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最後の1ページを読み終えた感動と満足感がスゴい…文庫全2000ページ「カラマーゾフの兄弟」を3分解説

プレジデントオンライン / 2024年9月4日 16時15分

3人兄弟と父親をめぐる愛憎劇は、人間と神の問題にまで発展する

■人間とはたとえ悪党でもナイーブで純真なもの

世界的文豪フョードル・ドストエフスキーの集大成であり最高傑作とされる最後の作品である。

物語の舞台は、1861年のアレクサンドル2世による農奴解放後の混迷するロシア社会。成り上がりの田舎の地主アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフとその3人の息子、ドミートリイ、イワン、アレクセイをめぐる人々の愛憎劇を軸に、神と人間、善と悪、信仰と自由、人間の生きる意味といった普遍的なテーマを扱っている。

カラマーゾフ家の家長フョードルは、物欲にまみれ女にだらしがなく、常識外れだが、自分の財産上の問題を処理する能力だけは長けており、単なる馬鹿ではない。

酒場で酔いつぶれているときに、最初の妻が死んだことを知らされるが、大げさなまでに嘆き悲しみながらも、内心では妻というくびきから解放されたことに快哉を叫ぶ。いかにも人非人のようであるが、作者はそれこそが人間の本質だと看破する。

「人間とは、たとえ悪党でさえも、われわれが一概に結論づけるより、はるかにナイーブで純真なものなのだ。われわれ自身とて同じことである」

俗物の極みのような父、フョードルをはじめ、登場人物はクセのある強烈な個性の持ち主が大半を占める。

最初の妻の子である28歳の長男、ドミートリイは元軍人だが現在は他人の金をあてにして生きる無頼の放蕩息子。直情的で口と手が同時に出る暴力男だが、情に厚い一面もある。2番目の妻の子、次男のイワンは24歳でモスクワの大学に通うインテリ。科学を信奉し世の中全般においてシニカルなものの見方をする無神論者。三男のアレクセイは20歳の若き修道僧。信心深く純粋で誰からも好かれる好青年である。第4の息子ともいうべきスメルジャコフは、フョードルの息子(非嫡出子)でありながら彼の下で使用人として働いている。表面上はおとなしく従順で控えめだが、狡猾で冷酷な性格で、心理的に他人を操る能力にすぐれている。

■遺産相続に女性問題深まる家族の亀裂

カラマーゾフ家の長、フョードルは、長男ドミートリイと、遺産の相続問題に加え、奔放で蠱惑的な美女グルーシェニカをめぐってもめており、極めて険悪な関係にあった。

ある日、フョードルの思いつきで三男の修道僧アレクセイが心から尊敬するゾシマ長老の僧庵に集まり問題解決のため家族会議が開かれる。しかし、家族の融和を願うアレクセイの意に反して、ドミートリイの父親に対する暴力沙汰によって家族間の亀裂と不信感はいっそう深まる。

父親がグルーシェニカに近づくことは絶対に許さないと息巻くドミートリイだが、彼にはカテリーナという婚約者の存在があった。ドミートリイは、カテリーナと別れることを決心するが自分の口からは言えないのでアレクセイに、彼女とはもう会うつもりがないことを伝えてくれるよう頼む。

渋々カテリーナの元を訪ねたアレクセイはそこで意外な人物と出会う。グルーシェニカである。カテリーナはアレクセイにグルーシェニカはあなたたちが思っているような悪女ではなく、かつての恋人に捨てられた同情すべき人なのだと説明する。そんな言葉にカチンときたグルーシェニカは、あなたこそお金目当てでドミートリイに近づいたのではないかと言い返したことから、二人の間に決定的な対立が生じる。

そんな中、酒場で酔っ払ったドミートリイがスネギリョフという二等大尉を彼の息子が見ている目の前でひどく辱めるという事件が起きる。体面的なこともあり、カテリーナはアレクセイにドミートリイの暴力沙汰の詫びとしてスネギリョフに見舞金を渡してきてくれないかと頼む。

二等大尉の家を訪ねたアレクセイがそこで見たのは、極めて貧しいスネギリョフの暮らしぶりだった。最初は喜色満面で金を受け取ったスネギリョフだったが、これを手にしたら息子のイリューシャに合わせる顔がないと2枚の100ルーブル札を踏みつけにする。

