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なぜ「LOVEマシーン」はモー娘。で最も売れた曲になったのか…歌詞には書かれていないつんく♂の「無茶振り」

プレジデントオンライン / 2024年8月24日 10時15分

「モーニング娘。」、前列左から市井紗耶香、安倍なつみ、矢口真里、後列左から保田圭、飯田圭織、中沢裕子、石黒彩=1999年7月13日、東京・砧の東京メディアシティー - 写真提供=共同通信社

1995年に始まった『ASAYAN』(テレビ東京)は、なぜヒットしたのか。社会学者の太田省一さんは「オーディションの様子をバラエティーではなく徹底的にドキュメンタリーとして見せたことが大きい。その手法は、つんく♂の掟破りのプロデュースと非常に相性が良く、モーニング娘。のヒットにつながった」という――。

■モーニング娘。のデビュー曲にあった苦労

K-POP人気もあり、オーディション番組が盛り上がっている。だが『スター誕生!』など、昔からオーディション番組はあった。なかでも、モーニング娘。(以下、モー娘。)を生んだテレビ東京の『ASAYAN』は有名だろう。そのオーディションは、実は従来にない“掟破り”の連続だった。中心人物はつんく♂。どこが画期的だったのか?

「あと5枚、4枚、3枚、……」とカウントダウンが始まる。そして「5万枚達成です」のアナウンスに号泣しながら肩を抱き合う中澤裕子、石黒彩、飯田圭織、安倍なつみ、福田明日香の5人。場所はナゴヤ球場だ。5人は詰めかけたスタンドのファンに向かって、「デビューの夢、叶えられてとてもうれしいです」など、口々に感謝の言葉を述べる。

「モーニング娘。のデビュー曲は?」と聞かれてすぐ「愛の種」と答えられるひとはかなりの通だろう。ただ正確には、メジャーデビュー前のインディーズシングル。作詞・作曲もこの時点ではつんく♂(表記としては「つんく」)ではない。

事の始まりは、『ASAYAN』のなかでつんく♂がモー娘。の5人に「『愛の種』を5日間で5万枚手売りせよ」という課題を与えたことだった。それができなければ、メジャーデビューさせないという。そして全国各地での運命の手売りが始まった。

■モー娘。とシャ乱Qの共通点

大阪、福岡、札幌の3日間を終え、残り9533枚。そして4日目名古屋。前日の街頭PRではまったく反応がなく、しかもその夜はかなりの雨模様。さすがに不安になる5人だったが、祈りが通じたのか当日は快晴。多くのファンが集まり無事達成となったのだった。「いざとなったら学校辞めます」と悲壮な決意で臨んだメンバーもいたが、それが報われたかたちだった。

そして1998年1月につんく♂の作詞・作曲による「モーニングコーヒー」でメジャーデビュー。そこからヒットが続き、いきなり同年の『NHK紅白歌合戦』初出場。現在も続くモー娘。の歴史が始まる。

実はつんく♂が属するシャ乱Qにも、似たような経歴があった。頭角を現したのは、大阪のストリートライブ、いわゆる「城天」。その後コンテストで優勝したことをきっかけにメジャーデビューとなった。

つまり、つんく♂もまた、モー娘。と同様インディーズを経てメジャーデビューしたのだった。その点、両者にはエリートではないたたき上げ特有の“下剋上”感があった。

■バラエティーというよりドキュメンタリー

そもそもモーニング娘。結成が、ある意味“下剋上”の産物だった。

1995年にスタートした『ASAYAN』は、「夢のオーディションバラエティー。」と銘打ち、多彩なオーディションを開催。CHEMISTRYや鈴木あみ(現・鈴木亜美)を生んだ歌手オーディション以外に、ごあきうえが優勝したファッションデザイナーのオーディションなどもあった。

そのなかのひとつが1997年の「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」。このときは、シャ乱Q全員で審査するかたちだった。

中澤裕子以下の5人も、このオーディションにエントリーしていた。だが優勝したのは平家みちよ(現・みちよ)。普通ならここで終了である。ところが何も知らず呼び出された5人は、つんく♂から新グループの結成を言い渡される。

つまり、敗者復活である。これがまずオーディションとしては前代未聞、掟破りの一手だった。しかもそれは珍しいことではなく、『ASAYAN』という番組自体が予想外の展開の連続だった。よく「大問題勃発。」「急展開。」といったテロップが仰々しい効果音とともに画面に大写しされていたのを覚えているひともいるだろう。

そのあたりは、バラエティー番組というよりドキュメンタリー番組である。元々オーディションにはドキュメンタリー的な要素があるが、それを徹底させたのが『ASAYAN』だった。

■画期的だったつんく♂の審査法

ただ歌ったり踊ったりしているところだけでなく、受験者の家庭やサバイバル合宿にもどんどんカメラが入っていき、それぞれの素の表情を映し出す。その臨場感が視聴者を惹きつけた。

東京都港区虎ノ門にあるテレビ東京本社ビル(日経電波会館)
東京都港区虎ノ門にあるテレビ東京本社ビル(写真=ITA-ATU/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)

そもそもモー娘。のインディーズデビュー、5万枚手売りという前例のないことができたのも、『ASAYAN』がドキュメンタリー的なリアルさを志向していたからだろう。そうしたことの積み重ねのなかで、メンバー同士の激しいライバル意識も隠さない、それまでのただの可愛いアイドルとはひと味もふた味も違うモー娘。のアイデンティティが形づくられていった。

つんく♂の審査スタイルも画期的だった。

まず、審査するのはつんく♂1人というのが新しかった。従来のオーディション番組であれば、審査員はずらりと4、5人並んでいるのが当たり前。だがモー娘。オーディションでは、つんく♂が1人で審査した。しかも対面での審査ではなく、1人別室で受験者の映像を見ながらあれこれ論評するというケースが多かった。

