黒焦げの遺体が放置され、左足は赤い肉片がむき出しだった…プーチンの軍隊が破壊した街で見た悲惨な光景
プレジデントオンライン / 2024年8月16日 9時15分
※本稿は、村山祐介『移民・難民たちの新世界地図』(新潮社)の一部を再編集したものです。
■殺気だった母からの電話で「侵攻」を知った
列車は2022年4月5日午前7時過ぎ、キーウ中央駅に着いた。すぐに自動小銃を持った兵士に身分証の提示を求められた。平日の朝だが構内はがらんとしており、行きかう人の表情も硬い。どんよりとした曇り空が、余計に重苦しさを感じさせた。
紹介してもらった設計士キリル・ダビドフ(33)と駅前で落ち合った。フロントガラスがひび割れた彼の古いボルボで、路上で遺体が見つかったというブチャに向かうことにした。
侵攻前は300万人が暮らした首都キーウの街は、もぬけの殻のようだった。幹線道路沿いの店はすべてシャッターを下ろし、人影はほとんどない。路上に鉄骨で組まれたバリケードがあちこちにあるが、兵士の姿はなく、キリルは慣れたハンドルさばきですり抜けていく。
「数日前にプーチンの軍隊がベラルーシに戻って、検問も減ってだいぶ運転が楽になりました」
それでも郊外に出ると検問待ちの大渋滞に巻き込まれた。キリルはその間、侵攻以来の日々をとつとつとした英語で語り始めた。
市内の集合住宅の9階に暮らすキリルは侵攻の日の早朝、近くに住む母の電話で起こされた。「爆撃よ!」と切羽詰まった声が聞こえたが、最初は「まだ寝てるんだから」と寝ぼけて電話を切った。
すぐにまたかかってきて、「起きて! 起きて!」という殺気立った声が聞こえた直後、ボン、ボン、ボンと立て続けに本物の着弾音が聞こえた。「何? 何? この21世紀に攻撃? ……正気じゃない!」
自宅の窓から外を見ると、眼下の軍事基地にあった装甲車両や輸送車が慌ただしく動いていた。基地への攻撃に巻き込まれないよう、泣き続けていた妻を連れてすぐに両親の家に避難した。
■“激しい戦闘の最前線”となったブチャの街
ブチャはキーウから直線距離で約25キロ北西にあるが、車は南西に大きく遠回りしていた。何カ所目かの検問で待たされると、キリルはため息をつき、スマホの地図を指さした。
「ブチャは今、とんでもなく遠いんです。この橋は破壊されていて、ここも、この橋も。主な橋がすべて通れなくなってしまったので、車で行くにはぐるっと回るしかないんです」
橋を爆破したのは、ウクライナ軍だった。ロシア軍は侵攻直後、ブチャの北にあるホストメリの国際空港にヘリで空挺部隊を投入し、ベラルーシから陸路で南下してきた陸軍部隊が空港を制圧した。27日にはブチャまで進軍した。
これに対し、ウクライナ軍はキーウ西部で都市部と郊外を分かつイルピン川に架かる橋を爆破して車両が渡れないようにし、空港の滑走路も爆撃してロシア軍が使えないようにした。
首都制圧を目指すロシア軍が足場にした人口3万7千人のブチャ。首都を死守するためにウクライナ軍が背水の陣を敷いた人口6万人のイルピン。こうしてブチャ川を挟んで北と南に位置する二つの町は、キーウの命運を握る激しい戦闘の最前線となった。
イルピン川に架かる爆破された橋を訪ねると、まるで「車の墓場」だった。
片側二車線の取り付け道路に数十台がずらっと三列に並び、ほとんどがキーウの方を向いて止まっている。避難の途中で住民たちが置いていった車だ。車体に蜂の巣のように無数の穴が開いていたり、ひっくり返って運転席がつぶれたりしている。川に近い十数台はいずれも燃え焦げ、さびた鉄くずのようになっていた。
道路の先で、両端をスパッと切られたように長さ20メートルほどの橋の断片が川面に落ちていた。そこに落下したミニバンが突き刺さっている。落ちた橋の残骸は木片でつながれ、戦闘の間、多くの住民がその上を渡ってキーウに逃れていた。
