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なぜ日本人はこんなにも「ハリポタ」好きなのか…第1作公開から20年たつのに「舞台」が大ヒットしているワケ

プレジデントオンライン / 2024年9月12日 10時15分

舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」の制作発表会見で、記念写真に納まるハリー・ポッター役の(左から)藤原竜也さん、石丸幹二さん、向井理さん=2022年5月17日午前、東京都港区 - 写真提供=共同通信社

『ハリー・ポッター』シリーズの人気に衰えがみられない。エンタメ社会学者の中山淳雄さんは「作品の内容はもちろんだが、いくつかの偶然が重なっていることは見逃せない」という――。

■2年で100万人を動員した舞台版「呪いの子」の偉業

2023年8月9日、演劇「ハリー・ポッター 呪いの子」が累計100万人を集めた。2022年7月に赤坂ACTシアターという専用劇場が出来上がり、2年間にわたって約900回の公演が行われた結果である。

この「観客動員数100万人」というのはどれほどの数字だろうか。そしてなぜ『ハリー・ポッター』は終了したはずなのになぜワーナーは「呪いの子」を展開しているのだろうか?

映画でいえば「劇場版 名探偵コナン」が27年かけて27作で全累計1億人、ミュージカルでいえば劇団四季「ライオンキング」が27年かけて約1万4000回の公演で累計1370万人の動員数という記録が残っている。

宝塚雪組公演『ベルサイユのばら』も40年近くかけて累計500万人という数字であったし、2.5次元ミュージカルまで広げても『テニスの王子様』が19年かけて累計300万人という記録だ。

いずれも四半世紀という長い期間をかけた実績であり、比べてみれば2年で100万というのは十分に記録的な数字だろう。特に音楽や歌唱時間のない演劇というジャンルにおいて「呪いの子」は傑出した数字であることは確かだ。

■完結していたはずの物語が動き始めたワケ

チケット価格が1万円を超す演劇・ミュージカルとなれば1年間で20~50万人動員という数字が日本でもトップクラスの基準となる。

その意味では最初の1年で58万人超え、2年目もそれほどペースを変えずに100万人まで走り切った数字がいかに「桁違いか」というのは理解できる。

場所は、1・2階席で1324席をもつ赤坂ACTシアターの専用劇場1劇場のみ、それが毎回1000人以上で埋まり続けている本作は、日本演劇史においても最速のスピードで成長・成功している演劇といっても過言ではないだろう。

そもそも2007年に原作『ハリー・ポッターと死の秘宝』が完結、その映画版も2011年に完了して以来、「ハリポタ・ロス」が世界中で続出していた。

シリーズ完結して9年、すでに絶筆を表明していたJ.K.ローリングが、舞台原作とはいえ再び筆をとりはじめた理由は「ファンは物語に対して、とても忠実で情熱的。そのことが私を呼び戻したの。ファンなしには、脚本を書こうなんて思わなかった」と伝えている。

原作者本人が舞台版で展開される「本当の最終話」を描いた、ということで2016年に英国から始まった本作はロケットスタートしていた。

■映画よりもすごい「魔法」

中身を一度見ればその人気の秘訣も頷ける。まずはテンポが段違いに良い。

駅に列車内にホグワーツに……と、くるくる変わる舞台設営は5秒と経たない暗転時間に行われる。スーツケースや移動式階段など「見立て」を使うことで違和感なく転換する。余計な説明口調もなければ、ざっくり筋を把握しながら、飽きのこないテンポ感で進む。

キャストもハリーからロンからハーマイオニー、ダンブルドア校長などそれぞれのキャラが「アイコン化した服装」をしていることで、目新しいキャストだとしても余計な説明手間もなく理解でき、私のような10年ぶりにハリポタを見るユーザーでも問題がなかった。

