タイパ重視のあなたもだ…速読や多読を頑張る人ほど「センスが悪く人間が小さい」と経営学者が語る納得の理由
プレジデントオンライン / 2024年8月28日 16時15分
■センスに教科書はない しかし読書で磨かれる
100万円が目の前にあり、いつでも手に入れられるのに「どうにも手が出ないんですよね」と躊躇する人はいないでしょう。ところが、これが読書となると「読みたいのだけれど、どうにも手が出ないんです」という人が少なくありません。なぜでしょうか。
理由は明白。100万円の価値は誰もが知っているけれど、読書の価値は知っている人と知らない人がいるからです。価値を知っている人が読書をためらうことはありません。読書の価値を知らない人や、読書によって何かを得た経験のない人が「時間がない」「きっかけがない」などあれこれ理由をつけて、本を手に取らないのです。
読書はあなたの「センス」を磨き上げる、極めて優れた手段の一つです。ただ、センスは「これをすればこの能力が、これくらい磨かれる」といった、直接的かつ定型的な方法があるわけではないのが難しいところです。
センスの対極にある「スキル」と比べて考えると、わかりやすいと思います。例えば、TOEICのスコアはスキルです。「私のスコアは900点です」と言えば、誰もがあなたの英語力をだいたい評価できるでしょう。得点を上げるためのノウハウがあり、定型的な努力をすれば、ほとんどの人が能力を向上させられる。「BS/PLが理解できる」「社労士の資格がある」なども同様です。スキルは示すことができ、測ることができる能力です。
一方「センス」は、示したり測ったりができません。例えばあなたが「私は商売のセンスが抜群なんです」と言っても、相手は胡散臭さを感じるだけでしょう。ではセンスに実体がないかと言えば、それも違う。どの分野にも「センスの良さ」を感じさせる人はいます。ただ、それは醸し出されるもので、具体的に何がどれだけできれば「センスが良い」と判定されるのか、その定義や基準があいまいなのです。
ゆえに企業では、スキルが優先され、センスは劣後してしまう。基準が明白なのでスキルはシステムに組み込みやすく、インセンティブに直結するため努力も促しやすいのです。社内に必要なスキルを持った人がおらず、育成する能力もなければ、労働市場で調達する(スキルを持った人を採用する)ことも可能です。
しかし、経営において真にモノを言うのはセンスです。ビジネスパーソンとりわけ経営者の仕事の本質は、意思決定にあります。どれかを、あるいはどちらかを選ばなくてはならない。その際に「良いこと」と「悪いこと」が選択肢になっていることは、まずありません。誰にでも優劣が判断できるなら、選択の余地すらないからです。
ゆえに、複数の両立しない選択肢に対して「一理あるな」と言っている経営者は二流です。経営に求められるセンスとは、良し悪しの基準がないところで、優劣の付けがたい複数の「良いこと」(あるいは悪いこと)からどれかを選び、残りを捨てることだからです。異なる理の中からどちらを選び取るかは、自分の価値基準に照らして決定するしかありません。その決定こそが経営におけるセンスなのです。
センスは人それぞれ“自分なり”のものであり、人生のすべての局面に影響し、また、あらゆる場面で磨かれます。どんな街に住み、どんな人と会い、どんな話をするか。自分で判断し、決定し、選択する――。自分の頭と手を使った経験を積み重ねる中で自分なりの判断基準が出来上がり、価値観が形成され、センスが磨かれていくのです。
センスが発揮され、磨かれる選択の中には、どんな本を読み、どう本を読むかも含まれています。定量的に測ることができないセンスに教科書はありませんが、読書そのものはセンスを磨くのに有効な手段なのです。
■分母を増やす読書では人間が大きくならない
「出会いや対話でもセンスが磨かれるなら、わざわざ読書でなくてもいいのではないか」と思われる方もいるでしょう。ですが、数多ある手段の中でも、読書は抜群にコストパフォーマンスに優れているのです。都合の良い時間に始められ、いつ中断するも終わるも自由。普通なら到底出会えないような大物と、驚くほど安価に対話することができるのです。
今、手元にイギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミル(1806〜73)が著した『自由論』があります。岩波文庫の白版から出されているもので、裏表紙には910円(税別)と書いてあります。これは訳本ですが、原書は1859年に出版されました。165年にわたって時代の評価を耐え抜いてきた価値観と、910円で向き合うことができるなんて、最高だと思いませんか?
