十分に成り立つのではないかと思ったのです」

ウイスキーをグラスで
写真=iStock.com/OlegEvseev
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/OlegEvseev

■相互に補完し合える関係

日本酒は新鮮さが売りのビジネスだが、ウイスキーは時間の経過が価値になるビジネスである。両方のビジネスを持つことで相互補完ができ、外部環境の変化にも対応できる強固な事業展開ができるのではないかと、有巣氏は考えるようになった。ウイスキー造りについてまったく知見はなかったが、それでもやってみたいという思いはますます高まった。

すぐに有巣氏は、三郎丸蒸留所の稲垣氏にぜひ教えてほしいと頭を下げた。稲垣氏からは「人生をかけることになるが、それでもいいのか?」と聞かれた。それぐらいキャッシュフローが長いビジネスなので、自分の身を投じてやるくらいの覚悟が必要になる。

そんなに甘い世界ではないと言われたが、それでもやりたいと答えた。元々日本酒を同じ覚悟でやってきたので、ウイスキーでも同じだと思い有巣氏に迷いはなかった。

「自分が日本酒で同じように電撃が走った体験や、自分の子供たちの世代にバトンを繋いでいくために、高山発のウイスキーを造りたいという話をしました。そこから一気に事業計画を策定し説明したのです。そうしたら稲垣さんも自分の想いに共感してくれたようで、最後には『仕方がない、あなたには教えましょう』と言ってくれました」

そこからは着々とウイスキー造りに向けて取り組んでいった。事業化にあたっては、設備やブレンダーなど技術的な課題が多い。最大の課題は資金調達だった。初期投資に億単位の費用が必要となる。これにコロナ対応の貸付制度や事業再構築補助金などを最大限に活用することを考えたが、まだまだ足りなかった。

■廃校になった小学校でウイスキー造りを決意

ウイスキーの蒸留所を造ると決めてからは、有巣氏は候補地を求めて全国を探し回っていた。しかし、資金面の問題もあり、これだと思えるような場所はすぐには見つからない。有巣氏は自分の中で、次第に焦りが大きくなっていくのを感じていた。

そんなときに思いがけない知らせが飛び込んでくる。地元の知人から高根地区に廃校となった小学校の校舎が残されていることを教えてもらったのだ。

早速見に行ってみると、想像していた以上に良好な状態で残されており、当時の想い出がいたるところで感じられる施設であった。そして、ここにはウイスキー造りに必要な要素がすべて揃っていた。山奥の過疎地なので広大な敷地があることに加え、豊富な水源、きれいな空気、寒冷な気候を兼ね備えている場所だったのだ。

飛騨高山蒸溜所は、北は乗鞍岳、南は御嶽山に囲まれた自然豊かな環境の中に佇んでいる。
写真提供=舩坂酒造店
飛騨高山蒸溜所は、北は乗鞍岳、南は御嶽山に囲まれた自然豊かな環境の中に佇んでいる - 写真提供=舩坂酒造店

建物も頑丈な造りであったため、これから先も長期間使える計算が立った。校舎をリノベーションして使うことで、建物や設備の初期投資コストを大幅に抑えることができる。

さらに、小学校のすぐ近くには中部電力の高根第二ダムがある。このダムは国内でも十数基しかない中空重力方式という珍しいダムであり、コンクリートの使用量を抑えるために内部が広い空洞になっている点が特徴である。この空間を利用して、ウイスキーを貯蔵できることもわかった。

「通常この規模の蒸留所を新規に立ち上げようとすれば、最低でも5億、土地の取得まで含めれば10億近い費用が必要になると思います。今回は小学校の校舎を活用することで、約3.5億と大幅に費用を抑えることができました」

またなによりも、地域に残った宝(地域住民の想い出の地)を使ってウイスキーを製造できるということが、地域に生きる我々らしいウイスキー造りをすることができる。

「飛騨高山の名にふさわしいウイスキーにしたい」と考えていた有巣氏は、地域の想い出がたくさん詰まったこの施設を使って、高山発のウイスキーを造ることを決意する。

■クラウドファンディングで寄付を呼び掛けると…

3.5億円に費用を抑えたとはいえ、資金はあるに越したことはない。有巣氏は2022年3月末、クラウドファンディングで資金を募ることにした。問題は、ほかの蒸留所との差別化だった。

