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「やりたいことを仕事に」と煽られて若者は長時間労働にのめり込んだ…日本人の本離れを進めた"平成の事情"

プレジデントオンライン / 2024年8月30日 16時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/chachamal

仕事の視野を広げるには読書が一番だ。書籍のハイライトを3000字で紹介するサービス「SERENDIP」から、プレジデントオンライン向けの特選記事を紹介しよう。今回取り上げるのは三宅香帆著『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)――。

■イントロダクション

一般に「仕事が忙しく、好きな本を読む時間がとれない」「スマホばかりを見て本を読まなくなった」といった悩みをもつ人は少なくない。

一方で、書籍売上は減っているとはいえ、自己啓発書やビジネスのノウハウ本を中心にベストセラーは頻発している。そこには労働時間や「働き方」以外の理由があるようだ。

本書では、当書タイトルにある問いの答えを探るために、日本における明治時代からの「仕事と読書」の歴史、人気の書籍ジャンルやベストセラー書籍の変遷などを分析しながら、労働や、現代特有の社会意識の問題点などを指摘している。

現代に生きるわれわれは、インターネットの普及などにより、情報が容易に手に入るようになったことから、「欲しい情報」以外の知識を「ノイズ」として除去する傾向にあるという。

著者は、1994年生まれの文芸評論家。『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』(笠間書院)、『人生を狂わす名著50』(ライツ社)など多数の著書がある。

まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
序.労働と読書は両立しない?
1.労働を煽る自己啓発書の誕生―明治時代
2.「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級―大正時代
3.戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?―昭和戦前・戦中
4.「ビジネスマン」に読まれたベストセラー―1950~60年代
5.司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン―1970年代
6.女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー―1980年代
7.行動と経済の時代への転換点―1990年代
8.仕事がアイデンティティになる社会―2000年代
9.読書は人生の「ノイズ」なのか?―2010年代
最終.「全身全霊」をやめませんか
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします

■90年代以降失われた「社会を変えられる」感覚

仕事を頑張れば、日本が成長し、社会が変わる――高度経済成長期とは、このようなモデルだった。社会に個人が参加しているという感覚がその根幹にはあった。

しかし一方で、1990年代以降に起こった変化は、社会と自分を切断する。仕事を頑張っても、日本は成長しないし、社会は変わらない。現代の私たちはそのような実感を持っている人がほとんどではないだろうか。

90年代以降、ある意味〈経済の時代〉ともいえる社会情勢がやってきたからだ。経済は自分たちの手で変えられるものではなく、神の手によって大きな流れが生まれるものだ。つまり、自分たちが参加する前から、すでにそこには経済の大きな波がある。そして、その波にうまく乗ったものと、うまく乗れなかったものに分けられる。

自分が頑張っても、波の動きは変えられない。しかし、波にうまく乗れたかどうかで自分は変わる。つまり90年代の労働は、大きな波のなかで自分をどうコントロールして、波に乗るか、という感覚に支えられていた。

■書籍購入額が落ちる一方で、自己啓発書の市場は成長

だからこそ、波の乗り方――つまり〈行動〉を変えるしかない。そのような環境が、ポジティブ思考という〈行動〉で自分を変える自己啓発書のベストセラーを生み出した。

1990年代後半以降、とくに2000年代に至ってからの書籍購入額は明らかに落ちている。しかし一方で、自己啓発書の市場は伸びている。出版科学研究所の年間ベストセラーランキング(単行本)を見ると、明らかに自己啓発書が平成の間に急増していることが分かる。1989年(平成元年)には1冊もなかったのに対し、90年代前半はベスト30入りした自己啓発書が1~4冊、1995年に5冊がランクイン。この後の2000年代もこの勢いは続いた。

自己啓発書。その特徴は、「ノイズを除去する」姿勢にある、と社会学者の牧野智和は指摘する。自己啓発書の特徴は、自己のコントローラブルな行動の変革を促すことにある。つまり他人や社会といったアンコントローラブルなものは捨て置き、自分の行動というコントローラブルなものの変革に注力することによって、自分の人生を変革する。そのとき、アンコントローラブルな外部の社会は、ノイズとして除去される。

コントロールできないものをノイズとして除去し、コントロールできる行動に注力する。だとすれば、ノイズの除去を促す自己啓発書に対し、文芸書や人文書といった社会や感情について語る書籍はむしろ、人々にノイズを提示する作用を持っている。知らなかったことを知ることは、世界のアンコントローラブルなものを知る、人生のノイズそのものだからだ。

本を読むことは、働くことの、ノイズになる。読書のノイズ性――それこそが90年代以降の労働と読書の関係ではなかっただろうか。

輝く本のページ
写真=iStock.com/non-exclusive
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/non-exclusive

■「仕事で自己実現すること」が称賛されてきた

自己実現、という言葉がある。その言葉の意味を想像してみてほしい。すると、なぜか「仕事で自分の人生を満足させている様子」を思い浮かべてしまうのではないだろうか。

趣味で自己実現してもいい。子育てで自己実現してもいい。いいはずなのに、現代の自己実現という言葉には、どこか「仕事で」というニュアンスがつきまとう。それはなぜか? 2000年代以降、日本社会は「仕事で自己実現すること」を称賛してきたからである。