なにより本舞台のハイライトは「魔法」だろう。

CGのある映画と違って舞台は生もの。ちょっとした「魔法を使ったことにする」なんて演出では、ガッカリ興ざめである。

だがこの舞台では、暗闇や光を効果的に使い、炎は飛び交い、身体を浮かせたり、自動的に本が閉じたり……。本棚が動く演出はどうやっているのかすらわからなかった。

下半身は馬のケンタウルスはまるで本物と見まがうほどだ。特に吸魂鬼(ディメンター)の演出は映画ではできない浮遊芸で、ぜひ生で見てほしい。

パレスシアター、ロンドン
写真=iStock.com/jewhyte
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/jewhyte

■米国ブロードウェイ史上最も成功した「演劇」

2022年に「呪いの子」が日本にやってきたとき、すでに評価は確立していた。

米国ブロードウェイ史上「最も興行収入を上げたストレートプレイ(歌ありのミュージカルではない演劇)」で258万枚で3億3000万ドル(約380億円、レートは当時。以下同)で史上No.1となっている。(ミュージカルでは20年以上やっている「The Lion King」や「Wicked」などの10億ドル超えトップ作品がある)

これは1990年代後半、治安も悪く再興を期していたブロードウェイ業界で、Disneyが「美女と野獣」や「ライオンキング」を引っ提げて新規参入し、映画連動で画期的な数字をあげて業界を変えていったのと同じく、インパクトのある「映画業界からの参入成功事例」といえる。

「呪いの子」は、英国演劇界で最高名誉のローレンス・オリヴィエ賞、米国演劇界のアカデミー賞と言われるトニー賞と総なめにしている。演劇・ミュージカル界でも高く評価された作品なので、日本にもってきた時点で「折り紙付きの成功作」であったともいえるだろう。

■初版はたったの500部

映画化・舞台化・テーマパーク化で記録尽くしのハリー・ポッターも、その“生まれ”はごく慎ましやかな「一冊の小説」に過ぎない。

母の死・長女出産・離婚など困難を経て、無職のシングルマザーだったJ.K.ローリングが1995年、30歳の時に書き上げたのが本作だ。何度も出版を拒否されながら、英国出版社Bloomsburyから1997年6月に発売されたのが『ハリー・ポッターと賢者の石』、初刷はたったの500部。まさかこれが後に1億2000万部を売る伝説の第1巻になるとは、誰もが予想しなかったことだろう。

そのポテンシャルに目を付けた米国の児童書・教育所の出版大手SCHOLASTICが10万ドルという超高額の出版権オファーを出したころから、潮目が変わってくる。

1年後の1998年9月に出された米国版は、初版5万部。1999年の3作目『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』ともなると、英国で初版20万部、米国で初版50万部となり、このころにはもうローリングが受け取る印税は百万ドル(億円)を超える規模になっていた。

英米で話題になっていると聞きつけて、日本語版を出版したのはなんと当時“社員1名”の静山社。

夫の会社を継いでイギリスの知人の家で本作を紹介されて一気に虜になった松岡佑子氏が、直接J・K・ローリングの代理人に電話をいれた。3社もの出版社が申し入れをするなか、思いを込めた手紙を直接送った結果、ローリング本人が選んだのが松岡氏であった。

ハリー・ポッターの本
写真=iStock.com/Alena Kravchenko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Alena Kravchenko

■映画化で世界的コンテンツに

後日その理由を「代理人から、(松岡)佑子が最も情熱的な出版人だったと聞いた。人生において、情熱ほど重要なものはないと思う」(ORICON NEWS 2022年3月4日配信)

まさに窮鼠の一矢で小説を描きあげ、自らの情熱だけで映画化まで推進してきたローリングだからこそ、そのパートナー選びもブランドや企業サイズではなく「情熱」を基準にあげたのだろう。

日本語版で1作目が出たのは、2年6カ月遅れの1999年12月。初版3万部は瞬く間に完売し、1カ月で25万部。「児童書」でいうとほかに追随を許さないベストセラーとなった。

