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世界最高水準の巨大顕微鏡がついに動き出す…総工費400億円のために採った「国のお金」以外の画期的な方法

プレジデントオンライン / 2024年8月25日 8時15分

直径約100m、全周約350mのナノテラスではすでに成果が出始めた。 - 写真提供=東北大学

4月、東北大(仙台市青葉区)に設置された巨大顕微鏡「ナノテラス」が稼働し、日本のハイテク素材開発に弾みがつくと期待が集まっている。国の予算だけに頼らず、総工費400億円を集めて実現にこぎつけた。どういう経緯でナノテラスはできたのか。ジャーナリストの安井孝之さんが取材した――。

■「巨大顕微鏡」を生み出したユニークな枠組み

仙台市内の東北大学・青葉山新キャンパスでこの4月に稼働した「巨大な顕微鏡」と呼ばれる「Nano Terasu(ナノテラス)」が早くも産学連携の成果を出している。

ナノテラスは国、地方自治体、産業界、東北大学が「コアリション(Coalition、有志連合)」というユニークな枠組みで運営しており、多くのステークホルダーが関わり合う。まとめるのが難しいと思えるプロジェクトだが、スケジュール通りに稼働を始め、成果を出した。「ナノテラス」の成功の要因は何かを探った。

4月に稼働したナノテラスで住友ゴム工業の研究グループと東北大学とが共同研究した成果が、応用物理学会の学術誌に論文となり掲載された。稼働から約1カ月後の5月7日のことだ。20ナノメートル未満(ナノメートルは10億分の1メートル)という微細な空間の内部構造を知ることができたという。

ゴムの劣化のメカニズムの解析などに活用でき、エコタイヤの開発などに役立つそうだ。プラント向け製品や自動車向け部品をつくるニチアス、コンタクトレンズメーカーのメニコン、宮城県の地元企業などがすでにナノテラスで研究開発を進めており、産学連携の機運が盛り上がっている。

■日本のハイテク素材開発に弾み

ナノテラスは世界最高水準の第4世代の放射光施設。太陽光の10億倍以上も明るい「放射光」を使って原子レベルの構造を知ることができる。

小学校、中学校で顕微鏡を覗いたことがある方ならわかるだろうが、倍率を大きくすると顕微鏡の視野はしだいに暗くなっていく。ナノレベルのモノを見ようとすると、とても暗くて見えない道理である。そのため非常に明るい光を当てて、ナノレベルの世界を可視化するのが放射光施設なのだ。

放射光施設は世界には約50あり、日本ではナノテラスが10カ所目の施設。世界的な規模の施設としては「スプリング8」(兵庫県佐用町)がある。ナノテラスはスプリング8の放射光とは違う種類の「軟X線」を使うが、軟X線を使う他の国内施設に比べると光の明るさは100倍程度向上した。それに伴いナノレベルの解像度は大きく改善した。

ナノテラス内部
筆者撮影
稼働前に3月末、ナノテラスの内部ではすでに研究者らが機器の調整をしていた。 - 筆者撮影

放射光施設は世界で鎬を削っている半導体産業や電気自動車などの研究開発には必須の施設だ。半導体ならナノレベルの回路構造の欠陥を探ったり、電池開発では電池内部の化学反応を可視化したりして、性能の向上を高める武器になるからだ。スプリング8とナノテラスができたことで、日本のハイテク素材開発に弾みがつくと期待されている。

ナノテラス内部
筆者撮影
放射光を試料に当てるビームラインの仕様は調べる試料ごとに微妙に違う。 - 筆者撮影

■「言うは易く行うは難し」の産官学連携

ナノテラスがユニークなのはその運営方法だ。

施設の設置者は国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(QST)であり、それに加えて宮城県、仙台市、東北大学、東北経済連合会、約150の参画企業などが官民地域パートナーシップを結んで、運営している。大学は東北大学だけではなく東京大学など他大学も利用するというオープンなものである。

