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国民は悠仁天皇より愛子天皇を望んでいる…宗教学者「日本社会は皇室典範の改正に踏み込めるのか」

プレジデントオンライン / 2024年8月25日 9時15分

上皇ご夫妻への新年のあいさつのため、仙洞御所に入られる天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2024年1月1日午後、東京・元赤坂(代表撮影) - 写真提供=共同通信社

愛子内親王への注目が高まっているのはなぜか。宗教学者の島田裕巳さんは「室町時代の公卿・一条兼良が現代にあらわれれば、『愛子天皇』待望論を声高に主張したに違いない。愛子内親王には国民をひきつける天性のカリスマ性がある」という――。

■秋篠宮家に対する根強い不信感

2023年6月に、小林よしのり氏が『愛子天皇論 ゴーマニズム宣言SPECIAL』(扶桑社)を刊行して以来、愛子天皇待望論が活況を呈している。

しかも、今年度前半のNHK朝ドラ「虎に翼」は、日本の歴史上はじめて法曹界に入った女性が主人公のドラマであり、そこでは、男女の平等をうたった憲法第14条がクローズアップされている。『愛子天皇論』でも、男系男子しか認めない現在の皇位継承のシステムが女性差別だと糾弾されている。

小林氏は、男系男子の継承にこだわる保守派は、80パーセントが女性・女系天皇を容認する国民の声を無視しており、このままでいけば、皇室制度そのものの存続が難しくなると警告している。

もう一つ、愛子天皇待望論が盛り上がる背景には、現在、皇嗣(こうし)(皇位継承順位第1位の皇族)と位置づけられている秋篠宮とその一家に対する根強い不信感がある。いったいどれだけの国民が、そうした感覚を抱いているかは定かではないが、週刊誌などでは、秋篠宮家を批判する記事が数多く掲載されてきた。

現時点で、次の天皇になる可能性が高いのは秋篠宮家の悠仁親王である。秋篠宮家の即位を好まない人たちが愛子天皇を待望している面もある。

■史実に見る皇位継承の危機

実際、皇室制度が危機に瀕していることは間違いない。

先の天皇が高齢であることを理由に譲位したことで、現在の天皇が即位したわけだが、59歳での即位は、歴代の天皇のなかで第2位にあたる高齢である。第1位は770年、62歳で即位した光仁天皇で、平安京遷都を実現した桓武天皇の父にあたる。

なぜ光仁天皇がそれほどの高齢で即位したかといえば、先代の称徳天皇が女帝で、後継者を定めないまま亡くなってしまったからである。

称徳天皇は寵愛した僧侶の道鏡を次の天皇にしようとしたとも言われるが、天皇が亡くなった後、道鏡は左遷され、その野望はついえた。そこで、称徳天皇と男系では8親等も離れた光仁天皇に白羽の矢が立った。このときも、皇位継承は危機的な状況にあったと言える。

現状において皇位継承の資格を有するのは、皇嗣の秋篠宮、その息子である悠仁親王、そして、上皇の弟である常陸宮しかいない。常陸宮は88歳で、天皇に即位する可能性はほとんどない。今上天皇と秋篠宮は5歳しか離れておらず、現在の上皇のように高齢で譲位して、秋篠宮が天皇に即位しても、その在位期間はそれほど長くは続かないはずだ。その点では、悠仁親王しか、実質的な皇位継承の資格者はいないことになる。

■非現実的になる男性の皇位継承者

男性の皇族自体、皇位継承者の3人と現在の天皇を含め4人しかいない。新たに男性の皇族が誕生するとしたら、悠仁親王が結婚し、男子をもうけたときに限られる。

果たして悠仁親王と結婚する女性は現れるのだろうか。それはかなりハードルが高いのではないか。

現在の皇后が、精神的に長く苦しんできたという事実もある。天皇になる皇族と結婚することは重大な決断を要するし、家族や親族は、それを簡単には許さないだろう。

なにしろ、「小室さん」をめぐる騒動があった。皇室とかかわれば、どれだけの誹謗(ひぼう)中傷を受けるか分からない。そう簡単に、悠仁親王の結婚相手が現れるとも思えない。結婚がかなったとしても、そこに男子が生まれる保障もまったくないのである。