「賢者の石」は日本で500万部を超える大ベストセラーとなった。

1997年~2000年の間に「数百万部」を売り上げていたファンタジー小説が、「数億部」という書籍史上有数のギネス記録に、そして全世界を巻き込むIPブランドになったのは、アメリカ・ハリウッド映像の力だろう。

著者のローリングは出版社任せにせず、1999年に4作品の映画化権をワーナーブラザーズに1億6000万ドル(約170億円)で直接売却している。

ベストセラーは映画化して売れる、というのは今でこそ当たり前のように聞こえるが、決してそうではない。小説で好むものが必ずしも映像化に適しているわけではない。

■変化① 映画界でのCG革命

1940~70年は米国ベストセラーリスト1位になった作品は3つの例外を除いてすべて映画化されている。映画が書籍の評判に追随していた時代だ。だが1970~90年に関しては映画になったのは9作品。

なぜ減ったのかといえば「テレビの隆盛で映画が不況期であったこと」そして「映画化することが難しい小説が好まれるようになった」と考えられている。

日本でも「読んでから見るか 見てから読むか」の角川映画が小説と映画のメディアミックスを仕掛けたのが1970年代末~80年代と比較的最近の話で、一人称や情景描写が中心のテキストメディアと、世界観を含めた3次元の空間を作りこまなければいけない映像メディアは必ずしも相性がよいとはいえない。

特に「ハリー・ポッター」のような空想世界を映像として説得性を持たせるには『ジュラシック・パーク』(1993)や『タイタニック』(1997)などのCG技術の進化が必要不可欠であり、1950年代からベストセラーだった「指輪物語」がようやく『ロード・オブ・ザ・リング』として映像化したのが2001年。

ハリポタ映画化も同年であり、この2001年は「ファンタジー作品のCG映画化元年」でもあった。その点ではローリングも相当に幸運だったといえる。これは10年前であれば、映像化のしないベストセラーで終わっていただろうし、10年後であればすでに指輪物語やナルニア国物語など別のものに取ってかわられていただろう。

ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッターに向かう群衆
写真=iStock.com/abalcazar
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/abalcazar

■イギリスより日本の方がヒットした

1980年代ごろまではトップ街道を走っていた映画会社ワーナー・ブラザースにとって、90年代後半から水をあけられたディズニー、ユニバーサル、ソニーなどのグループに一矢報いるためハリー・ポッターは起死回生の手段だった。

「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズと「ハリー・ポッター」シリーズで好調を極めたワーナーは2000年代末には米国メジャー6のトップに躍り出て、実際にそれまでの稼ぎ頭だった「バットマン」シリーズとの両輪で会社の主軸IPとなっていく(その後の10年はマーベルシリーズで再びディズニーがハリウッドの頂点に君臨していく)。

ここ数年こそ低調ではあっても、『タイタニック』『アナと雪の女王』など米国に次いで日本市場が一番の映画の稼ぎ頭だったというハリウッド作品は少なくない。

『ハリー・ポッター』もまさに同様で8作品はシリーズを通してほとんど売上を落とさず、8作目の最終版は13億ドル(約1170億円)を超えるピークをつけている。後続のファンタスティック・ビースト3作もあわせて、実はその好業績を支えたのは米国に次いで、ほぼすべて「日本」であった。母国英国よりも日本市場での稼ぎのほうが大きいのだ。

■変化② 外資シネコンの市場開拓

なぜ日本でこれだけヒットしたのか。そもそも2001~02年ごろは日本映画市場の洋画比率が6~7割と史上最もハリウッドの影響が強かった時代。

かつワーナーマイカル(2001年にイオン買収)、ヴァージンシネマ(2003年東宝買収)、ユナイテッドシネマ(のちにローソン買収)など外資シネコンが日本で「新しい映画館」市場を開拓していた真っ最中で、邦画絶不調期の“最後の”タイミングと『ハリー・ポッター』の“最初の”導入が重なっていた。

