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41歳で再婚して「崖っぷちの心に余裕が出た」…朝ドラのモデル三淵嘉子と裁判官の夫は最後までラブラブだった

プレジデントオンライン / 2024年8月31日 8時15分

NHK解説委員の清永聡さん - 写真提供=NHK

朝ドラこと連続ドラマ小説「虎に翼」も9月で最終月に突入。新たな人生のパートナーを見つけた裁判官の寅子(伊藤沙莉)はどうなるのか。NHK解説委員の清永聡さんは「ドラマでは事実婚として描かれたが、寅子のモデルになった嘉子さんは、同じ裁判官の三淵乾太郎さんと再婚して三淵嘉子となった。再婚して『気持ちに余裕が出た』という文章も残している」という――。

■司法の世界を描く「虎に翼」の企画はどうやって始まったのか

私が「虎に翼」に「取材・清永聡」という役割で関わるようになったきっかけは、2018年に『家庭裁判所物語』(日本評論社)を書いたことでした。その本を読んだ制作統括・尾崎裕和と石澤かおるという「虎に翼」のプロデューサー2人から、「三淵嘉子さんをモデルにした朝ドラってできると思いますか?」と相談され、ドラマの話が動き出しました。2022年秋のことです。

女性初の裁判所長となった三淵さんの評伝自体はいくつかあったんですが、それだと縦軸――つまり、彼女の人生の物語は描けるけど、家庭裁判所の創設や少年法の問題や原爆裁判など、いわゆる横のイベントについてはあまり詳しくない。そこで、一緒に作ってくれないかという相談を受け、本を書いたときからお付き合いが続いていた三淵嘉子さんなどのご遺族に一緒に会いに行きました。

私はNHK解説委員として司法担当を務めているので、プロデューサーを普段取材している法務省や最高裁にも連れて行きました。法務省では実際にロケをさせてもらったり、最高裁からは資料を提供していただいたりしています。その上で、『家庭裁判所物語』を書いたときの大まかな材料をまとめて脚本家の吉田恵里香さんやドラマ部のスタッフに提供したんです。

そこからストーリーを作っていく中で、吉田さんやスタッフから「こういう裁判を取り上げたいけど、良い判例はないですか」とか「戦前の捜索令状がほしい」などのリクエストがあると、そのつど、資料を探しに行く流れで進めてきました。

■一般市民から見た「司法の歴史」をドラマで展開したかった

このドラマで描きたかったものは、ジェンダーや様々な差別など、吉田さんや演出チームなどそれぞれにあるでしょうけれど、私には「司法の歴史」を朝ドラで伝えたいという思いがありました。それは最高裁のような「権力の攻防」ではなく、女性目線あるいは庶民目線で見た憲法の問題であり、刑事司法の問題であり、民法の問題であり、家庭裁判所の問題であり、少年事件の問題であり、というもので、半年間観終わったら、国民から見た司法の歴史をたどっていけるようにしたい。そうした思いに吉田さんも共感して作ってくださったと思います。吉田さんはご自身やスタッフたちの思いを、半年に及ぶストーリーの中に巧みに盛り込んでくれました。感謝しています。

これまでもリーガルドラマはたくさんありました。でも、戦前の「帝人事件(ドラマでは共亜事件)」を取り上げたドラマがあったでしょうか。離婚した女性が夫に着物を返してもらえないという事件も描きましたが、「権利の濫用」を取り上げた作品なんて、まずないでしょう。昭和6年7月24日の「物品引き渡し請求事件」が基になっていますが、これを取り上げたいということで、戦前の判例なので、法務省の図書館に行き、その判例が掲載されている最高裁判所の前身・大審院の民事判例集と一、二審の記録も探して資料としました。

寅子役の伊藤沙莉(右)と航一役の岡田将生
写真提供=NHK
連続テレビ小説「虎に翼」より、寅子役の伊藤沙莉(右)と航一役の岡田将生 - 写真提供=NHK

■岡田将生演じる星航一のモデルは三淵乾太郎そのものではない⁉

つまり、「司法の歴史」というのはこれまで誰も触らなかった、裏返せば誰もやっていないからこそ自由にできるもので、そこの品質管理はこちらがやるから、吉田さんはどんどん自由にやってほしいというのが、私の願いだったんです。

