朝ドラとは真逆…再婚して夫の姓になり「3つの姓を生きた」三淵嘉子が後輩に明かしていた本音と葛藤
プレジデントオンライン / 2024年8月23日 8時15分
■結婚すると別姓が認められないから、選んだ愛の形は「事実婚」
「民法第750条……。夫婦になれば、どちらかの名字が変わる」
「どちらかの名字は名乗れなくなるということでしょ。個人の尊厳や平等とかけ離れてはいないかしら?」
「はて? どうして私たちの名字が変わる前提なの」
今から約70年前、昭和31年(1956)ごろを舞台にしたとは思えないほど、女性にとってはリアルなテーマだった。女性最初の裁判所長・三淵嘉子(みぶちよしこ)をモデルに、寅子(ともこ)(伊藤沙莉)が法曹界で道を切り開いていく様を描く「虎に翼」(NHK)。寅子は、ひとり娘をもうけた最初の夫・佐田優三(仲野太賀)を戦争で亡くした後、同じ裁判官の星航一(岡田将生)と心を通わせ交際する。だが、いざ航一からプロポーズされると、兄嫁で親友の花江(森田望智)をはじめ、家族や友人から当然、女性の自分が姓を「星」にすると思われていることに「はて?」と疑問を持つ。
夢の中で、現在の自分と、最初に結婚する前の「猪爪寅子」だった自分、結婚直後の「佐田寅子」、そして、再婚して姓を変えた場合の未来の自分「星寅子」が集合して、分身同士の争いのように意見を戦わせるシーンも話題になった。最初の結婚は、弁護士として社会的な信用を得たいからという狙いがあり、対外的に既婚者とわかってもらうため、むしろ姓を変えたかった寅子。しかし、その後、夫に死なれ、佐田姓のまま裁判官としてキャリアを積んできた。
■最新データでも結婚した女性95%が姓を変えている
そこで再婚して姓を変えてしまうと、仕事を頑張ってきた自分が消えてしまうような気がする。しかし、未来の自分は「初代最高裁判所長官の息子の妻という肩書も手に入るのよ。社会的地位も上がるんだから」「つべこべ言わずに、星寅子になっちゃいなさいよ。それで丸く収まる」と現実的なメリットを挙げて、結婚をけしかけるのだった。
そもそもなぜ女性の方が姓を変えると思われているのか。男女は平等であり、民法でも「夫または妻の姓を名乗る」と定められているのに……。これは、多くの女性が結婚するときに抱いた疑問だろう。現在でも2022年(令和4)に結婚した男女のうち95%で、妻が夫の姓に変更している(図表1)。そのうち旧姓使用を希望する人は39%、4割もいる(図表2)。
■嘉子は生涯で武藤・和田・三淵と3つの姓を名乗った
寅子のモデルである嘉子の場合はどうだったのだろうか。武藤嘉子として生まれ育ち、女性で弁護士資格を得た第一号となり、弁護士登録した後に和田芳夫と結婚して和田嘉子となった。戦後に裁判官となり、まさに女性法曹の草分けとして仕事をしてきたのだが、結婚から15年。同僚や上司からも「和田さん」と呼ばれ、和田姓はもう自分のアイデンティティとして欠かせないものになっていたのだろう。
東京地裁の判事補時代、嘉子の後輩だった倉田卓次は、嘉子が再婚した頃に会話した内容を後年、明かしている。
「わたしはこれで三度姓が変わったわけよ」と向こうから切り出したのをいいしおに、「和田嘉子って名前を通称に残したいってことは考えなかったんですか」と尋ねたことがある。再婚相手の三淵乾太郎(みぶちけんたろう)さんを私は個人的に識(し)っていた。和田さんがそう求めたら、それを認めないほど狭量な人柄ではない、という感じがあったからである。
「そうもいかないわよ。間に立った人にも向こうにも悪いでしょう」彼女は言下に答えた。「……でも息子は和田姓で残るわ」
(『法令ニュース』1994年10月号、「リーガルアイ⑧弁護士・倉田卓次 夫婦別姓か創姓か」)
正確には結婚で姓が変わったのは2度であり、生涯で姓が3つあったということになる。しかし、嘉子はドラマのように事実婚を選ぶのではなく、婚姻届を出す法律上の結婚にこだわっていたようだ。後輩の倉田に、おそらく再婚相手の乾太郎にも言っていなかったであろう本音を明かしているのが面白い。
■「旧姓に執着すれば結婚への情熱を低く見積もられる」という懸念
(裁判官として)一人前に生きてきた和田嘉子として、和田姓への執着がないわけではない。しかし、それを捨てて今度の夫の姓に変わる決意を示すことが、再婚を決意した気持ちのシンボルになる。旧姓への執着を示せば、結婚への情熱を低く見積もられかねない。……彼女の意見はそんな風なものであった。
(中略)
なぜそれが“あるべき”姓名になるのだ、夫婦相互の愛情の証明として、なぜ当然に女の姓が捨てられなければならないのだ、とラディカルに問われれば、現憲法下、返す言葉はない(非嫡出子の相続分の問題については一応返す言葉があるのとは、そこが違う)。その意味では、男の私は無理もなかったとして、和田さん程時流をぬきんでていた女性でも、当時はまだ男性本位の社会常識に縛られていたということだ。
(『法令ニュース』1994年10月号、「リーガルアイ⑧弁護士・倉田卓次 夫婦別姓か創姓か」)
■男性の後輩は「和田さんほどの女性でも限界があった」と述懐
倉田は博識で知られた法律家らしく、「夫婦相互の愛情の証明として、なぜ当然に女の姓が捨てられなければならないのだ」「和田さん程時流をぬきんでていた女性でも、当時はまだ男性本位の社会常識に縛られていたということだ」と矛盾を指摘しているが、前出の統計結果のとおり、嘉子が再婚して68年、この記事が発表されてから30年経った今でも、女性が結婚で姓を捨てることを求められるという社会は変っていない。