立ち位置的には、家で見ている視聴者と同じである。実際、つんく♂の発する言葉にはファン目線が感じられた。

■アイドルファンの変化

たとえば、安倍なつみと面談後、あまりの完璧な笑顔に「安倍の笑顔が怖かったなー」と一歩引いた目線での感想を漏らしたり、ロック志向で最初はアイドルらしからぬ細眉だった石黒彩には「石黒の眉毛も社会にどんどん溶け込んでいったよな」と軽くいじったりする。

オーディション番組の審査員と言えば、業界の大物が厳しい顔つきでもったいぶった講評を述べる。そんな堅苦しいイメージだったが、『ASAYAN』のつんく♂の言葉はフランクで、いかにもファンがテレビの前で言っていそうなものだった。

その姿は、多くのアイドルファンから支持された。ネットでは親しみを込めて本名の「寺田」などと呼ばれ、つんく♂はまるで同じファン仲間のような扱いを受けた。

逆に言うと、『ASAYAN』を見ているファンもつんく♂に自分を重ね、審査員気分に浸ることができた。元々アイドルファンにはプロデューサー目線でアイドルを見るひとも少なくないが、「2ちゃんねる」のようなネット掲示板も登場するなかで一家言を持つようなアイドルファンが格段に増えた。

ただ、ファンにはどうしても越えられない壁もあった。つんく♂が一流のミュージシャンであったことだ。しかしそれゆえに、つんく♂がモー娘。の音楽を生み出す現場に立ち会えたのも『ASAYAN』のほかにはない魅力だった。

コンサート
写真=iStock.com/Cesare Ferrari
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Cesare Ferrari

■歌詞には書かれていない「言葉」

たとえば、新曲のレコーディング風景はそのひとつ。なかでも印象的だったのが、独特の歌唱指導である。

モー娘。最大のヒット曲「LOVEマシーン」のレコーディング。後藤真希(13歳でありながらオーディションに金髪で現れ周囲の度肝を抜いた話は有名だ)が新加入で、このときのメンバーは8名。つんく♂はその一人ひとりに細かく指示していく。

たとえば、飯田圭織には、「熱けりゃ 冷ませばいい」の「熱けりゃ」をそのまま「あつけりゃ」ではなく「んあつけりゃ」と頭に「ん」をつけろと指導したかと思えば、「恋愛っていつ火がつくのかDYNAMITE 恋はDYNAMITE」のところを歌う保田圭には、「ダイナマイト」ではなく「ザイナマイト」と歌えと指示する。

自分が書いた詞をわざわざ崩して歌えというのだから面白い。VTRを見ていたMCのナインティナイン・矢部浩之からも笑いながらのツッコミが入るが、本人たちは真剣そのもの。そのギャップがまた面白い。

■リズムの“下剋上”

リズムの取りかたの指導も徹底していた。モー娘。の楽曲の基本は16ビート。これを普段から体に叩き込むよう、いつもつんく♂はうるさく言っていた。

「サマーナイトタウン」(1998年発売)のレコーディングでのこと。保田圭、矢口真里、市井紗耶香の新加入組3人に、「曲の中に基本的に16ビートが流れてるんだけど、歌ったときに『何とか音頭』みたいになっちゃってる」とダメ出しし、「ここはキモなのよ、結構」と言って、短いコーラスパートが主なのだが繰り返し何度も歌わせる。かかった時間はなんと5時間。

16ビートは、「LOVEマシーン」がそうだったようにディスコ調の音楽などでおなじみのファンクのビートだ。演歌ともロックとも違う。それはつんく♂にとって、新しいビートでヒット曲を出そうというリズムの“下剋上”でもあった。

また、『ASAYAN』ではつんく♂の発想のユニークさが垣間見えることもあり、そこもひとつ見どころだった。

たとえば、つんく♂がモー娘。メンバーに「LOVEマシーン」のコンセプトを説明する場面。「不景気だろうが何だろうが、みんな恋はする」「いろんな恋がインフレ起こしてる」と饒舌に語るつんく♂だが、ここでもVTRを見ている矢部は「何言うとんねん」とすかさずツッコミを入れる。

■ツッコみだらけの「LOVEマシーン」

矢部がツッコみたくなる気持ちもわからないではない。

アイドルが歌うラブソングと言えばさわやかな純愛ソングというのが相場。それなのに「LOVEマシーン」では、「不景気」「インフレーション」、さらには「就職希望」といったラブソングにしてはあまりに突拍子もない、ミスマッチなワードが次々と出てくるからだ。

だが「LOVEマシーン」は、人びとのこころをとらえた。当時夜の巷では中年サラリーマンもカラオケで歌いまくるほどの国民的ヒット曲、ミリオンセラーになった。

「LOVEマシーン」が発売された1999年。それは日本でもベストセラーになった『ノストラダムスの大予言』が人類滅亡を予言した年であり、世にはどんよりとした世紀末気分が漂っていた。経済的にも長い平成不況の真っ只中。決して明るい時代ではなかった。

しかしそのなかで、モー娘。だけは元気だった。「どんなに不景気だって 恋はインフレーション」「日本の未来は 世界がうらやむ」と16ビートに乗って異色のラブソングを歌い踊るモー娘。は、停滞した空気を振り払うヒーローとしてみんなをとりこにしたのである。

その裏には、世相を敏感に感じ取って曲に盛り込むつんく♂の匠の技があった。

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太田 省一(おおた・しょういち)
社会学者
1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』(以上、青弓社ライブラリー)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『21世紀 テレ東番組 ベスト100』(星海社新書)などがある。

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(社会学者 太田 省一)

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