地上7メートルから水が押し寄せる…専門家ならだれでも知っている「東京水没の最悪のシナリオ」とは【2024夏のイチオシ】
プレジデントオンライン / 2024年8月16日 6時15分
※本稿は、谷川彰英『全国水害地名をゆく』(インターナショナル新書)の一部を再編集したものです。
■広大な“海抜ゼロメートル地帯”を抱える東京
東京の下町・江東区の一角に忘れられた一本のポールがある。このポールの存在は私が2012(平成24)年2月に出した『地名に隠された「東京津波」』(講談社+α新書)を執筆中に発見したもので、同書で紹介するまでは一部の関係者を除けば誰も知らない隠れた存在だった。
この本は、その前年の東日本大震災の被害を目の当たりにして「東京は大丈夫か!?」という問題意識で書いたものだが、その過程でこのポールの存在を知った。結論的に言えば東京は水害や津波に極めて弱いということになるのだが、その危険性に警鐘を発してきたのがこのポールだった。
東京が危険だという最大の理由は、人口が密集した広大な海抜ゼロメートル地帯を抱えていることである。全国の主な海抜ゼロメートル地帯には次のようなものがある。
(2)佐賀県…207平方キロメートル
(3)新潟県…183平方キロメートル
(4)東京都…124平方キロメートル
東京都は面積では4位だが、海抜ゼロメートル地帯の居住人口は150万で他を圧倒している。東京都のゼロメートル地帯は江東区・墨田区・江戸川区・葛飾区・足立区の広範囲にわたっている。最も低い地点は江東区の大島六丁目で3.9メートルの地点である。このゼロメートルは荒川沿いに広がっており、五つの区域のほぼ半分を占めている。
これをわかりやすく言うと、このゼロメートル地帯は水深0~4メートルの巨大な湖であり、周りは川や海で取り囲まれ、その堤防が水の流入を防いでいるお陰で通常の生活が営まれているということである。逆に言うと、その堤防が決壊すると、この地帯は何メートルもの水に浸かってしまうことを意味している。
もともと、この地帯は明治の頃までは水田が広がっていた所で、東京が発展・拡大する中で、総武線、常磐線が敷かれ、水田が宅地化されて商業地域・工業地域も広がってきた地域である。
■荒川が決壊すれば地上7メートルから水が押し寄せる
ポールがあるのは江東区南砂三丁目。「砂町地区」は江戸時代に開発された「砂村新田」に由来するとされている。1659(万治2)年に相模国の砂村新四郎によって開発されたとされてきたが、その後異説が出され、当地が海浜の砂地だったことによるなど定説はない。だが、この地が「砂地」であったことは事実でそこから「砂村」という地名が生まれたことは間違いない。
東京メトロ東西線の「南砂町駅」で降りると、駅前の道路は緩やかな坂道になっている。駅の標高はわずか一メートル。坂道を数分も下っていくと公園の脇に写真にあるような不可思議なポールが立っている。
このポールには7個のリングが取り付けられているが、それぞれに意味がある。地上1メートルの位置にあるのが「干潮時海面」の高さ(深さ)を指している(リング1)。つまり、この地は干潮時の海面より1メートルも低いということになる。
リング2は「平均海面」の水位を、さらにその上のリング3は「満潮時海面」の水位を指している。つまり、この地は満潮時にはマイナス3メートルの低地と化すことになる。
そのすぐ上のリング4は、1918(大正7)年の地盤表記で、言い換えればこの地は100年で3メートル以上の地盤沈下を引き起こしたことになる。そのさらに1メートルほど高いリング5は、1949(昭和24)年の台風による高潮の高さ、それからさらにメートルほど高いリング6は、1917(大正6)年の台風による高潮の高さを示している。
そして、最も高い地点、およそ7メートルの所に位置するリング7は現在の堤防の高さを示している。言い換えれば、荒川の堤防が決壊すれば、この地点まで水に浸かる可能性があるということである。
■東京水没の“最悪のシナリオ”
災害に備えるためには100年に一度起きるか起きないかの最悪の事態を想定しておく必要がある。仮に関東地方に台風による大雨が降ったとしよう。荒川、江戸川などの河川が危険水域に達したとする。時は満潮時。台風による高潮も発生している――。
その時、首都圏を地震が襲ったとする。高潮に加えて津波が発生する。現在の臨海部の防潮堤の高さは4.6~8メートルなので、海水は軽々と乗り越えてゼロメートル地帯になだれ込む。さらに怖いのは高潮・津波による河川の遡上である。これによって荒川の堤防を容易に水は越えていく。
そして最悪のシナリオは、地震で河川の堤防が切れるという想定である。堤防が一カ所でも切れればゼロメートル地帯は一瞬にして巨大な湖と化すことになる。
