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人をバカにするバカな人にはこれがない…和田秀樹「ドラえもん」と「スティーブ・ジョブズ」の意外な共通点

プレジデントオンライン / 2024年8月18日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Atstock Productions

他人を見下している人に欠けている視点は何か。医師の和田秀樹さんは「自説の正当性を信じて疑わない人は、新しい視点からの意見を受け入れることができない。『知的謙虚』という姿勢、つまり『ものを知れば知るほど、経験を積めば積むほど、自分は優れた頭脳をもっているなどと錯覚せず、謙虚であれ』ということを意識することが肝要だ。知識にとらわれすぎない自由な発想のお手本は『ドラえもん』の全編に貫かれている『こんなこといいな〜、できたらいいな〜』の精神である」という――。

※本稿は、和田秀樹『60歳からは勉強するのをやめなさい』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。

■人間はバカな人を見て優越感に浸る

世の中には、「自分はものを知らない。知識がまだまだ不足している。どんどん知識を詰め込まなければ」と思い、知識注入型の勉強スタイルに固執する大人がいます。

その一方で、逆に「自分はまわりの人間よりものをよく知っている。それに引き替え世間にはバカが多い」と他人を見下す態度を取る人もまた結構多いものです。

これは人間の性なのかもしれませんが、なまじっか自分が勉強していると、他人がバカに見え、また、バカな人を比較対象とすることで優越感に浸るというクセがあります。

ただ、ここにも考え方の落とし穴があります。本書では知識を絶対視せずに疑う姿勢の大切さを述べてきました。ここにさらにもうひとつ大切な視点があります。

それは、「自説を過信しすぎて絶対視しないこと。自説を疑う勇気をもつこと」です。

わたし自身の体験のなかにこんなことがありました。かつてある経済学の権威と話をする機会を得ました。

そのとき、わたしは「法人税や所得税を増税し、そのかわり経費の範囲を緩和し、大幅に認めたほうが消費刺激効果が高くなり、経済が活性化するのではないか」という意見を述べたのです。

それに対する経済学者の答えはこうでした。

「それは誰の学説なのか。経済学を学んだことのない素人の思いつきにすぎないじゃないか」

■自説に縛られ続けていると頭は古びていく

明らかにわたしを見下す態度でした。その人は自分の学んできた学説こそが正しいという思いで固まっていますから、量的緩和や財政出動だけで景気がよくなるとかたくなに信じているという様子でした。

もちろん、このときのわたしの説が絶対に正しいとは自分自身思っていません。

ですが、それが専門家によるものか素人の発想かにかかわらず、「こんな考え方もできるのではないか?」というアプローチは、非常に大切なのではないかと思っています。

この例でも顕著ですが、自説の正当性を信じて疑わない人は、新しい視点からの意見を受け入れることができません。

自説とそれを支えてきた過去の学説が、あたかも宗教のような性格を帯びてしまう。これはアカデミックな世界に非常に多い現象です。

標高の低い頂に立っただけで満足してしまう、小さなお山の大将と言ってしまえばそれまでのこと。往々にしてこの手のタイプは、自説に縛られているがゆえに、頭をアップデートできず古びていくという、悲惨なスパイラルにはまっていくのです。

■「人をバカにするバカな人たち」に欠けるもの

経済学者の榊原英資(さかきばらえいすけ)さんは、わたしが尊敬する人物のひとりですが、お話しするたびに新しいものの見方、考え方のヒントをくださいます。

その彼が以前、「知的謙虚」という言葉について話されたことがあります。

これは「自分が何でも知っているわけではない。自分にはまだまだ知らないことが無限にある」ということを認識する態度を意味する言葉です。

「ものを知れば知るほど、経験を積めば積むほど、自分は優れた頭脳をもっているなどと錯覚せず、謙虚であれ」ということを意識することが肝要なのです。

人のことを見下してバカにするような人に欠落しているのが、まさに知的謙虚と言えます。

椅子に座ってタバコとブランデーを持ったフォーマルスーツの男性
写真=iStock.com/Deagreez
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Deagreez

■『ドラえもん』に学ぶ知識にとらわれすぎない自由な発想

先に挙げたわたしなりの経済活性策。狭量な専門家たちからすれば、門外漢の素人意見など聞くに値しないのかもしれませんが、知識にとらわれすぎると、かえって柔軟な思考ができなくなるものです。

知識にとらわれすぎない自由な発想のお手本は、わたしたちがよく知っているアニメにもあります。『ドラえもん』です。

香港で開催されたドラえもん展の展示
写真=iStock.com/winhorse
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/winhorse

全編「こんなこといいな〜、できたらいいな〜」の精神で貫かれていますが、もし、この作中の世界が知識に縛られていたとしたら、ドラえもんの四次元ポケットからは「ひみつ道具」は何ひとつ出てこなかったはずです。

タケコプターで自由に飛ぶという発想も、どこでもドアで「あんなとこいいな〜、いけたらいいな〜」と思う場所へ行くという発想も出てこないでしょう。

どうして多くの大人がこうした発想ができないかと言えば、既存の知識に縛られているからです。

「自由に発想してください」と言われても、まず何も浮かばない。「こんなのあったらいいな」の「こんなの」さえ想像することができない。

やっとこさ何かアイデアらしきものが出てきても、「こんなのできっこない」とか、「あり得ない空想だ」「自分のもっている知識とはかけ離れているから没だ」「かえってこんなレベルのことを人に話したら笑われる。恥ずかしい」と決めつけ、それ以上考えることはできなくなる……。

