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出産後に部下「37人→ゼロ」になったうえ"リーダーシップ"が最低評価…一方的な冷遇に傷つく人たちの心の叫び

プレジデントオンライン / 2024年8月23日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ChadaYui

人事評価や異動を本人が不本意だと感じても、なかなか異議申し立てはしにくい。組織開発の専門家である勅使川原真衣さんは「社員が裁判を起こすような企業での深刻なトラブルを見ていると、能力主義の名のもとに一方的な人事評価や処遇が個人の口を塞ぎ、社員の傷ついた経験が『言えないから癒えない』状態をもたらしている」という――。

※本稿は、勅使川原真衣『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)の一部を再編集したものです。

■ディスコミュニケーションの原因となる「職場での傷つき」

この記事ではこの「傷つき」の話をしようと思います。

それもあえて、仕事における「傷つき」をひも解こうとしています。

なぜか。私が組織開発者として人間関係のトラブルを抱えた数々の職場に分け入り、当事者たちと対話するなかで、いよいよ本題に入ったサインが意外にも、

「要は自分、『傷ついている』っていうことなのかも」

ということばが本人の口から出たタイミングだと、常々感じてきたからです。

これまで「もやもや」ということばでそれなりに表現されてきましたが、「傷つき」を自覚し、ことばにしてはじめて、事態が好転していくことをいく度となく、さまざな職場で目の当たりにしてきたのです。

■これまで職場で「傷つきました」と言うのはタブーだった

「いやー、でも職場で『傷つき』なんてそうそう聞かないですけどねぇ」とおっしゃる方もいるでしょう。たしかに、「職場で傷ついた」と口にしてみても……違和感がありますよね。

自分でさえ、書けど、読み上げれど、不慣れというか、馴染(なじ)みがないというか。ずっと「職場」やそこに渦巻く感情を仕事にしてきた私であっても、聞き覚えのないフレーズなわけです。

ですが私は、このひっかかりにこそ、いっそう着目すべきと考えます。

というのも、人生の多くを費やし、心血注ぐ場である「職場」と、同じく実生活・実社会において多々経験する「傷つき」が同時に使われてきていないのだとしたら、これはやはり、奇妙なことだからです。

「職場で傷つく」ということは、おそらく十中八九起きていることなのに、意図的に口外されない、なきものとされる――これはどういうことなのか?

もしかして、

「職場で傷ついた」と思わせないしかけがあったのではないか?
「職場で傷ついた」なんて言おうにもその口は塞がれてきたのではないか?

そんな問いが、にわかにわき上がってくるのです。

■個人の組み合わせの問題なのに、一方だけが指導や叱責の対象に

「職場で傷つく」のは、誰が正しくて、誰が間違っている、という単純な話ではないのです。お互い異なる「持ち味」があるのが人間です。その凸凹がどうもうまくかみ合っていない状態が、組織としてどこか「うまくいっていない」状況と言うべきではないでしょうか。個人の問題というより、「組み合わせの問題」なのです。

しかし、声の大きなほうから見た、一面的な人間像がひとり歩きし、もう一方が指導や叱責の対象になることが多いのなんの。組み合わせ、つまり双方向的な課題であることなんて、どこ吹く風です。

この一連のすれ違いこそが、「職場の傷つき」の正体だと、私は数々の組織に入らせていただく中で確信しています。

しかしさらに問題なのは、「職場の傷つき」がしかと、そこかしこに存在しているのに、なかったことにされつづけてきている点です。

事態はこれだけに留まりません。気持ちの問題では片づけられないほど発展した、実際の事案があります。

少し前の話にはなりますが、あるメーカーで左遷された社員が会社を相手取って起こした裁判です。どういうことか見ていきましょう。

■「受け身すぎる」と早期退職勧告された40代のエンジニア

「業務に対して受け身な点が多く、自らの提案、新しいことへのチャレンジといった姿勢があまりみられない」

人事評価にこうコメントを残され、また下位20%に当たる「C評価」を何度か食らったとある社員(大手メーカー勤務)。「希望退職」という名の人減らしリストに載り、会社側から暗に退職を迫られたそうですが、「希望」なんてしたことがないので拒否しました。

仕事の注意をするビジネスマン
写真=iStock.com/mapo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mapo

すると、それまで鋭意従事してきたプリンター設計業務から外され、倉庫や工場に異動に。40代、働き盛りのエンジニアにこの異動が意味するものとは推して知るべきものがあります。

当然のことながら不安に駆られ、合理的な説明を会社に求めるも、回答は得られず。

そこで、同様の処遇に遭った5名が原告となり「人事権を乱用した異動は無効」として会社を提訴したというわけです(以後、原告の訴えを認める形で、会社側に異動命令を無効とする判決が下された)。

会社側の違法性は見逃せませんが、注目すべきは、裁判の審理の中で開示された会社側の人事面談資料にある、原告たちの人事評価です。

■「おとなしい」という資質が「使えないやつ」という評価に

取材記事によると、「積極性がない」といったことが書かれていたとありました。つまり、この新聞記事の見出しにもありますが、「おとなしい」という本人の資質をもっともらしく一方的に「評価」して、「使えないやつ」として外の部署に切り出してしまう。この一方的、一面的な評価が暴力的だと思うのです。

