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藤原道長に恋愛感情を抱いていたからではない…NHK大河では描きづらい紫式部が宮廷に出仕した本当の理由

プレジデントオンライン / 2024年8月25日 17時45分

鈴木春信作「五常 信」(画像=ボストン美術館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

藤原道長と紫式部はどんな関係だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「紫式部は道長に請われて宮廷に出仕するが、それは二人が恋愛関係にあったからではない。彼女には出仕を拒めない現実的な事情があった」という――。

■藤原道長が物語の執筆を頼んだ理由

藤原道長(柄本佑)が唐突にまひろ(吉高由里子、紫式部のこと)のもとを訪問した。NHK大河ドラマ「光る君へ」の第31回「月の下」(8月18日放送)。狩衣をまとった忍びの姿で訪れ、まずは、まひろが書いて評判になっている物語「カササギ語り」について、「『枕草子』よりおもしろいと聞いたゆえ」に「俺にも読ませてくれぬか?」と頼み込んだ。「もしおもしろければ、写させて中宮様に献上したいと思っておる」というのだ。

しかし、その物語は前の晩、一人娘の賢子が火をつけ、すっかり燃えてしまっていた。あきらめられない道長は、「ならば、中宮様のために新しい物語を書いてはくれぬか」と切り出した。無理に頼む理由は、「帝のお渡りもお召しもなく、さびしく暮らしておられる中宮様をお慰めしたいのだ」とのこと。中宮様とは一条天皇のもとに入内した道長の長女、彰子(見上愛)のことである。

まひろは「道長様のお役にたちたい」といいつつも、「そうやすやすと新しい物語は書けない」とためらう。だが道長は「おまえには才がある」と伝え、「俺に力を貸してくれ」とすがり、「また参る。どうか考えてくれ」と言い残して立ち去った。

道長の言葉が胸に響いたまひろは、『枕草子』を読み返したりした末に決意し、左大臣(道長)宛ての上申書のなかに返事を忍ばせ、そこにこう書いた。「中宮様をお慰めするための物語、書いてみようと存じます。ついては、ふさわしい紙を賜りたくお願い申し上げます」。さっそく道長は、まひろが以前から所望していた越前(福井県北東部)の紙を、まひろのもとへみずから乗り込んで届けた。

■紫式部の家を訪ねたとは考えられない

まひろが「中宮様をお慰めできるよう、精一杯おもしろいものを書きたいと存じます」と伝えると、数日後、道長はまた、すでに書き上がった分を読むために、まひろのもとを訪れた。

そのとき、まひろは「中宮様をお慰めするための物語」がほしいという道長の説明のウソを見抜き、道長から「じつは、これは帝に献上したいと思っておった」という本音を引き出した。帝とは一条天皇(塩野瑛久)のことである。

天皇に読ませる物語を書かせれば、まひろを政治的に利用したことになってしまう。だから、道長はまひろに詫びたが、すでに創作意欲が湧いてきているまひろは、「帝のお読みになるものを書いてみとうございます」と申し出た。そして、一条天皇についてのあれこれを話してほしいと、道長に頼むのだった。

このように第31回では、『源氏物語』が誕生するまでの経緯が描かれた。史実や、史実から想定されることを踏まえ、ドラマとしてたくみに構成されているとは思う。

ただし、政権トップの道長が、受領階級である藤原為時(岸谷五朗、まひろの父)の家を頻繁に訪れて依頼したり、一条天皇についてまひろに直接語ったりした、などということは、身分差からしてあったとは考えられない。「光る君へ」の道長がこうした行動をとるのも、このドラマで重ねて描かれてきた2人の関係が反映されてのことだろう。

すなわち、道長とまひろは恋愛関係にあり、ダブル不倫の末、娘までもうけた関係として描いている。こうしたフィクションのインパクトが強く、それが『源氏物語』の創作に影響を与えたように見えてしまう点も、残念ではある。

藤原道長
藤原道長(画像=東京国立博物館編『日本国宝展』読売新聞社/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

■大量の紙は誰が用意したのか

とはいえ、道長と紫式部の恋愛関係こそ創作ではあるけれど、それを除けば、「光る君へ」の描写はいい線を突いているのではないだろうか。

ドラマで佐々木蔵之介が演じた夫の藤原宣孝を失って、紫式部はなにも手がつかないような日々を送ることになったが、『紫式部日記』には、次第に物語に救いを見いだすようになったと書かれている。気の合う仲間たちと、他愛のない物語を創っては見せ合い、手紙で批評し合ったりしたというのだ。