■自由な発想を「面白い」と捉えられるか

こうした発想で『ドラえもん』が描かれていたら、ドラえもんは可愛さだけが売りのただのぬいぐるみにしかなれず、これほどまで多くのファンをワクワクさせることはなかったのは言うまでもありません。

現実の世界にも、自由な発想が大きな変革をもたらす例を見つけることができます。

たとえばスティーブ・ジョブズ。彼はもともと技術者ではありませんでしたから、自由に「こんなのつくれないかなぁ」と言えたのです。

もし彼が昔気質の技術畑の人間であったら、これまで蓄積された知識や経験、前例などに縛られて、その延長線上でしかものを考えることはできなかったかもしれません。

わたし自身も一見、人からはくだらないと思われるようなことを、あれこれ考えるのが大好きです。

ですから、たとえば「エネルギーをまったく必要としない永久機関みたいなものって、つくれないのかな」とか平気で考えるわけです。

こうした自由な発想を「くだらない」と言下に否定するのか、「面白いじゃん」と思えるのか。このあたりが頭の柔軟性にも非常に深く関係するとわたしは信じています。

そして、ジョブズを例に出すまでもなく、この柔軟な発想が成功のカギになる時代はもう来ていると言えるのです。

■「唯一絶対の答え」を求めることで、他の思考を排除してはならない

平成の時代が終わるまで、多くの日本人はこの世に「唯一の正しい答え」があると信じ、これを追い求めてきました。

つねに誰かが「これが正しい答えですよ」と提示してくれなければ不安になってしまうという、認知的成熟度の低さとあいまって、唯一絶対と思えるものにからめ捕られてきました。

わたしは元来、勉強が好きな人間です。灘中学受験に始まって東大受験、医師国家試験などのために、ハードな勉強を重ねてきたという経緯があります。

やがて20代後半から自身の経験をもとに受験勉強の方法論を説き、社会人向け・各年齢層向けの勉強法の書籍を送り出してきました。

そうしたなかで、「わたしたちにとって勉強とはなんだろうか?」という問いかけを繰り返し繰り返し続けてきました。

そんなわたしが至ったのは、「生きるなかで遭遇するあらゆることが、すなわち勉強」であり、「勉強とは特定の限局的な知識を注入することだけを意味するのではない」ということです。

木製テーブルの上の開かれた本から生える木。知識の木のイメージ
写真=iStock.com/Chinnapong
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Chinnapong

限局的な知識注入は、勉強という大きな括りのなかのほんの一部にすぎません。

加えて唯一絶対の答えを求める勉強は、思考の多様性を排除する。これは真の勉強とは言えないのです。

■勉強で人生を楽しく幸福に出来てこそ、真の価値が出る

本来、勉強とは生きるための目的ではなく手段です。勉強したことを自分の強みとして、いかに人生を豊かにしていくか、楽しくて幸福なものにしていくか。そのために使ってこそ価値があるのです。

勉強することで多様なものの見方、考え方があることを知る。そしてまた、自らもさまざま可能性を幅広く考えられるようになっていく。

これが勉強の意義であり、勉強することによって得られる最大の果実と言っていいでしょう。

幅広い視野でものごとの可能性を考えられる人は、それだけ人生の選択肢も広くなるのです。異論反論も排除せず、「なるほど、そういう視点もあるのか」と、まずは興味深く耳を傾けることができる人こそが頭のいい人と言えます。

既知の知識に拘泥しないフレキシブルな姿勢は、精神の自由につながるのだとわたしは思います。

わたしも、もちろん本を読んだりネットを見たりしながら、知識を注入することはあるのですが、それは「正解を求める」ためでなく、いろいろな考えがあることを知るためにというふうに変わってきました。

■新時代の生き方は「思考を続け、いかにアウトプットするか」

「いつから日本人は、これほどまでにものを考えなくなったのだろうか……」

この思いは年々強まってきています。

和田秀樹『60歳からは勉強するのをやめなさい』(SBクリエイティブ)
和田秀樹『60歳からは勉強するのをやめなさい』(SBクリエイティブ)

平成時代までの知識注入にばかり着目するような考え方の限界が来ているのではないか。そんなふうに思います。

令和からの新時代は、「知識を材料とし、いかに思考を続けていくか」という視点、そして「その思考をいかにアウトプットするか」という視点が、非常に大きなカギになると確信しています。

令和時代が始まって、この国の多くの人がものを考えず、思考のアウトプットの重要性を認識してこなかったことはいまさら仕方ないとしても、みなさんの人生の「これから」においては、楽しみながら思考を重ね、アウトプットを重視する新しい生き方を試してほしいと切に思います。

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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
1960年、大阪市生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。ルネクリニック東京院院長、一橋大学経済学部・東京医科歯科大学非常勤講師。2022年3月発売の『80歳の壁』が2022年トーハン・日販年間総合ベストセラー1位に。メルマガ 和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」

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(精神科医 和田 秀樹)

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