「産官学の連携」の必要性は長く叫ばれているが、「言うは易く行うは難し」である。ナノテラスのスタートは、なぜスムーズに進んでいるのか。その理由を探るには2011年3月11日の東日本大震災の発生まで時計の針を戻さねばならない。

地震発災後、日本はパニック状態に陥った。津波が町を飲み込む姿がリアルタイムでテレビに映された。3月12日には福島第一原子力発電所の1号機が水素爆発し、3号機が14日、4号機が15日に相次いで水素爆発した。日本や世界がその映像に震えた。

高田昌樹氏(写真提供=東北大学)
高田昌樹氏(写真提供=東北大学)

当時、理化学研究所放射光科学総合研究センターの副センター長だった高田昌樹氏も名古屋の自宅で水素爆発の様子を見ていた。高田氏はスプリング8の運営に関わっており、職場は兵庫県佐用町だ。名古屋から職場に戻り「私たち、科学者は今、何に貢献できるのだろうか」とずっと考えた。

次世代放射光施設を東北につくり、施設を中心に産業が集積し、東北の復興に貢献する――。そんなアイデアを高田氏は地震から1週間ほどでペーパーにし、石川哲也センター長に伝えた。スプリング8の専門家とも話し合い、初期の提案書が出来上がったのが4月だった。

■東北復興に動き出した一人の科学者

ちょうどその頃は専門家の間では、1997年稼働のスプリング8の次世代施設の必要性が認識され始めた時だった。2011年の政府の第4期科学技術基本計画にもナノテクノロジーや光・量子科学技術が科学技術の強化につながると指摘されていた。

だが東日本大震災の甚大な被害を目の当たりにし、呆然と事態の推移に狼狽するばかりの日本人が多かった段階である。そんな時に高田氏は早くも東北復興に向けて動き出していた。

高田氏の持論である「科学者はサイエンスを研究するだけではなくて、その成果を社会に還元し、みんなが幸せになるよう貢献しなければならない」を実行しようとしたのだった。

ナノテラス内部
筆者撮影
ナノテラスには最大28本のビームラインの設置が可能だが、現在は10本が稼働中だ。 - 筆者撮影

東北に放射光施設をつくるとなると、東北大学をはじめ東北地方の大学も巻き込まねばならない。高田氏は石川センター長とともに、旧知の大学教授の紹介で日本金属学会会長を務めた早稲田嘉夫東北大学名誉教授と2011年8月6日に京都で会った。3枚の説明資料を持参した。高田氏の説明を聞き、早稲田名誉教授は放射光施設の重要性は分かるが、それをどのように東北につくっていけるのだろうかと戸惑いも見せたという。

それはそうだろう。巨額の資金が必要である。国はどう関わってくれるのか。多くのステークホルダーとの調整もある。難題ばかりだ。しかも7月29日に「復興基本方針」が策定された直後である。復興庁もまだない。高田氏らの提案は雲を掴むようなものだった。

■理化学研究所を退職し、東北大へ

だが高田氏が投げかけた一石は波紋となり、広がってゆく。東北大学をはじめとした東北地方の7大学(弘前大学、岩手大学、秋田大学、東北大学、宮城教育大学、山形大学、福島大学)が動き始める。

●2011年12月 東北国立7大学(代表:入戸野修・福島大学長〈当時〉)が 東北放射光施設計画の趣意書を発表
●2012年6月 東北国立7大学が「東北放射光施設推進会議」を発足
●2012年8月 東北放射光施設推進会議が文部科学大臣に構想白書を提出

高田氏らの熱意が各大学の総長、学長を動かし、地域全体の動きへとつながった。2014年7月には推進会議は「東北放射光施設推進協議会(現NanoTerasu利用推進協議会)」となり、7大学に加え、東北各県、東北経済連合会などの経済界も参加し、放射光施設の建設に向けて具体的に動き出した。

