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老舗企業の会長や一流寿司職人が"路地裏"寿司店に通うワケ…サメと闘い命がけで獲った天然マグロの味

プレジデントオンライン / 2024年9月13日 7時15分

今年11月に20周年を迎える神田須田町の「鮨葵」は、創業以来、天然の生の本マグロのみを提供し続ける。路地裏の小さな町の寿司店だが、良心的な価格で楽しめる絶品のマグロを求めて世界中から客人が訪れる。●「鮨葵」東京都千代田区神田須田町1-2 TEL:03-3254-6260営/17時~22時 休/土曜、日曜、祝日

「イズイ無くして、マグロ揚がらず」。漁師たちは口々にそう言う。泉井鐵工所のラインホーラーのことだ。苦境に立たされ、そのたびに蘇り、世界中のマグロ漁に革命を起こした男の物語。

■マグロのはえなわ漁は江戸時代に始まった

神田須田町の寿司店「鮨葵」。どこの町にもある普通の寿司屋で、店内にはテレビがある。客はニュースやスポーツ中継、お笑いなどのバラエティ番組を見ながら酒を飲み、刺し身と寿司を食べる。値段は高くない。

客筋はいい。日本橋、神田の老舗企業の会長や相談役、警察幹部、銀座の一流寿司店の職人といった人たちが食べに来る。「鮨葵」に来る客が目当てにしているのはマグロだ。主人、田口勝己は冷凍の魚は一切使わない。マグロは近海の延縄(はえなわ)漁で獲ったホンマグロだけ。握りや鉄火巻きのほかに、カマの部分はねぎと一緒にねぎま鍋にする。ねぎま鍋のマグロは黒胡椒で食べる。

田口はカウンター越しにわたしにこう言った。

「マグロは一本釣り、巻き網、延縄とあるんです。一本釣りは超高級品だから、うちではまず仕入れることはありません。巻き網漁で獲ったマグロは網のなかで暴れるから身が黒くなる。寿司屋じゃ使いませんよ。だから、うちで主に使っているのは近海で獲った延縄のマグロになります」

田口は川崎出身。私立の坊ちゃん高校に通っていたが、兇悪で知られた暴走族メビウスに参加して毎晩、国道16号線を飛ばしていた。それが彼の高校時代である。

「写真集ありますよ、見ます?」

差し出された私家版の暴走族写真集にはチリチリのアイロンパーマを頭にかけた高校生が写っていた。バイクにまたがり、平然と煙草を吸っている。

その男が四十数年経った現在、カウンターのなかで実直に寿司を握っている。人間は驚くほど成長する。

田口はマグロの握りをひとつ、わたしの前に置いて、言った。

「マグロの延縄って日本で始まったんですよ。知ってました?」

それは知っていた。しかし延縄漁の詳しいことは知らなかった。調べてみると、次のような文言を見つけた。

「マグロはえ縄漁業は、江戸期の延享年間(1744〜48)に房総半島の布良村(現・館山市)で始まった日本の伝統漁法です」(責任あるまぐろ漁業推進機構)

そして、歴史あるマグロ延縄漁に革命を起こしたメイド・イン・ジャパンの漁労機械があることもわかった。それが「ラインホーラー」。マグロの漁獲に革命を起こした機械、「ラインホーラー」が世に出たのは1924(大正13)年。発明したのは泉井安吉。高知県室戸市で生まれた元漁師である。小学校しか出ていない安吉が作ったラインホーラーは日本だけでなく世界の延縄船のほぼすべてに装備された。今でも延縄の新造船ができると安吉が作ったラインホーラーの後継機が採用される。メイド・イン・ジャパンのラインホーラーは世界の海で活躍し、マグロを揚げた。

■かつて延縄船は「後家縄」と呼ばれた

ラインホーラーをはじめとする漁労機械を製造する泉井鐵工所は高知県室戸市にある。室戸市は人口1万1400人。高知県の東の端にある。ちなみに西の端は足摺岬だ。高知市から室戸市までは車で約2時間。鉄道は途中の奈半利までしか通っていない。

第七十八合栄丸

室戸は江戸時代から明治の初期までは鯨の町だった。その後、鰹、マグロの延縄漁が盛んになり、今でもマグロ延縄船の母港のひとつである。ただし、水揚げは室戸港ではない。室戸の船は近海でマグロを獲ったら、和歌山県の那智勝浦、千葉県の銚子、宮城県の塩釜に向かう。一方、遠洋の場合は主に静岡県の焼津、清水、神奈川県の三崎から出ていって、元の港に帰ってくる。それもあって室戸でふんだんにマグロが食べられるわけではない。地元の人たちは沿岸で獲れるキンメダイ、メジカ(宗田鰹(そうだがつお))などを食べる。メジカは傷みやすい魚なので、獲れた港の近くでしか食べることができない。アジのようなサバのような外見で刺し身にして仏手柑(ぶっしゅかん)(柑橘)を搾って食べる。白身の魚のような淡泊な味だ。