岩木秀夫『ゆとり教育から個性浪費社会へ』は、サッチャー政権やレーガン政権が採用した新自由主義改革にならおうとした結果、規制緩和の理念から「ゆとり改革」を採用してしまったという流れを解説する。つまり1990年代から徐々に社会へ浸透していた新自由主義的な思想が、教育現場にも流れ込み、「個性を重視せよ」「個々人の発信力を伸ばそう」という思想に基づいた教育がなされるようになった。

■「自己実現」という夢が若者を長時間労働にのめり込ませた

また90年代後半、すでに「やりたいこと」「好きなこと」を重視するキャリア教育は取り入れられ始めていた。労働市場が崩れ始めた90年代後半から、「夢」を追いかけろと煽るメディアが氾濫するようになる。

すると、労働者の実存は、労働によって埋め合わされるようになってしまった。これ以前だと、学歴のない人々が本を読んだりカルチャーセンターに通ったりして「教養」を高めることで自分の階級を上げようとする動きもあった。だが、新自由主義改革のもとではじまった教育で、私たちは教養ではなく「労働」によって、その自己実現を図るべきだという思想を与えられるようになってしまった。

時代は長時間労働。彼らは「余暇を楽しむために仕事をする働き方ができていない」状況にあった。しかしそれでも、「自己実現」という夢が、若者を長時間労働にのめり込ませてしまっていた。そんな状態で人々が読書する時間は、確実に減っていた。

■「ノイズのない情報」を与えてくれるインターネット

『読書世論調査』(毎日新聞社)の調査によれば、2000年代を通して増減を繰り返していたが、2009年(平成21年)にはすべての年代で前年よりも読書時間が減少した。では00年代に何が起きていたのか。――そこにあったのは、「情報」の台頭だった。00年代、IT革命と呼ばれる、情報化にともなう経済と金融の自由化が急速に進んだ。

読書はできなくても、インターネットの情報を摂取することはできる、という人は多いだろう。仮にこの対比を、〈読書的人文知〉と〈インターネット的情報〉と呼ぶならば、そのふたつを隔てるものは何だろう?

〈インターネット的情報〉は「自己や社会の複雑さに目を向けることのない」ところが安直であると社会学者の伊藤昌亮は指摘する。逆に言えば〈読書的人文知〉には、自己や社会の複雑さに目を向けつつ、歴史性や文脈性を重んじようとする知的な誠実さが存在している。

従来の人文知や教養の本と比較して、インターネットは、ノイズのない情報を私たちに与えてくれる。求めている情報だけを、ノイズが除去された状態で、読むことができる。それが〈インターネット的情報〉なのである。

インターネット
写真=iStock.com/fizkes
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fizkes

「情報」と「読書」の最も大きな差異は、知識のノイズ性である。つまり読書して得る知識にはノイズ――偶然性が含まれる。教養と呼ばれる古典的な知識や、小説のようなフィクションには、読者が予想していなかった展開や知識が登場する。文脈や説明のなかで、読者が予期しなかった偶然出会う情報を、私たちは知識と呼ぶ。

■働きながら本を読む第一歩はノイズを受け入れること

欲しい情報以外の偶然性を含んだ展開には、インターネットでは出会いづらい。しばしば「新聞を毎日めくっていたころは自分の興味のないニュースも入ってきたが、インターネットを見るようになってからは自分の興味のないニュースは入ってこない」と述べる人を見かけるが、それもまた知識と情報の差異から来ている。

教養とは、本質的には、自分から離れたところにあるものに触れること。それは明日の自分に役立つ情報ではない。明日話す他者とのコミュニケーションに役立つ情報ではない。しかし自分から離れた存在に触れることを、私たちは本当にやめられるのだろうか?

三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)
三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)

たとえ入り口が何であれ、情報を得ているうちに、自分から遠く離れた他者の文脈に触れることはある。たとえば早送りで観たドラマをきっかけに、自分ではない誰かに感情移入するようになるかもしれない。たとえば自分の「推し」がきっかけで、他国の政治状況を知るかもしれない。

今の自分には関係のない、ノイズに、世界は溢れている。その気になれば、入り口は何であれ、今の自分にはノイズになってしまうような――他者の文脈に触れることは、生きていればいくらでもあるのだ。

大切なのは、他者の文脈をシャットアウトしないことだ。仕事のノイズになるような知識を、あえて受け入れる。仕事以外の文脈を思い出すこと。そのノイズを、受け入れること。それこそが、私たちが働きながら本を読む一歩なのではないだろうか。

※「*」がついた注および補足はダイジェスト作成者によるもの

■コメントby SERENDIP

アカデミズムの世界では、1990年代頃から「複雑系」や「全体論(ホリズム)」の考え方やアプローチが広く注目されるようになっている。これらのアプローチは、事象を「部分」に分けず、さまざまな要素の相互作用を重視して分析するものだが、ノイズは相互作用の一部であり、除去すべきではないとされる。本書で指摘されているような断片的情報の弊害もそのあたりにあると思われる。すなわち、ノイズを除去することで、システム全体を見渡す「メタ思考」が生まれにくくなる。大局的なものの見方をできない人が増えることで、社会の柔軟性がますます失われていくのではないだろうか。

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(書籍ダイジェストサービス「SERENDIP」)

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