■現実とは思えない光景が広がっていた
ブチャとの境に近づくと、2階建ての倉庫のような巨大な建物が激しく崩れ落ちていた。内部は黒焦げで鉄骨は茶色くさびており、無数の鉄板や鉄パイプが突き出て、外装の一部だったシートが風にゆらゆらと揺れている。ボウリング場と映画館を併設した人気の郊外型ショッピングモールだったと聞いても、元の姿は想像もつかなかった。
道の向かいに使われていない線路があり、その上に黒い塊があった。燃えた廃材かと思ったが、全身黒焦げの状態であおむけに横たわる2体の遺体だった。衣服はほぼ燃え尽きて、皮膚に張り付いていた。左側の遺体は左太ももがかじり取られたようになっており、赤い肉片がむき出しになっていた。
体つきから、2体とも成人男性のようだった。周りには空のペットボトルやフルーツジュースの紙パック、焦げた木片が散らばっていた。
そのすぐそばを車が行き来していく。本当に現実世界の光景なのか、自分の感覚がおかしくなっていくのを感じた。小さな川を渡った先がブチャだった。
入ってすぐの交差点を東西に横切るのが、本書のプロローグでしるしたように、路上に遺体が点々と転がっていたヤブロンスカ通りだ。第一報から3日が過ぎて遺体は回収されていたが、殺された住民が乗っていた緑色の自転車はそのままで、充電器などの小物が歩道に散らばっていた。
交差点から北に向かう駅前通りは、装甲車両の残骸で足の踏み場もないほどだった。上部が吹き飛んだ戦車の脇に砲台や車輪が転がっており、色あせた塗装にロシア軍を示す「V」の字が描かれている車両もある。もはや元の姿が見当もつかない鉄くずもあった。
500メートルほどの区間に十数台の大型車両が打ち捨ててあり、いずれも茶色くさびていた。最初にブチャに進軍したロシア軍部隊が、ウクライナ軍の急襲で壊滅した跡だ。
■「遺体は軍人じゃなくて市民ばかりだった…」
この日はメディアを案内するプレスツアーが組まれており、カメラやマイクを手にした報道関係者数百人が通りを埋め尽くしていた。駅前通りに面した一軒家の住人が姿を見せると、報道陣が一斉にカメラを向けてインタビューが始まった。
記者の一人が「ロシア軍の戦争犯罪を目撃しましたか」と尋ねると、年金暮らしのドミトロ・ザモジルニ(56)は「いいや……」と肩をすぼめた。
「砲撃が絶え間なく続いて怖かったから、外に出ないで両親とずっと家にこもっていたんだ」
電気も暖房も止まる中、れんがでかまどをつくり、薪を燃やしてお湯を沸かし、じゃがいもとおかゆを食べてしのいだ。ロシア兵にスマホを取り上げられ、ベッドの下やクローゼットの中まで調べられた。だれか隠れていないか捜している様子だったという。
「ロシア軍がいなくなった3月31日に外に出たとき、1キロほどの範囲に15の遺体があった。軍人じゃなくて市民ばかりで、一人は近所の人だったよ」
私たちはヤブロンスカ通りを車で西に走った。長い直線道路に沿って庭付きの古い一戸建てが並んでいるが、家屋のフェンスがあちこちで押し倒されている。大破してさびた車が路上や歩道に何台も放置されていた。
路肩に乗り上げて全焼していた乗用車は、ボンネットが大きくひしゃげ、前方の街路樹が押し倒されていた。中をのぞくと、金属がむき出しになった運転席の上に黒焦げの細長い塊があった。下半身に当たる部分が燃え残り、ピンク色の肉片があらわになっている。
米ニューヨーク・タイムズによると、車は3月3日、走行中にロシア軍の発砲を受け、街路樹に衝突して炎上した。遺体は地元の技師(50)で、父親に食料品を届けた直後だったという。
■116人の遺体が埋められた教会裏の集団墓地
町の中心部にある聖アンドリュー教会は、金色のドームを冠した白亜の建物だった。壁にはところどころ穴が開いている。サッカー場ほどの広さの裏庭に回ると、土が背の高さにまで盛られた一角があった。掘り起こされた集団墓地だ。