さて、泉井安吉が創業した泉井鐵工所の本社、工場は市内の中心部にある。社長はひ孫の北村和之、和之の叔父で相談役をやっているのが泉井安久だ。

ふたりは延縄漁とラインホーラーについて教えてくれた。

北村は言った。

「延縄漁は幹縄(みきなわ)に枝縄(えだなわ)を垂らして行います。枝縄の先には釣り針がついています。船が幹縄を繰り出していって、釣り針についた餌を食べたマグロがかかる。引き揚げるときに昔は縄を漁師が手で引いていました。危険です。足に縄がからまったら、そのまま海に引きずり込まれたりします。マグロの延縄漁は事故が多かったので、昔は延縄船のことを『後家縄』船と言いました。後家とは夫を亡くした女性のこと。漁に出たら必ずひとりかふたりは事故に遭う……」

相談役の安久が後を引き取った。

「幹縄の長さは遠洋なら150キロメートルはあります。室戸岬から足摺岬ぐらいまでが150キロメートルだから、それくらいの長さに3000本の枝縄をつけます。幹縄はある程度の長さが出たら、縄の端にラジオブイをつけた浮き玉を仕掛けます。そして、船から切り離す。船はラジオブイを置いた場所を記録しておいて、そこにまた戻って縄を揚げる。これが揚げ縄の作業。縄を投げ入れる(投縄)のに5時間、縄を揚げる(揚げ縄)のが12時間。

幹縄は直径約4ミリのテグスで、枝縄はナイロンテグス製。テグスとは釣り糸のことですね。幹縄はテグスになる前は合成繊維のクレモナ縄でした。餌はイワシ、イカ、ムロアジ、サバ。冷凍の安い魚を使います。

遠洋の大型船には二十数人が乗り込みます。太平洋からインド洋や大西洋にまで行ってマグロを獲って船内で冷凍保存する。近海の場合は冷凍ではなく、冷海水で船腹に保存します。保存するときはえら、わた(内臓)は抜きます。漁師は大変ですよ。投縄、揚げ縄といった漁のほか、甲板に引き揚げた100キロもあるマグロの解体まで行うわけですから」

■自分の利益ではなく仲間のために作った機械

漁業に従事する人たちの労働は過酷だ。特にマグロの延縄漁は過酷であり、危険と隣り合わせである。投縄、揚げ縄のときは休みはない。全員で作業に取り組む。3000本もの釣り針を垂らして、すべてに獲物がかかることはない。100本に1匹のマグロがかかっていればかなりの成績だ。一本もかからないことだって稀ではないのだから。投縄、揚げ縄は一度で終わるわけではない。船腹に一杯になるまでやり続ける。遠洋の場合、1日1回の操業で、年間250~270回くらいは投縄、揚げ縄を行う。つまり、一つの航海に1年はかかる。近頃ではマグロの遠洋船に乗り組む人は減っていて、しかも高齢化している。1年も海の上にいるのは楽ではない。

操業の最中、海がしけて大波が甲板に打ち寄せることだって稀ではない。ある遠洋の船では大波が7人の甲板員を全員、海に運んでいったこともあるという。

海や天候だけが敵ではない。釣り針にかかったマグロを狙うシャチがやってくる。日本近海にはいないとされているが、遠洋漁業では出会うことがある。シャチの体長は6メートルで体重は10トン近い。シャチは海の帝王で、鯨を襲うこともある。延縄にかかったマグロはシャチにとっては枝についている果実みたいなもので、何の苦労もなく、飲み込んでしまう。延縄船では「シャチまわし」と呼んで、その来襲に恐れおののく。せっかくの獲物を頭だけ残して食べてしまうのがシャチだ。

シャチに劣らず、サメも厄介だ。延縄には時折、サメがかかる。サメは生命力が強く、死んでいても足にかぶりついてくることもある。実際にサメにかまれた船員もいる。カジキもまた恐ろしい。カジキの上あごは剣のように伸びている。これを吻(ふん)と呼ぶ。甲板に揚がったカジキの吻に突かれてケガをした者も少なくない。

釣り針による事故もある。投縄、揚げ縄の際、釣り針が手に引っ掛かると、手の甲が引きちぎれてしまう。頭や目に刺さった例もある。釣り針の長さは3寸(約9センチ)から5寸(約15センチ)。鋭いカエシのあるマグロ針を漁師たちは「地獄針」とも呼ぶ。

それほどのケガをしても、医師が乗船しているわけではないから応急処置しかできない。サメやカジキにやられたり、釣り針でケガをしたら、近くの港に行くまでの数日間、薬を塗り、包帯を巻いて船室で寝ているしかない。

しかし、それだけの危険があっても漁師は延縄漁に出ていく。マグロは高価だからだ。体重200キロのクロマグロであれば1匹、数百万円はするものもある。しかも、「一本釣り」と「延縄」で獲れたマグロは巻き網で獲ったものよりも1キロあたりの価格が2倍から3倍になる。

ラインホーラーを発明した泉井安吉は延縄船に乗り組んでいたから、船の上での作業と生活をよく知っていた。安吉は漁師たちのためにラインホーラーを作った。自分の利益のためではなくマグロを揚げる仲間たちのために作ったから、日本と世界のマグロ漁師が支持したのである。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年8月30日号)の一部を再編集したものです。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉 撮影=牧田健太郎、濱田智夫)

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