近年はブレンド技術や品質の高さからジャパニーズウイスキーの人気が高まっており、輸出を中心に需要が拡大している。2020年以降はウイスキーが日本酒を抜いて日本産酒類の輸出額でトップを占めている。

背景にあるのは異業種からのウイスキー事業参入だ。2014年に全国で9カ所だった蒸留所の数は、2022年当時で計画段階のものを含めると70カ所を超えることが見込まれていた(筆者注:2024年4月時点では114カ所に増加)。

そこで有巣氏は、地域の人に愛されながらも惜しまれつつ廃校となった小学校を「世界中からウイスキーファンが訪れる、多くの人に愛されるウイスキーの学校にしたい」との想いを発信した。どれくらいの支援が集まるか最初は不安だったが、結果的に3760万円が集まった。有巣氏の想いにたくさんの人たちが共感してくれたのだ。

このプロジェクトは、サポーターからの支持や応援購入総額、社会的なインパクトの大きさが評価され、「Makuake Of The Year 2023」の1社として選出されている。

クラウドファンディングには全国から929人もの支援が集まった
クラウドファンディングには全国から929人もの支援が集まった

■「ようやくスタートラインに立てた」

その後、クラウドファンディングの成功もあって、懸案だった資金調達の目途が立ち蒸留設備の設置も無事完了した。2023年5月に飛騨高山蒸溜所として本格稼働を開始。いまも順調に生産を続けている。最近では、蒸溜所見学会のバスツアーが開催されており、多くの人がこの蒸溜所を訪れている。

2026年の秋頃には、シングルモルトウイスキーが最初のオリジナル商品として出荷される予定だ。

2026年秋発売予定のシングルモルトウイスキー(商品はイメージ)。
写真提供=舩坂酒造店
2026年秋発売予定のシングルモルトウイスキー(商品はイメージ) - 写真提供=舩坂酒造店

ウイスキーはその土地風土が作り上げる酒と言われている。飛騨の清らかな水により造られ、雄大な森と湿潤な風土に育まれた岐阜県初となる本格製造のシングルモルトウイスキーは、しっかりとした味わいと甘みを感じさせる製品に仕上がるはずだ。

有巣氏は、同社を総合ジャパニーズアルコールメーカーとして位置づけ、これからの構想を考えている。

「今はとりあえずようやくスタートラインに立てたところですね。でもまだまだこれからが本番です。日本酒とウイスキー、事業特性の異なるこの2つのビジネスを融合させて新たな価値提供を図っていきたいですね。具体的には、ウイスキーの特長である貯蔵の要素を日本酒に取り入れることも考えています。一例ですが、樽のフレーバーを日本酒に漬けたものを商品化してみるのも面白いかなと思っています」

「そして、今後は商品造りだけでなく、そのバックにあるストーリーも含めた体験を共有しながら付加価値を提供していきたい。例えば、日本酒の酒造り体験ツアー、ウイスキー蒸留所のある自然環境豊かな場所でのグランピング体験などです。実現にはまだまだ時間がかかりますが、当社が総合ジャパニーズアルコールメーカーとして生き残っていくために、そんなことを毎日考えています」

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伊藤 伸幸(いとう・のぶゆき)
中小企業診断士、ビジネスライター
1966年愛知県生まれ。関西大学社会学部卒。新卒で精密機器メーカーに就職し、営業職を経験後、商品企画、経営企画、事業企画など30年近く企画系の業務に従事。中小企業診断士の資格取得後は、経営ビジョン・戦略策定、重点施策管理、提案書作成など、企業が成長していくために必要となる一連の言語化作業のサポートを中心に活動している。得意分野は事業戦略、方針管理、マーケティング、ビジネスライティング全般。

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(中小企業診断士、ビジネスライター 伊藤 伸幸)

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