動物のように従順なふりを続けるしかなかった…試合出たさに「理不尽な体罰」を受け入れた元高校球児の後悔
プレジデントオンライン / 2024年8月23日 9時15分
■慶応義塾の「高校野球の常識を覆す」野球
そうか、言えばよかったのか。「叩かれなくてもわかります」と。
ぼんやりとしていたが人権のイメージの一端をひとたびつかんだと思うと、そこから新たな意識の萌芽が始まった。
2023年夏、全国高校野球選手権大会で慶應義塾高校が優勝した。「エンジョイベースボール」というスローガンを体現したプレー姿、日本の一般的な男性と遜色のない長さの髪、そして自分の意見を臆せず表明できる自立心。そのどれもが新鮮に映った。新しい時代の到来を予感するのに、十分過ぎる出来事だった。
彼らは口々に「自分たちが優勝して、高校野球の常識を覆したい」と言った。目標は日本一だが、目的は高校野球改革なのだ、と。
この夏、オピニオンリーダーとしての役割も果たしていた主将の大村昊澄は語る。
「高校野球だから、こうでなきゃいけないというのがいちばん嫌い。高校野球だから坊主(頭)じゃなきゃいけない、とか。自分たちが日本一になれば、何かが変わるだろうと思っていた。慶應は異端と言われてきた学校。遡れば、(創設者の)福沢諭吉先生も常識にとらわれないで、人と違っていても、正しいと信じることを貫いてきた。独立自尊という言葉がそれを象徴している。それが慶應の生き方なので、野球部もそういうことを発信し続けることが使命だと思っていました」
■球児に浸透した森林監督の信念
勝つことの意味。それを選手自身が、社会的なレベルで、ここまで追求したチームはかつてなかった。
大村の言葉は、監督の森林貴彦が言い続けてきたことでもある。正直なところ、この手の話は、あくまで大人の「持ち物」であり、高校生の手には余ると思っていた。
実際、2018年に甲子園に出場したときの慶應の選手の一人は「選手たちにそこまでの(森林ほどの)思いがあるわけではないんですけど」と控え気味に語っていたものだ。
だが、この年の慶應の選手は違った。森林の指導は広く、そして深く浸透していた。
■「監督の言うことを聞くだけの野球は楽しくない」
エリート教育の本来の意味は、単純に持っている才能を伸ばすことだけではない。その集団の中で広く役立つ人材づくり、つまりはリーダーになりうる人材を育てることだ。
「森林野球」の神髄は、そこにこそあった。
普段は穏やかそうなショートの八木陽に高校野球の何を変えたいと思っているのかと問うと、少し怒ったような顔をし、語気も鋭くなった。
「監督にキツイ言い方をされて、それでもハイハイやるような野球は楽しくないですよね。春も(監督の)暴力騒動とかあったじゃないですか。なんでそうなるのか。一部の高校だとは思うんですけど、監督の力が強過ぎて、選手が受け身になっているからだと思うんです。自分は監督に対しても意見をちゃんと言うし、うちのチームにはそういう雰囲気がある」
大人の行き過ぎた指導態度に対して、現場の高校生が自ら声を上げるのを初めて聞いた気がした。
八木は2005年7月生まれである。当時、18歳だ。この言葉を大人に言われたのなら私は何も思わなかったかもしれない。しかし、私の半分も生きていない高校生に目の前でこう言われ、形容しがたい衝撃が走った。そうなのだ。選手の側も、嫌ならば嫌と言えばいい。
■「俺は動物じゃねえ」と言えなかった
帰路、長いこと蓋をし続けていた記憶が鮮明に蘇った。30年以上も前の話だ。私は千葉県内の公立高校の野球部に所属していた。ある日の練習試合のこと、捕手だった私はベンチに戻るなり監督に配球ミスを指摘された。
「てめぇが悪いんだろ」
納得がいかなかった私は咄嗟に無言で監督をにらみ付けた。
すると監督は色をなした。
「ムカついてんのか?」
「ムカついてません!」
ムカついていたが反射的にそう返すや否や頰が火を当てられたかのように熱くなった。
平手打ちが飛んできたのだ。
「ムカついてんのか?」
「ムカついてません!」
そのやり取りをするたびに平手打ちを食らい、監督の顔に小さな赤い点が増えていった。私の鼻血だった。
俺は、動物じゃねえ。心の中でそう叫んでいた。
次の回、キャッチャーマスクをかぶると、強い圧迫感を覚えた。頰が腫れ上がっていたせいだ。視野の下部に黒い陰が映る。自然と涙がこみ上げた。
屈辱だった。言葉で言われればわかります、そう伝えたかった。