そうすることで、いろいろな差別の問題や、日本の司法制度の課題などが浮かび上がってくればいいなという思いがありました。加えて、私は社会部で長く憲法取材班も担当していましたので、憲法についても正面から扱ってほしいと願っていました。

さて、ドラマでは主人公・寅子(伊藤沙莉)の再婚という縦軸の展開が話題になりました。寅子の新たなパートナーとなった航一さん(岡田将生)ですが、史実の再婚相手の三淵乾太郎さんについて「モデル」という言い方はしていません。

それは実際とは異なることが多々あるからです。航一さんの場合、三淵嘉子さんの再婚相手の三淵乾太郎さんとはまず年齢設定が違っていて、実際より少し若く設定されています。史実では嘉子さんは再婚時に41歳、乾太郎さんは50歳でした。また、異動のタイミングも違います。

三淵嘉子、乾太郎夫妻(1957年9月撮影)
©三淵邸・甘柑荘/アマナイメージズ
三淵嘉子、乾太郎夫妻(1957年9月撮影) - ©三淵邸・甘柑荘/アマナイメージズ

■ドラマでは事実婚だが、三淵嘉子は再婚して姓を再び変えた

ただ、三淵乾太郎さんを含め、参考にさせていただいている人物に関しては、可能な限りご遺族にあいさつをし、事情も話して、ドラマでは史実と違う取り上げ方になりますということをお伝えしています。最初から細かい設定まで決めているわけではないので、物語の進行に応じて、そのつど、説明をしながら進めています。

特に第21週では、寅子たちが互いの姓を変えず「夫婦のようなもの」になることを決め、事実婚を選択しています。このアレンジには私もびっくりしましたが、吉田さんの希望を尊重しようということで、そこから両家、嘉子さんのご遺族と乾太郎さんのご遺族にそれぞれ説明し、ご理解をいただきました。特に史実と違う話になるときは、法的な話とは別に、ご遺族の理解・納得をいただくのは非常に大切なことだと思っています。

ちなみに、参考にした乾太郎さんと航一さんの人物像は、私が乾太郎さんを知る親族などを取材したかぎり、重なる部分も多いですね。簡単に言うと、冷静で、じゃっかん近寄りがたくて、超イケメン。写真を見ても細身でシュッとしていらっしゃるでしょう。「イギリス風紳士」といった回想も残っています。一方で、ちょっと気難しいところもあったという証言もありました。

■嘉子の実子は男の子、乾太郎には4人の子がいた

ドラマと同じくお互い連れ子がいましたが、乾太郎さんには子どもが4人いて、嘉子さんの実子は女ではなく、男でした。

また、ドラマでは娘・優未(毎田暖乃)が航一さんと良い関係を築いていますが、史実でも、息子の和田芳武さんはけっこうマイペースな人で、乾太郎さんも休日に家でずっと黙々と本を読んでいるようなタイプだったから、芳武さんは「どことなく波長が合って仲良くなった」と話していますね。

物静かな芳武さんと乾太郎さんに対し、嘉子さんは賑やかで正反対のタイプ。その点は寅子と似ているんですが、史実では乾太郎さんの方がむしろ嘉子さんに惚れ込んでいたそうです。名古屋に赴任している期間は、乾太郎さんが名古屋まで嘉子さんに会いに来ていたという話なので、乾太郎さんの方が熱心だったんでしょうね。とはいえ、嘉子さんもイギリス紳士のような乾太郎さんに想われて、うれしかったのだと思います。

実際、好きになったのは乾太郎さんの方からで、嘉子さんの誰にでも分け隔てなく接する感じを気に入っていたようです。ドラマでは、他者に対して溝を作ってしまう航一さんが、懸命に溝を埋めようとする寅子に惹かれますが、そのあたりの関係性は史実のお二人の関係をイメージして吉田さんが描かれたのかもしれません。

「虎に翼」より
写真提供=NHK
「虎に翼」より - 写真提供=NHK

■「断崖の端に立っているような緊張」が再婚で穏やかに

嘉子さんが自身の再婚について、2年後に短く触れた次のような文章があります。

「私にとって三淵との結婚は思いもよらぬものであっただけに、大事な拾い物のような気がします。断崖の端に立っているような緊張した私の心が、この頃は自分でもおかしいぐらい余裕をもってきました」
(清永聡『三淵嘉子と家庭裁判所』日本評論社)