そして、訴訟を起こすほど奮起する前には、悲しみ、いらだち、疑心、焦燥感……さまざまな「傷つき」があったことは誰しも想像できるのではないでしょうか。

会社を相手に裁判をする、なんて、したくてする人はまずもっていません。相当追い込まれた状況であり、会社側としては、相当やらかした(相互理解のための適切なプロセスを踏まず、強引な人事施策に及んだ)事案と言えましょう。

もう1つ、類似した重要な事例がありますので、紹介させてください。

■出産後、部下ゼロになったのに「リーダーシップ不足」の評価

とある外資のクレジットカード会社の社員が会社を相手取って起こした裁判の事例です。原告は営業をリードしてきたある女性社員で、妊娠前は37名の部下を率いるも、育休前後に副社長から直々に、「チームリーダーは乳児を抱えて定時で帰宅できる職務ではない」「自分でペースをハンドルできる仕事のほうがいい」「1年半以上休んでいてブランクが長く、復職しても休暇が多いからチームリーダーとして適切ではない」などと言われたうえ、育休後に復帰すると、「冷遇」と言って差し支えない配置転換や職務命令を受けた(部下はゼロに、また職務は電話営業専任にされた)と言います。

一審はこれを「通常の人事異動」として訴えを退けた、というのもびっくりなのですが、注目すべきはその合理性の1つに、彼女への人事評価が挙げられた点です。彼女は「リーダーシップ」という人事評価項目で最低評価をつけられていたのです。まるで「部下を大勢束ね、率いるなんて無理でしょう?」と烙印を押されたかのように異動は「致し方ない処遇」に仕立てられた、と。

しかし控訴審はこれを「人事権の乱用」として、一審を覆したことが2023年春頃話題になりました。先のリーダーシップについては、「部下をつけない人事異動を強いたのだから、リーダーシップなんて発揮しようがないでしょうが!」と実に真っ当な判断がされ、損害賠償命令が下されたのでした。

納得のしようがない冷遇。このワーキングマザーは、その憤りを裁判という形に変え、法律家の適切な支えもあって切り抜けましたが、かつての尽力と偉業を無下にされた気持ちは、想像するだけで胸が痛みます。

パソコンに向かい仕事をする女性
写真=iStock.com/kyonntra
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kyonntra

■裁判を起こしたのは正当な理由に加え、評価に「傷ついた」から

このケースも例外なく、十分な対話なき会社側の一方的な「評価・処遇」への怒りであり、決して軽くない訴訟のプロセスを鑑みるに、その前には相当の「傷つき」があったことが考えられるのです。

ですので、先ほどのメーカーエンジニアの事例もクレジットカード会社の事例も、やはり、裁判したくて裁判するような奇特な人はいないわけで、「会社を相手取って裁判だなんて、困った問題社員だなあ」なんて思う以前に、どうしようもないこじれた状況で司法に託す、彼女の窮地を理解することが不可欠です。

怒りというのは二次感情であり、怒りの前には「傷つき」があります。一次感情である「傷つき」を「傷つき」のままに、まず内省のうえ、ことばにできる場があったのなら……と悔やまれます。

このような一方的で乱暴な処遇はそもそも論外ですが、せめて、「この処遇にはさすがに傷つきました。お互いが見ているものをまずは議論の俎上(そじょう)に載せたうえで、歩み寄れる点を見つけたいです」と言える環境がもしあったなら――会社側も、人事命令の前に、「傷つける意図はないけど、ショックを受けていると思う。今回の背景には本当は、あなたにこういうことを期待していて、それに対して今はこうだと、我々の目には見えているんです」などと冷静に、しかし人間の心情に配慮した〈対話〉ができていたら――と思わずにはいられません。

■会社内で社員の心情に配慮した「対話」ができていたら…

ここは声を大にして言いたいポイントです。怒りの前に悲しみ・傷つきがあり、その時点で〈対話〉ができれば、会社は余計なエネルギーをつかって紛争解決に奔走したり、解決できず誰かを一方的に排除するようなまねをしたりせずにすむのです。

勅使川原真衣『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)
勅使川原真衣『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)

しかし少なくない職場で、「目線合わせ」こそが〈対話〉の本丸であるはずが、目線合わせを申し出た時点で、「めんどくさい人フラグ(旗)」が会社側から個人に対して立つことが少なくありません。責任(responsible)の語源は応答可能性(respond+able)です。

互いに責任を果たすには、自身が見えている世界を双方が説明し合う以外にないはずなのですが……。

忖度や空気を読むことを貴ばれるわが国においては、なかなかフラットに「話し合いたいのですが」と言い出せないところがあり、これがまた問題を根深くしているとも言えそうです。

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勅使川原 真衣(てしがわら・まい)
コンサルタント
組織開発専門家。1982年横浜生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。外資コンサルティングファーム勤務を経て、2017年に独立。組織開発を専門とする。二児の母。2020年から乳がん闘病中。著書に『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)、『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書)、『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)がある。

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(コンサルタント 勅使川原 真衣)

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