■自分は何とずるい人間なんだろう
ところが試合後、私はまったく反対の行動に出た。
「さっきはすいませんでした」
監督にそう頭を下げるなり、再び涙がとめどなくあふれてきた。
悪いと思ったわけではなかった。ただ、怖かったのだ。反抗的な態度を取ったことで監督に嫌われ、試合に出られなくなってしまうことが。
自分は何とずるい人間なんだろうと思った。自分の言いたいことも言えず、試合に出たいがために自分を偽った。従順な振りをしたのだ。
そんな自分がたまらないほど情けなく、恥ずかしかった。だから、今までその記憶を封印し続けてきたのだ。
だが、八木の言葉によって、その記憶の蓋は勢いよく引っ剝がされた。そして三十数年の時を経て、心底、後悔した。私は謝りたかったのではない。殴られなくてもわかる、人間として扱って欲しいと主張したかったのだ。
あのとき、監督にそう伝えることができていたなら、私の野球人生はどうなっていただろうと思う。
干されていただろうか? そんなことはなかったのではないか。私の恩師は情熱家だったが、一歩引いた冷静さを併せ持っていた。それは私が大人になり、酒席をともにするようになってからわかったのだが、むしろ、そちらの方が本性に近いのではないかと思った。
つくづくそういう時代だったのだと思う。ときにカッとなって手も上げるが、涙もろくて情に厚い先生。学校に一人くらい、そんな教師がいてもいいだろう、と。もっと言えば、求められてもいた。私の通っていた高校は進学校ゆえ手のかかる生徒は少なく、淡々と業務をこなす教師が多かった印象が強い。そんな中、私の恩師は、あえて殴ることも辞さない熱血漢を装っていた節がある。
今にして思うと、決して話してわからない先生ではなかった。いや、むしろ、誰よりも真剣に話を聞いてくれる人だったのだ。
■高校生も「自分が思っていることを言っていい」
八木が気づかせてくれたこと。それは高校生も「自分が思っていることを言っていい」というシンプルな真理だった。それは万人に与えられた権利なのだ。
高校時代、私も世の中に「基本的人権」というものがあり、それを「生まれながらにして」有しているらしいことは教師によって脳の中にすり込まれていた。だが、それは私の中でテストの解答欄に書く言葉以上のものではなかった。
私は高校生のとき、まったく知らなかった。「人権」の意味を。
自分の輪郭がぼやけてしまいそうになったとき、人は自分で自分を守る権利がある。そんなことを50歳になり、18歳に学んだのだった。
もし、あのときの私にその知識があったなら――。
監督と新たな信頼関係を築くことができたのではないか。そして、プレイヤーとして一段、上のステージに上がることができたのではないか。高校で野球を嫌いにならずに、大学でも野球を続けることができたのではないか。
もっと言えば、今、違う自分がいたのではないか。
そう思うと、後悔してもし切れなかった。
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ノンフィクションライター
1973年生まれ、千葉県出身。同志社大学法学部政治学科卒業。『甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実』(新潮社)で第18回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』(集英社)で第39回講談社ノンフィクション賞を受賞。千葉県立薬園台高校時代は「4番・捕手」としてプレー。
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弁護士・社会保険労務士
1973年生まれ、静岡県出身。同志社大学法学部政治学科卒業。大阪大学大学院高等司法研究科(ロースクール)法務博士。福岡県弁護士会所属。2019年より福岡市内に木蓮経営法律事務所開設。労働事件に特化しつつ、学校・スポーツに関するトラブルも取り扱っている。プロ野球選手になることを夢見て小学2年生のときから強豪チームで野球漬けの日々を送った。
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(ノンフィクションライター 中村 計、弁護士・社会保険労務士 松坂 典洋)
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