高田氏は多くのステークホルダーを放射光施設建設プロジェクトに巻き込むと同時に日本学術会議や日本放射光学会にも働きかけ、プロジェクトの座組をつくりあげていった。

ナノテラス内部
筆者撮影
稼働中の10本のビームラインは3本が国の共用ビームライン。7本は産学が活用するコアリションビームライン。 - 筆者撮影

プロジェクトの取り組み態勢が出来上がり、いよいよ本格的に動き出す段階が来たのだが、誰かが中心となってフルタイムで取り組まないとプロジェクトは前には進まない。白羽の矢が立ったのが、言い出しっぺであり、その後も中心的に動いてきた高田氏だった。

2015年1月、高田氏に東北大学から多元物質科学研究所の教授として放射光施設のプロジェクトを進めてほしいと声がかかった。高田氏は理化学研究所を退職し、4月に東北大学に移ったが、周りからは反対された。このプロジェクトは推進協議会がつくった構想があるだけで、国の関与も何も決まっていない段階だった。しかし高田氏は「日本のためにはやらねばならない」と腹を括った。

高田氏
写真提供=東北大学
高田教授は2017年から光科学イノベーションセンター理事長も兼ねる。 - 写真提供=東北大学

■「総事業費400億円」という高い壁

ところが2015年6月、プロジェクトは暗転する。推進協議会が進めようとする構想は放射光施設を建設し、そこに産業集積を生みだし、新たなリサーチパークをつくるというものだ。それは大震災の被災地を元に戻す復旧・復興というよりも、全く新しいコンセプトでイノベーションの拠点を創り出すというものである。そんなプロジェクトに復興予算を投入するわけにはいかないというのが国の判断だった。

国の復興予算が頼れないとなれば約400億円の総事業費の捻出が振り出しに戻ってしまう。突然、ハシゴが外された形で、多くの関係者は「もう諦めるしかない」と考えたようだ。2カ月前に東北大学に赴任していた高田氏は東北大学に招いてくれた理事らから「申し訳ない」と謝られたという。

これに対し、高田氏まったく違う受け止め方をしていた。

「国が金を出さないとなれば、新しい考え方に変えていくしかない。国丸抱えだとスプリング8と同じような形になる。むしろこれからが面白くなる」

高田氏を近くで見ていた東北大学の渡邉真史特任教授は「高田先生は本当にまずいと思って落ち込まれるのは30分以内です。30分のうちに腹を括られる。そして新しい方向に動き出されます」と話す。

そんなポジティブな考え方から生まれたのが「コアリション(有志連合)」という考え方だった。大学、自治体、産業界がそれぞれにお金を出し、官民地域パートナーシップのもとに施設を運営するという考え方である。まずは産業界への働きかけを強めなくてはならなかった。

■2000社以上を訪問し、説明して回った

2016年3月末に企業向け説明会を仙台と東京で開き、放射光施設の構想を説明し、資金拠出を伴う参画を促した。高田氏はこれ以降、企業を個別に訪問し、構想を説明し、訪問した企業にとってどんな効用があるかを伝えていった。

高田氏が訪問した企業数は延べ2000社を超えた。1日4社回っても500日を要する数である。大企業だけではなく宮城県の中小企業にも「押しかけていきました」。

プレゼン資料は企業ごとにすべて違うものを持参した。食品メーカーならどんな食品をつくっているのか、その商品開発に放射光施設はどのように貢献するかを事前に調べ上げ、資料に書き込んだ。そんな資料を千何百社分もつくるのだから相当な労苦があったろう。

その結果、1口5000万円の加入金を払ってコアリションメンバー(ナノテラスを年間200時間使う使用権が10年間得られる)となった企業、大学、国立研究開発法人は150を超えた。企業名の多くは非公表だが、公表している企業には冒頭に紹介した住友ゴム工業やメニコン、ニチアスのほかアイリスオーヤマ、中外製薬などがある。