長さ13メートル、幅2メートル、深さ1メートルほどの細長い溝が掘られており、片端に遺体を包んだ大きな黒いポリ袋が10袋ほど積み重ねられている。ほかにも土にまみれた黒や白の袋が溝の底にいくつか置かれていた。
しめった土肌に目を凝らすと、ジャンパーのような布の先から、土色になった左手が出ているのが見えた。
左肩から先の部分、シャツを着た腹部、ズボンをはいた右太ももといった人体の一部があちこちから露出している。この土の中に、まだ何体もの遺体が埋まっている。そう思うと底知れぬ恐怖を覚えた。
集団墓地からは116人の遺体が掘り出され、うち女性が30人、子どもが2人だった。ブチャ全体では509人に達した。こうしたブチャの惨状は、侵攻から一カ月半がたって厭戦の空気が漂い始めていた国際世論を一変させた。
ウクライナ大統領ボロディミル・ゼレンスキーは「ジェノサイドだ」と強く非難し、西側諸国からもロシア軍の戦争犯罪を糾弾する声が噴出した。米国やEU、日本はすぐに追加制裁に踏み切った。国連総会は、ロシアの人権理事会の理事国としての資格を停止する決議を採択した。
■ロシアは“でっち上げ”と関与を否定した
一方、ロシア国防省は4月3日、テレグラムへの投稿で、ロシア軍管理下では「住民は一人たりとも、いかなる暴力行為も受けていない」と関与を否定し、ブチャの映像はウクライナ政府が「西側メディアに向けてでっち上げて演出した挑発行為だ」と主張した。
ネット上では、ロシア国防省と欧米メディアによる真贋論争が繰り広げられた。
ロシア国防省は3日、動画を添付して「『遺体』が手を上げたり、座り込んだりしている。より劇的な映像を作り出すために意図的に並べられたようだ」とする分析をテレグラムに投稿した。
これに対し、英BBC記者は4日にXで、動画の分析から、遺体が動いたように見えるのはガラスの汚れや水滴、動画の圧縮などが要因と指摘。ニューヨーク・タイムズも4日の記事で、衛星写真の解析をもとに、少なくとも一一の遺体がロシア軍占領下の3月11日に路上に存在していたと報じた。
こうした英語によるファクトチェックが、国営メディアを通じて拡散するロシア側の主張に触れたすべての人に届くわけではない。
相矛盾する情報が飛び交うことで、「どれも信用できない」「どっちもどっち」という印象を与えたり、傍観する理由を用意したりするのが狙いとすれば、完全否定して偽情報をばらまく手法にはそれなりの効果があるようにも思えた。
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ジャーナリスト
1971年東京都生まれ。立教大学法学部卒。1995年に三菱商事、2001年に朝日新聞社に入社。ワシントン特派員としてアメリカ外交、ドバイ支局長として中東情勢を取材し、国内では政権や経済を主に担当した。2020年に退社してフリーに。2021年からオランダ・ハーグを拠点に国境を越える動きを追う「クロスボーダー」をテーマに取材し、マスメディアや自身のYouTube チャンネル「クロスボーダーリポート」などで発信している。アメリカ大陸を舞台にした移民・難民を追った取材で2018年にATP賞テレビグランプリ・ドキュメンタリー部門奨励賞、2019年にボーン・上田記念国際記者賞、2021年にノンフィクション書籍『エクソダス アメリカ国境の狂気と祈り』(新潮社)で講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞した。
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(ジャーナリスト 村山 祐介)
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