■華族制度廃止と近代意識がもたらした危機

実は、皇位継承が危ぶまれる事態が訪れるのは必然的なことである。近代の日本社会は、その方向に動いてきたからである。

最初は、岩倉具視が「万世一系」というとらえ方を打ち出したことで、それをもとに、旧皇室典範では、男子しか天皇になれないと定められ、併せて養子が禁止された。ここで女性天皇が封じられてしまったのだ。

戦後になると、華族制度が廃止された。これは、憲法第14条が社会的身分又は門地による差別を禁じたからである。華族が「皇室の藩塀(はんぺい)」と呼ばれたのは、皇族に対する結婚相手の供給源になっていたからで、側室も華族の子女だった。

また戦後は、旧皇族が皇籍を離脱し、皇族の数は一挙に減少した。新しい皇室典範では、皇位継承は嫡出の男子に限定され、庶子はそこから排除された。つまり、側室が認められなくなったのだ。

戦後は、復員という流れもあり、ベビーブームが訪れた。人口は増え続け、むしろ、それをいかに抑制するかが課題になった。その時代には、将来において深刻な少子化が起こるとは、誰も予想しなかった。

しかし、社会全体で考えれば、農家や商家といった家の重要性が低下し、家を継承していかなければならないという感覚自体が希薄になった。天皇家の存続が危うくなるのも、そうした社会の変化と関係する。

■愛子内親王の天性のカリスマ性

こうした状況のなか、国会ではこの点については議論され、皇族女子を結婚後も皇室に残す案(いわゆる女性宮家)と、旧皇族の男系男子を養子縁組で皇籍に復帰させる案が出されているものの、いずれも有効な策とは思えない。それに、これはあくまで皇族の数の確保であり、皇位継承の安定化に直接結びつくものではない。

もちろん、愛子天皇が誕生したからといって、それがそのまま皇位の安定的な継承に結びつくわけではない。それでも、小林氏などが、愛子天皇待望論を展開するのは、秋篠宮家に対する不信の念があるとともに、愛子内親王が、悠仁親王のように天皇の傍流ではなく、直系だからである。

ただ、先代の直系であることが、これまでの天皇の必須の条件になってきたわけではなく、光仁天皇のように傍系の即位はいくらでもあった。

それでも、愛子天皇待望論が主張されるのは、カリスマ性の問題がかかわっているからではないだろうか。

現代はポピュリズムの時代であり、天皇には、国民をひきつけるだけの魅力が求められる。

人をひきつける能力は、カリスマ性とも言えるし、スター性と言うことができるが、それは天性のものである。たんにその地位にあるからといって、カリスマ性が発揮されるわけではない。悠仁親王からは、そうしたカリスマ性を感じられないが、愛子内親王にはそれがある。それこそが、国民の一致した見方ではないだろうか。

■日本の国は「女の治め侍るべき国なり」

しかもそこには、女性であることが深くかかわっている。

平成の時代に、象徴天皇制が国民のあいだに深く浸透していくにあたって、美智子上皇后の果たした役割は大きい。現在の雅子皇后も、それに近い役割を果たしてきた。愛子内親王がこの二人の血を受け継いでいることが、そのカリスマ性を高めることに貢献している。

天皇はむしろ女性であるべきだという議論は、実は過去にあった。

それを主張したのが、室町時代に摂政関白をつとめた一条兼良である。

兼良は、日本の国は「女の治め侍るべき国なり」と主張し、その根拠として天照大神のことと、神功皇后のことを挙げていた。

冕冠をかぶる神功皇后〔画=一猛斎芳虎(歌川芳虎)〕
神功皇后〔一猛斎芳虎(歌川芳虎)作〕〔写真=武者かゞみ 一名人相合 南伝二/PD-Art(PD-old-100)/Wikimedia Commons〕

天皇家の祖神とされる天照大神は女神である。『日本書紀』では、神功皇后に1巻が割かれているのだが、それも摂政であった期間が69年にも及んだからである。大正時代になるまで、神功皇后は第15代の神功天皇とされていた。

兼良が現代にあらわれれば、愛子天皇待望論を声高に主張したに違いない。

そのとき、日本の社会は皇室典範の改正に踏み込めるのか。さらには、将来の天皇不在を見通し、憲法を改正して共和制に移行できるのか。

それこそ、これまで果たせなかった民主主義の革命となるはずだ。

兼良の時代に、日本が女性の治める国になっていたとしたら、その後の日本の歴史は大きく変わっていたのではないだろうか。愛子天皇の登場も、日本の歴史を変えていくかもしれないのだ。

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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。

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(宗教学者、作家 島田 裕巳)

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