地域パートナーの宮城県、仙台市、東北大学、東北経済団体連合会とコアリションメンバーとで約180億円を供出する枠組みが出来上がった。2018年1月には国の科学技術予算から約200億円が投じられることが決まり、全体の枠組みが固まった。

2015年6月に復興予算を投じる枠組みが頓挫してから2年半が経ち、まったく別の形で放射光施設の建設が本決まりとなった。

ナノテラス
写真提供=東北大学
ナノテラスの奥に見える街並みは仙台市の中心地。仙台駅からも近く、産学連携には好立地だ。 - 写真提供=東北大学

■東北大に受け継がれるDNA

大震災という危機の中で生まれたアイデアが一旦は風前の灯となったが、自治体などの地域負担と企業負担をかき集め、なんとか息を吹き返したのがナノテラスのプロジェクトだった。そのストーリーは、実は1907年に第3の帝国大学として創立された東北帝国大学の姿と重なり合う。

1905年に日露戦争が終わり、日本の財政事情は厳しさが増していた。東京帝国大学、京都帝国大学に次いで第3の帝国大学設立の動きが仙台と福岡で起きていた。だが国にはお金がない。東北帝国大学が九州帝国大学を抑えて1907年に第3の帝国大学になったのは古河財閥の寄付26万円と宮城県の寄付15万円、合計41万円を地域と経済界からかき集めたからだ。大学の建設費、設備費など創立時の費用には国費を投入せずに創立したのが東北帝国大学だった。

国が金を出せないなら、地元自治体と経済界でなんとか工面するというDNAが創立時から今に続いているのかもしれない。高田氏は「それも何かの縁だったと思います」と言う。

■高田氏は「みんなの成果」と言うけれど…

高田氏は広島大学で金属の研究をしたが、学生時代から東北大学の金属材料研究所の研究者らの薫陶を受けたという。東北大の金属材料研究所はKS鋼を発明した本多光太郎が初代所長である。本多は「産業は学問の道場なり」と言い、100年以上前から産業界との連携を深めた人物だった。

「産業界を巻き込んでパートナーとなり、放射光施設をつくるという今回の考え方も東北大学には受け入れられやすかったんじゃないかと思います」と高田氏は振り返る。

オンラインでインタビューに応じる高田氏
筆者提供
オンラインでインタビューに応じる高田氏 - 筆者提供

だがまず東日本大震災直後にアイデアを生み出し、そのアイデアを多くのステークホルダーを巻き込み具体的な構想に仕上げた高田氏の存在がなければ何事も始まっていない。

しかも復興予算の投入が見送られ、みんなが諦めかけた時に、「これから面白くなる」と新たな道を探り始めた高田氏がいなければ、おそらくナノテラスは今年4月の稼働に辿り着いていなかっただろう。

なぜナノテラスは成功したのか。高田氏に最後に問いかけた。

「みんながon time on budget(スケジュール通りに予算通りに)頑張ったから」と高田氏は「みんなの成果」を強調する。だがしかし、チームの中に高田氏のようにひたすらゴールに向けて突き進むクレージーな存在がいなくては危機を乗り越えられなかったに違いない。

改めてクレージーな存在について問いかけると「無茶苦茶なクレージーなことをやったのは私です」と高田氏はにやりと笑った。

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安井 孝之(やすい・たかゆき)
Gemba Lab代表、経済ジャーナリスト
1957年生まれ。早稲田大学理工学部卒業、東京工業大学大学院修了。日経ビジネス記者を経て88年朝日新聞社に入社。東京経済部次長を経て、2005年編集委員。17年Gemba Lab株式会社を設立。東洋大学非常勤講師。著書に『2035年「ガソリン車」消滅』(青春出版社)、『これからの優良企業』(PHP研究所)などがある。

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(Gemba Lab代表、経済ジャーナリスト 安井 孝之)

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