前夫の和田芳夫さんと死別した後、幼い芳武さんの育児や、学業優先だった弟たちの世話が最優先だった嘉子さん。弟もみな社会人になり、芳武さんも中学生になったことで、ようやく自分の幸せをもう一度考えられるようになったのでしょう。

ちなみに、ドラマでは弟・直明(三山凌輝)の発案で、大学時代の仲間たちが集まり、サプライズで「結婚式のようなもの」が行われましたが、史実では双方とも再婚ということで、実弟だった泰夫さんによれば、結婚式は身内だけのごく簡単なものだったそうです。

■雪まつりで嘉子と乾太郎の“腕組み”が目撃され話題に

嘉子さんと乾太郎さんは夫婦になってからも、いろいろなところに連れ立って出かけていたようです。小田原の旧三淵邸・甘柑荘の物置から嘉子さんが残した30冊ほどのアルバムが見つかりましたが、一番古いものは昭和31年、乾太郎さんと再婚し、目黒の官舎で暮らし始めた頃から始まっています。

自宅でくつろぐ様子や、着飾って銀座を歩く二人、同僚や部下たちが集まっての官舎での宴席、旧宅の縁側で双方の連れ子と並んだ記念写真。そして、ドラマと同じく家族で麻雀をしている写真もありました。

あるときは、新潟の十日町の雪まつりで、乾太郎さんと腕を組んで歩いているところを目撃され、「有名なえらい女性が夫と腕を組んでいる」と話題になったこともあったと、裁判所のOBの方に聞きました。

結婚してからもずっと恋人同士のような関係だったようです。

嘉子さんと乾太郎さんがずっとラブラブだったのは、別居婚の時期が多かったことも影響しているかもしれません。

嘉子さんは新潟や浦和の家庭裁判所で所長を務めました。一方、乾太郎さんも甲府地裁の所長を務めており、お互いちょうど所長になる年次だったことから、裁判官時代は一緒に暮らす期間がわずかだったと言うことです。

しかし、嘉子さんは前夫の和田芳夫さんのこともずっと愛していたそうです。何しろ、嘉子さんが亡くなったときには三淵家だけでなく、香川県丸亀市にある和田家のお墓にも分骨したくらいですから。

「虎に翼」より
写真提供=NHK
「虎に翼」より - 写真提供=NHK

■乾太郎は裁判官としてもっと出世してもおかしくなかった

ところで、嘉子さんは女性初の弁護士の一人で、女性初の判事で、女性初の家庭裁判所所長で、なにしろ有名人でした。一方、乾太郎さんも甲府地裁や浦和地裁の所長をしましたが、私個人としては少し違和感も抱いています。

それが何かというと、乾太郎さんはドラマの航一さんと同じように、戦前、総力戦研究所のメンバーにも選ばれたように、戦前は次世代の司法のリーダーとみなされていたわけです。戦後も最高裁判所の上席調査官をしており、将来的には父親の三淵忠彦さんのような最高裁長官まではいかなくても、どこかの高裁長官くらいになってもおかしくなかったんですね。

清永聡『家庭裁判所物語』(日本評論社)
清永聡『家庭裁判所物語』(日本評論社)

しかし、結果的に東京高裁の部総括(裁判長)にもならず浦和地裁の所長で退官している。なぜ乾太郎さんはそこまでだったのかという疑問があります。

おそらくそれは乾太郎さん自身も比較的リベラルな裁判官であったと言われていて、「司法の冬の時代」と呼ばれた当時、その出世をさまたげるようなことがあったんじゃないか、とも想像もしますが、今となってはわかりません。

ドラマで描かれているように、嘉子さんと乾太郎さんの再婚には、お互い連れ子がいて、家庭内での波乱もありましたが、二人は互いの子どもを育てあげ、社会へと送り出し、その後の人生を共に過ごしています。乾太郎さんが出世を望んでいた裁判官だったとは思えず、幸せな結婚生活だったと言えるのではないでしょうか。

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清永 聡(きよなが・さとし)
NHK解説委員
1970年生まれ。NHKで社会部記者として司法クラブで最高裁判所などを担当。司法クラブキャップ。社会部副部長などを経て現職。著書に『気骨の判決――東條英機と闘った裁判官』(新潮社、2008年)、『家庭裁判所物語』(日本評論社、2018年)、『戦犯を救え――BC級「横浜裁判」秘録』(新潮社、2015年)がある。

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(NHK解説委員 清永 聡 取材・文=田幸和歌子)

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