私の想定した最悪の事態とは以上のようなものだが、忘れてならないのはこういう事態を招く確率は「ゼロではない」ということである。
■水害が起きる「二つの原理」
台風が日本列島に接近する時期になると連日のように、「暴風、川の増水、低い土地の浸水にご注意ください」とテレビのニュースで警告を発している。
暴風を別にすれば「川の増水」と「低い土地の浸水」が人々の安全を脅かす元凶であることは言うまでもない。ただ、この現象は水に関する極めて単純な二つの原理によって引き起こされていることに注意する必要がある。その二つの原理とは次のようなものである。
(2)水は許容量を超えると溢れる。
人をバカにするなとお叱りを受けそうだが、水害は間違いなくこの二つの原理によって引き起こされている。例外はない。(1)から言えるのは、「低い土地の浸水」であり、(2)から言えるのは「河川の氾濫」(外水氾濫)・「内水氾濫」であり「土砂崩れ」「鉄砲水」である。
そういう見地に立つと、東京の海抜ゼロメートル地帯など人が住んではいけない最も危険なエリアだということになる。だがそんなに単純に割り切れないのが世の中である。
■「山の手」と「下町」で水害の被害は大きく変わる
東京の町は「山の手」と「下町」とから成っており、両者を無数の「坂」が結んでいる。「山の手」と「下町」の境を象徴するのはJR京浜東北線である。北は王子駅あたりから南は上野駅あたりに至るまで電車は西側につながる台地の崖に沿って走る。
この西側に連なる台地が武蔵野台地の東縁に当たる。日暮里駅の北改札口で降りて北側を見ると左側に20~30メートルの崖が続いている。これが武蔵野台地の東縁である。この一帯の台地は江戸時代から「日暮らしの里」と呼ばれ、江戸の名所の一つだった。
駅から台地を北に10分ほど歩を進めると諏方神社がある。その境内から東を眺めると今はビルが林立して先は見えないが、江戸時代には一面の水田の向こうに千葉県の国府台が遠望され、その先には筑波山を望むことができた。
この光景から東京の水害を予知することができる。
海抜ゼロメートル地帯を含むこの広大なエリアは、西に武蔵野台地、東に下総台地、北の大宮台地に囲まれた三角状の低地である。ここに旧利根川、旧渡良瀬川(現江戸川)、荒川などの河川が流れ込むので、水害による被害は予想を超えたものであった。
■東京は銀座、埼玉は浦和あたりまでが海だった
武蔵野台地も下総台地も大宮台地も「洪積台地」で約1~2万年前までに形成された土地で地盤は固く、さらに高台になっているために水害の心配はない。一方、河川の周辺の低地は「沖積平野」と呼ばれるもので、それ以降に形成されたものである。河川が運ぶ土砂の堆積によって成っているために地盤は弱く、常に水害の可能性にさらされている。
2万年前の氷河期には、大陸に氷河が発達したために海面は現在より130メートルも低く、海岸線は今の神奈川県横須賀市浦賀あたりだったと推定されている。その頃は、東京湾は存在していなかった。ところが氷河期が終わると、地球温暖化によって海面は次第に上昇し、縄文後期(数千年前~)に入ると海面はぐんぐん上がり、現在の海面より標高差にして数メートルから10メートルも高かった。
これが「縄文海進」という現象だが、その結果、東京の下町は現在の日比谷や銀座を含めて完全に海面下に沈むことになった。東京都だけでなく、東京湾沿岸の低地は海面下に没していた。北はさいたま市の浦和あたりまで海で、「浦和」という海にちなんだ地名が残っているのはそのためとも言われている。
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筑波大学名誉教授、元副学長
地名作家。1945年、長野県松本市生まれ。千葉大学助教授を経て筑波大学教授。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学退職後は地名作家として全国各地を歩き、多数の地名本を出版。2019年、難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されるも執筆を継続。主な著書に『京都 地名の由来を歩く』(ベスト新書、2002年)に始まる「地名の由来を歩く」シリーズ(全7冊)などがある。
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(筑波大学名誉教授、元副学長 谷川 彰英)
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