その後、ある用件でカテリーナの家に向かったアレクセイは、そこでイワンと出会い、イワンとカテリーナが互いに惹かれ合っていることを知る。

イワンとアレクセイは初めて兄弟二人で腹を割って話をし、イワンはあらためて自身の考えである無神論について語る。もし神がいるならなぜ罪もない子どもたちが、虐待されたり惨殺されたりせねばならないのか――。イワンは自分で創作した「大審問官」というキリスト教批判の物語を話して聞かせる。アレクセイはそのときのイワンの様子の異変に動揺する。

ゾシマ長老の死によってアレクセイは生前の師の言葉に従い僧院を出る。聖人ゾシマなら死後、復活すると多くの者が信じていたが、ゾシマは復活するどころか激しい腐臭を放ちはじめ、アレクセイの信仰はぐらつき始める。

一方、父フョードルへの嫉妬も相まってグルーシェニカに対する思いが頂点に達したドミートリイは、カテリーナとの関係を清算するため、父の金を盗むことを思い立ち父の家に侵入。敷地から出ようとしたところを使用人のグリゴーリイに見咎められる。ドミートリイはもっていた銅の杵(きね)で彼の頭を殴打して逃走。グルーシェニカがかつての恋人と会っているという町の宿屋へ馬車を飛ばす。驚くグルーシェニカをよそに、そのポーランド人の恋敵を別室に追いやったドミートリイは、ついにグルーシェニカから愛の告白を受ける。が、その直後、宿に乗り込んできた官憲に逮捕される。グリゴーリイを殺したことでの逮捕は覚悟していたが、グリゴーリイは死んでおらず、その容疑は父フョードル殺しであった。

父親殺しの真犯人についてイワンとアレクセイは意見を異にしており、兄を犯人と見るイワンは、スメルジャコフの犯行ではないかというアレクセイと袂を分かつ。が、一抹の不安を抱えていたイワンは、スメルジャコフの元を訪れ彼を問い詰める。スメルジャコフはドミートリイが盗んだとされるフョードルの金を靴の中から取り出し、自分が犯人であると自白する。そのうえで彼は、自分が罪を犯したのはイワンの唱える無神論「神も不死もなければすべては許される」という言葉によるもので、イワンも共犯者であると主張。イワンはスメルジャコフに裁判で証言することを迫るが、帰宅したイワンの元に悪魔が現れ、彼を責め続ける。ドミートリイが有罪になれば遺産の取り分も増え、カテリーナも手に入るではないかというスメルジャコフの言葉で自責の念が湧き、イワンを狂気へと追い込んだのだ。ドアをノックする音で悪夢から目覚め、ドアの向こうに立っていたアレクセイが告げたのは、スメルジャコフの自殺だった。

■自分を有罪に追い込んだカテリーナを許す

国中の注目を集める裁判が始まったが、証言はどれもドミートリイがクロであることを示すものばかりだった。だが、途中から風向きが変わる。イワンがスメルジャコフから渡された金を証拠として提出、犯人はスメルジャコフであり、唆(そそのか)したのは自分であり自分も同罪であると半狂乱になって叫びだす。愛するイワンが罪に問われることを恐れたカテリーナはドミートリイが酔った勢いで「父を殺してでも金を手に入れる」と走り書きした手紙を示して、ドミートリイが犯人であると主張。それが決定的な証拠となり陪審員はドミートリイの有罪を宣告。シベリア流刑懲役20年を言い渡される。

判決後、神経性の熱病で入院したドミートリイの元を、アレクセイに説得されたカテリーナが見舞う。無実を知っていながら自分を有罪に追い込んだカテリーナをドミートリイは許す。

新潮文庫版では上中下の3分冊、約2000ページの大作だが、最後の1ページを読み終えたときに得られる感動と満足感は他の作品では味わえないものがある。評者は再読して、“読書の素晴らしさ”を再認識した。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年8月30日号)の一部を再編集したものです。

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フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー 小説家
1821〜1881年。19世紀ロシア文学を代表する世界的巨匠。父はモスクワの慈善病院の医師。1846年の処女作『貧しき人びと』が絶賛を受けるが、1849年、空想的社会主義に関係して逮捕され、シベリアに流刑。出獄すると『死の家の記録』等で復帰。61年の農奴解放前後の過渡的矛盾の只中にあって、鋭い直観で時代状況の本質を捉え、『地下室の手記』を皮切りに『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』等、「現代の予言書」とまで呼ばれた文学を創造した。

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(小説家 フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー 文=白崎博史 撮影=市来朋久)

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