「TSMCのような半導体を作れない=オワコン」ではない…私が日本の半導体産業をまったく悲観していないワケ
プレジデントオンライン / 2024年9月2日 9時15分
※本稿は、鈴木一人『資源と経済の世界地図』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■中国は先端半導体をつくることはできない
最先端の半導体を作る能力は誰が持っているのであろうか。実はこの答えは簡単には出せない。というのも、半導体の製造過程は国際分業によって成立しており、どこかの国が独占的に持つ能力ではないからである。
「半導体企業」といっても、アメリカのAppleやNVIDIAのように設計や開発に特化した「ファブレス」と呼ばれる企業と、製造技術や生産に特化した台湾のTSMCのような「ファウンドリー」と呼ばれる企業がある。
また、半導体の製造工程も細かく分ければ何千もの工程に分けられる。大まかに回路のデザインやフォトマスクと呼ばれる設計原盤を作る「マスク製造工程」、半導体の本体となるシリコンウェーハを作る「ウェーハ製造工程」、回路をウェーハに焼き付ける「前工程」、それを完成品にして検査をする「後工程」がある。
これらの工程において強みを持つ国は、それぞれ異なる。マスク製造工程においてはアメリカやイギリスに強みがあり、ウェーハ製造工程では日本や韓国、前工程は台湾、後工程は複数の国に強みがある(図表1)。
半導体製造の原料となるニッケル、ゲルマニウムなどの重要鉱物は中国がシェアを持っており、半導体素材は日本のシェアが大きい。さらにここで注目すべきは、中国は原料にこそシェアがあるものの、製造工程においてはこうしたグローバルな分業体制に組み込まれていない、という点である。
■分業体制に組み込まれていない
確かに中国にも半導体産業はあり、中芯国際集成電路製造有限公司(SMIC)などの世界的に知られた半導体企業もあるが、中国が半導体製造に乗り出した時期は遅く、最先端の半導体を製造する能力を獲得するに至っていない。
また日本やオランダ、アメリカに強みがある半導体製造装置やシリコンウェーハ、日本や韓国に強みがある半導体洗浄剤に使うさまざまな化学品についても中国は主に輸入に頼っており、国内でこれらの産業が育っているわけではない。
特に半導体の性能を決定づけるのはシリコンウェーハに回路を焼き付ける「エッジング」と呼ばれる作業を行なう露光装置である。世界中で高性能半導体を作るために必要なEUV露光装置を作れるのはオランダのASMLしかない。
オランダがアメリカの対中輸出規制に参加し、中国にEUV露光装置を輸出しないことで、中国が先端半導体を作ることは極めて難しい状況になっている。
つまり、中国はグローバルな市場から材料や装置を調達して自国で製造することはできるが、その製造能力は先端半導体の分野で競争できるレベルにはない、ということが言える。
■中国に対する軍事的優位性
なお、汎用半導体に関しては中国の国内で使用される分については生産する能力を持っており、国際的にも競争力を持っている。
先端半導体の開発を制約されている中国は、戦略を変更して汎用半導体への積極的な投資を進めている。過剰生産とも言える状況を作り出すことで、汎用半導体の価格を下げ、西側諸国の汎用半導体を作るメーカーを市場から駆逐し、独占的な状況を作ろうとしていると言われている。
いわゆる過剰生産(overcapacity)論であり、現在、米欧では中国の過剰生産に対して何らかの対抗措置を取らなければならないという議論が持ち上がっているが、実際にそのような措置を取れば、WTOのルールに合致しないだけでなく、中国による報復もあり得るとみられている。
中国が先端半導体を作れないということは、地経学的な意味で極めて重要な点である。中国にその技術が存在しておらず、西側諸国のサプライチェーンに依存している状態は、西側諸国にとって中国に対する軍事的優位性を維持していることを意味し、その状態を固定化することで、国際政治上の優位性を保つことができる。
その優位性をこの先も保ち続けるためには、先端半導体を作るのに必要な半導体製造装置や、そのための技術やノウハウの中国への移転を阻止することが有効となる。つまり、経済的・技術的な手段を使って中国への製品や技術の移転を阻止することで地政学的な優位性を保つことができるという、まさに「地経学」的な問題なのである。
■アメリカの狙い
こうした地経学的な考え方が、「10・7」と呼ばれるアメリカの対中半導体輸出規制の強化の背景にある。この規制で導入された措置は主なものとして、第一に規制品目リストに、特定の先端半導体やそれらを含むコンピュータ関連の汎用品を追加する。また、特定の先端半導体製造装置の輸出も規制する。