小説の人気ももちろんあったが、ハリウッド映画として競争相手がかなり少なく外資系IPを根付かせるベストなタイミングだったことも影響しているだろう。

【図表1】ハリー・ポッター 作品別興行収入と国別シェア

ワーナーにとっても『ハリー・ポッター』にとっても、日本は特別だった。だからこそ、2014年に世界5カ所あるテーマパークの中でも「バック・トゥ・ホグワーツ」が展開されたのはフロリダに次いでUSJが2番目だった。

さらに2012年からロンドンで展開された「ワーナー・ブラザーススタジオツアー」も2023年に世界に2番目の場所として東京で展開された。2016年から始まっていた舞台「呪いの子」は、ロンドン、ニューヨーク、ハンブルクと渡ってきて、アジア最初の拠点として2022年に東京・赤坂が選ばれた。

■魔法で彩られた東京・赤坂

もうストーリーは完結した。俳優も年を取り、彼らを基軸にした展開も難しい。そうした「成熟のフェーズ」においてIPの担い手として活躍するのは、こうしたLBE(ロケーション・ベース・エンターテイメント)である。

初期投資の金額としては映画に勝るとも劣らず、多大なリスクを負いながら、向こう5~10年といった単位でそのIPの世界を広げ、公演そのものだけでなく周辺でグッズを売ったりテーマカフェを展開したりと、まるで「都心にある小規模テーマパーク」のようにそのファンの“祭り”を盛り上げ続けるのだ。

これは原作者やワーナーのような版権会社だけで実現できる規模のものではない。「呪いの子」舞台に投資してそれを広げようとしたのはTBSテレビやホリプロであり、そうした日本ローカルのパートナーとのアライアンスが必要不可欠だ。

TBSテレビのお膝元である赤坂駅周辺の「IPの小規模テーマパーク」は他IPでは類例がないほどの熱のいれようだ。

■IPを根付かせるのは原作の力だけではない

赤坂駅構内からの地上にのぼる階段にはホグワーツの動く階段がイメージされ、「呪いの子」でも重要なアイテムとなったタイムターナー(逆転時計)像が屹立する。テーマカフェとしては日本トップのLTR社が展開するハリーポッターカフェがあり、限定ストア「ハリー・ポッター マホウドコロ」も並ぶ。

赤坂駅から赤坂ACTシアターに続く道はWizarding World Streetとして「ハリー・ポッター」IP一色に世界を彩っている。

IPを根付かせるのは原作の力だけではない。IPとファンの関係性を「終わらせない」という企業同士の覚悟と投資こそが、信頼とブランドの道を築くのだ。

2023年は「バック・トゥ・ホグワーツ」擁するUSJが、「スーパー・ニンテンドー・ワールド」とともに盛り上げを加速させ、ついに集客数1600万人と国内トップの東京ディズニーランドを超え、世界3位になった記録的な年でもある。

次は「ハリー・ポッタースタジオツアー東京」や舞台「呪いの子」の番だろう。

ハリポタ人気はすでに20年の歴史を数え、母が娘にと2世代で継承される趣味になりつつある。原作が終わり、映画が終わり、といった「寿命」と闘いながら、企業の営為とファンの熱望がIPの恒久化への道を敷くのである。

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中山 淳雄(なかやま・あつお)
エンタメ社会学者、Re entertainment社長
1980年栃木県生まれ。東京大学大学院修了(社会学専攻)。カナダのMcGill大学MBA修了。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトトーマツコンサルティングを経て、バンダイナムコスタジオでカナダ、マレーシアにてゲーム開発会社・アート会社を新規設立。2016年からブシロードインターナショナル社長としてシンガポールに駐在。2021年7月にエンタメの経済圏創出と再現性を追求する株式会社Re entertainmentを設立し、大学での研究と経営コンサルティングを行っている。著書に『エンタの巨匠』『推しエコノミー』『オタク経済圏創世記』(すべて日経BP)など。

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(エンタメ社会学者、Re entertainment社長 中山 淳雄)

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