ドラマで、航一が「夫婦のようなもの」になろうと事実婚を提案したとき、寅子が言った「でも、私が折れれば(婚姻届を出して姓を変えれば)、『ようなもの』なんて言葉をつけないで済む。私たちならば、折れてよかったと思える日がいつか来ると、今はそう思っているんです」というような気持ちで、嘉子自身も妥協したのかもしれない。きっと自分の気持ちを押さえつけた部分もあったと思われる。
ドラマでは寅子にそう言われた航一が「それでは君の僕への愛情を利用した搾取になってしまう」と答えたのも印象的だった。
もちろん、寅子と航一のように事実婚を選ぶカップルも、実在する。法曹界では、福島みずほ弁護士(参議院議員)とその夫である弁護士。芸能界では、第一子の誕生を発表したばかりの黒島結菜と宮沢氷魚など。ただ、今でも圧倒的に少数派だ。
【参考記事】「はて?」は世の中を変えられる…朝ドラで伊藤沙莉が演じる寅子が連発するセリフに込められた深い意味
■再婚の挙式はせず、簡単なパーティーで済ませた嘉子
三淵家の人間になることで、嘉子の社会的地位、セレブ感はアップしただろうが、裁判官として男性と同じ国家公務員の給与を得ていた彼女に、「再婚しなければ食べていけない」という経済的事情はなかっただろう。旧姓を捨ててまで再婚したのは、乾太郎への愛情と、41歳の時点で残りの人生を共にするパートナーを得たいという気持ちゆえだったと思われる。
乾太郎と前妻の間に生まれた娘と結婚した森岡茂、つまり義理の娘の婿はこう振り返っている
「義母はいわゆる無宗教の人だった。(中略)義母は義父乾太郎との結婚式も、無宗教式で簡単なパーティーですませてしまった。もっとも義父も宗教心がないという点では似た者夫婦だから、意見がどちらから出たのかはわからない」
(『追想のひと 三淵嘉子』1985年)
再婚して、自分の息子に加え、乾太郎の4人の子の継母となり、乾太郎の父の後妻とも同居することになった嘉子。後妻、継母として義理の子どもたちと揉めることもあったというが、血縁のないステップファミリーでも、とにかく家族を大事にしていたという。
【参考記事】朝ドラのモデル三淵嘉子は再婚した夫の子とケンカし[猛女」と言われた…それでも家族再構築した圧倒的人間力
■再婚後は夫を献身的にケアし、転勤で別居になると落ち込んだ
戦後すぐ、最初に判事として赴任した名古屋地方裁判所時代は、同地裁で初めての女性判事ということで注目され、取材を受けたとき、「戦争未亡人ですね?」と質問されて「そんな表現を使わないで下さい。戦争未亡人ってイヤな言葉です」と答えている。
最初の夫に死なれ、シングルマザーとして奮闘した15年間の後、同じ裁判官だから仕事上の苦労も分かち合える乾太郎というパートナーを得たことは、精神的に大きかっただろう。同居している間は乾太郎のケアを献身的にしていたようで、「(乾太郎は)絶えず煙草を手にして居られたが、その灰の落ちる前に灰皿で受け止めて居られた」という目撃談もあるほどだ。仕事に忙殺される夫の健康を心配し、一緒にゴルフを始めたというエピソードもある(以上『追想のひと 三淵嘉子』1985年より)。
三淵(嘉子)さんは、明るく愛情深い方だった。(中略)その三淵さんが、いつになく深刻な表情で沈んでおられたことがあった。何事が起きたのかと心配したが、後で伺うと、御夫君が浦和地裁の所長に御栄転になり別居されるということに心を痛められたのであった。東京と浦和は、今私が通勤している距離なのだが、愛情深い三淵さんにとっては耐えられないことだったのであろう。三淵さんは「若いあなたには分らないのよ」とポツリと漏らされた。
(『追想のひと 三淵嘉子』1985年、管野孝久の文章より)
■恋愛感情の強い女性だったから、別姓は選べなかったか
前夫の和田芳夫が亡くなったときは、「泣きすぎて顔が紫色になっていた」という嘉子。おそらく顔をゆがめ歯を食いしばって号泣し、顔の毛細血管が切れて内出血してしまったのではないだろうか。感情の激しさがうかがえる逸話だ。
【参考記事】「泣きすぎて顔が紫色に」朝ドラのモデル三淵嘉子は戦争で夫を亡くした…終戦前後に出した「4つの葬式」
乾太郎とも、東京と浦和で別居することになっただけでひどく落ち込んでいたというのが、「愛情深い」嘉子らしい。同時にそれは、それだけパートナーに対する執着心が強いということでもある。
そんな恋愛感情も影響してか、女性法律家の草分けであり最先端のキャリアウーマンでもあった嘉子でも、事実婚は選べなかった。しかし、その真意を汲んだかのようなドラマの展開が朝ドラとしても斬新で、目が離せない。
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ライター
1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。「リアルサウンド映画部」などに寄稿。
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(ライター 村瀬 まりも)
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