これらの規制は中国に対する輸出の場合、「原則不許可」とする。さらに、アメリカの技術や装置を使って製造した製品などの輸出は、第三国で製造されたものであってもアメリカの規制が適用される(再輸出規制)。また、この規制はアメリカ人(米国籍を持つ個人やアメリカに登記する法人)にも適用される。
これまで、輸出管理は国際レジームによって決められた大量破壊兵器や特定の通常兵器の開発・製造にかかわる品目を規制し、国際社会における核などの不拡散のために存在するものとして考えられてきた。しかし、半導体を含むデュアルユース物質の輸出管理を行なう国際レジームであるワッセナー・アレンジメント(WA)【註1】にはロシアを含む42カ国が参加しており、そのすべてが合意する決定でなければ採択されない。
兵器の過剰な移転や半導体を含む関連品の輸出入を規制する国際レジームであるWAは、ただでさえ意思決定に時間がかかるうえ、ロシアのウクライナ侵攻によって合意形成が事実上不可能になってしまった。WAを通じて、中国に対する軍事的優位性を維持する目的で半導体の輸出規制を強化することは現実的ではない。
註1:通常兵器及びその関連の汎用品・技術の輸出管理を行なうもの。協議が行なわれたオランダのワッセナー市にちなんで名付けられた。/Wassenaar Arrangement
■東京エレクトロンの存在感
そこでアメリカは「国際平和のための拡散防止」という輸出管理の目的に加え、「自国の国家安全保障と、自らの戦略的競争相手に対して優位性を保つために輸出管理を強化する」という政策に転換したのである。これが「10・7」が9・11と同様の衝撃を持って受け止められた理由である。
アメリカからすれば、半導体の設計やソフトウェアの部門では圧倒的な強みがあるため、その輸出を規制することで中国が先端半導体を作ることが困難になることが見込まれていた。
また、多くの半導体製造装置や機器に関してもアメリカの技術や装置を使わなければできないものが多いため、再輸出規制を適用することで、多くの先端半導体製品の中国への輸出は止められるという計算があった。
しかし、アメリカが再輸出規制で管理できないものを作っている日本とオランダに関しては、アメリカの規制が直接適用できないという問題を抱えていた。
日本企業である東京エレクトロンをはじめとする半導体製造装置メーカーは、アメリカの技術に頼らず独自の技術で装置を作っており、オランダもASMLという企業がEUV露光装置と呼ばれる先端半導体を作るのに不可欠な装置を世界で唯一、作っている。
■巻き込まれた日本とオランダ
これらの装置が中国に輸出されてしまうと、仮にアメリカが設計やソフトウェアの輸出を止めていても、時間が経って中国もそうした設計能力を身につけることになった場合、先端半導体を作れるようになってしまう。
そのため、アメリカは中国が先端半導体を作れるようになるまでの時間を少しでも先延ばしするため(あるいは作れるようにならないため)に、日本とオランダに対し、半導体製造装置を中国に向けて輸出しないよう働きかけることとなった。
日蘭両国はアメリカの同盟国であり、アメリカと同様、中国が先端半導体を手にすることで、その軍事的能力を高めることは望ましいとは考えていない。しかし、中国の半導体市場は急成長を遂げており、日蘭の企業からすれば、もっとも稼げる市場をみすみす失うことは大きな痛手となる。
アメリカはあくまでも、中国に対して規制するのは先端半導体であるとして、汎用半導体は対象にならないことを強調していたが、政治的な目的のために企業の利益を制限することは、日蘭ともに躊躇する案件だった。
結果として、日米蘭三国は輸出管理の強化で合意し、日本は輸出管理の対象品目として、半導体製造装置を含む23品目を新たに加えることとしたが、アメリカとは異なり、国家安全保障のため、中国を名指しして輸出管理の体制を整えるのは法的な難しさがあった。
■いまの日本の半導体産業の立ち位置
そのため、日本の場合は対象品目の輸出に関して「全地域での軍事転用を防止することが目的」として、中国のみを念頭に置いた規制ではないとしつつ、輸出管理体制の状況などを踏まえアメリカなど42カ国向けは包括許可に、中国を含めその他向けは輸出契約1件ごとの個別許可とする、との内容になった。
これにより、アメリカと対立する中国に対する規制でありながら、アメリカの同盟国である日本とオランダはこの規制に巻き込まれ、自国の関連産業の経済活動を制限せざるを得なくなった面もある。
ここまで述べたように、地政学的な意味合いが強まり、地経学上の戦略物資化している半導体。日本の製造の現状はどうなっているのだろうか。
日本の半導体産業は、1980年代に世界シェアの50%を持っていた。にもかかわらず、現在では10%に落ち込んだとして、その衰退を嘆く声が多く聞かれる。では、現在の日本は地経学的な劣位にあるのかと言えば、実はそんなことはない。