「光る君へ」では、まひろは藤原公任(町田啓太)の妻(柳生みゆ)のサロンで和歌を教えていて、そこで自作の物語が評判になったという描き方である。だが、この時代は女性が友人と付き合う際も、手紙を介するのが一般的で、物語の品評であっても同様だった。だが、直接会って交流していたように描くのは、ドラマの性質上、致し方ないのだろう。

おそらくは、「他愛のない物語」が『源氏物語』のある種の試作で、それが道長の耳に入ったことで、創作を依頼されたものと考えられる。

「光る君へ」では、前述のように道長が大量の紙をまひろのもとに届けたが、このドラマの時代考証も務める倉本一宏氏は、紙の問題から道長の関わりを想定する。

■「政治的」な事情

倉本氏によれば、全編が54巻におよぶ『源氏物語』のためには、大まかに計算して617枚の料紙が必要で、数え方によっては2355枚にもなるという。それ以外にも、下書き用の紙が必要なら、書き損じもあっただろう。当時、紙は非常に貴重かつ高価だった。

だから、倉本氏は次のように書く。「いったい中級官人の寡婦にして無官の貧乏学者である為時の女である紫式部に、これほどの料紙が入手し得たものであるか。(中略)こういう状況から、紫式部はいずれかから大量の料紙を提供され、そこに『源氏物語』を書き記すことを依頼されたと考える方が自然であろう。そして依頼主として可能性がもっとも高いのは、道長を措いてはほかにあるまい」(『紫式部と藤原道長』講談社現代新書)。

では、なんのために道長は、紫式部に『源氏物語』を書かせたのか。

倉本氏はそのねらいについて「物語好きな一条が『源氏物語』のつづきを読むために彰子の御在所を頻繁に訪れ、その結果として皇子懐妊の日が近づくというものである」と書く(前掲書)。道長がみずからの権力を安定させるために、彰子に皇子を生ませたいという強い希望をいだいていたことは、いうまでもない。

実際、『紫式部日記』には、一条天皇が『源氏の物語』人に読ませ、聞いていたという記述がある。背景には、「光る君へ」で描かれたのと同様の、「政治的」な事情があったのである。

十二単
写真=iStock.com/Yusuke_Yoshi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yusuke_Yoshi

■いつから『源氏物語』を書いたのか

紫式部は『源氏物語』をいつから、どこで書いたのか。

彼女はあるときから、中宮彰子のもとに女房として出仕している。『紫式部日記』の寛弘5年(1008)12月29日の項に、はじめて出仕したのも同じ日と書いているので、その何年か前ということになるが、この時点で宮仕えにすっかり慣れきっているというので、寛弘4年(1007)ではなさそうだ。また、寛弘2年(1005)は11月に内裏が消失しており、12月29日はまだ慌ただしい最中だっただろうから、寛弘3年(1006)とするのが妥当ではないだろうか。

むろん、紫式部の出仕が、『源氏物語』などで文才を買われた結果であるのは疑いようがない。したがって、出仕前には書きはじめていたことになる。

だが、出仕せずに書ける内容は限られていただろう。倉本氏は「『源氏物語』が、じつは王権と宮廷政治の物語でもあり、数々の政治史的要素や後宮闘争を組み入れた作品であることは、少し読み込めば容易に理解されるところである」と書く(前掲書)。そういう内容が、出仕して宮廷の様子を観察することなく書けるはずがない。

そこで、出仕前に光源氏の生い立ちや、藤壺および紫の上との関係、光源氏の須磨への配流と帰還くらいまでが書かれ、残りは出仕後に書かれたのではないか。そんなふうに考えられている。

■父と兄のためを思って…

したがって、紫式部が中宮彰子のもとに出仕したのは、道長による紫式部の囲い込み作戦だったと考えられる。しかも、出仕して宮廷を観察させ、リアルな物語を展開するための条件を整えたともいえる。

それまでリアルな物語を書くのが困難だった状況について、山本淳子氏はこう書く「『里人』つまり娘や専業主婦として基本的に自宅だけを生活の場としてきたため、家の外の人に慣れていない」(『源氏物語の時代』朝日選書)。

そんな彼女が道長から誘われ、出仕を受け入れたのはなぜか。道長に恋愛感情を抱いていたからか。山本氏の文を続ける。「道長は、父を十年の失業状態から救って大国の国司に抜擢してくれた、大恩ある人だった。出仕せよともちかけられて、断れるはずがない。小さな娘もいて先行き経済的な不安もあったろう。処世下手な父と兄が、これから順調に官職にありつけるかどうか。自分が出仕すれば、道長との縁故を深め、よくすれば父と兄の出世につながるかもしれない。式部はおそらくそんな現実的な諸事情のために出仕を承諾したと察せられる」。

あまり夢がある話ではない。だから、「光る君へ」がそこに恋愛を絡めたがる理由もわからないではないのだが……。

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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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