読書は本質的に「対話」です。文を咀嚼しながら自らを内省し、著者との対話を通じて自分の価値観を形づくり、強固にし、センスを磨き上げていく。それは多読や速読が求めるものとは、まったく別個のものです。
多読や速読はスキルそのものです。「明日のプレゼンまでに関連資料すべてに目を通し、情報を仕込まなければ」といった場合には、そうしたスキルも生きるでしょう。ですが、読書に効率だけを求めているような人で、ピリッとした面白さを備えた人物を、私はいまだかつて見たことがありません。
分母をいくら増やしても、分子が増えていかなければ数字は小さいままです。読書においても同じ。書物から得られるものの考え方や視点、価値基準は、まさに“一生モノ”ですが、読んだ本の数をどれだけ増やしても、一冊の本から得たものが少なければ、人間は小さいままです。
私が本を読むときには、重要な部分に線を引いたり、書き込んだり、これはと思うポイントはメモに書き出して後から時折見返したりしています。ですが、本の読み方は人それぞれなので、ノウハウ的なあれこれを言いたくはありません。あなたなりの方法でじっくり本と向き合い、著者と対話し、センスを磨き上げていってほしいのです。
■書店で2時間過ごし、1万円分の本を買おう
そうは言っても、これまでに本格的な読書をしたことがない人にとっては、疑心暗鬼かもしれません。読書の効用は事後性が高く、何カ月も何年も経ってから「ああ、あのときあの本を読んでおいてよかったな」としみじみ思えることもありますが、成功体験のない人にとっては、効用を得られるまでに時間のかかる読書は苦痛かもしれません。
では、どうやって事後性を克服するか。私が考える方法は2つです。
1つは「四の五の言わずに読んで書け作戦」です。歴史の風雪を耐えた名著を、選り好みせず、苦痛だろうが何だろうが兎にも角にも読み通す。ただ読むだけでは身が入らないので、読後感のメモをつくるようにします。古風な方法ですが、何度か繰り返していると読書の価値を実感するでしょう。
もう1つは「2時間1万円作戦」。私が大人の読者におすすめするのはこちらです。まず後の予定がない、時間にゆとりのある日に2時間を確保して、できるだけ大きな書店を訪れます。財布には1万円を入れておきます。入り口付近の新刊やベストセラーが陳列されたコーナーは素通りし、いつもは足を踏み入れないジャンルも含め、あちこちの棚を見て回るのです。
気になる本があったらパラパラとページを捲り、時間をかけて「今この瞬間、どうしてもすぐに読みたい」と思える本を1万円分探してください。文庫本なら約10冊、新書なら4〜5冊程度、買えるでしょう。
「今この瞬間、どうしてもすぐに読みたい」本ですから家に帰ってからと言わず、帰りの電車内でもう読み始めるかもしれません。これを4〜5回も繰り返せば、読書の価値に気づきます。
このとき厳守してほしいのは「これを読んだらこういう知識が身につきそうだ」「皆が読んでいるから良いことが書かれているに違いない」「読書好きの誰某がすすめてくれたから」といった本選びをしないこと。「今、話題の○○○!」などと紹介されている本には手を出してはいけません。あなたの興味関心とはまるで関係ないかもしれない。まずは自分の興味関心だけを基準に本を選ぶことが大切です。
※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年8月30日号)の一部を再編集したものです。
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一橋大学大学院 国際企業戦略研究科教授
1964年生まれ。89年、一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部助教授、同イノベーション研究センター助教授などを経て現職。『ストーリーとしての競争戦略』『すべては「好き嫌い」から始まる』『逆・タイムマシン経営論』など著書多数。
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(一橋大学大学院 国際企業戦略研究科教授 楠木 建)
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