簡単に振り返っておけば、日本は1980年代まではメモリ半導体を中心に世界的な半導体大国ではあったが、それは当時のコンピュータにおいて記憶装置が重要な役割を果たしていたからであった。
しかし、1990年代にインターネットに接続したコンピュータは個々のマシンで記憶するのではなく、ネットワーク上でより高いパフォーマンスを出すことが求められるようになった。
■ロジック半導体では遅れたが…
さらにインターネットを経由して画像や動画が配信されるようになると、それらを処理する能力が重視され、ロジック半導体が重視されるようになった。
またそのロジック半導体を製造するにあたり、製造に特化したファウンドリというビジネスモデルが登場し、台湾のTSMCがいち早くそのビジネスモデルに対応することで、これまで設計から製造、検査までを一貫して行なっていた企業は次第に国際分業に適応していった。
その過程で、先にも述べたファウンドリ企業と製造を委託するファブレス企業という棲み分けもできてきたのである。
こうした流れの中、日本では巨大な電機メーカーの一部として開発・製造を行なうモデルが継続された。その結果、世界では製造を担うファウンドリ企業が巨額の投資で最先端の製造工場を維持する一方で、日本は同じレベルでの投資を続けることができず、その後「オールジャパン」の国家プロジェクトを次々と展開したが、時すでに遅かった。
結果としてロジック半導体の分野では脱落せざるを得なくなったのである。
■「先端半導体を作れない」と嘆くことに意味はない
しかし日本はパワー半導体やアナログ半導体、マイコンと呼ばれる半導体チップなどではまだ国際的な競争力を持っており、NAND型と呼ばれるメモリ分野でも勝負ができている。さらに、先端半導体を製造するための装置では十分に国際競争力を持ち、シリコンウェーハやレジストといった材料の分野でも一部圧倒的なシェアを持っている。
半導体は国際分業が成熟し、どの国も一国で半導体の製造過程をすべてカバーすることはできない。おそらく唯一それができるのは中国だが、先述の通り、現時点では先端半導体を製造する能力は持っていない。そのため、「日本は台湾のTSMCのようなロジック半導体を作れない」と嘆くことにはあまり意味はない。
重要なのは、日本が信頼できる取引先との関係を強化して、グローバルなサプライチェーンの中で重要な役割を果たすことである。そうすることで、他国が何らかの形で経済的威圧を仕掛けてきた時も、日本からの供給が失われれば世界の半導体供給に影響を及ぼすことになり、他国にとっても不利益を被ることにつながるため、日本に圧力をかけづらくなるのだ。
こうした経済安全保障における「戦略的不可欠性」を持つこと、つまり日本なしではサプライチェーンがつながらない状態を保つことが、他国からの経済的威圧を抑止し、サプライチェーンを安定させる効果を持つのである。
さらに日本は2022年以降、熊本県菊陽町にTSMCの工場を誘致し、茨城県つくば市に産業技術総合研究所とTSMCが協力する研究開発センターを立ち上げている。韓国のサムスンも、横浜市に新たな拠点を作ることを計画中と報じられている。ちなみに、アメリカでも2020年にTSMCの工場をアリゾナ州へ、2021年にはサムスン電子の工場をテキサス州へ誘致すると発表している。
日本では加えて、Beyond2ナノを目指す半導体企業であるRapidus(ラピダス)を設立し、ロジック半導体の分野でも巻き返しを図ろうとしている。
日本の半導体産業は新たな局面に入り、再び世界の最先端で競争をする体制ができつつある。中国が先端半導体を作れず、軍事能力の拡張を抑制されている今、同盟国や同志国とともに、日本が先端半導体の開発に参入し、中国とのギャップを広げていくことは、地経学的な意味で重要な戦略的試みなのである。
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東京大学公共政策大学院教授、地経学研究所所長
1970年生まれ。立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了、英国サセックス大学大学院ヨーロッパ研究所博士課程修了(現代ヨーロッパ研究)。筑波大学大学院人文社会科学研究科専任講師・准教授、北海道大学公共政策大学院准教授・教授などを経て2020年10月から東京大学公共政策大学院教授。国連安保理イラン制裁専門家パネル委員(2013-15年)。2022年7月、国際文化会館の地経学研究(IOG)設立に伴い所長就任。2012年、『宇宙開発と国際政治』(岩波書店)で第34回サントリー学芸賞受賞。
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(東京大学公共政策大学院教授、地経学研究所所長 鈴木 一人)
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